会員のカトウです。
5年に一度といわれる秋の大型連休を使って高知へ行ってきました。
観光客で賑わう市街地を堪能してきました。
最大の目的は、土佐勤王党血盟書執筆者大石圓の墓参をご子孫の方とともにすることでした。
この方との再会は実に11年ぶりで、しかも今回は初めて墓へ詣でたばかりか、圓と直接血のつながりを持つご子息様ともお会いでき、充実したものとなりました。
裏の神社の階段を上がるときに刀が階段に当たる音がした、すなわち非常に背が低かったのではないかという話をうかがいました。
長崎に於いて洋銃一千丁を手に入れた功績により、山内容堂から賜った重箱を見せていただき、何よりの思い出となりました。
墓の場所は土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線のよしかわ駅をごめん方面に200mほど戻った右手にある古川山にあります。(高知県香南市吉川町古川)
こんもりとした森のような山で、山に向かって左側にある坂を昇り切る手前のコンクリートの坂になった斜面を来た方向に戻るようにして昇ります。
木がなくなったところを左に降りていくと、奥の方に20基に満たない数の墓碑が三列に整然と並んでいて、いちばん大きな墓が圓のもの。
左に降りずにさらに進むと大石団蔵先祖の墓と言われる墓が2,3基。縮往というなんとも珍しい名前がありました。
お花と米粒、お線香をあげ、水をかけるのが精一杯で、まだ午前10時にもかかわらず、けだるい暑さに加え、蚊がここぞとばかりにたかってきて苦労しました。
案内された方が午後を避けたわけがよくわかったというものです。
そのあと圓が暮らしていた屋敷(香南市横井)を訪れ、11年前に訪ねた折まだご存命であったご主人を偲ぶように、故人のご夫人と圓の暮らした住まいの縁側に腰掛けて、その家を管理するようになったいきさつなどをうかがいました。
亡きご主人の母方の縁だそうで、史跡保存にご協力くださる方はひょんなことから関わられるものだなと思ったものです。
この圓の住まいには入口に住居跡を示す石碑が旧野市町教育委員会により建てられています。
ご子孫の方によると、大石の墓が文化財に指定されるとかで、近々案内版も取り付けられる由。
訪ねやすくなるといいですね。
5年に一度といわれる秋の大型連休を使って高知へ行ってきました。
観光客で賑わう市街地を堪能してきました。
最大の目的は、土佐勤王党血盟書執筆者大石圓の墓参をご子孫の方とともにすることでした。
この方との再会は実に11年ぶりで、しかも今回は初めて墓へ詣でたばかりか、圓と直接血のつながりを持つご子息様ともお会いでき、充実したものとなりました。
裏の神社の階段を上がるときに刀が階段に当たる音がした、すなわち非常に背が低かったのではないかという話をうかがいました。
長崎に於いて洋銃一千丁を手に入れた功績により、山内容堂から賜った重箱を見せていただき、何よりの思い出となりました。
墓の場所は土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線のよしかわ駅をごめん方面に200mほど戻った右手にある古川山にあります。(高知県香南市吉川町古川)
こんもりとした森のような山で、山に向かって左側にある坂を昇り切る手前のコンクリートの坂になった斜面を来た方向に戻るようにして昇ります。
木がなくなったところを左に降りていくと、奥の方に20基に満たない数の墓碑が三列に整然と並んでいて、いちばん大きな墓が圓のもの。
左に降りずにさらに進むと大石団蔵先祖の墓と言われる墓が2,3基。縮往というなんとも珍しい名前がありました。
お花と米粒、お線香をあげ、水をかけるのが精一杯で、まだ午前10時にもかかわらず、けだるい暑さに加え、蚊がここぞとばかりにたかってきて苦労しました。
案内された方が午後を避けたわけがよくわかったというものです。
そのあと圓が暮らしていた屋敷(香南市横井)を訪れ、11年前に訪ねた折まだご存命であったご主人を偲ぶように、故人のご夫人と圓の暮らした住まいの縁側に腰掛けて、その家を管理するようになったいきさつなどをうかがいました。
亡きご主人の母方の縁だそうで、史跡保存にご協力くださる方はひょんなことから関わられるものだなと思ったものです。
この圓の住まいには入口に住居跡を示す石碑が旧野市町教育委員会により建てられています。
ご子孫の方によると、大石の墓が文化財に指定されるとかで、近々案内版も取り付けられる由。
訪ねやすくなるといいですね。