タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

大所高所から

2020年10月15日 | 日々雑感
大所高所からものを見るように、、、、大所高所に立ってものを考えるように、、、、、

タカ長がいつも言われていたことです。

     

この言葉をもらったのはタカ長の母校、中学校の校長先生からです。と言っても、タカ長が卒業した後に赴任されたので、中学校で指導を受けたわけではありません。

青年のころタカ長は地元選出県会議員の後援会に属していました。先生は後援会の幹部でタカ長は「青年部長」。その関係で何かと話すことが多かったのです。

先生は小学校時代の同級生のお父さんでもありました。そのこともあってタカ長に目をかけて下さったのだと感じています。

その時いつも聞かされたのが、大所高所に立って、大所高所から、、、、、、。

タカ長の出来が悪かったのでこのような指導を受けていたのでしょうが、年を経るに従いこの言葉の重さを実感するようになりました。さすが先生の指導です。

    

世の中「日本学術会議」の問題で騒いでいます。お蔭さまでタカ長も日本学術会議のことが少し分かってきました。

その報道ですが、新聞テレビで見るかぎり、要するに政権批判の方向からだけの状態です。どんなにひいき目に見ても、大所高所からものを見て報道しているところは無いようです。

どちらが卵か鶏か分かりませんが、それに乗って色めき立っている野党も野党。大所高所からものを見て追及しているとはとても思えません。タカ長に言わせると、能力がないことを声高に叫んでいるだけ。

任命拒否と言うエサをまいて騒がせておいて、その陰で自分たちのやりたいことをやる。そうすればコロナ問題や外交など重要案件を追及される時間も無くなる。
そのような政権の思惑に野党ははめられている、とタカ長には思えるのですが、、、、、、。

    

モリカケサクラのように、騒ぐだけ騒いで、それだけで終わってしまうような???

タカ長が「山の先生」だと思っている伯耆大山は、「伯耆富士」とも言われています。米子市の方向から見ると富士山のように見えるのでそのように命名されたのでしょうが、、、、

    

元谷から見ると岩の壁。あの雲の中の稜線は通行禁止になっているほどの狭い尾根で、伯耆大山が富士山のように易しい姿を見せるのはある方向から見た時だけです。別の方向から見ると厳しい姿をしています。

要するに一つの方向から見るだけでは全体が見えないと言うことです。これは山の姿に限ったことでないことは言うまでもないことです。

福沢諭吉風に言うと、私たちが一つの方向からしか物が見えない愚民でいるかぎり良い政治は期待できない、と言うことになります。

そのように考えると、先生から指導された言葉の重さをあらためて感じます。