極私的デンデケデケデケ

音楽との出会いからバンド活動を辞め、社会人になるまでをつづっております

洲崎パラダイスと「洲崎パラダイス赤信号」

2020-12-29 13:53:02 | Weblog
洲崎および「洲崎パラダイス」と言っても最近の若者にはピンと来ないかもしれないが、
私は大学生の頃からはピンと来ていた。

簡単に言えば、遊郭があったところである。今はネットで簡単に調べられるので
興味のある方は調べてください。

2003年から深川木場に住んでいて、洲崎パラダイスのあった東陽町は隣町。歩いて
行ける距離にある。バドミントンでよく利用する江東区立南陽小学校は洲崎パラダイスの
エリアのすぐ脇にあり、私はかつては運河だった洲崎川の跡地の遊歩道を通って、小学校に
行く。いつも、ここに昔は(1958年までは)遊郭があったんだなあ、と思う。

洲崎パラダイスがあったエリアは全体を運河で囲まれていたので、(一部の運河は残っている)
境界線がよくわかる(高低差、提がある)。洲崎パラダイスのエリアはその後埋め立てが
進められたエリアに比べて、やや低い。

そしてなぜか一帯はとても静かである。


今回 ネットでいろいろ調べている内に、川島雄三監督の「洲崎パラダイス赤信号」を知り、
珍しくDVDを買ってしまった。映画の中では洲崎パラダイスは「洲 パラダイス 崎」という
ゲートしか出てこないが、新玉三千代、芦川いづみが好演していて、とてもいい映画です。

日活ロマンポルノ、神代辰巳監督の「赤線玉の井 ぬけられます」は観ているのに、学生時代
に見逃していた。不覚。

洲崎パラダイスについては速水健朗、「洲崎パラダイス赤信号」については佐藤利明の
文章をどうぞ。




現在の地図



洲崎パラダイスを重ねる。下(南方向)は未開拓で海。



OGPイメージ

速水健朗の文化的東京案内。【深川篇③『洲崎パラダイス 赤信号』】

80年代のドラマ『男女7人夏物語』とウォーターフロント開発についてを語り、さらに90年代の東京都現代美術館(都現美)開館当時の様子やブルー...

Pen Online

 


https://note.com/toshiakis/n/na35c554e3244">

                                  昭和33(1958)年4月1日。売春防止法が施行され、赤線の灯が消える...

width=device-width,initial-scale=1.0,minimum-scale=1.0, maximum-scale=1.0">

 

佐藤利明「須崎パラダイス赤信号」
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 気球とはやぶさ2 | トップ | ミニマリスト »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事