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海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

シリア 化学兵器問題の発端 2012年7月

2017-10-04 23:25:20 | シリア内戦

 

シリアが化学兵器を使用するのではないか、という疑念は2012年7月に始まった。シリアは大量の化学兵器を保有していたが、これは仮想敵国イスラエルとの戦争に備えるためだった。

2012年7月に化学兵器の問題があらためて浮上したのは、シリアが「外国の侵略に対しては、加賀兵器を使用する」と宣言したからである。

シリアは外国の軍隊の介入を恐れた。全国的な反乱に手こずっていたとはいえ、シリア軍は通常兵器だけで反乱軍をはるかに優越しており、禁じられた兵器に頼る必要はなかった。シリアは外国の軍事介入の兆候を察知し、化学兵器の行使をちらつかせ、侵略を思い止まらせようとした。これが7月の化学兵器危機である。

シリアは大量の化学壁を所有していたが、この時期化学兵器の量をさらに増やそうとしていた。原料を買い集めようとしたが、米国などに妨害された。化学兵器を増やす努力は、反乱軍に対し使用する目的でないことは明らかだ。シリアはすでに大量の前段階物質を持っており、その一部を使うだけで、反乱軍に対しては十分だ。反対派は粗末な自動小銃だけで戦っており、武器の点ではシリア軍は通常兵器だけでも優越している。

2012年は武装反乱最初の年である。反対派が対戦車ミサイルBGM-71 TOW(トウ)を使用するようになるのは2014年である。反対派が最初にTOW(トウ)を手に入れたのは2013年夏のようであるが、使用が顕著になるのは2014年である。ISISが戦車を手に入れるのも、2014年である。

2012年7月の化学兵器危機は、シリアが外国の直接干渉を恐れたことが原因である。シリアの化学兵器は外国の軍隊に対する抑止力である。

シリアが化学兵器をちらつかせ、潜在的敵国を威嚇すると、米国が異常反応した。それがオバマの「レッド・ライン」発言である。シリアと外国との直接戦争が近づいたときに、シリアの化学兵器問題が発生したのである。

外国の侵略が迫っている、とシリアは感じたようだが、その根拠について語っていないので、外国がどのような計画をしていたのかは、わからない。

2011年末以来、中東と欧米のいくつかの国はシリアの反対派に武器援助をしてきた。2012年夏になると、武装グープがシリア各地を支配する世になり、政権の全国支配が崩れた。米国は政権崩壊後の混乱と化学兵器の保全を心配するようになった。20125月、米国が指導し、19の国から12000人の兵士がヨルダンに集結し、化学兵器確保のための共同作戦の訓練をした。これを知ったアサド政権が、外国が侵略の準備をしている、と考えたのかもしれない。 2012年6月アサド大統領が演説し、外国勢力との総力戦を宣言している。

また半年後の話になるが、2013年1月米国の艦船が東部地中海に進出し、仏の部隊がシリアへの上陸訓練をしていた。これは政権崩壊時のアサド軍の自暴自棄に備えるためと、崩壊後の無政府状態に備えるものだった。この時もアサド政権はこれを外国の侵略と受け止めただろう。このような計画は2012年7月に始まっていたのかもしれない。

この時期反乱軍が勝利していたので、シリアの敵国は政権崩壊時の混乱を心配していただけである。しかし彼らはアサド政権の転覆を目的としており、反乱軍が力不足という事態になれば、米・イスラエル・仏、そしてアラブ諸国の軍隊による直接介入が予想された。シリアの化学兵器はこれらの敵国に対する脅しだった。シリアが外国の軍隊との戦争を予期したのは単なる疑心暗鬼とは言えない。

7月の化学兵器危機は11月末の危機と同じくらい深刻だったが、米国の政府関係者は情報を精査し、「シリアの化学兵器問題に緊急性はない」と考えるようになった。シリアは、あくまで外国の軍事干渉に対し備えているのあり、軍事干渉が現実のものとならなければ、シリアは化学兵器を使用しない。

このことは11月末の化学兵器事件を理解するためのヒントを与えてくれる。

11月末イスラエルが米国に伝えた。「500ポンドのサリン弾数十個が航空機に積まれようとしている」。

イスラエル情報は緊急性を伝えているが、事態はそれほど切迫したものではなかったかもしれない。

========《2012年7月の化学兵器危機》=======

Exclusive: U.S. Rushes to Stop Syria from Expanding Chemical Weapon Stockpile

                                Wired  2012年10月25日

米政府の官僚たちが、Wiredのブログ編集室に語った。

「シリアの独裁者・バシャール・アサドは困難な状況に置かれており、化学兵器を増やしている。内戦が深まる中にあって、シリアは神経ガスの原料を手に入れようとしている。最近数か月アサドのスパイたちは、サリンなどの原料を買い集めようと、何度も試みている。米国とその同盟国はシリアの試みを妨害することができた。しかしながら、アサドの科学者たちは世界で最も恐ろしい兵器の原料を数百トンほど、すでに持っている」。

米政府の官僚の一人が次のように述べた。

「アサドは反対派の圧倒的な攻勢を、辛抱強く我慢している。経済はこれまで通り動いている。ビジネスマンは働き蜂のように動き回っている」。

今年(2012年)の7月、アサド大統領は反対派を支援する国々に警告した。

「外国の軍隊が血なまぐさい内戦に参入するなら、我々は化学兵器を使用するだろう。我々は外国の侵略を抑止する目的で、化学兵器を保有している」。

米政府の政策策定者たちは危機感を深めている。「アサドは実際に化学兵器を使用するかもしれない」。

と7月以来ロシアを含め国際社会はアサド政権に明確に伝えてきた。「大量破壊兵器の使用は許容できない」。メッセージはアサド政権の中枢に届いている。少なくとも当分の間、シリアは自制するだろう。米国による軍事干渉の話は聞かれなくなった。

米政府関係者は次のように言う。

「あの時(7月)、シリアが化学兵器を使うのではないか、と我々は真剣に考えていた。しかし情報を注意して読むと、我々が考えていたほど緊急性はないことに気付いた。ただしシリアの化学兵器問題が消えたわけではない。シリア国内の25の場所に、500トンの神経ガスの前段階物質がバイナリー(2種類)形式で保管されている。これら場所の一つが過激イスラム主義者などの危険なグループに占領されるなら、大量虐殺が起きる危険が高まる。

アサドは現在も化学兵器の量を増やそうとしている。

大量破壊兵器の権威である、非拡散研究所のジェイムズ・マーチンはシリアの非人道的な兵器について報告している。

「化学兵器問題によりアサドは評判を落としているにもかかわらず、彼は化学兵器をさらに充実させようとしている。国際社会が原料の売買を制限したため、購入の費用が高くなっているが、アサドはあきらめない」。

アサドがこのように化学兵器を欲する理由は、謎である。アサドは戦車やクラスター爆弾などの通常兵器により、大量殺戮することが可能である。

おそらく、彼の前段階物質は長期保存できないないのだろう。それで、新たに製造する必要があり、熱心に原料を買い集めようとしたのだ。シリアが大量の化学兵器を獲得しようとするのは、仮想敵国の米国とイスラエルを威嚇するためだ。

理由は何であれ、アサドはサリンなどの化学兵器の原料を買い集める努力を続けた。

最近CIAと国務省は同盟諸国と協力し、大量の産業用イソプロパノールがシリアへ売られるのを妨害した。潤滑油として知られるイソプロパノールはサリン前段階物質である。サリンは主に2種類の前段階物質(前駆体)から生成され、イソプロパノールはそのひとつである。シリアはもう一つの前駆体であるメチルホスホニル・ジフロリドの原料(リン化合物)を買おうとしたが、妨害された。

大量破壊兵器の拡散を抑止するための各国政府の協力機関(オーストラリア・グループ)は、化学兵器の原料を購入する際のシリアの巧妙な方法について話し合った。第三国に表向きの会社を設立したり、一般的な目的でも使用される化学物質を買う。

オーストラリア・グループは次のように結論している。

「シリアは危険な国である。生物・化学兵器の生産を熱心に続けている」。

今年(2012年)6月、軍事情報誌ジェーンは次のように報告した。

「北朝鮮の技術者がシリアに来ており、短距離ミサイル・スカッドD型を制作している。このミサイルには化学弾頭が搭載できる」。

2か月後ドイツのシュピーゲル紙は目撃証言を伝えた。

「シリアはアレッポ東部のサフィラで、化学ミサイルの発射実験をした」。

米政府の政策策定者の多くが次のように考えている。

「反対派をどれほど弾圧しようと、また反対派に対する支援が不十分であっても、アサド政権は倒れるだろう」。

今日(10月25日)、反対派はアレッポ市内の2つの地区を新たに獲得した。

CIAは反対派を軍事訓練していると言われる。一方米統合参謀本部は反対派に武器援助をしていない、と述べている。

シリアの活動家数百人がトルコのイスタンブールに行き、インターネット通信について訓練を受けている。米国務省が費用を出している。

タイムズによれば、訓練内容は次のようなものである。

①ファイアー・ウォール(インターネットの防壁)を無効にする方法

②通信内容の暗号化

③携帯電話を使用する時、盗聴されない、アクセス履歴を残さない、通信内容を盗まれない方法。

訓練を終えた活動家たちは、最新の携帯電話や衛星通信機器を与えられて、シリアに戻る。

シリア内戦の背後で、米国はアサド政権崩壊後のシリアについて、作戦を練り始めている。大量に保管されているサリンやマスタードなどの化学兵器の保全も主要な課題である。

====================〈Wired終了)

上記の記事に、写真が掲載されている。

2013年8月21日ダマスカス郊外のムアダミヤに打ち込まれたBM-14ロケットに比べると、写真のM-55ロケットはずいぶん長い。

 

 

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シリア 2012年11月末の化学兵器危機③

2017-09-30 23:42:05 | シリア内戦

 

前2回、2012年11月末の化学兵器危機について書いた。フランスの国際放送フランス24は独自の取材をし、前2回と異なる情報を得ている。例えば、シリアが化学兵器を準備していること発見したのはイスラエルである、とニューヨーク・タイムズは書いているが、フランス24は「米国のドローンにより発見された」としている。

(===== ====シリア:化学兵器の脅威》========

      The twin threat posed by Syria’s chemical weapons

                                       France24    2012年12月4日

シリアの民主化運動が始まってから、1年8か月経過した。シリアが保有する化学兵器に、国際社会の関心が集まっている。昨日(12月3日)、オバマ大統領がシリアに警告した。

「化学兵器を自国民に対し使用することは、レッド・ラインを超える行為である」。

ラスムセンNATO事務局長も、シリアに対する世界的な警告に声を合わせた。

「国際社会は化学兵器の使用を許さない。この恐ろしい兵器が実際に使用されたなら、国際社会は即座に行動するだろう」。

25年前サダム・フセインが自国のクルド人をサリンやマスタードなどで殺害したが、現在再び化学兵器の危機が高まっている。

NATO諸国の外交官たちは、トルコへのパトリオット・ミサイルの配備に合意するだろう。トルコはシリアによる攻撃の脅威に直面しており、トルコの防衛強化が必要であるからだ。シリアのミサイルには化学弾頭が搭載されているかもしれない、とトルコは主張し、NATOにパトリオット・ミサイルを要求した。

          (シリアが化学兵器を準備)

数日前、Wired紙の軍事ブログ・サイト「危機管理室(Danger Room)」が次のように書いた。

「先週シリアは化学兵器を準備するため、化学物質の混合を開始した。シリア中部で、シリアの技術者たちがこの作業をしている。米政府関係者が匿名で語ったところによれば、この作業は完了し、サリンが航空機に積まれる状態にある」。

パリの戦略研究財団のオリビエ・ルピックがフランス24に次のように語った。

「シリアの化学兵器保管所の2か所で、シリア人は大量の化学兵器を操作している。この情報は米国のドローンにより得られたようだ」。

カナダ王立大学の教授であるクリスチャン・ロイプレヒトはフランス24に次のように語った。

「生成されたサリンを無力化することはできない。爆撃により破壊されるのはサリンの容器であり、そうすればサリンが拡散する。人が住んでいる場所に移されたサリン弾を破壊すれば、多くの犠牲者が出る。シリア政府がサリンを準備したのは、外国による攻撃への抑止のためかもしれない」。

