和尚の大和路

和尚が撮った大和路写真を中心に、
旅で見つけた写真なども・・・

ついに!

2011-05-31 01:07:14 | カメラ
よくない“ついに”です。

明日香細川棚田の撮影ポイントです。
立ち入り禁止の札が立ててありました。
上の段、下の段の両方共です。
立ち入る時には地主の許可が要るということです。
状況を判断して、入れるギリギリのところから撮ってみました。(下の段)


道からです。(上の段)

この時、天理のM川さんがいました。
撮影は久しぶりとのことで、軽快にシャッターを切っておられました。
和尚と同じ道路からです。

下の段では立て札にもかかわらず、
5、6人が中に入っていました。
(許可をもらったかどうかは聞いていません)
知った人はいませんでした。

飛び石

これを見て、頭に浮かんだのは
今年もホタルはダメなのか?です。

おふさ観音のバラは全滅でした。
一輪ぐらいあるだろうと探しましたが・・・。

これだけです。

多武峰


宮奥ダム


電車(今回は電車をブラしてみました)




室生


とある場所で八尾のKさんに会いました。

伊勢本街道9(最終回)

2011-05-30 06:24:46 | カメラ
伊勢本街道もやっと最終回になりました。

前回の津留の渡し辺りからは暗くなりはじめて、
懐中電灯が必要になって来ました。
懐中電灯は長時間はたらくLEDです。

地図を頼りにひたすら歩くだけです。
距離は稼げるものの、キョロキョロする楽しみがなくなります。
伊勢自動車道も過ぎ、仏足石を右に多気町に入ります。

ピンボケの仏足石


相可高校前のバス停で休憩しながら明日の行動をめぐらし、
午後8時を過ぎたので、宿泊地をどこにするか思案します。
相可高校と言えば
先頃始まったドラマ「高校生レストラン」のモデル校です。
相可には紀勢本線の駅があるはずです。
相可の道標を過ぎて、相可駅へまっしぐらです。
(街道ルートから少し外れています)

相可の道標


午後8時半に駅に着き、寝場所を探します。
テントがないので、屋根のある場所の方がいいです。
無人駅なので駅舎は小さいです。

ブルーシートを敷いて、シュラフに潜り込みます。
枕はザックです。まさにホームレス風です。
今日はよく歩きました。40kmぐらいでしょうか。
足は痛くはありませんが、筋肉痛の予感があります。

翌朝3時頃に目が覚めました。

ジワーッと筋肉痛が押し寄せて来ます。
足まめの様なことはありません。
今日の歩きは20kmぐらいです。
起きて食事をする訳でもなく、
早いですが歩きはじめます。

景色を見るでもなく、地図どおりに進むだけです。
本来なら明るい時にゆっくり歩けば楽しいでしょう。
小さい山越えを暗いうちに通り、
やっと田丸の城下町で明るくなって来ました。

田丸から宮川まで6kmほどです。

尾崎行雄記念館の横が宮川の柳の渡しです。

尾崎行雄記念館


柳の渡し

下流にも参宮街道からの桜の渡しがあります。
柳の渡しと言えば吉野川にもあったはずです。
近鉄吉野線六田駅付近。

宮川を越えれば2kmほどで外宮です。
灯籠などに両宮と書いていますが、
両宮とは外宮(豊受大神宮)と内宮(皇大神宮)のことです。
古いのは天照大御神を祀る内宮です。

外宮


外宮からは4大遊廓のあった古市を通って内宮に向かいます。
4大遊廓とは江戸の吉原、京の島原、浪速の新町と古市です。
面影はほとんどありませんが、
のちに旅籠となった麻吉旅館が今でも存在しています。
麻吉旅館




途中の公園でコンビニで買った弁当を食べて、
ゆっくりし(1時間くらい)、
汗まみれの下着を替えて、内宮参拝に備えました。
猿田彦神社を通って、おかげ横丁から宇治橋の前に出ます。
猿田彦は倭姫命が天照大神の安住の地に伊勢を決めた時に
地ならしをした地元神です。

おかげ横丁といえばこの3店でしょう。
赤福


岩戸屋


虎屋


宇治橋


五十鈴川


外宮に比べて人が多い


内宮

午後0時に合わせてゆっくり歩き、参拝をすませました。
香芝から歩いてきたんだという特別な感慨は
ありませんでした。
撮影の途中で三輪さんに参るのと同じ気持ちでした。

