広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

佐藤長

2018-11-14 00:12:31 | 津軽のいろいろ
弘前には「佐藤長」というスーパーがある。青森県全体で見れば大手ではないが、弘前周辺ではそこそこ店があって堅実な印象。

佐藤長といえばまず思い起こす店は、1度だけ利用した(ツナが入った惣菜パンを買って、ブルーチップだかグリーンスタンプをもらった記憶=今は配っていないようだ)ことがある「松森町店」。土手町から取上交差点方向へ進んだところにある。
今も健在
昔は外観がこんな黄緑色じゃなかった気はするが、建物は同じ。歩道ギリギリまで建物があり、ガラス越しに狭い店内が見渡せ、窓際で袋詰めするお客と目が合いそうな、昭和のスーパーの作り。

実はここが、佐藤長の創業地らしい。1897(明治30)年のこと。現在の本社は弘前市桔梗野。
他に店舗展開をしたのは1987(昭和62)年の小比内店以降のようだ。1897年と1987年、誤植かと思ってしまうが、90年開いている。
また、1978年(←これも誤植っぽいけど間違ってません。昭和53年)に「佐藤商店」だったのをスーパー佐藤長とし、松森町店ができたので、建物はその時のものではないだろうか。
現在の経営者は佐藤さんだけど名前に「長」は付かない。創業者は「長」が付く名前だったのかもしれないけれど、創業から81年経ってから「長」が出てきたのがおもしろい。

松森町店を見て気になったのが、店頭のロゴ。
縦書きの毛筆の「佐藤長」が味がある
日本語は「佐藤長」、ローマ字は「SATOUCHO」。
僕は昔からこの表記を見ていたから、漢字をそのまま読んで「さとうちょう」。ローマ字は「さとうちょ」だけど、まあやっぱり「さとうちょう」と読むんだろうなと思っていた。

ところが、他の店舗では…
Googleストリートビューより城東店「さとちょう」
漢字表記は見当たらず、ひらがなのみ。しかも「う」が1つ抜けた「さとちょう」。
それから漢字4文字は「生鮮活祭」? 「生活鮮祭」?

小比内店は松森町と同じ表記。店の新旧で使い分けているのか、古い店は今後更新していくのか。

公式ホームページでは、URLは「satoucho.co.jp」だが、本文では「みんなのスーパーさとちょうです。」など「さとちょう」表記。漢字も見当たらない。【14日補足】企業名は「株式会社佐藤長」であり、会社概要などでは漢字表記で掲載している。
この店は、今は「さとちょう」だったのか! ※ここでは「佐藤長」表記を使うことにします。
【14日補足】秋田ではわりとある「石郷岡」姓は、ふりがなとしては「いしごうおか」だが、会話では「いしごおか」と言うことが多い。さとちょうもそれと同じことだろうけど、正式な名称表記をそうしてしまうのが、大胆。

漢字表記がない新しい店舗だけを利用する人の中には、「さとちょう」の由来を知らないお客もいるかもしれない。あ、「由来」じゃなく「漢字表記」か。「長」の出どころが分からない以上、佐藤長の由来は分からない。
【14日表記】かな表記にしてしまって、本来の漢字表記が分からないという点では、「いとく(本社秋田県大館市、津軽にも店舗あり)」も同じ。ちなみに創業者名の姓名を略した「伊徳」が由来。佐藤長では、かな表記にした上、うを1つ抜いたせいで、よけい難解な店名になった気がする。
【15日追記】店舗の看板は「さとちょう」になっている店舗でも、配られるレジ袋ではローマ字で「SATOUCHO」と「う」入りで記されている。


