和尚の大和路

和尚が撮った大和路写真を中心に、
旅で見つけた写真なども・・・

蝋梅(ろうばい)

2011-01-30 20:20:22 | カメラ
こんな寒い日は
目的を持って撮影しなければやってられない。
明日香の蝋梅(ろうばい)に決めました。
おそらく今が一番いい時期かもしれません。
目的地には10時前に着きました。
花が陽に照らされるまで1時間くらい待ちました。













栢森の雌綱


柿の木


高取から吉野口に入り
巨勢の道を走りましたが
収穫はありませんでした。
ただ、寒かっただけです。

吉野川分水2

2011-01-29 22:12:28 | カメラ
和尚が堺に住んでいた時にお世話になった
泉ヶ丘の寿司店のオヤジさんが亡くなりました。
ご冥福をお祈り致します。

話は分水の続きです。

吉野川は水量の差が大きい川です。
日本有数の多雨地域台高山脈を抱えながらも、
渇水時には紀ノ川流域の水不足が生じる不思議な川です。

吉野川分水はただ単に吉野川の水を
大和平野に流すだけでなく、
吉野川(紀ノ川)流域の水需要をも満たすものであるはずです。
そのために津風呂ダムや大迫ダムが出来ました。
熊野灘に流れる十津川水系の猿谷ダムの水を
吉野川に流すこともしています。

さて大和平野への取り入れ口は
中吉野警察の真ん前にある下渕頭首工からですが、
吉野口駅近くまで導水管が通じています。
東西分水工といいます。
東西分水工から西部分水と東部分水に分かれます。

東西分水工


西部分水は御所市、葛城市、香芝市、河合町へと流れています。

東部分水は御所市、高取町、明日香村、桜井市、天理市へと流れています。

水路は本来、緩やかなこう配で続いて行くものですが、
山あり、谷あり、住宅地ありで、一筋縄でいきません。

ここでは4つの水路で構成されています。
開渠、暗渠、トンネル(隧道)、サイホンが
組み合わされて続いています。

開渠・・・平地を掘り起こして水路を作る。


暗渠・・・小さな起伏のある所をオープンカットで水路を作り
     後で埋めた所。


トンネル(隧道)・・・オープンカットが出来ない所をトンネルにする。


サイホン・・・住宅地や谷越などで緩やかなこう配のとれない所。


このような所を歩きながら風景写真も撮ります。








     

吉野川分水1

2011-01-28 04:29:00 | カメラ
今、和尚は期間限定で
吉野川分水にかかわる仕事をしています。
吉野川分水をもっと一般に知ってもらうべきある企画の一部を
地図を通して調査をしています。
吉野川分水の地表に現れた部分を
畦道を踏みながら写真などを撮っています。

大和平野は古来から水不足に悩まされて来ました。
『大和豊年米食わず』と言われて来ました。
大和平野が豊作であれば、
他の地区(大和平野以外)が水害に悩まされ、
凶作になるという意味です。
逆に言えば他の地区(大和平野以外)が豊作であれば
大和平野は干ばつに悩まされることになります。

そこで大和平野の人々が目につけたのが
吉野川(紀ノ川)の水利用です。
具体的には吉野川の水を分水して大和平野に引く(流す)ことです。
この計画は江戸時代の元禄年間から始まり、
300年を経て実現しています。
具体的な計画は戦後間もない頃からで、
完成まで40年近くかかっています。

現在の大和平野の生産は
この吉野川分水と切っても切れない関係にあります。

大和路撮影が出来ていないので、
当分この吉野川分水のお話を続けたいと思います。

次回は吉野川分水がどこに流れているかを
実踏を通じてお話しします。


下渕(大淀町)頭首工(水の取り入れ施設を頭首工〈とうしゅこう〉といいます)


取り入れ口

黄色のところから大和平野に引いています。


ある情報

サクラで有名な永久寺跡です。
埋め立てていますが、全部は埋めないそうです。

退会

2011-01-24 17:46:17 | カメラ
誠に個人的な話ですが
今まで属していた日本山岳写真協会関西支部を退会することになりました。
ここ3年ほどは役員でありながら、
会の運営に顔を出すことはありませんでした。
迷惑のかけっぱなしでどうしょうもありませんでした。
山に登らなくなって10年ほどになりますが、
山岳写真のメンバーとしては恥ずべきことでしした。

昨日の役員会でやっと退会を認められました。

今、撮影は大和路にシフトを移しています。
奈良県外に出ることは少ないと思いますが、
何卒よろしくお願い致します。
役員及び会員の皆さん、
長い間ありがとうございました。

大阪に出たついでに
富士フォトサロン大阪(本町)に行きました。

松藤昌子写真展「蓮華微笑」〈無料〉が開催されております。
蓮の一年を通した美しい写真展です。
1月27日(木)〈10時から19時 最終日は14時〉までです。
お近くにお出かけの折にはご覧になって下さい。