 

         (外国の軍事干渉の噂が危険を高める)

多くの専門家が一致して次のように考えている。

「アサドは化学兵器の使用が重大な結果を招くことを十分承知している」。

フランス戦略研究所の研究員であるデービット・リグレは次のように言う。

「化学兵器の使用は外国による軍事干渉への道を開くことを、シリアの政権は知っている」。

パリの戦略研究財団のルピックも同じ考えだ。

「政権にとって化学兵器の使用は、得ることよりも、失うことのほうがはるかに大きい。アサドは馬鹿ではない。レッド・ラインを超えれば、シリアに対する国連決議を妨害している友人国ロシアからも見放される。友人国とはロシアと中国だ」。

アサド自身は化学兵器の使用が危険を招くことを知っているとしても、政権が危うくなった時、シリア軍司令官たちは自制できるだろうか。部隊に直接命令し、統制しているのは彼らだ。

カナダ王立大学のロイプレヒトは次のように言う。

「たとえば、反乱軍の攻撃により、化学兵器の基地が危険に陥った場合、基地の司令官は中央に問い合わせるだろうが、即答が得られなかった場合、彼は自分で決断し、化学兵器を使うかもしれない。

シリア内戦はますます残酷になっており、反対派内のイスラム過激派が化学兵器を手に入れる可能性もある。イスラム過激派はリビアのベンガジで起きたことの再現を願っており、国際的な軍隊を呼び込むために、わざと化学兵器が保管されている基地を攻撃するかもしれない」。

2012年9月11日、ベンガジの米国大使館が襲撃され、大使が殺害された。襲撃の動機は米軍の出動を促すことだった。

===================(フランス24終了)

シリアの化学兵器危機は11月が最初ではなく、同年7月が最初である。7月23日シリアは「外国の侵略に対しては、化学兵器を使う」と発表した。シリアが化学兵器を保有していることは確実だったが、これまで「所有していない」と言い続けてきた。この日突然所有を認めただけでなく、使用をちらつかせて仮想敵国を威嚇した。この発言により、シリア内戦に関心を持つメディアは騒然となった。 

======《シリア政府、化学兵器を使用すると脅す》======

    Syrian regime makes chemical warfare threat

                  Guardian 2012年7月23日

シリア外務省のマクディシ報道官は国営テレビの記者会見で次のように述べた。

「現在の国内危機において、生物・化学兵器が使用されることはない。繰り返して言うが、いかなる事態になってもこれらの兵器が使用されることはない。これらの兵器はすべてシリア軍が直接管理し、安全に保管している。シリアが外国の侵略される脅威に直面しない限り、これらの兵器が使用されることはない」。

しかしマクディシ報道官は後に述べている。

「シリアで起きていることは国内反乱ではない。外国から資金援助された、外国人過激派が騒動を起こしているのである」。

シリアは神経ガスとマスタードガスを保有しており、運搬手段としてスカッド・サイルを持っている、と考えられている。また通常兵器の分野でも、対戦車ロケットや携帯式対空ミサイルなど、各種の最先端兵器をそろえている。

4日前(7月19日)イスラエルは次のように述べた。

「アサド政権の崩壊後、我が国の敵がシリアの化学兵兵器を手に入れるかもしれない。その危険が迫った場合、我々は軍事介入せざるをえない」。

3日前(7月20日)米国情報機関の高官が次のように述べた。

「シリアは最北端の地域に保管されていた化学兵器物質を移した。北部は戦闘が激化しており、奪われる危険を考慮したのだろう。各地に散在している化学兵器を最も安全な地域にまとめて保管するつもりであるようだ。シリア政府は化学兵器の安全に努力しており、評価したい。 しかしながら、シリアの化学兵器施設で活発な動きがあり、米国の情報部門は化学兵器の移動を注意深く監視している。そして彼らがどこでそれらを使おうとしているのか、知ろうとしている」。 

シリアの内戦では、反対派が攻勢を強め、19000人の死者が出ており、アサド政権は孤立を深めている。このような時期にアサド政権は、化学兵器を使用する意図を語った。

イスラエルは即座に反発した。「シリアの化学兵器がヒズボラや反対派内の過激派の手に渡ることを阻止するため、我々は軍事的手段を取らざるを得ない」。

シリアが化学兵器を保持していることは広く知られていたが、シリアはこれをかたくなに否定してきた。23日化学兵器の保有を認めたのは、政権が絶望的な状況にあり、動揺しているからである。反対派はますます大胆な攻撃を繰り返し、戦果をあげている。シリア軍最高幹部4人を殺害し、国境検問所数か所を占領し、アレッポとダマスカスの重要な政府軍基地に攻撃を続けている。

 

================(Guardian終了)

 

 

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シリア 2012年11月末の化学兵器危機②

2017-09-21 20:33:56 | シリア内戦

 

2012年11月末、シリア軍が空爆用の500ポンド(272キログラム)爆弾数十個に化学物質を注入した。シリア軍はサリン弾を透過する予定だったが、空爆は直前に中止された。未然に終わったため、これについて報道したテレビは少なかった。米国ではNBCが報じた。この時期広く報道されたのは、トルコへのパトリオット・ミサイルの配備だった。しかし500ポンドのサリン弾が数十発投下されれば、サダムフセインがハラブジャのクルド人を殺害した事件に匹敵する事件になったかもしれない。

ニューヨーク・タイムズは攻撃が切迫していたことを伝えており、直前で中止された経過を説明している。この記事は前々回訳した。

この事件について、私はさらに調べた。

イスラエルはシリアの化学兵器施設を爆撃する計画を立てていた、とWired紙が書いている。一方で米統合参謀本部はシリア攻撃を望んでいなかったという。また、シリア軍がサリンを準備したのは事実だが、サリン攻撃をすぐに実行つもりなのかは、わからないという。

ニューヨーク・タイムズは事件の一か月後に記事を発表しているが、Wiredは事件の直後に発表している。シリア軍が化学兵器の準備を開始したのは、2012年11月28日である。

======《シリアが化学攻撃を準備》=========

Exclusive: U.S. Sees Syria Prepping Chemical Weapons for Possible Attack

                    Wired   2012年12月3日

シリアの問題をよく知る米政府関係者が、Wired紙のブログ「危機管理室(Danger Room)」に次のように話した。

「アサド政権の技術者たちは、化学兵器としてのサリンを合成するため、2種類の前段階物質を混合し始めた」。

シリアの政権が神経ガスを用いて自国民を殺害するのではないか、と国際社会はこれまで以上に心配している。

シリアの技術者によるサリンの準備は、先週半ば(11月28日)、シリア中部(ホムス付近)で始まった。

シリア軍がなぜこのようなことをするのか、米政府は理解できない。シリア軍は前段階物質の混合と並行して、化学兵器の一部を他の地域に移したが、米政府はその理由もわからない。

しかしアサドが命令すれば、化学兵器がすぐにでも使える状態にあることは確かだ。それらを航空機に積んで投下できるということだ」。

サリンは主に2つの成分からできている。潤滑油として知られるイソプロピル・アルコールとメチルホスホニル・ジフルオリドである。アサドはこれらの前段階物質を500トン保有している。事故を防ぐため、2種類の物質は別々に保管される。この保存法はバイナリー・フォーム(2部形式)と呼ばれる。

米政府関係者は話を続けた。

「先週シリア軍は2種類の物質の一部を混ぜ始めた。保管されている全部ではなく、ほんの一部だ。彼らの目的が何なのか、我々にはわからない」。

5か月前(2012年7月)、アサド政権は反対派を支援する国々対し、公式に警告した。

「多くの犠牲が出ている内戦に、外国の軍隊が新たに参入するなら、我々は化学兵器を使用するだろう」。

アサドの警告が発せられると、米国とその同盟国の情報機関はパニック状態になった。前段階物質がシリアに持ち込まれるのを防ごうと、これらの情報機関は全力を尽くした。

米政府関係者は話を続けた。

「現在は、7月の時よりはるかに深刻だ」。

米統合参謀本部の首席報道官・ジョージ・リトルは次のように述べた。

「シリアが化学兵器を使用することは、断じて容認できない。シリアは化学兵器の保全に責任を持たななければならない。自国民に対し使用してはならない」。

プラハで、クリントン国務長官はシリアを威嚇した。

「シリアが化学兵器を使用するなら、米国は即座に行動を起こすだろう」。

シリアが化学兵器を準備したり、移動させたりしていることが、攻撃が差し迫っていることを意味するのか否か、わからない。

シリアの脅威に対し、それが通常兵器であれ、化学兵器であれ、中東諸国と関係諸国は準備している。国連の職員は必須要員以外、ダマスカスから退去した。エジプトはダマスカスに向かう旅客機を戻らせた。

アトランティック紙は次のように報じた。

「イスラエルはシリアの化学兵器施設を爆撃する計画について、ヨルダンと相談した」。

米統合参謀本部のスタッフは次のように示唆した。

「化学兵器の施設を確保するには、7万5千人の兵士が必要だ」。

この言い方から、米統合参謀本部はシリアに深く関わることを望んでいないことがわかる。

最近アサド政権は弱体化している。ダマスカス周辺の戦闘がげきかしている。反対派の部隊がこの地域にある政府軍基地6か所を占領した。最大の補給基地であるダマスカス空港にも、脅威が迫っている。首都と空港を結ぶ道路を守るため、政権は増援部隊を他地域から呼びよせた。

反対派の勝利はシリア北部と東部では、劇的だ。先月(11月)反対派はトルコ国境付近の町を多数獲得した。またアレッポの近くにある重要な軍事空港を占領した。

====================(Wired終了)

Wiredは4日後に再び、シリア軍による化学兵器の準備問題について書いている。サリンについて理解を深める内容になっている。サリン攻撃が切迫していたかどうかはわからない、という判断の理由が書かれている。この点では、化学攻撃が近いとする、ニューヨーク・タイムズの記事と異なっている。

またWiredは「化学攻撃をしてはならない、という米国の警告が最後通告に近いものだった」としており、この点でニューヨーク・タイムズと一致している。

ニューヨーク・タイムズはこの事件に関する情報収集と確認の作業に時間を費やし、一か月後発表したのである。

シリア軍がすぐに攻撃するつもりだったか、については判断が難しい。

 ====《化学兵器は、すぐに使える状態》=======

Bombs Are Now Filled With Chemicals — And Could Be Up for Grabs

          Wired  2012年12月7日

アサド政権は前段階物質を混ぜ合わせ、化学兵器・サリンを合成している。このことは最大の危険ではないかもしれない。テロリスト集団が、世界で最も危険な化学兵器を手に入れるかもしれない。

アサドの化学部隊は、神経ガス・サリンの合成に必要な化学物質を購入し、長い間実験を続けてきた。血なまぐさい内戦の期間も、化学兵器の実験は継続されている。

米政府内のシリア専門家の見解によれば、シリアの技術者たちは、サリンの毒性を1年間有効に保つことができるようだ。

米政府関係者の一人が、Wired紙のブログ編集室に次のように述べた。

「合成されたサリンは、すぐに使わなければ無効になるわけではなない。シリアのサリンが保存可能になったことで、反対派の中の過激イスラム主義者がそれを手に入れる危険が生まれた。つまり、化学兵器で武装したテロリスト集団が出現するということだ」。

米国の科学者連盟のチャールズ・ブレアも次のように言う。

「シリアの化学兵器の危険がどれほど大きいか予測できないが、一点だけ確かだ。アサド政権が倒れれば、テロリストが化学兵器を手に入れるだろう」。

神経ガス・サリンは不安定であり、時間とともに劣化する。純粋なサリンでない限り、容器を破壊する。

それでアサドの技術者たちがの化学物質の一部を混合し始めた時、シリア軍はアサリンを使うつもりだという恐怖が広がった。しかしこれは在庫の一部を処分しただけかもしれない。

しかしこれとは反対に、もっと恐ろしいことも考えられる。もしアサドのサリンが数か月間有効ならば、これが使われる可能性は大きくなる。いったん生成したサリンは極めて危険であり、取扱いが難しい。運ぶことさえ危険を伴う。サリンを保管するのは面倒で、使ってしまうほうが容易である。

