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探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

「探墓巡礼顕彰会」の公式ブログです。巡墓会企画の告知など活動報告をしています。

最近の調査

2010-06-09 00:48:07 | 会員の調査報告
会員のクロサカです。
護国寺・雑司ヶ谷霊園巡墓会の下見を兼ねて周辺の寺院を5月22日に調査して参りました。
まず法明寺東墓地です。
ここは、近くの法明寺の別墓地でこちらには、法明寺の塔頭だった寺院の墓地が残されています。
今回のここの調査目標は大乗寺墓地です。
ここで以前調査していたものの再調査が必要となった安藤家墓地と溝口家墓地を調査しました。
安藤家は平藩主で坂下門外の変で襲われた安藤信正の系統です。
歴代の当主の墓碑は、現在杉並区に移転している栖岸院に建造されていましたが改葬され、
現在はいわき市の菩提寺良善寺に現存しています。
しかし歴代のうち三代重博・六代信成のみこちらに埋葬されています。
そして最近安藤信守子爵の墓碑が現存しているとのことで調査したところ小さな夫妻合祀墓
を発見しました。



ちなみに溝口家の墓は幕末の藩主溝口直溥のみがあります。
そして今回の発見はこれだけはありませんでした。
大乗寺墓地の一段下辺りに「桑原雪子」とある墓碑がありました。
裏面にある碑文を読んでみると水戸藩士藤田東湖の妹とありました。
調べたところ水戸藩士桑原信毅の夫人ということが判りました。



そして6月2日水曜日は、大学の講義が夜の6限からということで上高田の再調査をしてまいりました。
上高田にある寺院の殆どが元々からこの地に創建されたわけではなく、
新宿にあった寺院の移転によって形成された寺町です。
都内には、他に寺町として谷中・四谷・高円寺・伊興・浅草などが有名です。
谷中は、江戸前期における寺院移転で神田から移転したものが多いのが特徴です。
四谷・浅草も同じようなものです。
高円寺・伊興に至っては、関東大震災に伴って移転した寺院が多く、
そのため江戸市中外ではあるが現在著名人の墓が多い。

今回紹介する上高田寺院群は、こちらにも多くの著名人の墓があります。
まず向かったのが、宝泉寺です。
このお寺は、多くの旗本や大名の菩提寺とされていたお寺で中村藩主相馬家、福島藩主板倉家、島原藩主松平家などの菩提寺です。
しかし改葬により現存しているのは、島原藩松平家の婦女子・板倉重昌のみです。
こちらでは撃剣館の岡田十松、原城攻めの際の幕府軍司令官板倉重昌、
相馬子爵家分家相馬正胤家、戦国大名朝倉氏一族旗本朝倉家、喰違事件で処罰された九士などを掃苔しました。



その他自証院墓地で岸本鹿太郎陸軍大将・鷹司松平子爵家。
金剛寺で内田百、願正寺で新見正路・正興父子、功運寺で水野重郎左衛門、吉良家、品川家(今川末裔)、永井子爵家(二家)、大関子爵家などを再調査。
天徳院では旗本新庄家、松源寺では旗本小野家、旗本馬場家、荒尾男爵家を発見しました。
高徳寺では沢村国太郎やマキノ智子の墓碑に最近亡くなった南田洋子さんの名前も刻まれていました。
しかし今回再調査を行いましたが荒尾男爵家の発見などまだまだ何か出てきそうな上高田をまた再調査しに行きたいとは思っています。
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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
場所を教えて頂けますか (梶浦愛子)
2017-09-05 15:47:11
こんにちは。
文中にある「大乗寺墓地」の場所を教えて頂けないでしょうか。
実は、桑原雪子は私の高祖父の母にあたります。
雪子は1856年3月に小石川藩邸にて次男・政(私の高祖父です)を出産後、5月から病床に伏し、8月に亡くなったことがわかっています。
これまでは、1861年に水戸で亡くなった夫の桑原信毅と共に水戸・妙雲寺のお墓に入っていると聞いていたのですが、東京にもお墓があったとは知りませんでした。できれば一度行ってみたいと思っております。
どうぞよろしくお願い致します。
返信する
桑原雪子の墓 (クロサカ)
2017-09-07 00:52:35
梶浦愛子様