ところで、上のストリートビューの写真の城東店。弘前駅の城東口からすぐのところなので、ここ数年は時間が余るとちょっとのぞくことがあった。
店の造りからして、古い(松森町店よりは新しく、昭和末~平成初期頃?)建物。昔、ここらにマックスバリュがあったので、その跡なのかなと思っていた。
Wikipediaを見ると、たしかにマックスバリュの跡であった。元は「亀屋みなみチェーン」の店だったそうで、2001年に同社が破産した際、マックスバリュ東北が継承した店舗の1つだった。
折しも11月13日から「さとちょう城東店「開店10周年祭」」が開催されているから2008年開店。差し引きマックスバリュとしては7年未満だったことになる。【2021年7月4日追記・コメントで情報をいただいた。マックスバリュは2002年2月~2005年末の4年弱の営業。マックスバリュ時代まで2階建てだった建物を減築して使っているらしい。】

それとは別に以前ちょっと触れたように、2000年前後頃まで、弘前には「ウエル」というイオン系のスーパーがあった。
「ウエルマート」ではなく、ジャスコ本体(後のイオンリテール)が運営していた。
後に、亀屋みなみチェーンをマックスバリュ東北が引き継いだ時に、ウエルも一部店舗が移管(マックスバリュ化?)されたらしい。

そしてマックスバリュ東北に継承されなかったウエルの中には、佐藤長が引き受けた店があるそうだ。
高杉、相馬など郊外にもあり、かつてウエルは津軽にけっこう浸透していたことにもなる。

ほかにも佐藤長では、平賀や尾上のマルエス主婦の店、下北のむつ市のマックスバリュ東北から継承した店もある。
さらに今年8月、弘前駅前のかつてダイエーが入っていた「ヒロロ(旧・ジョッパル)」地階に「ヒロロ店」がオープン。
2013年7月のヒロロ再出発時に、青森市から進出した「ルミエール」が入っていたが、大家と店子の関係でモメて2018年7月に閉店してしまった跡。
城東店と合わせて、弘前駅の東西どちらからも、いちばん近いスーパーが佐藤長になった(ヨーカドーもありますが)。

ヒロロの佐藤長は、改装期間が短かったこともあり、ルミエールのほぼ居抜き。さすがに自動演奏のアップライトピアノはなくなっていた。
レジは、支払いだけが無人のセミセルフレジ(=お支払いセルフレジ。佐藤長での呼称は不明)。レジ袋は無料らしい。
駅前の店だけに、お土産になりそうな地元食品も扱っていて、ルミエール時代と比べても充実していた。
むつ市内に店舗がある関係なのだろう、初めて見る下北方面の地元菓子店のお菓子もいくつかあった。
弘前市内からも「相馬製菓」というところの、
 
「これが津軽の味噌ぱん」と「これが津軽のいも太郎」。別段、津軽ならではということでもないが、素朴な味わいでよかった。
別の店の餅菓子などもあった。

弘前市内産の農産物産直コーナーもあり、9月初めでモモやリンゴが安くいろいろあったから、今頃はリンゴがいっそう充実しているはず。弘前駅周辺では、安く手軽にリンゴを買える店でしょう。

佐藤長のラッピング広告バスについて
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弘南バス2018初秋

2018-11-12 23:51:26 | 津軽のいろいろ
9月の弘南バス。
まず、1年前に取り上げた、生え抜きの三菱エアロミディ。
全国的にも希少になったであろう円形ヘッドライト
1993年製の2台、弘前営業所の「青森22か904(30501-2)」と「905(30502-2)」は、いずれも現役だった。

もちろん1998年製、弘前営業所「12-80(31002-2)」も。
側面に貼られていた青森米の広告がなくなった

後部の広告は変わらず。リアウインドウにも「FUSO」

時たま触れている、「富田大通り」経由の表示方法やどこを指して富田大通りと呼ぶのかについて。
まず、写真はないが、日野リエッセの正面の方向幕では、経由地を分数のように上下で線を入れて表示した「弘前大学/富田大通り 弘前駅」だった。