同じような写真で申し訳ありませんが、
若草山山焼き

この合成は全く画角の同じ2枚をカメラの内部で重ねたものです。

若草山 山焼き

2011-01-23 10:02:36 | カメラ
昨22日に
奈良の若草山山焼きが行われました。
大池からの撮影は昨年を最後に
後10年ほどは撮影出来ないと思っていましたが、
塔の修理の遅れと1300年祭のおかげで
今年も場所を提供してくれました。
(東塔の修理を気にしなければ、いつでも撮影出来ます)

和尚はいかるが3塔を撮りながら、
大池にたどり着きました。

マァ人の多いこと!
病院の敷地まで埋まっています。
今年初めての人の多い所での撮影なので、
写真での知り合いとは今年の初顔合わせです。
10数人の人と挨拶をしました。
おそく行ったので場所がなく、
「ここでどうぞ!」と声をかけていただきありがとうございました。

また、上高地時代の写真仲間の
愛知県常滑市の福田さんにも偶然会いました。

法隆寺


法輪寺


法起寺


薬師寺


山焼き(花火)


山焼き



これは合成です。

身の回りの変化

2011-01-18 08:26:07 | カメラ
年が明けてから
和尚の身の回りの変化が少しありました。

ダイエットで始めた夕刊の新聞配達を
1月16日で辞めることになりました。

1年半続きましたが、
休んだのが、甥の結婚式の一日だけでした。
新聞配達が嫌いで辞めた訳でもありません。
以前、
新聞の販売店が替わったことは書きましたが、
そこでの労働条件が余りにもばかばかしいので、
いつ辞めるか狙っていました。

昨年の暮れに
ウォーキングマップ製作の仕事をしないかとのお誘いがありまして、
短期間であるけれども、
“渡りに舟だ”とOKを出しました。

昨日が新しい仕事の打ち合わせでした。

週休2日制なので、
平日にカメラを持ってウロウロ出来ないのですが、
冬の一番写真になりにくい時期なので、
ブログの方を休みがちにします。

今日は事前調査のため、
奈良平野の南半分の役所回りと
道路調査にいきます。

弥勒石

冬日

2011-01-17 09:21:45 | カメラ
昨日の積雪の天気予報で
一旦、家を出てみましたが、
香芝から見る明日香の方に雪がある気配がありません。
吉野から五條にかけては厚い雪雲に覆われています。
葛城山の上の方にうっすら積もっているだけです。
仕方なしに、山麓線の冬の風景を探しました。

二上山


竹之内街道の旧旅籠


竹之内街道


お地蔵さん


當麻の塔


日なた


孤独杉


孤独杉裏から


あまりの寒さに帰りました。





とんど(左義長)

2011-01-16 20:49:51 | カメラ
1月14日は各地でとんど(左義長)が行われていました。
大和路でも14日に行われた所が多かったようです。
夕方5時から6時にかけて点火されます。
香芝のある地区では
成人の日の午前中に行われた所もあります。

和尚は明日香村の飛鳥地区のとんどに行きました。


時間まで甘樫丘にいました。

飛鳥地区


岡寺の三重塔


甘樫丘より


入鹿塚


とんど








午後6時点灯でした。
せめて午後5時半なら甘樫丘も写り込んだでしょう。

初めての道

2011-01-13 07:04:50 | カメラ
稲渕の綱掛神事には
四六時中張り付いていた訳ではありません。
お昼の2時間ばかりの間、
桜井市内の通ったことのない道を走りました。
地図を持たないので、
字名などわかりません。

遠くに若草山の見える場所に来ました。


二上山の見える場所に来ました。

ススキの美しい時はいいだろうな。

ある民家


耳成山が見えます。


以下、いつもの道

八釣のロウバイはこんな感じです。

二上山を入れようとするには脚立が要ります。

大根畑



朝風峠

2011-01-12 06:08:20 | カメラ
明日香村稲渕から平田に抜ける旧道に朝風峠があります。
案山子ロードを進んで行くと
小さな切り通しに出ます。
そこが朝風峠です。
いつ通ってもいい名前の峠だなーと思います。

朝風峠

奥に見える集落が稲渕です。

ここから稲渕の棚田を眺めると
稲渕への道は
平田に通じるこの道と
細川谷から南渕山?の裾をまく道の2つあることがわかります。
勧請橋から立部に抜ける道は
元々あった道かどうかわかりませんが、
新しく出来たパイパスでしょう。
(このことは後で地元の人に聞いてみます)

どうしてこんな事を書き出したかと言うと
昔の人はどこを通って稲渕にやって来たかを
想像したからです。

遣隋使南淵請安は朝風に住んでいたとも聞きました。
お墓も朝風にあったらしいが、
今は龍福寺の傍の丘にあります。

展望台からの稲渕


展望台からの細川谷

細川谷は石舞台のあるところです。

今、この朝風峠を通る人は少ないです。
ハイカーは展望台から
祝戸に抜ける遊歩道を通ります。