
会員のカトケンです。
国史跡 林氏墓地に2度目の訪問をした後、その足でさらに北へ和算家 関孝和の墓に行きました。
場所は、浄輪寺(日蓮宗 常栄山 新宿区弁天町)。牛込柳町交差点から外苑東通りを北へ行くと右手にあります。案内版が境内奥の目的地へ導いてくれます。
墓の傍らに昭和33年に都史跡に指定されたときの記念碑「関先生之墓」が建っています。
さて、そこから外苑東通りを青山方面にひたすら戻り、曙橋で右折。曙橋商店街の中ほど左手に安養寺(浄土宗 清光山 新宿区住吉町)の入口があります。
余り知られていないかもしれませんが、新撰組沖田総司の最期の世話をした植木屋平五郎の墓があります。本堂左手の参道を奥へ進むと、さほど広くない墓域が右手に開けてきます。3本目の道の左から4番目に「柴田家之墓」(写真)とあるのがそうです。
墓誌には「誓誉乗願信士 明治四十五年七月十日 俗名平五郎」とあります。
この平五郎と女優江波杏子との血縁などの詳細は釣洋一著『土方歳三波濤録』(新人物往来社刊)を参照願います。
<訂正>前回の林氏墓地の中で、林鶯渓墓碑を永井尚志撰としましたが、永井は題額の方で、撰文は弟・林学斎によるものでした。謹んでお詫び致します。
国史跡 林氏墓地に2度目の訪問をした後、その足でさらに北へ和算家 関孝和の墓に行きました。
場所は、浄輪寺(日蓮宗 常栄山 新宿区弁天町)。牛込柳町交差点から外苑東通りを北へ行くと右手にあります。案内版が境内奥の目的地へ導いてくれます。
墓の傍らに昭和33年に都史跡に指定されたときの記念碑「関先生之墓」が建っています。
さて、そこから外苑東通りを青山方面にひたすら戻り、曙橋で右折。曙橋商店街の中ほど左手に安養寺(浄土宗 清光山 新宿区住吉町)の入口があります。
余り知られていないかもしれませんが、新撰組沖田総司の最期の世話をした植木屋平五郎の墓があります。本堂左手の参道を奥へ進むと、さほど広くない墓域が右手に開けてきます。3本目の道の左から4番目に「柴田家之墓」(写真)とあるのがそうです。
墓誌には「誓誉乗願信士 明治四十五年七月十日 俗名平五郎」とあります。
この平五郎と女優江波杏子との血縁などの詳細は釣洋一著『土方歳三波濤録』(新人物往来社刊)を参照願います。
<訂正>前回の林氏墓地の中で、林鶯渓墓碑を永井尚志撰としましたが、永井は題額の方で、撰文は弟・林学斎によるものでした。謹んでお詫び致します。
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