こうして和尚の歩いてお伊勢参りが終りました。

今回の旅 伊勢本街道
出発地 大和高田市大中公園
目的地 伊勢神宮内宮
2回に分けて6日間(厳密には5日間)
 使用地図 
◯伊勢参宮本街道行程図(玉造稲荷神社)
◯大和高原「宇陀の難所を行く」(宇陀市・曽爾村・御杖村)
◯三重の歴史街道の伊勢本街道の地図をダウンロード
カメラ コンパクトデジカメ クールピクスP60(乾電池式)


伊勢本街道8

2011-05-29 01:35:22 | カメラ
飼坂峠からは多気宿に下りて行きます。
旧美杉村上多気は南北朝時代から戦国時代にかけて
北畠氏の本拠があったところで、
谷町、町屋は街道の雰囲気が色濃く残っています。
峠からは15分ほどで谷町に着きます。
家の構えからして洗練された風が感じられます。










谷町


谷町の辻


この看板はよく見ます。


町屋


農家民宿


中心部をすぎると六部供養碑がありました。



サカムカエ場を過ぎたら、
櫃坂峠に向けてほぼ国道を歩くことになります。
サカムカエ場は伊勢講の当番を送り迎えする場所で
子供たちは伊勢土産を大いに期待したと言います。
櫃坂峠までは1.5車の国道が続いているので、
難所の感じがしません。




国道から分かれて1.5kmの下り道です。平坦地に出て約500mで国道と合流です。




仁柿川に沿ってかなり下りますが、
奥津や多気で見たような街道の雰囲気は味わえません。
道しるべも少なくなったように感じます。

石積みの美しい田がありました。


国道から少し離れたところに光悦の碑がありました。


しばらくして横野に着きます。
横野は和歌山街道との合流点でもあります。
国道も166号と合流します。
川も櫛田川になります。
柿野神社で靴を脱いで休憩していると、
下校時間と重なって、児童が「ただいま」と挨拶をしてくれます。
「こんにちは」は多いのですが「ただいま」ははじめてでした。

大石宿の道標は庚申堂の石垣に組み込まれています。


国道を出たり、入ったりしながら、東へと進みます。
いつしか国道166号とも分かれ、津留の渡しに近づきました。

津留の渡しも難所の一つですが、
今は難所でもなんでもありません。
橋がなかった頃で、大水が出ると
渡しが中止になるのです。
その中止の判断が“はかり石”です。
水がはかり石を越えたら中止です。
写真では中央の石です。


ここらあたりであたりは薄暗くなって来ました。
今日どこで寝るかは決めていません。
体力のあるうちに少しでも先に進もうと決めていましたので、
懐中電灯を手に進みました。
したがって写真が撮れませんので、
田丸の城下まで景色は記憶の中にしかありません。

最終回につづく

5月27日情報

2011-05-28 06:06:24 | カメラ
雨の止み間に走ったのですが、
かなり降られました。

向渕のスズラン

向渕のスズランは咲き始めていますが、
広く網がしてあって、中に入れないようにしてあります。
保護のためでしょうが、写真撮影は困難になっております。

これは外から300mm(35mmで450mm)でやっと収まった状態です。
日本の貧困なる精神の一端を見る思いです。
もう行かない。

竜王ケ淵

新緑がいいですね。何となく神秘を感じさせる沼です。

近鉄電車





特急同士のすれ違いです。
手前の電車があと一秒の遅れがあったらいいね。






鳥見山スイレン

誰もいません。


モチツツジも咲いているのですが
ボチボチ咲くので、見栄えが悪いです。

黄菖蒲

水草はジュンサイですが、芽を摘む人もいるらしいです。

大神神社のユリはまだ蕾みです。
ヤマボウシが咲いていました。

ハナミズキと同じ仲間

美しい棚田





伊勢本街道7

2011-05-27 06:37:03 | カメラ
伊勢本街道6からの続き

雨の中の出発です。
午後から晴れる予報。

大和からの伊勢本街道は
三多気のサクラで有名な真福院の参道入口あたりに出て来ます。

さて三多気のサクラですが
今年もサクラ時期に行きましたが、
写真は撮らなかったとブログに書きました。
昨年のがありますので載せます。

参道


サクラと撮影者と大洞山


定番の風景

今年は左の田に水が入っていませんでした。

ここから奥津宿までの間は静かな道が続きます。
庭の花も出迎えていてくれるようでした。






常夜灯も太一とだけになります。




奥津宿に入ると賑やかになります。
件数も多く、各家に屋号の入った暖簾がかかっています。











奥津宿は街道一雰囲気が残っている場所だと思います。

奥津へは松阪からJR線がありますが、
台風で線がズタズタになり復旧することなく、
今にいたっております。

駅舎は市の施設が入って、新しくなっていますが・・・





さていよいよ飼坂峠越えです。
「お伊勢参りして恐いとこどこさ、飼坂・櫃坂・鞍取坂、津留の渡しか宮川か。」と
本街道の難所として唄われていました。
鞍取坂(峠)は山粕のところで通過しました。
これからは飼坂・櫃坂・津留の渡し・宮川がありますが、
津留の渡し・宮川は橋が出来ているため難所でもなんでもありません。

