探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

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東京二本松会総会に出席しました

2015-10-03 00:02:24 | イベント
会員のカネコです。
9月12日(土)に私が所属している東京二本松の総会がスクワール麹町で開催され、二本松繋がりで親しくさせて頂いている遠藤さんと共に出席しました。

東京二本松会は東京近郊在住の二本松に所縁がある人達で構成され、現在は二本松藩主丹羽家の18代目のご当主である丹羽長聰様が会長を務めています。私は4年前に丹羽様より直々にお誘いを受けてから参加しています。

東京二本松会は特に歴史研究団体ではありませんが、会員に藩士のご子孫の方もいらっしゃり、毎回色々なお話しを聞かせて頂いています。

総会は丹羽様や新野二本松市長のご挨拶、議事の後、東京女子大の石井信夫教授による「現代日本の野生生物問題」の講演がありました。







講演は毎年二本松出身の方がされるのですが、過去にはセブン銀行会長の安斎隆様などが講演しています。
石井教授は母方が二本松出身との事で、幼少の頃によく若宮にある実家に行っていたそうです。山田という姓であったそうですが、藩士の家に山田姓が多いので、藩士の家だったかお聞きすれば良かったなと少し後悔しています。

講演の後の懇親会では様々な方とお話しが出来ました。
幹事を務めている藤井様は昨年初めてお会いして、藩士の平島家のご出身であるとのお話しを聞きました。平島家は少年隊士の生き残りで自由民権運動家の平島松尾、『二本松寺院物語』の作者平島郡三郎を輩出した家であり、前回書いた佐倉家や浅岡家・渡辺家といった藩士の家と姻戚関係に当たるとの事でした。藤井様からその後様々な資料をご提供して頂きました。

藤井様のご親戚の林様は戦国大名筑紫広門のご子孫で、本家筋は旗本となりましたが、分家が丹羽家に仕官し、二本松藩士となった家柄です。筑紫姓から林姓になったのは先祖の一人がある事件を起こし、筑紫姓を憚り、丹羽公より林姓を名乗るよう命じられたということによるのもと教えて頂きました。林様は以前、国立国会図書館に勤務していたとの事で、その時のお話しなども聞かせて頂きました。

同じく藤井様のご親戚の脇様は日露戦争の際に特務機関として大陸に渡り、命を落とし、報国六烈士と称された脇光三のご子孫で、脇家は彦根藩士でしたが、光三は二本松藩士浅岡家より養子に入っています。若くして亡くなった光三の後、弟が脇家の養子となり現在に続いているとのことです。

監事の崎田様は明治初年に権大参事となった崎田伝右衛門良一のご子孫で、伝右衛門が戊辰戦争の際に帰順論を唱えた事や、伝右衛門が残した『復華日記』の事など、大変興味深いお話しをたくさん聞かせ頂きました。

藩士の家以外にも二本松の町人・農民の家には戦国時代の城主畠山家の家臣の末裔が多く見られます。私の祖母の実家も畠山家の旧臣の家です。また次回も様々な方からお話しを聞きたいと思っています。

総会資料と一緒に貰ったチラシの中に二本松市歴史資料館で10月3日から開催される企画展「二本松市指定の文化財」のチラシがあったのですが、これはちょっと行きたいなと思いました。

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