側面の(看板やLEDでなく)方向幕。
(再掲)弘前駅-富田大通り-弘前大学-松原-小栗山
上の12-80もおそらく↑この表示。ところが905では、
関係ないけど左側・ドア上の照明は撤去されたようで配線が露出している
弘前駅-富田大通り-弘前大学-小栗山と「松原」が抜けている。かなりバリエーションがある。
これらの書き方では、住吉入口~富田三丁目付近を指して「富田大通り」と呼んでいることになる。


弘前市郊外各方面では、10月に一部路線の廃止や統合が行われた。
石川の円筒分水前を通る大坊経由平賀線も廃止、予約型乗り合いタクシー化。
ほかにも乗ったことはないけれど、見慣れた行き先表示がなくなったものも。
たまに見かけた「56 田  代」
「田代経由西目屋村役場・居森平線」が短縮、「西目屋村役場線」となった。
元は「川原平」行きだったのが、ダム建設にともない2014年10月に居森平(いもりたい)行きに短縮されていた。ほかに、上の写真の手前の田代が終点の便もある。
西目屋村役場の次のバス停が田代だそうで、実質的に村役場=田代。

改正後の時刻表では西目屋村役場が起終点のような書き方だが、再編後を反映しているという弘前市の公共交通マップでは1つ先の田代が起終点のように見える。
これまでは居森平発着が片道7~8本・田代止まりが3~4本あったのが、改正後は10往復と微減。


岩木山のふもと、嶽温泉を通る「枯木平」線が再編。
時刻表・市のマップではバス停名が「岳温泉」となっている。マップでは、温泉自体は「嶽温泉」と表記を使い分けているから、バスだけは「岳」なのかと思ったけれど、車両の行き先表示では、
(再掲)こちらは「嶽温泉」
観光客も乗る路線。表記に配慮(=統一と英字表記も必要では)いただきたい。

枯木平線は、これまでは2系統あった。「枯木平」行きと「高岡経由百沢・いわき荘」行き。
マイクロ車の「高岡・いわき荘 百沢」行き。ちなみに幕式では「65高岡 百(いわき荘)沢」
前者は、~新法師~岩木山神社前~百沢温泉前~小森山入口~岳温泉~枯木平で、1日7往復程度。
後者は、~新法師~高岡~岩木山神社前~百沢温泉前~いわき荘前で、4~5往復。ちなみに、いわき荘の先、「百沢スキー場」の運賃が設定されているので、昔はそうだったのかもしれない。
つまり、途中の高岡に入るのはいわき荘系統のみ。一方、百沢は、行き先表示には出ていないが枯木平系統も含めて全便通るらしい。【14日追記】となれば、上の写真のマイクロバスのLEDは「高岡・百沢 いわき荘」のほうが適切では?

10月からは、いわき荘乗り入れを廃止。代わりに枯木平行きが7往復全便高岡を経由するようになった。
また、高岡より手間で他路線も通る「岩木庁舎前」(旧・岩木町役場)止まり4~5往復が新設されたようだ。

改正直前の時刻表は不明だが、数年前では、弘前発の最終は、枯木平行きが18時05分発、いわき荘行きが18時30分発と近接していた。
10月からは枯木平行きは18時05分最終で変わらず、30分発は廃止。
その後、岩木庁舎行きの19時15分発と平日のみ20時10分発があり、むしろ途中までながら最終が遅くなったってこと?(あるいはまた別の路線廃止の代替?)

いわき荘というのは「アソベの森いわき荘」という宿。送迎バスもあるので、路線バス利用者は少なかったのかもしれないが、宿側では9月23日付で「最寄バス停は「百沢温泉前」、下車後徒歩約10分 となります。」と告知している。
しかし、弘前市のバスマップでは、
「いわき荘前」?!
百沢温泉前と小森山入口の間に「いわき荘前」というバス停があることになっている。
系統廃止に伴い、新設(移設)したってこと? どっちみち歩かないといけなさそうだけど。
弘南バスも弘前市も、路線再編の当事者であるはずだけど、どこかちぐはぐというか分かりづらいというか…


