探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

「探墓巡礼顕彰会」の公式ブログです。巡墓会企画の告知など活動報告をしています。

小石川、千駄ヶ谷、雑司ヶ谷

2017-09-10 01:04:17 | 会員の調査報告
会員のカトケンです。

先週、先儒墓地の後訪れた場所とともに、昨日の訪問先も報告したい。

まずは鷹匠町にあった高橋泥舟・山岡鉄舟・大久保昌次郎寓居跡へ(=写真)。



高橋・山岡までは解説にあるが、大久保までは誰も指摘しない。高橋の叔父で義弟と知ってか知らずか。だから、ここは親類三家が並んで住んでいたことになる。

今ではこの辺は播磨坂の桜が春に咲いてきれいだそうで。

次に極楽水を確認し、久しぶりの宗慶寺。例の茶阿局の墓あり。
小弟はやはり野口勝一の記念碑が好きである。

そこから通ったことのない伝通院の裏側を下っていき、小川笙船宅跡へ(=写真)。ここから小石川養生所へ通っていたことが偲ばれる。



何処かで見たことがあると思ったら、以前伝通院巡墓会が終わって、今の山門から降りてきた場所だった。ここは昔の伝通院の裏門通りに当たる。

そうすると、昔の山門は今の春日通りの辺りにあったということにならうか。

その日は外国奉行 堀織部正の墓のある源覚寺に寄られなかったが、また次の楽しみにとっておこう。真砂図書館で少し調べものをして帰った。

昨日は柴野栗山撰文の墓のある千駄ヶ谷瑞圓寺へ。本堂右手にある大きな「故一橋府儒員沖(正しくは中の下に皿)齋先生久保仲通墓」(=写真)



この人も栗山同様讃岐の人である。
これは高松の続き。現地で丁重にご案内いただいた先生の宿題の確認だ。

早速報告の手紙を書かねばならないが、写真がフイルムだけにいつ出来上がるか。な~んて、結局スマホで撮ってもプリントの仕方が解らないだけであるのだが。

高松でお話しした内容を思い出しながら手紙の文面から書き出そう。いろんな場所をめぐっていただいたお礼として。

そして締めくくりはずいぶんご無沙汰した雑司ヶ谷霊園。副都心線ができたお陰で「北参道」から一本で行けるのだ(雑司ヶ谷下車)。

探したいものはあるのだが、やはり思い入れのある場所ばかり訪れてしまう。小川笙船はもちろんのこと、坂崎紫瀾、岩瀬忠震、小栗上野介。

道路沿いにある土岐家之墓の墓誌を初めて見た。かなり詳しく刻まれている。これもいずれ先祖研究の一環とならう。やや家紋が本当に桔梗かと疑いたくなるものだったが。横に一柳家の墓があったのも何かの縁かもしれない。

今日は成島柳北家の墓を集中調査。やはり、解読困難なくずし字(ひらがな)と闘う破目になったがそれも一興。墓に刻まれた字句を整理して残しておきたいものだ。

夢中になって蚊には刺されるは、汗だくになるはで散々な目に遭いながら、それでも良い汗をかいたと池袋駅までの道を軽やかに、帰途についた。

ただ一つ、以前クロサカ幹事に教わった無量院から移した墓群のエリアといわれる場所が見つからなかったのは悔しいが、これも次回の宿題としやう。
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探墓巡礼顕彰会では11月12日(日)に第15回巡墓会「大圓寺・豪徳寺巡墓会 「直虎」から「西郷どん」へ~幕末明治を彩る薩摩・彦根の群像~」を開催します。
詳しくは下記開催要項をご覧下さい。
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