奥津宿から街道も徐々に標高を上げて来ます。
国道との合流が飼坂トンネル西側です。
休憩しているとケイタイがなりました。
誰かと思いきや、香芝の(写真の)巨匠Uさんでした。
歩いて伊勢まで実行中と言うと驚いていました。

トンネルを覗くと向こう側が見えます。
トンネルを歩いたら早かろうと思いましたが、
峠越えへと進みます。
杉林の道です。

首切り地蔵


腰切り地蔵


次は足切り地蔵か、と思いましたが、ありませんでした。
あったのは飼坂峠でした。


展望悪く、近くに展望所がありますが、
霧が出ていて良くありませんでした。

多気宿へと下ります。

伊勢本街道8につづく








 

伊勢本街道6

2011-05-26 13:25:24 | カメラ
今日、2回目の更新です。

前回三日目で帰って来たので、
ちまたでは「これが(和尚なので)本当の三日坊主」と話題になったようです。
注;本当は四日目で帰ったのです。

前日に「行ってきます」と書いて、翌日「帰って来ました」は
歩いて行ったのではないと思われますが、
そうではありません。
和尚はちゃんと、歩いたのでございます。

伊勢本街道5の最後に
飛脚(便)スタイルで行きますと書きました。
これは余分な物を削除して、
必要最小限なものだけを持って、
歩くことを最重点に考えたものです。

足元(靴)防水付きトッレキングシューズ

雨具は傘だけ

荷物は10kg以内

シュラフとブルーシートは必携

歩く姿はカバの様


このスタイルのヒントは落王さんのブログ隔夜信仰です。
伊勢と長谷寺で行われたと言うから驚きです。
はじめは御杖から伊勢まで夜通し歩いたら、と考えました。

山の遠征に極地法というのがあります。
綿密な計画に、ベースキャンプを基地にして
前進キャンプをしながら登頂を目指すと言う方法です。
この頃では金も人も要るこの方法より、
キャンプ、固定ロープ、酸素ボンベ等 も使わない、
登る人の力にのみ頼ることを最重要視して行なうアルパインスタイルが流行っています。

伊勢本街道のアルパインスタイル風と言えば大げさでしょうが、
旅館、テント、食事にこだわらない方法として、
荷物の大幅削除を考えたのが飛脚スタイルです。
出発時は8kgぐらいでしょう。

雨の止み間を縫って5月24日に実行です。
前回の続きからなので、
御杖村の道の駅に8時30分着きました。
前回の宿泊地丸山公園から国境を越えました。

丸山公園は今日も雨だった。

前回はこの中央付近にテントを張りました。

姫石明神付近は街道のイメージとして
好きなところで、再度通りました。

姫石明神





国境の扉


勇気づけられた道しるべ


つづく


伊勢本街道5

2011-05-24 04:54:55 | カメラ
伊勢本街道4からの続きです。

御杖村の中心、菅野に行けば食料品店があるだろう、と
期待して、痛い足を引きずりながら、和尚は歩くのでした。

足を痛めながらも前に進もうとする和尚は
さながら修行僧のようでありましたが、
土屋原のタバコ屋で食料を得てからは、
生鮮食料を求める乞食僧のようでありました。

菅野に着いたら食料店があるだろうとの期待が
すでに邪念に取り憑かれています。

しかし
街道の風景は当時の面影を残して続いています。





土屋原の集落を過ぎて、国道に合流してすぐに
桜峠への登りにかかります。
国道を通ればすぐに通過出来るのですが、
街道は杉林の中を上っています。
急に視界が開けたところが桜峠です。
目の前が御杖小学校、その先が菅野の集落です。
峠から小学校の敷地に下りるようにルートが続いています。
この小学校は教室が円形に配置され、
街道から丸見えです。
教室からも和尚が歩いているのが分かるのでしょう。
和尚が手を振ると、児童が応えて手を振り、
そして先生も振ってくれます。
言葉は交わしませんがほのぼのとした感じです。