路線再編は以上。変更後についてはいつか機会があれば。※この記事中ほど。
人もバスもまばらな夜のバスターミナルを出発する新型レインボー
2016年にフルモデルチェンジした、いすゞ・日野の中型バス。秋田中央交通では2度×2台の計4台しかまだないが、弘南バスは大量とも言える導入(いずれも日野レインボーブランド)。この秋にも入れたようで、もう3度目?【14日補足・総勢10台は越えているでしょう。15台に迫るかも?】
だから弘前市内では、見る機会が増え、乗るのもそう難しくない。秋田ではタイミング悪く乗車できないでいた、2017年のマイナーチェンジ後の車に乗ることができた。違いは分からなかったけど。
代替として、おそらく平成初期の日野レインボーは廃車になっていると考えられるが、台数が多いこともあって、そのことはあまり意識できない。

上の写真の新型車は、「大鰐病院」行きという珍しい系統。
これは、(取上・門外経由)碇ヶ関線の系統。碇ヶ関行きは、弘前バスターミナル発は7時20分の次、8時から18時までは毎時00分発。
最後2本、18時30分(平日のみ)と19時00分発は、途中の大鰐病院が終点。昔は「大鰐南団地」とかいうところまで行っていた。反対方向(大鰐病院始発弘前行き)はなし。
【2019年4月12日追記】「大鰐南団地前」というのは、かつて存在した弘南バスの車庫(名称は変遷し、子会社管理下だったことも)の場所にあるバス停の名称。車庫があった時代から南団地前を名乗っていた。南団地前は弘前から行って大鰐病院前の1つ先で、現在も存続している。車庫廃止によって折り返しの都合などで、1区間短縮されたのかもしれない。Wikipediaによれば、弘南バス大鰐車庫は2009年春で車両配置取りやめ(案内所的存在に?)、2010年春で無人化・閉鎖、2015年12月に廃止。(以上追記)
上の写真の便は、乗客はほとんどいなかった。
そっけなく「大鰐病院」のみ
弘南バスの中型車で使われているレシップ製のLEDでは、最近(居森平以降)新しく設定される表示は、従来の角ゴシック体とは異なる独特な(ユニバーサルデザイン?)フォント。大鰐病院も近年セットされたのか。【14日補足・新車であっても、昔からある行き先は角ゴシック体だから、文字データは既存車と共通の模様】

ところで、同じ日の数時間前、同じ車はこんな運用に就いていた。
「聖愛高校スクール」
その学校の生徒等限定で利用できる路線バスという感じなんだろうか。
秋田市でも、一部小(中?)学校では運行されているが、高校では見たことがない。弘前では、高校で公立私立問わず昔からあった。
一般路線バスとして運行するには成り立たないからなのか、弘南バスが積極的に運行しているからなのか。
これも新しいフォント
聖愛高校は、中学校も併設(1980年いったん閉校・2006年再開)している。でも表示は「聖愛高校」のみ。厳密に中学生は乗れないということなのか、途中休校期間があったこともあり、単に表示し忘れているのか。

さらに蒸し返して恐縮ですが、弘南鉄道大鰐線西弘前・城南駅名改称騒動。10年前に城南駅が「聖愛中高前」駅に変わった。※弘南バスと弘南鉄道は、起源は同じながら、今は関係が薄い別の会社です。
駅名変更を申し入れたのは学校法人側であり、弘南鉄道側は変更により生徒の利用を増やす目論見があったはず。
それなのに、弘南バスにスクールバスを出してもらい、この時は帰宅の生徒がけっこう乗っていた。10年前の流れで「聖愛中高前駅から弘南鉄道を利用しましょう」ではないのですね。
スクールバスは学校の前から乗れ、JR弘前駅前にも行くみたいだし、おそらく運賃も安いとくれば、弘南鉄道に勝ち目はないのも明白。