米政府関係者は次のように語る。

「生成されたサリンを保管したり、運んだりすることは、前段階物質より10倍難しい。武器として使ってしまうのが、はるかに簡単だ」。

また反対派の中の過激分子にとってサリンを製造することは困難だが、生成されたサリンを手に入れるチャンスが生まれる。

シリア各地の20箇所に、500トン以上の前段階物質が保管されている。反対派がこれらの物質を手に入れる機会は、これまでしばしばあった。これらの一部が合成されたことによって、今後はサリンが反対派の手に渡ることになる。

 

サリンは取扱いが難しく、危険である。この問題を解決するため、冷戦時の米国など、化学兵器を保有する国は2種類の前段階物質を別々に砲弾に入れる方法を考案した。砲弾の内部は2つに仕切られており、発射後に2種の物質を隔てている膜が破れる。発射後、砲弾は毎秒数千回、回転しながら飛ぶ。この回転によって2種の物質は混合し、サリンが生成される。

この方式は数十年前に実用化されたが、開発に成功したのはわずかな国だけであり、ほとんどの国にとって、手の届かない技術である。

国連の報告によれば、イラクのサダム・フセインは隔壁を持つ砲弾を試作し、何度か実験したが、実用化に至らなかった。1980年代のイランとの戦争で、イラク軍は化学兵器を使用したが、隔壁を持つ砲弾を使用したことはなかった。

ランド財団の非通常兵器の専門家ジェイムズ・キニヴァンはWire紙のブログ編集室に次のように話した。

「イラク軍は発射直前にサリンを生成し、すぐに発射していた」。

シリアの化学砲弾の多くは、大砲の砲弾ではなく、BM-21グラード・ロケットである。あるいは航空機から落とす爆弾である。どちらの場合も、回転数が少ないため、2種類の物質を隔てている膜が破れることはない。シリア軍は2種類の化学物質を砲弾に入れてから、発射前にそれらを十分混ぜなければならない。

米国の武器に関する情報の専門家はWire紙のブログ編集室に次のように話した。

「あるいは、シリア軍は砲弾に入れる前に、2種類の物質を混ぜる。これは昔のソ連の初歩的な砲弾だ。砲弾の中には仕切りがない」。

サリンの前段階物質を混ぜることは危険な作業である。前段階物質は活性化させる際には 正確さが求められる。急激に活性化してはならず、混ぜながら、時々冷やさなければならない。そのようにして出来上がったサリンは恐ろしい物質である。この数十年、誰も使ったことがない。

しかし現在シリアの政権はサリンをしようとしている。今週米政府関係者がWire紙のブログ編集室に、次のように語った。

「シリアの化学部隊はサリンを爆弾に注入した。サリン爆弾は航空機に積まれ、投下されるだろう」。

 

シリアの化学兵器を保全する努力がなされており、次のような報道がある。

「欧米諸国の政府は反対派の中の信頼できるメンバーを選び、化学兵器の取り扱いについて訓練をしていいる。信頼できる人間が化学兵器を確保しなければならない。訓練はヨルダンとトルコでされている。数か月前から、米国は反政府軍が最新の通信機器を扱えるよう、訓練している。

Syria Deeply(シリアについて深く知る)というサイトが次のように書いている。

「シリアの化学兵器を監視するため、米国の傭兵はずっと前からシリアにいる」。

反政府軍の指導者の、少なくとも一人が政権側の人物と秘密に協力し、前段階物質を安全に保管する努力をしている。

オバマ大統領、国連事務総長、NATO事務局長が一致してシリア政府に警告し、化学兵器の準備を中止するよう求めている。

12月6日クリントン国務長官はロシアのラブロフ外相と会談の前、次のように述べた。

「追いつめられたアサド政権が化学兵器を使用するのではないか、と我々は恐れている。あるいは、彼らが化学兵器を管理する能力を失い、政権と敵対しているグループの一つがそれを手に入れるかもしれない。この危険を前にして、我が国と関係諸国は完全に団結しており、我々は疑問の余地がないメッセージをアサド政権に送った。準備された化学兵器を使用することは、レッド・ラインを超える行為であり、実行者は責任を問われ、処罰されるであろう」。

=====================(Wired12月7日終了)

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2012年12月23日 謎が多いホムスの化学兵器事件

2017-09-06 01:04:24 | シリア内戦

 

201211月末、シリア軍が大規模なかが攻撃を準備していることが発覚した。

「シリアの化学部隊は、混ぜ終えた化学物質を空爆用の500ポンド(272キログラム)爆弾数十個に注入し、それらをトラックに積み込んだ。トラックは近くの軍事空港に向かい、化学弾は航空機に搭載されるだろう」。

これはイスラエルが衛星画像によって知ったことである。イスラエル軍の高官が米統合参謀本部に電話した。米国は軍事行動をちらつかせ、シリアに化学攻撃の中止を迫った。中国、ロシア、アラブ諸国の仲介により、シリアは化学攻撃を中止した。

未遂に終わったが、実行されればシリア内戦で最大の事件になったであろう。これについては前回書いた。

今回はその一か月の事件について書く。未遂ではなく、実際に化学兵器が使用され7名が死亡した。

20121223日ホムスで起きたの化学攻撃について、メイル・オンラインが書いている。使用されたのはサリン、マスタードより毒性が弱いエージェント15であると考えられている。米国がこの事件調査し、米政府関係者が調査結果をメディアにもらした。調査に時間がかかったのか、他の理由からか、メディアが報道するのは事件の一か月後である。

 

======〈1223日、ホムスで化学攻撃〉=======

U.S. backed plan to launch chemical weapon attack on Syria and to blame it on Assad 's regime

     Mail Online 2013129

128日米政府は、化学兵器使用の問題について述べた。

「化学兵器使用の結果について、米国は他の諸国と共にレッドラインを設定した」。

漏えいした米政府の通信によると、1223日シリア軍はホムスで化学攻撃をした。イースタンブールの米国総領事(Scot Frederic Kilner)がこの事件を調査した。The Cableが公表した文書にはその調査結果が書かれている。ついでに、アサドの妻アズマが4人目の子供を妊娠したことも書かれている。

この文書を見たオバマ政権の役人が次のように述べた。

100%の自信はないが、1223のホムスの攻撃に使われたのはAgent15である。シリア人通報者の証言は信頼できる」。

キルナー総領事は化学攻撃があった場所の住民、医師、反対派戦闘員に聞き取りをした。また、シリア軍の元将軍で大量破壊兵器部門の長官だったムスタファ・シェイク(Mustafa al-Sheikh)から話を聞いた。

ホムスの神経科医師アブ・アブドは化学兵器が使用されたことを確信している。「あれは化学兵器だった。催涙弾で、人は死なない」。

目撃者によれば、戦車が化学弾を発射した。人々は吐き気、ひきつけ、精神錯乱、呼吸困難などの症状を示した。

このような症状は化学兵器化合物Agent15が原因である。

シリア政府は化学兵器の使用を否定している。「シリア軍は自国民に化学攻撃をすることはない」。

====================(メイル・オンライン終了)

トルコに駐在する米総領事の調査結果とされるものは、リーク(漏えい)された情報であり、米政府が正式に発表した見解ではない、ホワイトハウスの報道官は「このメディア報道は米政府政府が得ている情報と一致しない」と述べ、米国務省の報道官は「メディアが伝える秘密電報の内容は誤りである。ホムスで化学兵器が使われたと断定できる証拠はない」と述べている。

政府関係者が語ったとされる情報を、米政府は否定している。米政府の公式見解は「ホムスで化学兵器が使われたかどうかは、わからない」というものである。

この謎めいた事件について、ニューヨーカー紙が書いている。ニューヨーカーによれば、「トルコに駐在する領事の調査結果」を最初に報道したのはフォーリン・ポリシーである。

 

====《ホムスで使用されたのはエージエント15か?》===

The Case of Agent 15: Did Syria Use a Nerve Agent?

                 By Raffi Khatchadourian

       New Yorker  2013年1月16日

クリスマスの直前、ホムスから不幸なニュースが発信された。シリア軍がホムスの反対派支配地に向けて、毒性の強いガス弾を発射した。

アルジャジーラは次のように伝えている。

----活動家は「最悪な状況だ」と落ち込んだ様子で語った。「マスクが足りない。我々は何のガスかわからないが、医師はサリンに似たガスだと言っている」。------

このニュースはシリア紛争のエスカレーションを示唆している。1988年サダム・フセインが毒ガスを使用し、ハラブジャのクルド人を大量に虐殺したことを思い出させる。またこれを口実に、国際的な軍事的干渉が始まるかもしれない。

反対派が次のように報告している。

23日バイヤーダ地区で戦闘があり、その際毒ガスが使用され、7人が死亡した。被害者は嘔吐、筋の弛緩、視力低下、呼吸困難などの症状を示した。被害者の中には、ガスを大量に吸いこんだ人がおり、死に至った」。

 

 

 

何が起きたのだろうか、謎の毒ガスはサリンだろうか。それともサリンに似ているガスだろうか。毒ガスの使用はシリア内戦の状況を根本的に変えるだろうか。現時点で答えを出すのは難しい。

一か月前の11月、イスラエル軍の幹部はシリア軍が化学兵器を準備していることを知り、米国防総省に伝えたと言われる。

タイムズが次のように伝えた。

「衛星画像により、大量の化学物質を保管する2か所で、シリア軍が化学物質を混ぜているのが、わかった。それから、出来上がった毒ガスを数十個の500ポンド(272kg)爆弾に注入した」。

恐るべき事実の発覚後、目を見張るような外交努力がなされた。米国、協力してシリアの政権に圧力をかけ、攻撃の中止を迫った。そして各国の努力は成功した。

しかしながら一か月後、冒頭に述べたように、シリア軍はホムスで化学攻撃を実行した。シリア軍の行為はあからさまで、眉をひそめざるを得ない。トルコの米大使館は調査を開始し、ホムスの医師や社会活動家たちに聞き取りをした。またシリアのABC兵器(核、生物、化学兵器)部隊の元司令官で、現在は亡命しているムスタファ・シェイク(Mustafa al-Sheikh)から話を聞いた。

調査した外交官はこれまでにない徹底した調査を行った、と自負した。

先週トルコに駐在する米国の総領事は秘密の回路で調査結果をワシントンに打電した。

そして昨日、オバマ政権の一員が匿名で、フォーリン・ポリシー紙の記者にその内容をもらした。その内容は矛盾に満ちている。政権内のこの人物は以前のインタビューでは「サリンまたはそれに似た毒ガスだ」と語っていたのに、フォーリン・ポリシーの記者には「ホムスで使用されたのは神経ガスではなく、あまり知られていない、未知の薬品だ」と語った。

フォーリン・ポリシーは次のように書いている。

100%の確信はないが、12月23日ホムスで使用されたのは、エージェント15である、とシリアの情報提供者が言っている。彼の説明は説得力がある」。

徹底的な調査の結果が、エージェント15というのは、あきれる。的外れな調査結果だ。ワシントンに送られた極秘電報の内容はいかがわしい。

ホムスで使われたのはエージェント15という説明は受け入れられない。エージェント15は乗り物酔いを防ぐ薬に似た化学物質で、神経の活動をある程度麻痺させる。これをを大量に吸い込むと、精神錯乱を引き起こす場合があるが、通常は精神の機能を低下させるだけで、死に至らない薬品である。

死者が出たことと、ホムスの医師アブ・アブドがアトロピンを処方したことを考えると、使われたのはエージェント15ではない。エージェント15は神経の作用を抑制するが、停止させることはない。アトロピンは神経を停止させる毒物に対する薬である。サリンは神経の作用を停止させる毒物であり、サリンの被害者にはアトロピンが処方される。

投与された薬から推定すると、毒物はサリンであるが、ホムスからの情報はサリンではないことを示している。住民は臭いがしたと言い、かなりの量のガスを吸っても死なずに済んだ例がある、という。神経の働きを停止させる毒物であるが、サリンより効果が弱く、臭いがある薬品とは何か? それは有機リン系の殺虫剤である。この種類の殺虫剤は有機リン系の化学兵器と同程度の効力を有し、被害者は死に至る場合があり、治療にはアトロピンが用いられる。