学校の駐車場の縁石に坐って、
最後に残ったアンパン2個で昼飯とします。

足の痛みは一向になくなりません。
水を入れた風船を踏んで歩くような感触は続いています。
学校からは国道を歩き、すぐに街道に入ります。


やっと御杖村役場に着きました。
役場の窓口で食料店の場所を聞き(3店)ましたが、
ここ菅野にはありません。
先の牛峠を越えた神末集落にあります。

国道から分かれて街道を進みます。
この春、サクラの咲く頃に訪れた安能寺を左手に見て歩き始めます。
春の安能寺


このあたりも街道の雰囲気が残っています。



伊勢本街道と書いた提灯があるのは
保存会の会員でしょうか。

菅野川を1kmほど下り、右に折れて牛峠に向かいます。
1kmほどの登りですが国道に合流したところが牛峠です。
峠には新しい碑が建てられていました。


牛峠からは国道にそって神末に向かって下りて行きます。
すぐの距離ですが、足が痛いので時間がかかります。
雨が降ったり止んだりです。

やっとの思いで大矢部商店に着きました。
3店教えて頂いたのですが、
やはり最初のお店での買い物になります。
◯筍煮、牛蒡煮、焼き明太子、焼き鳥の缶詰、いかの缶詰
 レトルトのサトウのごはん、野菜サラダ 計1770円
レトルトのサトウのごはんは賞味期限が切れていましたので、
無料で頂きました。
大矢部商店さんありがとうございました。

大矢部商店前の道標


午後2時頃なので今日のねぐらは秘かに決めていました。
円山公園です。
あと一時間の距離ですがもっとかかるやろなー。

今日最後の峠、佐田峠越えです。
峠というより切り通しみたいで、人家もあります。

光悦の道標も見えています。
この峠の杉林にこんなものが見えました。

クマガイソウです。

このあたりも街道の雰囲気が残っています。

伊勢本街道の提灯が見えます。

見えました、ありました、と書いていますが
足は限界にきています。



やっと着いたのです。円山公園に。
もっと雨が降ってもいいようにテントの位置を決めます。



風があるので張り綱もしています。
円山公園は車道の行き止まりです。
駐車場、トイレ、水道もあってテントを張るには最高です。

テントを張って、横になっていると雨が激しくなって来ました。
そのうちテントの下に水が入り込んできました。
フライシートにペグを打つのを忘れたのです。
ペグを忘れたどうなるか。
フライシートに集められた水が、
本体に伝いテントの下に集中します。
何とかことなきを得ましたが、
ここからすぐの距離にある国境(大和国と伊勢国)に向かう気力もなく、
食事をして、寝てしまいました。

夜中にトイレに起きましたが、相変わらず雨が降っていました。

明日は国境を越えるだけです。
余裕があります。

次の日
鶏の鳴き声で目が覚めたというのはウソで
4時になると自然に目が覚めます。
雨は降っています。

賞味期限が切れたご飯は乾燥しています。
普通なら熱湯に入れて、3分で食べられますが、
うまくいかなかった。
袋から出して水を加え(適当に)火にかける。
柔らかくなったと思ったら、湯を捨て蒸らします。
これでOK.
焼き明太子との相性はいいなー。

雨の小降り時にテントをたたみます。
出発はいつもより遅いです。
これも余裕。7時。

今日は姫石明神を越えて、
国境の向こう側で奈良県と書いた看板を撮って
姫石の湯に入って、帰るだけです。

沢の水はニゴリ、沢蟹がウロウロしていました。
写真を撮ったのですが、暗かったのでブレていました。
沢蟹は国道にまで出て遊んでいました。


伊勢の国に入りました。

伊勢の国から大和の国向けて撮っております。


姫石の湯(御杖の道の駅)に向かいます。

姫石の湯

いい温泉です。600円

こうしてこの旅は半ばにして終りました。

この続きは、そう、今から行きます。
機動力重点で行きます。
テントなし、飯盒炊爨なし。
飛脚便スタイルです。

雨の中、行ってきます。




薬師寺

2011-05-23 03:30:18 | カメラ
昨日は明日香写真クラブの大阪展に行って来ました。
15周年記念 明日香写真クラブ展「四季大和路街道」PART
開催期間:2011年5月20日(金)~2011年5月26日(木)

記念展だけに力作が多かったです。
是非ご覧下さい。



掲載されなかった5月19日の薬師寺














肥料やりのあとすぐに田起こし。






なかなか行けない大極殿へ


この日は奈良県文化会館の
奈良美術人協会の展覧会を見て帰りました。