秋田市では、かつての市営バスも今の中央交通でも、行き先表示は「スクール」のみで済ますことが多い。今のLEDでも。
弘南バスは、LEDでなく幕の車であっても「学校名+スクール」と表示する。全国的には珍しくはない。
特に幕では、その分コマの印刷が必要だし、弘南バスでは手動切り替えだから操作も手間なのに。
2010年撮影「附属スクール」
上の写真は、1989年製の横浜市営バス中古の大型バス・日野ブルーリボン。※過去の記事
弘前には路線用の大型バスは、この形が3台と、別の1台の計4台ほどにまで減っていて、風前の灯。

弘大附属学校のスクールと入出庫を兼ねた小栗山線、学園町線辺りが定番運用で、枯木平行き、岩木山春山スキー、さくらまつりシャトル、さらに菊まつり・雪まつり期間などは土手町循環100円バスに入ることもあって、地道に活躍していた。
そのブルーリボンが、この夏前後に相次いで廃車されたとのこと。まさに平成を駆け抜けた車であった。

これで、ついに弘前から大型バスがなくなるのかと思っていたら、新たに中古で大型(いすゞエルガ)が入ったらしい。初のエルガで、大型としても10何年ぶり? 秋田市でも弘前市でも、中型バスではちょっと不足、大型バスを使いたいという場面があるのでしょう。※大型バスについてこの記事中ほど。
中型では、三菱ふそうエアロミディの中古も入った(自家用でない路線仕様のエアロミディ中古としては初?)そうで、次に行く時のお楽しみ
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ケララの道

2018-11-06 00:16:24 | 津軽のいろいろ
弘前市富田エリアの続き。
※関連記事はブックマックス・ハウスマックス富田町とその周辺の町名について。必要に応じて参照すると分かりやすいと思います。
地理院地図に加筆
上の地図は、弘前大学文京町地区東側、富野町・大富町・富田町辺り。
縦方向の黄色い線が、バス通りの青森県道127号(富田大通り)。
上のオレンジ色の線は、県道109号線の2008年(一部は2006年?)開通区間。それ以前は、松森町で行き止まりになっていた。新規開通区間は、富田大通り側の焼き肉モーモーの交差点と接続するために、緩くカーブしている。
下の青い線が、富田町と一致する桝形から取上交差点、弘前東高前駅までの道。

弘前市街地は、城下町であり比較的高低差もあるため、まっすぐな道や碁盤の目状の道路配置は少ない。青い線の富田町の道が気持ちいいくらいに一直線なのは珍しい。古い道のようだけど、どうしてここまで一直線なんだろう。
※1912年の地形図で、すでに道ができていたが、取上交差点で突き当たって終わり。その後、1939年では東へ伸びている。この記事後半参照。

今回は、その上(北側)の赤い線の道について。
周りの道と比べてもカクカクしている上、他の道と直交せず斜め方向に突っ切るという、個性的な道。
秋田市でいえば、秋田大学手形キャンパス南東の三吉神社前の道のような、新しい道に対する旧道的な道かと思ってしまうが、ここの場合、富田町の道も新しくはないようなので、由来については分からない。

この道を北側からたどってみる。
赤い矢印が入口
品川町の土手町から続く県道260号の裏道。弘前品川町郵便局の向かいが、その道の入口。他の道と同じ狭さなので、意識しないと見落とす。

最初はこの道(もしくはその裏手の水路)を境に、右が御幸町、左が大富町。古くからありそうな住宅が建ち並ぶ。微妙な角度があって見通しは良くない。
この辺りは比較的道幅があって、破線のセンターラインが引かれた区間もあるし、路肩というか歩行者スペースが充分ある区間も。
道幅が狭くなってきた
上の写真右側の建物がカフェ「ケ・ラ・ラ」(後述)。奥に見える山は、久渡寺山とかかな? 岩木山はこの右方なので、建物に隠れてほとんど見られない。
その先で、右方からの道と交わる。
振り返って。右が品川町から来た道
交わる道は緩い上り坂で、片側が木に囲まれている。弘前厚生学院(旧弘前偕行社)の敷地。