もしホムスで使用されたのが市販の殺虫剤であるなら、誰かが日用品から原始的な方法で、貧者の化学兵器を作成したのかもしれない。

こう考えると、オバマ政権の公式見解がよく理解できる。

昨日ホワイト・ハウスの報道官トミー・ヴィーターは次のように述べた。

「ホムスの化学兵器事件について報道されていることは、米政府がシリアの化学兵器について知っていることと、矛盾する」。

今日国務省の報道官がこれを補足した。

「フォーリン・ポリシーが伝える秘密電報の内容は誤りである。ホムスで化学兵器が使われたと断定できる証拠はない」。

一か月前イスラエルが探知した500ポンドの化学弾が使われたわけではない、それを証明することはできないということだ。

化学弾が戦車によって発射されたという点も、疑わしい。

ロンドン在住のシリア人政治活動家ラミ・ジャラー(Rami Jarrah)はフェイス・ブックに次のように書いている。

「秘密電報の内容は誤りだ。証拠が不十分だ。私が集めた報告の中に、異常な症状の例がある。また毒ガスは気球の中に入っていたという報告もある。一定の高さで破裂する仕掛けだった」。

シリア軍と反政府軍のどちらが実行したか、彼は語っていない。

気球を使ったという話は信じがたいが、彼のフェイス・ブックに埋め込まれている、被害者を撮影映したビデオは真実だ。偽作や演技のようには見えない。

=================(ニューヨーカー終了)

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2012年11月末の化学兵器危機 シリア

2017-08-31 23:43:16 | シリア内戦

シリア内戦中期の最も衝撃的なダマスカス化学兵器事件が起きたのは、2013年8月21日であるが、その10か月前(2012年11月)、同様な危機が生まれた。この10か月前の危機は、ダマスカスの場合よりはるかに大規模な化学攻撃であったが、直前に中止されたため、あまり知られていない。中止されたとはいえ、シリア軍が空爆用の500ポンド(272キログラム)爆弾数十個に化学物質を注入したという、驚くべき事件である。10か月後ダマスカスで使用されたのは、弾頭の容量が2.2kgと50kgの2種類のロケットである。

これが事実であれば、シリア軍は化学兵器を使用する強い動機があったことを示している。しかしこの情報の発信者はイスラエルであり、イスラエルは自国の衛星画像によってそれを知った。イスラエルはそれを米国に伝え、米国がシリアに厳重注意し、シリア軍は作戦を中止した。

シリア内戦はイスラエル国家の生存を危うくしかねない問題であり、シリアに関してイスラエルが発信する情報は客観的ではありえない。そうでなくても、イスラエルの情報機関が優秀なのはプロパガンダにおいてであり、情報収集能力においてではない、と言われる。

イスラエルの情報が事実であれば、これ自体重要な事件であるが、多くの点で、ダマスカスの事件を解明する鍵を与えてくれる。

①シリア軍が前段階物質を混入しているのを最初に知ったのは、米国ではなく、イスラエルである。ダマスカスの事件の際、シリア軍が行ったと米国が断定した根拠の重要なものが、イスラエルの情報に基づいている可能性がある。上述したように、イスラエル情報は偏向している可能性が高い。

②米国がシリア軍による化学兵器の使用を重大視しているのは、兵器としての本格的・大規模な使用を恐れているからである。死者が10人前後の場合、米国は警告するにとどまり、米軍が介入する可能性は低い。逆に本格的な使用、中規模・大規模な使用をするならば、米軍は必ず介入する。オバマ大統領はこのことをアサド大統領に疑いの余地のない表現で伝えており、同時に化学部隊の指揮官たちにも、秘密のルートで直接伝えている。化学兵器を使用するなら、米軍は直ちにシリアを攻撃するだけでなく、「化学部隊の指揮官たちは個人として責任を負わねばならない」と恫喝(どうかつ)された。

従って、アサド大統領だけでなく、化学部隊の指揮官たちも、大量の毒ガスを使用した場合の結果について、明確に知っていた。この時以後、シリア軍は化学兵器を数回使用したが、いづれの場合も少量にとどまった。もちろん米国は少量なら良いとは言っていないが、米国は本格的な使用を問題にしているようだと考え、一か月後、恐る恐る少量の毒ガスを使用した。予想通り米国の反応は小さかった。

はたして、2013年8月21日、シリアの化学部隊は急に慎重さを捨てたのだろうか。

③2012年11月末には、反政府軍が勝利しており、米国は彼らを支援するために軍事介入する必要性を感じていなかった。この時、化学兵器使用に関してアサド政権に厳重に警告したのは、残酷な兵器による大量殺りくを恐れたからである。反政府軍支援のための軍事介入の口実にしようとして警告したのではない。警告は脅しに近い厳格なものだったが、米軍はシリア攻撃の準備を始める様子がなかった。この点は10か月後のダマスカス事件の場合と異なる。2013年8月、米国は反政府軍を支援するための軍事介入が必要と考えており、米軍は準備を始めていた。

 

2012年11月シリア軍が化学兵器を準備した事件について、事件発生から一か月以上経ってから、ニューヨー・クタイムズが報道した。ニューヨー・クタイムズは極秘情報をもとに、オバマ政権の対応を中心に書いている。この記事により、冒頭に述べたように、ダマスカスの化学兵器事件の解明に役立つヒントが得られた。

すでに述べたこと以外にも、重要な情報がいくつか語られている。

「シリアの化学兵器を管理しているのは、空軍の秘密部隊(第450部隊)である。この部隊は最重要な任務のために存在し、隊員は厳選され、アサド大統領に絶対の忠誠を誓っている」。

 

ニューヨーク・タイムズの記事を紹介する前に、もう一つ確認しておきたい。

シリア軍が化学兵器の準備を始めたのは2012年11月末であり、米国の必死の警告によりシリア軍は化学兵器の準備を中止し、危機は終息した。

一か月後の12月23日シリア軍がホムスで化学兵器を使用した。その2週間後の1月7日、ニューヨーク・タイムズの記事が発表された。ニューヨーク・タイムズは前年の11月末の未然に終わった事件について書きながら、2週間前7人が死亡したホムスの事件については、一言も語っていない。「11月末の危機は現在も解決していない」と語っているだけである。ニューヨーク・タイムズが問題にしている化学兵器危機はホムスの事件よりはるかに大きな事件である。この時期オバマ間政権が問題にしていたのは、国家間の戦争で使用されるような、大量の毒ガスが使用されることである。

=======《シリアの化学兵器作戦》========

 Hints of Syrian Chemical Push Set Off Global Effort to Stop It

                          New York Times  2013年1月7日

11月末イスラエル軍の高官が重大な衛星画像情報について相談するため、米統合参謀本部に電話した。シリア軍の化学物質がを保管されている2か所で、部隊が化学物質を混ぜているようだ。たぶんサリンだろう。部隊は混ぜ終えた化学物質を空爆用の500ポンド(272キログラム)爆弾数十個に注入し、それらをトラックに積み込んだ。空港は近くにあり、爆撃機に積むのに時間はかからない。

電話の数時間後、この情報はオバマ大統領に報告され、大騒ぎになった。その報告は次のようなものだった。

「ますます絶望的になっているシリアの大統領が化学兵器の使用を命じた。2時間後には爆撃機が飛び立つだろう。米国が軍事行動を起こそうとしても、手遅れだ」。

そこでオバマ大統領は政治的解決を望み、化学兵器の使用について警告する声明を発し、その声明よりさらに決然とした語調でアサド大統領と軍の指導者に向けてメッセージを送った。このメッセージを仲介したのは、ロシア、イラク、トルコ、ヨルダンである。米国の威嚇と国際的連携による働きかけの結果、シリア軍は化学物質の混合を中止した。

一週間後レオン・パネタ国防長官が「最悪の恐怖は終わった、少なくとも今回は」と述べた。

しかし混合して出来上がった有毒物質は存在しており、アサドの部隊はいつでも使用できる。欧米の政府関係者は「11月末の危機は回避されたが、少しも安心できない」と言っている。

 

この危機から一か月、とりあえずアサドは自制している。しかし危機は潜伏しているだけだ。

先週(1月の最初)、米国防省の高官が言った。

「シリア軍が化学兵器を使用するなら、米軍がシリアに介入するとを、ロシアは理解している。アサドがそのことをだれだけ理解しているか、わからない。また数か月後、政権がさらに追い込まれた時、アサドが今回の教訓を忘れずにいるかも、わからない」。

化学兵器は生物兵器や核兵器よりも扱いが難しい。取り扱い中に死亡する危険が常にある。無事発射したとしても、爆発後の効果は風向きと地形に大きく左右される。爆発しても、効果が全然ない場合もある。

シリア軍が農村や地方で毒ガスを使用した場合、外部の人間がそれを知るまで時間がかかるだろう。

一か月前(11月)の危機の後、欧米はシリアの反対派を助け、500ポンド化学弾を運ぶ軍用機を破壊すべきか、という議論が再燃した。

米国防省の高官が言った。

「空軍基地内や、空軍基地の近くにある化学兵器保管所に、化学弾は短時間で投下可能な状態で存在している」。

6名以上の米軍人・情報関係者・外交官が、次のように語った。内容が極秘事項なので、匿名でという条件だった。

「米政府も他の政府もシリアの化学兵器の動きについてほとんど何も言わない。シリア軍の動きについて報告してくれる人物がいることを知られたくないからだ。離反も亡命もせず、シリアの政権や軍に留まって、スパイ活動をしている人間を危険にさらしたくないからだ」。

ドイツの新聞シュピーゲルは次のように書いてている。

「先月ドイツの情報機関の長官がシリアの化学兵器についての秘密の報告の中で、警告した。『命令が出されてから4-6時間後に、化学兵器が使用可能になる。アサドには化学兵器専門の助言者がついており、その人物が化学兵器を管理している』。」

米国の情報関機関とドイツ以外の情報関機関は「サリン弾は2時間で爆撃機に積まれ、目的地に向かう」と考えている。

「サリン弾を短時間で航空機に積むのは、とても簡単だ」とEUの外交官が述べた。

この危機に対し、米国、イスラエル、アラブ諸国がどう対応するかは、謎めいている。

米国とその同盟諸国の政府関係者は漠然と次のように述べている。

「シリアの化学兵器をを無力化することを決心した場合、その作戦を直ちに実行する計画ができてている」。この作戦は75000人の兵士を必要とする、と米国防総省は考えている。

しかし、実際には何の準備もされていない。

米軍はひそかに、150人の計画策定者からなる調査団をヨルダンに派遣した。これはヨルダン軍を助けるためである。特にアサドが化学兵器の管理能力を失った場合に備えるためである。

 

数週間前イスラエルのネタニヤフ首相がヨルダンを訪問した。

イスラエルのメディアは次のように伝えている。

「訪問の目的は、シリアの武器がレバノンに移転される場合の対策について協議するためである。レバノンのヒズボラがそれらの武器を用いてイスラエルを攻撃するような事態を避けなければならない。しかしイスラエル政府の計画の全体は秘密である」。

現在反対派の勝利が拡大しており、シリア軍の複数の基地を奪取し、そこに保管されている武器を獲得している。反対派は首都ダマスカスに迫っている。

こうした状況下で、シリア軍が化学兵器を使用する可能性が高まっており、米国、イスラエル、その他の同盟諸国は化学兵器の問題を注視している。

 

アサド政権は化学兵器を使用した場合の結果について、オバマ大統領から明白な警告を受けると、対外国戦用の通常兵器に頼るようになった。例えば、アレッポに近い反政府軍支配地に向けて、弾道ミサイル・スカッドを発射した。さらに、先週新しい心配な出来事が起きた。シリア軍は、イラン製と思われる、命中精度の高い短距離ミサイルを発射し始めた。これは化学弾頭を搭載していないが、命中率が悪いことで有名なスカッド・ミサイルもはるかに脅威的なミサイルである。

