『地水火風空』

【TamuraTech Japan】のブログ

2016.7.6 『滋賀・京都プチ見参!』 その2

2016-07-20 | 神社おそうじ隊 2016
  
『大将軍神社』(東山)

 
『大将軍神社』(北区・西賀茂)



『御靈神社(上御霊神社)』

平安遷都に際し、延暦13年(794)桓武天皇が平安京の守護として崇道天皇(早良親王)の御神霊を祀ったのが起源とされ(詳細は不明)、その後仁明、清和天皇時代をへて7柱が合祀。
現在の祭神は、

崇道天皇(早良親王。光仁天皇の皇子)
井上大皇后(光仁天皇の皇后)
他戸親王(光仁天皇の皇子)
藤原大夫人(藤原吉子、桓武天皇皇子伊予親王の母)
橘大夫(橘逸勢)
文大夫(文屋宮田麿)
火雷神(以上六柱の荒魂)
吉備大臣(吉備真備)

御霊信仰、古来より疫病や災厄除の霊社として知られる。



『下御霊神社』

当社は平安時代に冤罪を被り亡くなられた貴人の方々の怨霊を御霊(ごりょう)として、その当時からお祀りしてまいりました神社です。疫病災厄を退散し、朝廷と都をお守りする神社として崇敬されてきました。
(「下御霊神社」ウェブサイトより抜粋)

御祭神

本殿
 吉備聖霊(きびのしょうりょう)
 崇道天皇(すどうてんのう)     皇太子 早良親王(さわらしんのう) 桓武天皇同母御弟
 伊豫親王(いよしんのう)         桓武天皇皇子
 藤原大夫人(ふじわらのだいふじん)  桓武天皇夫人 伊豫親王御母 藤原吉子
 藤大夫(とうだいぶ)            藤原廣嗣(ふじわらひろつぐ)
 橘大夫(きつだいぶ)           橘逸勢(たちばなはやなり)
 文大夫(ぶんだいぶ)           文屋宮田麻呂(ぶんやみやたまろ)
 火雷天神(からいのてんじん)

相殿

 霊元天皇(れいげんてんのう)


「御靈神社(上御霊神社)」「下御霊神社」とも、創建年代は明らかではないのですが、しかし、どちらも中世以来朝廷や貴族の崇敬が厚いことで知られています。
「御霊信仰」という言葉が日本にはありますが、この両神社は、まさにその「御霊」を「御霊」として祀る神社です。
京都の夏の祭りは、多くが「御霊会(ごりょうえ)」です。
華やかに、賑やかに、出店がたくさん出て、夏の風物詩で…というのは、あくまでも「祭り」の表面に過ぎません。
そうすることは、本当は何が目的であるのか・・・「御霊会」という言葉には、その意味が示されているように思います。




『平野神社』

式内社 官幣大社

平安京遷都頃まで創建が遡るとされる神社で、近年の研究によると、元々は桓武天皇生母の高野新笠の祖神(桓武天皇外戚神)として平城京に祀られた神祠であったが、それが平安京遷都に伴って大内裏近くに移し祀られたことに始まると推測されている。古代には皇太子守護の性格を持ち、平安時代には例祭「平野祭」において皇太子自らにより奉幣が行われた。また、多くの臣籍降下氏族から氏神として歴史的に崇敬された神社としても知られる。(Wikipedia)

【御祭神四座】
今木皇大神(いまきすめおおかみ) 源気新生、活力生成の神
久度大神 (くどのおおかみ)    竈の神、生活安泰の神
古開大神 (ふるあきのおおかみ) 邪気を振り開く平安の神
比賣大神 (ひめのおおかみ)   生産力の神

創建当時は1.5Km四方と、御所に匹敵する広大な境内を誇っていたといいます。
現在は東西で200メートル前後だということですが、それでも相当に広いのは事実。
全国的に「桜の名所」として有名で、毎年4月に桜花祭(桜祭神幸祭)が行われています。



京都の中心部を駆け足で巡拝したカタチになりました。
この日も、ご一緒いただいた皆様、本当にありがとうございました

京都(みやこ)は、やはり「都」です。
いづれじっくり、腰を据えて、巡拝したいと、思います