その先は、御幸町から富野町に代わり、さらに大富町も終わって両側とも富野町に。

道はカーブが大きくなったり、また広くなって狭くなったりを繰り返す。
先にハウスマックスが見える。左に入れば富田町の一直線の通り
やがて学生向けアパートが増えてくる。ハウスマックス付近から特に道が狭くなるが、一方通行ではない。

そして、
自転車屋さんの脇で
富田大通りに出る。
右が来た道
向かい側は弘前大学の敷地の南端。生け垣とフェンスの向こうは農学生命科学部の学内圃場なので、出入口はない。
昔、生け垣のすき間からきれいに見える岩木山に向かって、通りがかったおばあさんが手を合わせていたのがここ。
大通りを北へ進めば、弘前富田郵便局や農学生命科学部・理工学部側の門。
品川町郵便局から富田大通りに出るまでのこの道は、およそ800メートル。


僕はかつて、文京町キャンパスより向こう側=南西側(西弘前方面)に住んでいた。
だから、弘前駅へ行き来するルートの1つとして、この道が選択肢にあった。(上記の通り、駅と大学を行き来する時は、門を通り過ぎて敷地端に出てしまうので、遠回りになる)
というか、好んで通っていた。道は狭いけれど車はさほど通らないし、気分的に近道に感じられたので。夜遅くの厚生学院の辺りなど、ちょっと怖かったけど。

地図で見る限り、大学前を通ると少し遠回りになりそうだし、松森町~取上交差点~富田町は一直線で気持ちいいけれど、それよりは斜め方向のこの道のほうが距離が短いと考えていた。実際のところ数百メートルの差だろうし、交通量や気分などもあって距離がすべてではないのだけど。
松森町~桝形の距離を地図上で計測してみると、県道~取上~富田町の直線コースでは1.3キロ。品川町郵便局~この道のコースでは1.1キロと、やっぱりいくらかは短い。
2003年2月。車道部分はしっかりと除雪されている
この道の個人的ないくつかの思い出。
お盆に通った時、御幸町辺りの沿道のお宅の人たちが、路肩で火を燃やしていた。「迎え火」か「送り火」かどっちか忘れたけれど、それだ。
秋田市中央部ではやらない風習なので、実物を初めて見たのがこの道だった。
津軽では珍しくないはずだが、他の道では見た記憶がない。ここの道は古くからのお宅が多く、道幅に余裕があるからだろうか。風情のある光景だった。

今回(9月)、この道を久々に通った。
御幸町側の民家が新しくなったりなくなったり、富野町のアパートがきれいになっていたり、20年前の時を感じさせられたこともあった。
その一方、この道で存在感のある3つの建物は、変わりがなかった。
1つは以前取り上げたハウスマックス。

もう1つは、上の自転車屋さんの1つ手前の写真に少し写っている赤い構造物。
おしゃれ(?)なビル

少々場違いな雰囲気も
20年前もこの姿で存在したと思う。今も車が駐まっているし、建物外観はきれいなので、使われてはいるようだ。
だけど、看板が真っ白(ストリートビューによれば2013年5月時点でも)だし、地図を見ても何の建物かは分からない。

あと1つが、上で出たカフェ ケ・ラ・ラ。
オープンカフェ風デッキがあるなど20年前ではまだ新しそうなカフェだった。上の写真の通り、現在もほぼそのまま営業中。

タイミング良く、9月3日アップの「弘前経済新聞」に「弘前のカフェ「ケ・ラ・ラ」が夫婦経営で25周年 震災で看板メニュー休止も復活(https://hirosaki.keizai.biz/headline/1071/)」が掲載された。
1993年8月25日オープンということになる。
ご夫婦で経営していて、「マスターグラタン」というパンを器にしてメレンゲでフタしたグラタンなどが初期からの人気メニューとあった。

