先日の玉川上水の散策は、上水の遊歩道だけを歩いたわけではなく、途中で寄り道をしました。
新堀用水にかかる小さな木の橋を渡り、朝鮮大学の門の前を通って、北に向かいました。
やがて現れたのは、武蔵野美術大学です。
大事そうに建物の模型を抱えた3人の学生さんが門から出てきました。
美大を通り過ぎると、あたりは関東ローム層の赤土の畑になります。
冬から春は強風に赤土が舞い上がり、空まで茶色に染まるモノクロームの風景が広がります。
小平は富士山の火山灰に覆われた痩せた土地だったそうですが、玉川上水が出来たことによって、用水を引き、畑を開墾したそうです。
その大事業のリーダーだった小川九郎兵衛という人のお墓があるのが小川寺(しょうせんじ)です。
赤土の畑の先に、小川寺と墓地が見えてきました。
のどかな田舎の風景の中のあちこちに新しい家が立ち並びます。
小川新田は今、畑が減り、どんどんマンションや建売住宅に変貌しています。
可愛らしいおうち この風景だけ見ていると、アメリカに来たのかと思ってしまいますね。
畑の間を流れるのは、玉川上水から引いた小川用水です。
山門が青梅街道に面している小川寺(しょうせんじ)に着きました。
小川寺は350年ほど前の開山のようですが、山門は昭和37年に新築されたそうです。
本堂も古い建物は焼失しているので、新しくてりっぱです。
謂れのある梵鐘などもあり、お庭も綺麗に整えられています。
小川寺に向かい合うように存在するのは、小平神明宮です。
入口は狭いのですが、参道は100メートル余りも続いています。
ここにも、小川新田を潤した小川用水が流れています。
右側は小平神明幼稚園なので、ちょっとばかり賑やかですね。
りっぱな本殿にお参りさせていただきました。
新堀用水にかかる小さな木の橋を渡り、朝鮮大学の門の前を通って、北に向かいました。
やがて現れたのは、武蔵野美術大学です。
大事そうに建物の模型を抱えた3人の学生さんが門から出てきました。
美大を通り過ぎると、あたりは関東ローム層の赤土の畑になります。
冬から春は強風に赤土が舞い上がり、空まで茶色に染まるモノクロームの風景が広がります。
小平は富士山の火山灰に覆われた痩せた土地だったそうですが、玉川上水が出来たことによって、用水を引き、畑を開墾したそうです。
その大事業のリーダーだった小川九郎兵衛という人のお墓があるのが小川寺(しょうせんじ)です。
赤土の畑の先に、小川寺と墓地が見えてきました。
のどかな田舎の風景の中のあちこちに新しい家が立ち並びます。
小川新田は今、畑が減り、どんどんマンションや建売住宅に変貌しています。
可愛らしいおうち この風景だけ見ていると、アメリカに来たのかと思ってしまいますね。
畑の間を流れるのは、玉川上水から引いた小川用水です。
山門が青梅街道に面している小川寺(しょうせんじ)に着きました。
小川寺は350年ほど前の開山のようですが、山門は昭和37年に新築されたそうです。
本堂も古い建物は焼失しているので、新しくてりっぱです。
謂れのある梵鐘などもあり、お庭も綺麗に整えられています。
小川寺に向かい合うように存在するのは、小平神明宮です。
入口は狭いのですが、参道は100メートル余りも続いています。
ここにも、小川新田を潤した小川用水が流れています。
右側は小平神明幼稚園なので、ちょっとばかり賑やかですね。
りっぱな本殿にお参りさせていただきました。