このブログの始めは2005年7月2日からでした。
今日で丁度満9年になります。
休憩したり、ズル休みしながら、
時間だけは9年を数えました。
ダラダラしたこのブログに比べたら、
てつまんさんの毎日更新はノーベル賞ものです。
ところでこのブログのスタイルは6年以上になります。
情報中心になった時期は経営していた会社をたたみ、
サンデー毎日になって、
特にバイク(大和路号)で走るようになってからが
情報量が増えたようです。
同じようなな所を4年間も走り続けると、
目新しさもなくなり、
このブログの役目も終わったようなものです。
撮影情報を中心にしてからは読者が徐々に増え、
今は毎日、700人越え、アクセス数2,000越えになっています。
これも曲がりなりにでも9年続けたおかげだと思っています。
この夏休み中に自身の顔をじーっと見つめると
凄く歳とっている自分を発見しました。
終末に向けてソロソロ準備しなければ、と思うようになりました。
夏休み中、撮影には橋本院にだけ一回だけ行きました。
ブログは止めませんが今までとは少しだけ違ったようなものになりそうです。
集団的自衛権の問題が大変なことになって来ました。
憲法9条は骨抜きになりました。
2014年7月1日は公明党が公明党でなくなった日です。
何年か後には2014年7月1日は特別な日になっているかもしれません。
高天が原



橋本院



九品寺
今日で丁度満9年になります。
休憩したり、ズル休みしながら、
時間だけは9年を数えました。
ダラダラしたこのブログに比べたら、
てつまんさんの毎日更新はノーベル賞ものです。
ところでこのブログのスタイルは6年以上になります。
情報中心になった時期は経営していた会社をたたみ、
サンデー毎日になって、
特にバイク(大和路号)で走るようになってからが
情報量が増えたようです。
同じようなな所を4年間も走り続けると、
目新しさもなくなり、
このブログの役目も終わったようなものです。
撮影情報を中心にしてからは読者が徐々に増え、
今は毎日、700人越え、アクセス数2,000越えになっています。
これも曲がりなりにでも9年続けたおかげだと思っています。
この夏休み中に自身の顔をじーっと見つめると
凄く歳とっている自分を発見しました。
終末に向けてソロソロ準備しなければ、と思うようになりました。
夏休み中、撮影には橋本院にだけ一回だけ行きました。
ブログは止めませんが今までとは少しだけ違ったようなものになりそうです。
集団的自衛権の問題が大変なことになって来ました。
憲法9条は骨抜きになりました。
2014年7月1日は公明党が公明党でなくなった日です。
何年か後には2014年7月1日は特別な日になっているかもしれません。
高天が原



橋本院



九品寺

自国の領土を他国の軍隊に貸している国が他にあるかどうかは知りません。
そういう意味では沖縄は既に集団的自衛状態ではないでしょうか?
憲法は解釈で変わるものでは無いはずです!
まずは国民投票で憲法改正が先でしょう。
サイレントマジョリティばかりですから、やりたい放題です。
さて、和尚さんと知り合った頃は四輪でしたから、もう何年前かな~
集団的自衛権は、皆さんお好きな国連さんの憲章でも認められている権利でありますし、それでなくとも独立国家なら当然個別自衛権とともに有するものでしょう。
公明党にしても野党にしても、国政に参画する政党が「慎重に」だとか「時間を掛けて」などと言っていますが、この期に及んで今さら何をか況んやです。国家安全保障を何も考えていなかったOR某国への阿世の徒であることを自白したのも同然であり、無責任の限りです。憲法があるからといって、侵略され領土も国民も蹂躙されてもなすがままになっていましょうというのは、国が滅びるのを傍観することであり、祖国や子や孫に対する裏切りでありましょう。それでも憲法の方が大事と言えるでしょうか。
和尚さんとそのご意見に賛同する方に申し上げます。戦後教育の欺瞞に気づき、一日も早くそれから脱却して頂きたい。
政治の問題は一筋縄では行きません。
三筋縄ぐらい要ります。
短絡的にものを考えるのは楽ですが現象をゆっくり見つめましょう。
「和尚さん、それは違うでしょう。」の意味がわかりません。
私は現象を言ったまでで、正しいかどうかわかりません。
補足するならば公明党は“平和の党”と言っていましたのでどうしたのかなとの疑問です。
集団的自衛権の問題は歴代の内閣が憲法上行使出来ないといっていたが50年以上も経ってなんで急にとの思い。
もし法案が通れば9条は骨抜きになるでしょう。
国際情勢の変化などありますがそのことはここでは考慮に入れていません。
次にあなたの意見。
全くその通りです。正しいのです。
だから困るのです。
自分の意見を言えば必ず矛盾が出て来ます。
政治の世界では少数意見も多数意見も正しい。
だから多数決があるのでしょうが。
広島原爆資料館に2回行きました。
高校の時に行った時よりも40過ぎて行った時の印象の方が大きかったです。
その後長崎にも行きました。
どんな理由であれ戦争の犠牲は惨いものです。
希望としては殺される側の論理に立ちたいと思います。
どうのこうの言いながら大したことは言っていません。
なるようにしかなりません。