反対派との戦闘が激しくなったため、シリア軍は化学兵器を安全な場所へ移した。これは西側諸国にとって喜ばしい。西側諸国は最悪の場合シリアに侵攻し、化学兵器を確保、または破壊するつもりでいるが、その際化学兵器が各地に散らばっているより、一か所にまとまっていたほうが都合がよい。

シリアの化学兵器を管理しているのは、空軍の秘密部隊(第450部隊)である。この部隊は最重要な任務のために存在し、隊員は厳選され、アサド大統領に絶対の忠誠を誓っている。

米国政府の関係者によれば、最近数週間米国は裏ルートでシリアにメッセージを送ったが、メッセージのいくつくかは直接450部隊の指揮官たちに送られた。一か月前(12月3日)のオバマからアサドへの厳重警告と同様のメッセージが、450部隊の指揮官たちに伝えられた。「化学兵器を使用するなら、指揮官たちは個人としてその責任を負わねばならない」。

第450部隊の指揮官たちへのメッセージの話がは事実か、事実とすれば効果があったのか、米情報関係者に質問すると、彼は「この話をするは極めて危険だ、周辺的な話であっても、公の場では話せば大問題に発展する」と語った。

米国の同盟国の政府関係者が次のように話した。

「シリアの反対派の中には、イスラム原理主義者軍もいる。シリアの政権が化学兵器の保全に最大限の努力をしたとしても、化学兵器がイスラム原理主義者の手に渡る危険はなくなくならない。また政権の援軍であるヒズボラに渡る可能性もある。いくつかの化学兵器保管所の近くに、ヒズボラの小さな訓練キャンプがある」。

軍事雑誌ジェーンズ(HIS Janes' Defence Weekly)のテロや反乱の専門家のジェレミイ・ビニイは、「非正規軍が化学兵器を使用するのは簡単ではない」と語った。

「非正規軍が化学兵器を手に入れたとしても、航空機、重砲、ロケット発射機を所有していなければ、化学弾を投下したり、発射したりできない。ただし、ヒズボラは、わずかな援助があれば、イスラエルを化学攻撃できるだろう」。

================(New York Times終了)

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ダマスカス 2013年7月ー8月 ②

2017-08-25 04:09:39 | シリア内戦

 

シリアの反政府運動は20113月に始まったが、首都ダマスカスでは盛り上がりに欠け、南部の小さな地方都市ダラアだけが革命的状況だった。しかし徐々にシリア各地で大きなデモが起こるようになり、2011年秋、反政府運動は全国的なものになった。

しかし夏ごろから、反対派はデモしても無意味だと感じるようになっていた。デモをやっても弾圧され、犠牲者を出すだけだったからである。彼らは武装蜂起を考えるようになったが、武器がなかった。彼らは外国に武器援助を求め、2011年の年末になって武器を手に入れたようである。民衆のデモは武装蜂起に転換した。

2012年シリア各地に反乱軍が結成され、シリアは内戦状態になった。2012年末、アサド政権は命運が尽きたと考えられた。しかしその半年後、奇跡の逆転劇が起きた。

20135月、ホムスの南西、戦略的要地であるクサイルで、政府軍が勝利した。

 

     

 

クサイルには、レバノンからの補給をホムスの反対派に届ける中継基地がある。トルコ国境からホムスまでは遠い。ホムスの反政府軍はレバノンからの補給に頼っている。クサイルで敗北した反対派は、続いてホムスでも敗北した。

ホムスはシリア第3の都市であり、北のアレッポと南のダマスカスの中間に位置している。ホムスにはシリア軍の空軍基地があり、ダマスカスからの援軍の中継点となり、北部の反政府軍と戦うための基地となっている。

ホムスの反政府軍に決定的なダメージを与えたことにより、シリア軍はホムスの反政府軍に煩わされることなく、イドリブ・アレッポの反対派との戦闘に専念できる。

クサイル・ホムスで反対派が敗北すると、支援国は動揺した。米国は「援助武器の種類と量を増やす」と宣言した。武器の種類を増やすというのは、これまで制限してきた対戦車ミサイルなどの高性能な武器を与えることを意味した。

また反対派を支援する諸国がカタールの首都に集まり、反対派への支援を大幅に増強することを示唆した。示唆したというのは、立場上、明言しなかっただけであり、これは決定を意味した。

これ以後、サウジアラビアの資金と武器の援助が急増した。これまでカタールの援助額がトップだったが、サウジの援助はそれをを超えた。

続いて7月ヨルダン政府は自国に900人の米軍人が活動していると発表した。

この頃ダマスカス近郊の反政府軍が大規模攻撃を準備しているという噂が流れた。そしてこの噂は現実のものとなった。

それが「ダマスカスへの7月攻勢」である。これについては前回詳しく書いた。重要な点を再び確認したい。

反政府軍は市内の3つの地区ーバルゼー、カブーン、ジョバルーに進出していたが、そこから先へ進めないでいた。

 

 

しかし7月最後の週、反政府軍はダマスカスの中心部へ進んだ。

バルゼーの反政府軍はダル・シファー病院の近くまで進出した。ここからはダマスカス旧市街まであと一歩である。

 

 

しかし反政府軍目標は旧市街ではなく、その西方の国防省と将校クラブである。この一帯は軍の施設が集まっている地域である。反政府軍はこれまで不可能と考えられてきた地域に進出しようとした。

しかし国防省と将校クラブへの本格的な攻撃はなかったようである。反政府軍は国防省や将校クラブに迫ろうとしたが、それは願望に過ぎず、実力が伴わなかった。

ダル・シファー病院の近くでシリア軍の戦車が炎上している映像があるが、国防省と将校クラブへの攻撃についての映像はない。ISWが「国防省や将校クラブに迫った」と書いているだけであり、それ以外の報告はない。

反政府軍の進撃はダル・シファー病院付近で止まり、7月攻勢は現状を大きく変えるものではなかった。

 

支援国から大々的な援助があったにもかかわらず、反政府軍の大攻勢が失敗に終わったのは、統一戦線を結成できなかったからである。

ジョバル、カブーン、バルゼーの3地区には多数の小さなグループがあり、彼らは新たに首都解放戦線を結成したが、この新グループ結成の際、奇妙な条件が付けられた。共闘はジョバル地区の防衛に限る、というものだった。カブーン、バルゼーには適用されない。カブーン、バルゼーのグループは自力でやるつもりだった。また首都解放戦線に東グータの反政府軍は参加していない。

東グータのドゥーマを拠点とする最強組織リワ・イスラムはジョバル防衛で中心的な役割をはたしているが、カブーン、バルゼーのの反政府軍はリワ・イスラムを警戒しているようだ。

市内の反政府軍と東グータの反政府軍との間に信頼関係がないうえ、東グータの反政府軍は南からシリア軍の攻撃があり、市内の戦闘にだけ専念できない。

 

 

以上エグジット・レフトの「反対派の7月攻勢」から、重要と思われる部分を書き抜いた。前回、戦況を詳しく書いた部分はすべて訳したが、結論部分は今回に回した。

 

=====《反対派の攻勢について》========

Motives behind the chemical strikes: the theory of a rebel advance

        by exitleftproject   201397

 

反政府軍はダマスカス中心部への進出に失敗し、攻勢から防衛に転じた。東グータの反政府軍はシリア軍によって包囲されており、包囲を破ることが差し迫った問題となった。

 

 

ダマスカス以外の地域から、援軍は来なかった。それどころか、東グータの戦闘員の一部がカラムーン地方へ引き抜かれた。

(たぬき注:カラムーン地方はダマスカスの北にあり、ホムスに向かう幹線道路はカラムーン山地の谷間を走る。)

にもかかわらずダマスカスの反政府軍は風前のともし火というわけではなく、ドゥーマのリワ・イスラムは侮れない勢力だった。

一方、シリア軍のほうも、東グータを包囲し、東部でいくつかの地域を奪回したが、ダマスカス市内での攻勢は反撃され、失敗した。

こうしてダマスカスの戦況はシリア軍がやや優勢ながら、戦線は膠着していたのである。

821日、シリア軍が化学兵器を使用したとしても、追い込まれていたからではなく、行きづまりを一挙に打開しようとしたからである。急いでこれを行う必要はなく、国連の調査団が帰るまで一週間待てない状況ではなかった。シリア軍はこれまで何度か化学兵器を使用したことがあるが、小規模だったため、米国は軍事行動を起こさずに来た。しかし大規模な化学攻撃を行えば、国際社会が調査を要求するのは目に見えていた。シリア軍の責任が判明すれば、米国はシリア軍を攻撃するだろう。

そのような危険を冒してまで化学兵器を使用するほど、シリア軍は追い込まれていたわけではない。反政府軍の夏の攻勢は戦略性に欠け、一時的なものに過ぎなかった。援助諸国の新たな武器支援も、力強い反政府軍を生み出すに至らなかった。

==============(エグジット・レフト終了)

 

カブーン南部の工業地帯の戦闘について、デイリースターが書いている。7月前半の話であり、「反対派の攻勢」の直前の時期である。攻撃しているのは、反対派ではなく、シリア軍である。シリア軍はシリア北部と東部で負けていたが、それはシリア軍の全面的な劣勢を意味しない。シリア軍はダマスカスでは優勢だった。

アサド政権はシリアの中心部をを重視しており、ホムスでの勝利に続き、首都ダマスカスを安定化する作戦を強化した。北部と東部は優先順位が低かった。北部・東部を捨てた、ということでははなく、後回しにしたのである。

「反対派の7月攻勢」はダマスカスの反政府軍勢いに乗って首都の中心部に迫るというより、生き残りをかけた反撃だったようである。

カブーン南部の工業地帯の地図を示しておく。

 

=====《シリア軍、ダマスカスの反対派の地区へ侵入》======

Assad's forces advance into rebel-held district of Damascus

                      Daily Star     7月15日

7月9日、シリア軍は戦車と重砲に援護されながら、ダマスカスの反対派の支配地に侵入した。

と反対派の報告によれば、「シリア軍はカブーンを砲撃した後、同地区に侵入した」。カブーンの住民はスンニ派である。カブーンの隣の2つの地区も数週間砲撃にさらされているが、それほど集中したものではない。隣の2地区に対する砲撃は侵攻を目的としたものではなく、反対派の動きを抑えるためである。

外交官や軍関係者によれば、シリアの政権は首都の防衛を重視している。首都の中心部で防衛を固めている諸部隊に対する挑戦を放置するわけにはいかない。

2か月前、シリア軍はヒズボラの助けをかりながら、シリア中部の重要な地域で勝利した。この地域は地中海海岸部のアラウィ派地域とダマスカスを結ぶ役目を果たしている。

シリア内戦は2年以上続いており、この間9000人が死んだ。反対派は2012年以来躍進を続けていたが、最近内部抗争が目立ってきた。特にイスラム主義者と穏健派の対立が顕著になった。そうした時にシリア軍がシリア中部で勝利した。

現在シリア軍はダマスカスへの脅威を取り除くことに専念しているようだ。

共和国防衛隊は反対派の防衛線を突破し、カブーンに侵入すると、広場にいた住民数百人を逮捕した。住民が反政府軍を援助することを恐れたからである。これは反対派が述べていることであり、これについて政府発表がなく、ロイターは事実を確認できなかった。

カブーンの工業地帯の反対派は東隣のハラスタの農村地域の反対派と連携してる。

 

 

反対派の指揮官が次のように語った。

「共和国防衛隊はカブーンの工業地帯を制圧し、反対派を T-72戦車で包囲した。同時に首都の中心部の高地にいる部隊がカブーンをロケット砲や銃砲で攻撃した」。

自由シリア軍のモハンマド・アブ・ホダが次のように述べた。

「共和国防衛隊はカブーンに入ってきた。我々は高い建物を拠点にして踏みとどまり、まだ戦っている。しかし彼らは多くの住民を逮捕した。住民が我々に協力することを恐れたからである。逮捕された住民はモスクと2つの学校に監禁されている」。