コメントありがとうございます。
さて、お尋ねの大乗寺墓地の場所ですが、豊島区南池袋3丁目18番地辺りになります。
東京音楽大学付属幼稚園の東に隣接した共同墓地で、墓地に入り左折した奥の高台が大乗寺墓地になります。
桑原雪子の墓は大乗寺墓地へと上がる石段の左側にあります。当ブログに掲載した写真を参考にお探ししてください。
返信する
ありがとうございます (梶浦愛子)
2017-09-07 11:37:39
クロサカ様

ご返信ありがとうございます。
次回上京の折、訪ねてみたいと思います。

この夏久しぶりに高祖父母のお墓参りに行き、それが
きっかけでネットを検索してみたところ、貴ブログがヒットした次第です。
曽祖母や祖父が先祖についていろいろと書き残して
くれているのですが、このお墓については記載が
ありませんでした。思いがけず先祖に繋がるものを
発見することができ、うれしく思っています。
ありがとうございました。
返信する
Unknown (吉盛と申します)
2020-09-26 11:08:39
いつも楽しく拝読させて頂いております。法明寺に大奥年寄り華島なる人の大きな墓石がありますが調べようにも皆目資料がありません。大奥の資料は意図的に廃棄されたのでしょうか。
大乗寺墓地の安藤子爵の小さな墓石は何度も行きながら気がつきませんでした。仙石代々の墓も姿を消しました。井上家の墓石は移転しております。以前ここに墓守の腰の曲がった太ったおばあさんがいて、長く墓守をしているが大名家の墓に詣りに来る子孫は一度も見たことがないと申しておりました。安藤子爵の華族墓とは思えない質素さに驚きました。
上高田は良く行きました。宝泉寺無縁塚の中に旗本宮城氏、塀際の寄せ墓には旗本初鹿野、本郷(安政期一時大名)板倉八右衛門家(大名板倉家の本家、板倉一族から敬意、島原藩家老)の墓石があります。墓石がこの様な形で残されているのは墓地が上高田に移転時、子孫がいたということでしょうね。
探墓巡礼顕彰会様の皆様の御活躍、楽しみでなりません。
返信する
Unknown (クロサカ)
2020-09-26 12:31:59
吉盛様
コメントありがとうございました。
華嶋の墓は何度か確認しておりますが、詳しくは専門外なので分かりません。ただ実家との関係で墓碑があそこに建っていると記憶しております。
大奥の女中は日蓮宗を信仰していた方が多く、池上本門寺にもたくさんの大奥関係者の墓があります。
大乗寺墓地ですが、最近確認に行ってないのですが、友人から安藤家の墓碑が失くなっていると聞きました。確かに何かの書籍で安藤家の子孫の方がいわきの良善寺に改葬したいと話していたと書いているので移転したのかもしれません。
井上家は近くの本納寺と染井霊園にも移されてるはずです。下妻藩だけは国許でしたが。
旗本初鹿野は静岡に子孫の菩提寺があり、こちらも友人が探しに行ったものの、見当たらず、お寺でも聞いたことがないと言われたそうです。江戸時代の初鹿野家の墓石は大宮と見沼の2ヵ所にもありますね。大宮の方は先日調査してきました。
返信する
Unknown (吉盛と申します)
2020-09-27 22:14:52
初鹿野河内守信之(明治四年没)の墓は静岡瑞竜寺にあって駿遠に移住した徳川家臣団3に写真がありますが整理されてしまったという事でしょうか? 
著者の前田匡一郎さんのご案内で静岡のに移住した幕臣の墓所を巡りました。前田さんは膨大な調査ノートがあり前記の本を自費で10巻以上出版されるおつもりで頑張っておられたのですが急逝され残念でなりません。
返信する
Unknown (クロサカ)
2020-10-02 13:43:24
吉盛様
コメントありがとうございます。
瑞竜寺さんです。確かに駿遠~に写真が出ておりますが、友人が見当たらなかったと話していました。
僕も自分の目で見たわけではないので何とも言えません。
返信する

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