飲食店には疎いけれど、実はケララに1回だけ行ったことがある。1998年か1997年。
ただ、何を食べたか記憶がない。
行きの道中と、何かのセットメニューを頼んで、ドリンクが選べて「ブラッドオレンジジュース」を飲んだことしか覚えていない(存在は知っていたけど、初めて飲んで、思ったのと違う味だった。それ以後、今まで飲んでいないかも…)。
だけど言われてみれば、「ふわふわしたのが載っかったグラタン」を見たような、食べたような記憶もあるような…

そんな思い出の道。なんて呼べばいいのか分からないから「ケララの道」というタイトルにしました。でなければ「ハウスマックスの道」かな。“富田三部作”はこれにて完結。
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富田とその仲間の町

2018-10-29 00:38:11 | 津軽のいろいろ
弘前大学文京町キャンパスの前を通る路線バスは「富田大通り経由」として区別される。※関連記事
大学正門が面する青森県道127号のことを富田大通りと称するのは間違いないけれど、そのうちどこからどこまでが富田大通りなのかは、分からない【桝形交差点より北側らしい。末尾の追記参照】。
富田大通りの由来は、通りのある地名が「富田」だから。のはずだけど…

大学の所在地は、その名の通り文京町。その向かい(東)側の広い範囲が「富田」という地名なのは、漠然と知っている。
弘前駅からバスで来て、大学前の1つ手前のバス停が「富田三丁目」。
大学前の次のバス停「弘大農学生命学部前」の近くには、「弘前富田郵便局」がある。
少なくともバス停3つ分。南北方向にけっこう長く「富田」なのか?
近くに富田ではないけど、別の「富」が付く町名もあったな…

まとめてみた。
Googleマップに加筆(境界線は厳密ではありません)
北から順に、富田一丁目、富田二丁目、富田三丁目、富野町、大富町、富田町、南富田町。
※弘前市では、すべての町名に「大字」を冠するのが正式(大字富田一丁目 等)ですが、ここでは略します。
実に7つの町。丁目の区分を除いても5つ。

北は富田三丁目の1つ手前の「住吉入口」バス停付近、南は柴田女子高(2019年度から柴田学園高)、東は取上交差点(松森町)辺りまで、おおざっぱに東西・南北とも約1キロ四方が、「富田」とそれっぽい地名なのだった。
【29日追記】感覚としては、例えば弘前市中野(一~五丁目)とか秋田市保戸野(保戸野○○町各町)といった、大まかにまとめたエリアに相当しそう。公式でなく地元の合意もないと思うが、「富田地区」「富田エリア」と総称できなくもなさそう。

歴史的には、元は今より広範囲が「富田町」だったのが、1956年に富田(1~3丁目)、富野町、大富町が、1968年に南富田町がそれぞれ分離したようだ。【29日補足・隣接する他の町から編入された部分もあると思われ、旧・富田町と現在の富田エリアが完全に一致するわけでもないはず。】さらにさかのぼれば「富田村」だったらしい。
その経緯からして、富野町、大富町の「富」は、親の「富田町」からもらった命名なのだろう。富田1~3丁目を作ったのだから、富野町・大富町を4~5丁目にすればスッキリとして良かったような気も(よそ者としては)してしまうが、そうもいかない都合があったのかな。
弘大のある文京町の向かい側は、富野町なので、弘前富田郵便局も富野町にある。開局時は富田町だったのかもしれない。
【31日補足】以前のエリアから独立して新しい町ができる際、元の町名にちなんだ、もしくは文字をもらって命名するケースとしては、秋田市の下北手桜から分離した、桜、桜ガ丘、桜台がある。

それぞれの町の境界線は、道路や水路に従った所もあるが、道路にこだわらずに区分されているところが目立つ。
弘大付近は、バス通りを境に東側だけが富野町。しかし、富田一丁目~三丁目は、バス通りを越えた通りの西側もエリアとする部分もある。例えば、大学隣の弘前銘醸や焼肉モーモー&Uマート(旧・マルサン→マルエス)付近。