社会活動家が組織するカブーン共同委員会は「数日間の砲撃と戦闘により、60人以上が死亡した」と報告している。

カブーンは労働者が多く住む地区である。40年に及ぶアサド父子の支配に反旗を翻した2011年の抗議運動においては、カブーンは、ダマスカスで最初に大きなデモが起きた地域の一つである。抗議デモで数十人のスンニ派住民が死亡したことを契機に、武装反乱が開始され、現在カブーンはダマスカスの武装闘争の中心となった。宗派対立が深まる中で、スンニ派のカブーンと近隣のアラウィ派地域との抗争が激化している。

反対派のシリア国民連合の声明の中で、次のように述べられている。

「200人がカブーンのモスクに監禁されている。カブーンとバルゼーの住民4万人が7カ月間包囲されており、無差別な砲撃により生命の危険にさらされている」。

反対派を代弁する人権監視団が次のように述べた。

「モスクに監禁されていた住民は7月13日脱出することができた。しかし住民は食料や医薬品が不足しており、絶えずスナイパーに狙われている」。

===================(Daily Star終了)

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グータ化学攻撃 ダマスカス戦況7月・8月

2017-08-15 19:33:45 | シリア内戦

米国をはじめ多数の国が、8月21日のグータ化学攻撃はシリア軍が行ったと断定した。

しかしこれを疑問視する見方もあり、シリア軍は敢えてオバマのレッド・ラインを超えてまで、化学兵器を使用する必要に迫られていなかった、という。ここ数か月間のグータ地域の戦闘で、シリア軍は通常兵器だけで勝利しており、化学兵器を使用する軍事的必要性がなかった。

また3日前から国連の査察団がダマスカスに滞在していた。化学兵器を使用すれば、隠ぺいやごまかしができなかった。

シリア軍にとって、化学兵器の使用は米軍の介入を招く自殺行為である。化学兵器の使用は戦略的に見て愚かな行為であり、よほど追いつめられて判断力を失わない限り、シリア軍は化学兵器に手を出さないはずである。

ロシアの大統領は次のように述べている。

「すでに勝利している時に、シリア軍がそのような行為をするのは、理に反している」。

 しかし、反対派はこのような考え方に反論している。シリア軍は最近の数週間防戦するのがやっとであり、7月末以後反政府軍は着実に勝利しており、東グータからダマスカスの中心部に進出していた、としている。

またこの時期シリア軍は消耗し、弱体化し、士気が落ちており、今後長期間戦う力は残っていなかった、という指摘もある。

シュピーゲルは次のように書いている。

「反政府軍はシリア全土で勝利していた。北部のアレッポ、東部のデリゾール、そして南のダラアなどで、反政府軍は勝利していた。

シリア軍は将来の展望を失っていたため、化学兵器に頼らざるを得なかった。化学攻撃の後、シリア軍は反政府軍の支配地域に侵攻しており、化学攻撃は侵攻の地ならしだった」。

化学攻撃があった8月21日、シリア軍は窮地にあっただろうか。反政府軍は勝利していただろうか。

 エグジット・レフト(Exit Left )というサイトが7月と8月のダマスカスの戦況を書いている。「反対派の7月攻勢」と題するISW(戦争研究所)の報告があり、エグジット・レフトはそのかなりの部分を引用している。(ISW:The Opposition Advances in Damascus)

ISWの記事はタイトルに示されているように、反対派の進撃をよく描いている。反対派の願望を雄弁に代弁しており、「7月攻勢」が読者によく伝わる。ただし客観性に欠ける部分があるようで、それをエグジット・レフトが批判している。

「反対派の7月攻勢」はバルゼー、カブーン、ジョバルを舞台として戦われた。この3つの地区はダマスカス市内である。反対派はダマスカスの東と南の郊外を広く支配しているが、市内の支配地は限られている。バルゼー、カブーン、ジョバルの位置をあらかじめ確認しておく。

 

首都の郊外が反対派によって支配され、市内の一部も占領された状況に対し、アサド政権は即座に対応した。2013年の春、首都への脅威を取り除くため、シリア軍は首都周辺部の反対派の掃討作戦を開始した。反対派を背後から襲い、じりじりと包囲の輪を狭めていった。しかしシリア軍は決定的な勝利には至らなかった。

こうした状況下で、今度は反対派が攻勢に出た。それが「7月攻勢」である。反対派はバルゼー、カブーン、ジョバルの大部分を支配しているが、部分的に政府軍の支配地が残っており、この3地域の支配をめぐる戦いは熾烈になっている。アサド政権としては、これ以上反徒を首都の中心部に近づけたくない。反対派はこの3地区を拠点として、首都に迫りたい。こうしてバルゼー、カブーン、ジョバルは最も緊迫した最前線となった。

 

==========《反対派の攻勢》===========

Motives behind the chemical strikes: the theory of a rebel advance

                 by exitleftproject   2013年9月7日

オーバギーは7-8月のダマスカスの戦況を書いている。彼女によれば、この時期、反政府軍が優勢であり、首都の中心部に迫っていた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

7月、ダマスカスの反政府軍は大攻勢を開始した。シリア軍の支配地域に侵攻し、新たな支配地を獲得した。シリア軍はこれに反撃したが、反政府軍は進撃を続け、首都の重要な地域を獲得した。

反政府軍は不利な状況においても機敏に対応し、成功を収めた。シリア軍と肩を並べて戦う同盟国の部隊が増強されていたにもかかわらず、シリア軍は決定的な勝利を得ることができなかった。

7月24日、ダマスカスの反政府軍は大攻勢を開始した。これに対し、シリア軍はジョバル、バルゼ、カブーンを連続的に砲撃した。それにもかかわらず、反政府軍はジョバルに侵入し、そこからさらに都心部に向かって多方面から進んだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(オーバギー終了)

オーバギーは参考ビデオを添付している。そのビデオを見てみると、反政府軍にとって困難な状況が描かれている。砲撃を受けたカブーンでは医薬品が底をつき、被害が大きかった。ビデオの語り手は反政府軍の大攻勢については一言も語っていない。反政府軍は都心部に向かってさらに進撃するどころか、カブーンが完全に包囲されてしまった。

      〈アッバシーン・ガレージの戦闘〉 

カブーンの南部での激しい戦闘後、反政府軍はアッバシーン・ガレージを占領した、とオーバギーは書いている。

カブーン南部には重要な施設があり、シリア軍の支配下にあった。カブーンの大部分は反政府軍が支配していたが、南部だけはシリア軍の支配下にあった。

アッバシーンのバス・ガレージはダマスカスの入り口に位置し、北のホムスへ向かう道路に面している。戦略的に重要なこの場所をめぐり、2月以来たびたび戦闘が起きている。

シリア・プレスのモハンマド・サラフディンは次のように述べている。

「反政府軍は今年の初め、アッバシーン・ガレージを2回占領したが、いずれの場合もたった数時間だけだった」。

サラフディンはザマルカに住んでおり、シリア・プレスの報道官である。アルジャジーラなどのメディアはしばしば彼の話を引用している。彼が語っているのは今年の正月の話であり、今回(7月)のことではない。

アッバシーン・ガレージの占領について、オーバギーは20秒の動画を根拠にしている。その動画を見ると、煙が上がり、銃声が聞こえる。音声による説明があり、その場面はアッバシーン・ガレージの向かいの電機会社である、という。ガレージが占拠されたとは語っていない。アッバシーン・ガレージの占拠は大きな勝利であり、成功すれば反政府は必ず発表する。それがないことは、占拠できていないからである。周辺での戦闘のみ報告されている。(7月24日ー26日、8月2日、6日)

          〈反政府軍、西へ侵攻〉

オーバギーは書いている。

「反政府軍は進撃を続け、ルーケン・ディンの南の電力施設を奪取した。またカブーン南部では自家製のロケットで戦車基地を攻撃した」。

この話は互いに2㎞離れた別の場所で起きた別々のことがらである。

ルーケン・ディンの南には大きな電力施設はなく、オーバギーはこの情報の出典を書いていない。ジョバルからルーケン・ディンまでは2㎞の距離があり、この進撃はダマスカス戦線で大きな事件であり、もし事実であれば、必ず発表されるはずである。これについてオーバギー以外誰も語っていない。この地域の戦闘で知られていることは、7月22日ダル・シファー病院に迫撃砲が撃ち込まれたことだけである。

人権監視団は「この時期ルーケン・ディンの南で戦闘は起きていない」としている。「22日の迫撃砲による攻撃は戦線の変化を意味しない」。

「反政府軍は東グータからダマスカスの中心部へ進んだ」という主張は、根拠がない。ダル・シファー病院への攻撃は、進撃ではなく、単発のテロにすぎない。実際最近数か月、市内への無差別砲撃や爆発事件がひん発し、市民にとって日常化している。

ダル・シファー病院は軍事病院であり、ティシュリーン通りの南側にあることから、ティシュリーン病院とも呼ばれる。この病院は旧市街に近く、ここから先はダマスカスの中心部である。反政府軍はここへの進出を試みていたが、成功に至っていない。

          〈7月24日の一斉攻撃?〉

「反政府軍は自家製のロケットで戦車基地を攻撃した」とオーバギーは述べている。

戦車基地はカブーン南部の工業地帯にあり、アッバシーン・ガレージの東である。7月初旬シリア政府はこの地域を奪回した。

7月24日反政府軍はバルゼーとカブーンの包囲された地域を開放するため、反撃を開始した。作戦の初日彼らは電気会社の敷地に侵入し、その後いくつかの建物を占領した。

しかし政府軍の攻撃は規模が小さく、持続性もなかった。工業地帯の支配は何度も交代した。人権団体のアブドゥルラフマンによると、反政府軍は電気会社を放棄したようだ。「電気会社は常にシリア軍のスナイパー(狙撃兵)の射撃にさらされており、反政府軍は隣の建物を占拠している。

オーバギーは続ける。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

バルゼーでは、反政府軍は進撃を続け、士官学校や政府の行政施設の近くでシリア軍との大戦闘になった。病院に至る路上で反政府軍は、シリア軍の戦車の車列を破壊した。彼らは高性能の武器を使用し、戦闘力の向上を証明した。

 反政府軍はさらに南下し、これまで進出不可能と考えられていた市の中心部に突き進んだ。

この突出した進撃の背後には何の戦略もなく、勝利は一時的なものに終わる危険があるとはいえ、軍事施設が集まっている重要な地域に進出した意味は大きい。国防省や将校クラブに迫ったことは象徴的な出来事である。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(オーバギー終了)

オーバギーが参考にしているビデオを見ると、戦車が破壊され炎上している場面が映っている。ビデオのタイトルは「ティシュリーン軍事病院に至る路上で戦車炎上」であり、投稿日は7月28日である。

先に書いたように、ティシュリーン軍事病院とはダル・シファー病院のことである。

「反政府軍はさらに南下し、陸軍省に迫った」とオーバギーは書いている。しかしアッバシーン・ガレージから陸軍省までは4.5kmもある。ルーケン・ディンの南からでも、2kmある。建物一つ一つの争奪戦となる市街戦において、この距離を踏破することは多大な犠牲をもたらす。シリア軍が防衛しているダマスカス中心部の市民にとって、この距離は防壁となっている。

        〈反政府軍、統一戦線を結成〉

反政府軍は7月攻勢に向けて、新しく統一戦線を結成し、これに首都解放戦線(ジャブハト・アッシマ)と命名した。多数の旅団がまとまり、協力してダマスカス作戦に臨んだ。

オーバギーはこれを高く評価している。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

諸グループの連携を強化し、彼らは協力してジョバル、カブーン、バルゼーでの戦闘に臨むことにした。23の旅団が集まり、首都解放戦線(ジャブハト・アッシマ)が成立した。これらの中で重要なのは、ファルーク・シャム旅団とハビブ・ムスタファ旅団である。

これまでこの地域の部隊はとても少人数だったので、シリア軍に発見されることを恐れ、秘密に活動した。しかし最近の成功に勇気づけられ、ますます多くのグループがさらに強力な軍事勢力になることを望み、他グループとの連合組織を形成した。他グループと効果的に連携してた戦うことにより、大きな勝利を得ようと思ったのである。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(オーバギー終了)

7月26日、首都解放戦線(ジャブハト・アッシマ)の結成が発表された。その声明内容から、諸グループの連合はジョバルに関してだけであるとわかる。カブーン、バルゼーを含まない。シリア・プレスの広報サラフディンも、連合はジョバル限定と主張している。サラフディンはザマルカに住んでいる。

