会員のカトケンです。
東京都の生涯教育の一環で毎年催される「文化財ウォーク」。普段見ることができないものが公開されます。
昨年に引き続き、林羅山以来、代々徳川家のブレインを勤めた林氏墓地へ行ってきました。(新宿区市谷山伏町、都営大江戸線牛込柳町駅から北へ徒歩5分)
現在、数少ない儒葬という埋葬方法をとっており、羅山はまさに土饅頭の上に墓が乗っています。
2代からは奥の右から順番に7代まで。8代術斎(写真)から11代復斎までの4つは細長い奥行きのある石の上にちょこんと墓碑が乗っていて、これらが当時のものを伝えていて貴重だとか。
自分としては、墓碑に刻まれた文字に魅せられ、できるだけ写真に撮って後で解らなくなりそうな文字だけメモしました。
それでも、術斎は2メートルはあるかという佐藤一斎撰文の墓表に両面びっしり文字が刻まれています。
復斎の前には塩谷宕陰による墓表がやはり同じ高さくらいあり、重厚感があります。
さらに11代復斎の長男、林鶯渓墓碑(永井尚志撰)、12代林学斎墓碑(三島中洲撰)が復斎に向き合うように建っていて、ある程度の大きさがあり、見応えがあります。
あとは歴代の夫人や当主にはならなかった兄弟などの墓碑が林立していて、全81基だそうです。11/1~3まで年に3日間しか見られない大変貴重なお墓でした。
東京都の生涯教育の一環で毎年催される「文化財ウォーク」。普段見ることができないものが公開されます。
昨年に引き続き、林羅山以来、代々徳川家のブレインを勤めた林氏墓地へ行ってきました。(新宿区市谷山伏町、都営大江戸線牛込柳町駅から北へ徒歩5分)
現在、数少ない儒葬という埋葬方法をとっており、羅山はまさに土饅頭の上に墓が乗っています。
2代からは奥の右から順番に7代まで。8代術斎(写真)から11代復斎までの4つは細長い奥行きのある石の上にちょこんと墓碑が乗っていて、これらが当時のものを伝えていて貴重だとか。
自分としては、墓碑に刻まれた文字に魅せられ、できるだけ写真に撮って後で解らなくなりそうな文字だけメモしました。
それでも、術斎は2メートルはあるかという佐藤一斎撰文の墓表に両面びっしり文字が刻まれています。
復斎の前には塩谷宕陰による墓表がやはり同じ高さくらいあり、重厚感があります。
さらに11代復斎の長男、林鶯渓墓碑(永井尚志撰)、12代林学斎墓碑(三島中洲撰)が復斎に向き合うように建っていて、ある程度の大きさがあり、見応えがあります。
あとは歴代の夫人や当主にはならなかった兄弟などの墓碑が林立していて、全81基だそうです。11/1~3まで年に3日間しか見られない大変貴重なお墓でした。