オーバギーは続ける。

「8月初旬のアフラール・シャムの声明は「我々は、東グータとダマスカスの南方からダマスカスの入り口に進出した」と述べている。このような声明は事実を誇張していることが多いが、反政府軍がこまでにない決意を持って首都に迫っているのは事実のようだ」。

オーバギーは「アフラール・シャムの声明」へのリンクを示していない。ネットにあるアフラール・シャムの声明は7月27日のもで、東グータのイスラム主義グループが連合したことを宣言している。新たに結成されたグループはジュンド・マラヘム( Jund al-Malahem )と言い、アフラール・シャムとヌスラ戦線の同盟を軸に、東グータのイスラム主義グループが結集したものである。

(たぬき注:ジョバル、カブーン、バルゼーはダマスカス市内であるが、東グータは市内ではなく、郊外である)。

宣言の中で、東グータに新しく成立した連合組織ジュンド・マラヘムは次のように呼びかけた。

「兄弟たちよ! 東グータの包囲を破るための戦いを支援してほしい」。

東グータの反政府軍はダマスカス市内への侵攻を呼び掛けているのではなく、東グータの包囲を破ることを呼び掛けている。彼らは窮地にあり、目前の目的は窮地を脱することである。

「ダマスカスの入り口に進出し、さらに前進しようとした」た」のは昔の話であり、現在はシリア軍に背後から包囲され、脅威を感じている。

反政府軍がまとまって戦い、ダマスカスの入り口に到達したのは、8か月前の話である。

東グータに新しく成立したジュンド・マラヘムのフェイスブックを読むと、彼らが東グータで戦闘していることがわかる。東グータのデイル・サルマン(Deir Selman)、アフマディヤ(Ahmadiya) 、マルジ・スルタン(Marj al-Sultan)などの地域である。

====================(Exitleft終了)

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グータ化学攻撃 検証:ロケットの発射地点

2017-07-29 07:33:22 | シリア内戦

 

821日のダマスカス郊外への化学攻撃は一か所ではなく、2か所で起きた。東グータと西グータであり、互いに16㎞離れている。2つの場所に打ち込まれたロケットの種類も異なっている。西グータのほうは小型の140mmロケットであり、東グータのほうは大型の330mmロケットである。140mmロケットはよく知られたロシア製のロケットだったが、330mmロケットはシリア軍が2012年に開発したもので、未知のロケットであり、性能や仕様は謎だった。事件後、「正体不明のロケット」と呼ばれた。330mmロケットはロケットの残骸をもとに、ロケットの仕様を知るしかなかった。ロケット全体の大きさと弾頭の大きさ・容量はわかったが、ロケットの射程距離は分からなかった。発射機についてもわかっていない。発射機はイラン製のFalaq2だという説があるが、これには反論もある。Falaq2が発射するロケットはかなり大型であり、東グータに着弾した330mmロケットの2倍近くの長さがある。したがってFalaq2330mmロケットの発射機として使えない、という。

330mmロケットの発射機については結論が出てないが、射程距離については、事件から5か月後、元国連査察官と物理学者が、2.25km以下と発表した。

330mmロケットの射程距離はきわめて短く、着弾地点の近くから発射されたことになる。シリア軍はそれほど近くまで進出していただろうか。

着弾地点から2.25km以内にシリア軍がいたかを知ることは、かなり困難である。着弾地点から2.25km以内にいたのは反政府軍である可能性もある。

射程距離が短いことが判明した後も、やはりシリア軍が発射したという説があり、発射地点を推定している。

米国は衛星によって発射地点を確認していると言いながら、地名、緯度・経度を一切公表していない。そのためジャーナリストは苦労して、821日のシリア軍と反政府軍の配置を調べた。

その結果発射地点はカブーンであると推定した。

 

 

反政府軍はダマスカスの郊外の広い部分を支配していたが、市内に進出できたのは、バルゼ、カブーン、ジョバルの3地区のみである。反政府軍はこれらの3地区から市の中心部へ支配を広げようとしており、アサド政権にとって脅威となっている。政権としては何としてでも、3地区に居座る反政府軍を追い払いたい。しかし市街戦は建物一つ一つの奪い合いになり、犠牲が大きい。20133月末シリア軍は反政府軍の背後を襲い、北・東・南の3方から徐々に包囲の輪を狭めていった。封鎖は完全に仕上がっていないが、封鎖によって反政府軍の補給を断つことができれば、東グータの反政府軍は弱体化する。

 

 

 

封鎖作戦は味方の犠牲が少なく、長期的に見れば有効だが、821日になっても、反政府軍はバルゼ、カブーン、ジョバルの3地区に踏みとどまっており、激戦が続いていた。そうした中で、330mmロケットがザマルカを中心とする地域に撃ち込まれた。

ロケットの射程距離が短いことから、バルゼは発射地ではない。発射候補地はカブーンかジョバルになる。

カブーンの大部分は反政府軍の支配地であるが、南端にシリア軍の支配地がある。ここから発射された可能性がある。

ジョバルのほぼ全域が反政府軍の支配地であるが、西端部分にシリア軍の支配地がある。ここも発射地点の候補地となる。

 

ニューヨーク・タイムズは発射地点について次のように書いている。

「反対派を支援するグループによれば、ロケットの数発は、カブーン地区の工場から発射された。その他のロケットは8マイル北のホムスへ向かう幹線道路から発射された。(8マイルは12.8km)」。 

 

 

 

カブーンは発射候補地と言っても、国営工場はカブーンの西端にあり、ザマルカの被弾地までは、2.8kmの距離がある。射程距離2.25kmのロケットでは届かない。

 

英国のジャーナリストのエリオット・ヒギンズは、821日の両軍の配置を示した地図を、アラビア語のサイトで見つけた。彼は6月末ー821日のカブーンの戦況を調べており、彼が理解し得た戦況とその地図はほぼ一致しているという。

 

 

エリオット・ヒギンズは発射地点をカブーンの東端にある空軍情報部(支部)と考えている。ザマルカの被弾地までは2.5kmであり、2.25kmの射程をわずかに超える。

白い星印で示した国営工場はニューヨーク・タイムズが発射地点としている場所である。

空軍情報部も国営工場も、射程2.25kmを超えており、トフメ検問所付近なら、2.25km以内である。

トフメ検問所は高速道路5号線に位置しており、戦略的に極めて重要である。シリア軍は検問所以北の高速道路を支配している。反政府軍は検問所以南のを高速道路を支配しているが、絶えずシリア軍の砲撃にさらされている。検問所はシリア軍が支配している。

高速道路の争奪戦に加え、トフメ検問所はザマルカとカブーンの境界付近にあり、カブーンからザマルカに侵攻しようとするシリア軍にとって、最前線となっている。反政府軍がザマルカ全域を支配している。シリア軍は最近数カ月間に4度ザマルカに侵攻したが、4度追い返されている。4回目の試みは一か月前だった。

エリオット・ヒギンズがトフメ検問所付近を発射地点と考えなかったのは、最前線過ぎて危険だからだろう。化学兵器を発射する場所は、ある程度安全が確保されていなければならない。

国営工場は射程距離の問題、トフメ検問所付近は安全の問題がある他に、両方とも着弾地点から見た方角に問題がある。国連の調査によれば、アイン・タルマに落ちたロケットの発射地点は西北西である。

 

    《虚偽の報告をうのみにした米政府》

 

ニューヨーク・タイムズの地図にはジョバルの被弾地点が示されているが、エリオット・ヒギンズの地図では消えている。ジョバルに着弾したというのは虚偽情報だと、シリア政府は述べている。ジョバルに住民は住んでいないので、住民がサリンにより死傷したというのは嘘だという。住民はすでに他地域へ避難し、ジョバルに残っているのは戦闘員だけである、という。

 

 

またエリオット・ヒギンズの地図とニューヨーク・タイムズの地図の両方において、カフル・バトナはロケットの着弾地になっていない。カフル・バトナはアイン・タルマの東、ハゼーの南である。

ロケットの着弾地について、米政府は次のように述べている。

「化学攻撃の目標となった場所はカフル・バトナ(Kafr Batna)、ジョバル( Jawbar)、アイン・タルマ(Ayn Tarma),ダラヤ(Darayya)、ムアダミヤ(Mu’addamiyah)などと言われている」。

米政府は5つの被弾地の名前を挙げ、その最初がカフル・バトナである。2番目に挙げたジョバルも虚偽報道の可能性が高い。。4番目のダラヤについても、人権監視団は被弾地として取り上げていない。米政府が挙げた5つの着弾地点のうち、3つは虚報である可能性が高い。

 

カフル・バトナが被弾したというのは誤報の可能性が高いが、一応発射地点を推測してみよう。

米政府の地図によれば、カフル・バトナの東端に落ちたことになっているので、最も近い政府軍の支配地ザバタニからでも3kmを超える。カフル・バトナの2.25km以内はすべて反政府軍の支配地である。米政府の地図によると、カフル・バトナの南2.25kmは戦闘地点となっているが、反政府軍が支配している可能性が高い。当日の両軍の配置についての情報がないので断言はできないが。

 

 

前回書いたように、米政府の地図に書き込まれた着弾地点の全部を攻撃するには、北西ー西ー南と移動しながら発射しなければならず、しかも半分しか攻撃できない。残りの半分は反政府軍の支配地からでなければ、発射できない。

 全ての被弾地の中心部から、反政府軍が発射したと考えるほうが合理的である。

 

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グータ化学攻撃 ロケットは反政府軍の支配地から発射

2017-07-13 20:17:56 | シリア内戦

 

人権監視団は西グータの攻撃に使用された140mmロケットの射程距離を3.8km以上、9.8km以内としたが、東グータに着弾した330mmロケットの射程距離については触れなかった。国連の調査は発射地点の方向を調べただけで、ロケットの射程距離は調べていない。

事件から5か月後の2014年1月になって、元国連査察官が、330mmロケットの射程距離がきわめて短いことを発表した。射程距離は最大でも2.2kmであり、着弾地点からあまり離れていない場所から発射されたことになる。シリア軍はそれほど近い場所にいたのか。

化学攻撃の9日後、米政府は事件についての見解を発表した。ロケットはシリア軍の「支配地」から発射されたと述べ、地図を添えた。

 

この地図に基づき、元国連査察官リチャード・ロイドは政府軍の支配地の東端からザマルカまでの距離が6kmであることを知った。330mmロケットの射程距離は2.2km以下であり、政府軍の支配地からは、到底届かない。

 続いてリチャード・ロイドは着弾地点から2.2㎞の距離を地図に示した。ロケットの重量が重い場合、飛距離はさらに短くなり、1.7kmとなる。それも地図に示した。8つの着弾地点が黄色の十字で示されている。

ロケットは、むしろ反政府軍が発射した可能性が高い。

この衝撃的な報告を発表したのは国連の元武器査察官リチャード・ロイド(Richard  Lloyd)とマサチューセッツ工科大学のセオドア・パスタル(Theodore  Postol)教授の2人である。

(Possible implications of faulty US technical intelligence in  the Damascus nerve agent attack of August 21)

 2人はロケットの構成を調べ、弾頭内の液体の重さとロケットの総重量から、その射程距離を算定した。その結果、「米政府の主張は真実から遠い」ことがわかった。

リチャード・ロイドは報告の発表後の記者会見で、「反政府軍の化学兵器の能力は予想以上に高く、50リットル容量のサリンを積んだロケットを発射することは十分可能である」」と語っている。

 

しかしロイドとパスタルの結論には反論の余地がある。3枚目の地図をよく見ると、ほとんどのロケットは戦闘地域から発射されたことになっている。8月21日の時点でこの地域を支配していたのはどちらかを知る必要がある。客観的な立場のジャーナリストが出向いていない限り、最前線の状況を知るのは困難だが、ジョバル(Jobar)の北西部でシリア軍が攻勢を強め、ジョバルの境界まで迫っていたことが知られている。

上記3番目の地図には着弾地点が黄色の十字で示されており、北西の4つの地点はシリア軍によって攻撃されたかもしれない。南東の4つの地点については、発射地点付近にどちらの軍がいたのかを知らなければならないが、シリア軍は進出していない可能性が高い。 

注意すべきは、シリア軍がこれら8つの地点を攻撃するには、これらの地点の周囲を移動しながら発射しなければならない。あるいは数台の発射機を使用しなければならない。反政府軍が8つの地点の中心部から発射するなら、移動せずに8つの地点を攻撃できる。

 

米国は化学兵器の準備をしているシリア軍の位置を正確に把握しており、衛星の映像によりロケットの発射地点を確認したと述べている。発射地点を地図に書き込んでいたなら、決定的な証拠となった。それをせずに、「政府軍の支配地から発射した」とだけ述べた。そのためロイドとパスタルは地図上の支配地から着弾地点までの距離を測ったのである。

米政府が化学兵器準備を発見し、発射地点をも確認したことは決定的な証拠と言えるが、発射地点を示さなかったことは片手落ちである。

「シリア軍は化学兵器準備事件の3日前、アドラで準備を開始した」と米政府は述べている。

ダマスカスの東部と南部に反政府軍の支配地があるが、東北部のドゥーマを中心とする勢力が最大である。しかし彼らを取り巻くようにシリア軍の基地が存在している。そのひとつがアドラである。

 

====《米政府の評価:シリアの政権が化学兵器を使用》=====

Government Assessment of the Syrian Government’s Use of Chemical Weapons on August 21, 2013

3月21日シリア政府がダマスカス郊外で化学攻撃をした、と米政府は高い確実性を持って判断している。この攻撃で神経ガスが使用されたことも確実である。これは幅広い情報に基づく判断である。幅広い情報とは、情報提供者からの情報、通信傍受、衛星による映像、一般に公開されている大量の情報である。

情報源の保護とわれわれの方法を秘密にするため、すべての情報を公表することはできない。これから述べることは、公表可能な部分に限られる。   

      〈シリア政府がダマスカス近郊で化学兵器を使用〉

互いに独立した多くの情報が、8月21日ダマスカス郊外で化学兵器が使用されたことを物語っている。米国の情報機関が得た情報に加え、シリア内外の医師の報告、ビデオ、目撃証言がある。さらには、ダマスカスの12の地点から数千のネット情報、ジャーナリストや非政府組織の報告がある。

       〈事件の背景〉

シリア政府は昨年(2012年)戦略的に重要な場所を獲得し、それを維持しようとしながら行き詰まった時、打開の手段として化学兵器を使用した。シリア政府は化学兵器を空爆やミサイル

と同様なものと考えており、禁じられた兵器という意識がない。

ダマスカス周辺の反対派の支配地は首都を攻撃する足場となっており、政権はこの地域の反政府軍を駆除する作戦を始めた。

シリア軍はあらゆる通常兵器を投入したが、首都周辺の10数個の地区から反政府軍を追い出すのに失敗した。そしてこれらの地区のいくつかが化学兵器による攻撃の対象となった。

政権はダマスカス周辺の大部分が反政府軍に占領されたままであることにいらだった。このことが8月21日化学兵器を使用する原因となった。

       〈化学兵器の準備〉

シリア軍の化学部隊が攻撃の準備をしていると判断できる情報がある。攻撃の3日前、一連のスパイ情報、通信傍受、空からの偵察により、化学攻撃の準備とみられるシリア軍の活動を察知した。

8月18日ダマスカス北東のアドラでシリアの化学部隊が活動を始めた。これは8月21日の未明まで続いた。アドラはシリア軍がサリンなどの化学物質を混合する場所となっている。通常、サリンは2種類の前段階物質を保存し、使用時に混合する。

8月21日シリアの化学部隊はガス・マスクを着用して準備作業をしていた。

一方我々の情報源によれば、反政府軍は化学兵器を準備している兆候がない。

         〈化学攻撃〉

多方面からの情報は、8月21日の未明シリア軍がダマスカスの郊外を砲撃し、ロケットを発射したことを示唆している。宇宙衛星の画像はこれらのロケットがシリア軍の支配地から発射されたことを傍証している。化学攻撃の目標となった場所はカフル・バトナ(Kafr Batna)、ジョバル( Jawbar)、アイン・タルマ(Ayn Tarma),ダラヤ(Darayya)、ムアダミヤ(Mu’addamiyah)などと言われている。

これらの情報に加え、化学攻撃についてネットで最初に発表される約90分前、我々は政府軍の支配地からロケットが発射されるのを確認している。この時軍用機は現地を飛行しておらず、ミサイルの発射も確認されていないので、シリア軍が地対地ロケットを使用したは間違いない。

地元のソーシャル・メディアには午前2時30分に化学攻撃について最初の報道が現れ、その後の4時間、ダマスカス周辺の12の地域から数千の報告があった。反政府軍の支配地域に着弾した化学ロケットについて、数多くの証言がなされた。

ダマスカス地域の3つの病院が、約3600人の被害者を受け入れた。これらの被害者たちは一様に、神経ガスが原因の症状を示していた。

========================(米政府終了)

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2013年 グータ化学兵器事件 ザマルカ2

2017-07-08 02:55:18 | シリア内戦

前2回、グータ化学攻撃について、人権監視団の報告を訳した。gooブログの字数制限により、最後の部分は今回に回さざるを得なかった。

西グータに打ち込まれた140mmロケットは化学弾ではなく、通常の爆発弾であったという説がある。国連の調査チームが採取した環境サンプルはサリンの存在を示していない、からである。環境サンプルとはロケットの残骸や建物などから採取したものである。

このような主張との関連で、人権監視団の報告の最後の部分は重要である。

 

=======《使用されたロケットの確認》=======

化学兵器による攻撃を受けたグータは8月21日の前にも後にもシリア軍から攻撃されており、140mmロケットと330mmロケットが8月21日の未明に着弾したものであるかを確定するのは難しい。しかし地元の活動家によれば、この時以前にこれらのロケットの残骸は存在していなかった。

140mmロケットと330mmロケットの残骸を撮影したいくつかのビデオが8月21日の未明から数時間後にネットに投稿された。その中には、地面に着弾したロケットが、そのままの様子で撮影されたものがある。

人権監視団はビデオを投稿した地元の活動家に連絡し、いくかのロケットの位置をGPSで確認することができた。また他のビデオに映っているロケットについては、衛星写真によって場所を確認した。

=================(人権監視団終了)

 

人権監視団によれば、ザマルカに落ちたた330mmロケットは8発ー12発である。文章には8発の位置についてかなり正確に書かれており、地図には12発の位置が示されている。

330mmロケットは50ー60リットルの容量がある。サリン50ー60リットルはかなりの量である。しかもそれが8発なら400ー480リットル,12発なら600ー720リットルになる。これだけ大量のサリンを扱うことができるのは、専門的な化学兵器部隊だけである。

イスラム過激派はサリンを所有し、扱い方の訓練も受けていたとはいえ、大容量のサリン弾を10発前後発射する能力があったかは疑問である。

ただし、シリア政府は反政府軍の基地で大量の化学兵器を発見したことがあり、「国家を破壊するほどの量ではないが、都市を破壊するだけの量である」と、その時述べている。

人権監視団に情報を提供しているのは、反政府軍の人間である場合が多く、ザマルカに8―12発打ち込まれたといっても、すべてを事実と認めることはできない。また国連の調査結果には「ロケットが他の場所から運び込まれたり、証拠が変更された可能性がある」と書かれている。

国連のチームは8―12発のロケットをすべて調べたわけではなく、2発だけである。

国連の報告の中から、東グータの2個のロケットに関する部分を訳す。

 

====《ザマルカとアイン・タルマでの検証結果》====

Report  of the United Nations Missionto Investigate

 Allegation of the Use of Chemical Weapons in Syria

一つのチームは5階建ての建物の屋根を調べ、もう一つのチームはその建物に近い広場を調べた。両チームは同時に作業を行った。2つの場所で発見されたロケットは同一の種類であり、非誘導のロケットだった。2つの残骸を測定し、ロケットのサイズを推定した。いくつかの部分は爆発により変形しており、正確な測定はできなかった。

ロケットが地面をえぐった様子、散らばっているロケットの破片、付近の破壊された物によって、ロケットは北西から飛来したことがわかる。

 ロケットは2つの部分からできている。

①ロケット・エンジン

6枚の安定翼が円形に並んでおり、金属の輪に固定されている。ロケットの一つには、エンジンの表面に赤色で153と書かれている。エンジンは12のボルトによって弾頭と結合されている。

  • エンジンの全長   134cm
  • 安定翼の固定リングの幅 5.5cm
  • 安定翼の長さ    16.5cm  安定翼の直径 31cm  
  • 噴出孔の長さ    4.5cm
  • エンジン軸の長さ 112cm  エンジン軸の直径 12cm

②弾頭

弾頭の直径は36cm。弾頭の先端部の基盤には直径9cmの起爆管がついている。

弾頭の容量は50ー62リットルである。

 

         《 5階建ての建物に落ちたロケット》

5階建ての建物の屋根に落ちたロケットは、ブロックでできた壁を破り、その後鉄パイプで補強された床を突き抜け、下の部屋に落ちた。最初に衝突した壁の周辺に、弾頭の先端部の基盤と、弾頭の筒の部分の破片が落ちていた。したがって弾頭は壁に衝突した時に爆発し、中身を放出したと思われる。弾頭の部品は比較的元の形をとどめており、爆発は小さかったようである。

弾頭の爆発後、ロケットの心棒とエンジン部分だけが、下の部屋に落ちた。

ロケットの先端部分の基盤の外縁部に、6つのねじ穴が円形に並んでいる。

         

       《調査の限界》

西グータの場合と同様に、調査した2つ場所は立ち入り禁止にされておらず、原状変更の機会があった。われわれが調査してる間にも、ロケットを運び込んでくる者がいて、証拠が移動されたり、ねつ造された可能性がある。

調査する時間が限られていたことも悪条件だったが、チームはできるだけの努力をした。

      《ロケットの弾道》

我々は西グータと東グータで合計5つの着弾地点を調査した。これらの中で、ロケットが飛んできた方向を確認できたのは、第一地点(ムアダミヤ)と第四地点(アイン・タルマ)だけである。残りの3つの地点は場所や地形の関係で飛来方向を確認できなかった。

(たぬき注)2つのロケットしか飛来方向を確認できなかったと書きながら、以下で3つのロケットの方向を説明している。(たぬき注終了)

 

[第一地点(ムアダミヤ)]

エンジンの特徴から判断すると、これはM-14ロケットの一種である。弾頭は残っていないので、ロケット本来の弾頭であったか、独自に作成したものを取り付けたか、わからない。

発射されたロケットは共同住宅の2階に衝突し、エンジン部分だけが生け垣を貫き、裏庭に着地し、石畳に浅いくぼみをつくった。生垣と窪みを結ぶ線は35度である。したがって発射されたロケットの弾道の方位角は215度である。

[第二地点(ムアダミヤ)]

第一地点から65メートル離れた所に場所に着弾したもう一つのロケットの方位角も215度である。ムアダミヤの2発は同一の連弾発射機から発射されたと考えられる。

[第四地点(アイン・タルマ)]

ここに着弾したロケットの口径は330mmである。ロケットは比較的やわらかい地面に落ち、ロケットの軸とエンジンは地面に突き刺さった。着弾後動かした様子はない。軸とエンジンは曲がっておらず、正確に285度の方位角を示している。したがって発射されたロケットの弾道の方位角は105度であり、東と南東の中間である。

====================(国連の報告終了)

第四地点に着弾した330mmロケットは東と南東の中間の方向に向かって発射されたということであり、着弾地点のアイン・タルマから見ると、ロケットは西と北西の中間から飛んできたのである。

調査時間に制限があったためか、国連の調査チームは着弾したロケットをすべて調べることをあきらめ、ロケットの種類とロケットが発射された地点だけを調べた。したがって国連が調べたロケットは西グータの2発、東グータの2発だけである。

国連の報告は合計5つのロケットを調べたと述べているが、4つのロケットについてしか説明いていない。5つ目のロケットについては一言も書いていない。5つ目のロケットを調べた結果、怪しかったので、何も説明しないことにしたのであろうか

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