昔はもっと広かったであろう富田町は、今は桝形~取上の道路(薬王堂=旧・ブックマックス前)の両側に沿う細長い町。沿道の家屋の敷地に従っているようで、隣接する町との境界線はギザギザ。「街村(または路村)」の集落ということか。
また、市立第三大成小学校の敷地は、取上地区の中に食いこむような形で富田町。
富田町本体と小学校がつながっているわずかな部分は、橋のない水路らしい。だから、富田町本体から小学校へ行き来するには、南富田町もしくは取上をいったん経由しなければならないので、「飛び地」に近い。
富田町東部。薄い赤色が富田町部分

桝形~取上の通りの桝形寄り・薬王堂の近くに、信号機付き丁字路交差点がある。南方向へ曲がればハローワークや柴田女子高方向。
かつては、この突き当りに、スーパー「主婦の店マルエス」があったが、後に移転(それが上記モーモーの下)し、跡はコインランドリーだかクリーニング屋になっていたが、今は更地。
【2021年11月23日追記】余談だが、主婦の店マルエスは、さらに昔は近くの別の場所に存在したそうだ。弘前市立中央公民館のツイッターによれば、1979頃の時点で、桝形交差点の北側、道路と道路に挟まれた土地に交差点に面して店があった。現在、東奥信用金庫富田支店がある位置だが、当時は西半分だけが信金で、東半分がマルエス。
場所としては悪くなさそうだけど
更地の向こうに裏側が見える家並みは、大富町。そのすぐ左方は富野町。奥の高い建物は国立病院機構弘前病院で、そこが富野町の北端。

富田大通り経由でない路線バスといえば、本数は多くない(昔よりは微妙に増えた?)が、桝形~取上の道路を通る。「松森町経由」と言えばいいのかな。
この道路には3つのバス停が置かれ、西・桝形寄り、薬王堂と丁字路の間にあるのが、
「富田町」
通りの中間地点が、
「大富町入口」
秋田市には「~入口」という名のバス停が多いが、弘南バスでは珍しい。
たしかに大富町の入口ではあるが、富田町バス停のほうも距離としては同じ。道路に沿って細長い富田町だけに、命名は苦労したのかも。
【2022年2月28日追記】この付近に、かつて「富田温泉」という天然温泉の銭湯があった。この記事参照

あと1つは、取上交差点寄り、みちのく銀行松森町支店付近に「松森町角」(経路が分岐するため、別の位置にもある)。

それにしても、この桝形~松森町・取上の通りには、通称・呼び名がないのだろうか。古くからある通りのようだし、あったほうが分かりやすいのに。完全に富田町と重なるから「富田町通り」としたいけれど、富田大通りとまぎらわしいね。


ちなみに、湧水「富田の清水(しつこ)」(関連記事)は紙漉町、青森銀行富田支店は富士見町と、わずかに現在の富田エリアからは外れている。
この点は、文京小学校が中野にあったり、みち銀松森町支店が富田町にあったり、秋田市などよそでもよくある事例。
それから、これだけ広い富田エリアなら「富田小学校」があっても良さそうだけど、第三大成小があるし、隣接する町に大成小(旧・第二大成小)と文京小があるから、それはかなわなかった。したがって通学区も分割されていて、元は1つの富田町(村)であったであろう地域にしては、一体感は薄くなってしまっているのかもしれない。
【29日追記】記事冒頭の地図を見ても分かるように、富田一丁目と大富町の間、二~三丁目・富野町の東側は、富田エリアが切り欠かれた形になっていて、そこが大成小のある「御幸町(みゆきちょう)」。1956年にできた町で、それ以前は一部が「富田新町」だったそうだ。

【11月12日追記】第三大成小学区を指して「三大地区」という呼称があるそうだ。地域づくり連絡協議会や社会福祉協議会など、公的な組織の名称にも使われていて、公式なエリア名と言えよう。秋田市では、地域や学校名をそのまま使うのが普通で、「学校名の略称」を使うのは新鮮。
同様に「一大地区」「二大地区」も、少なくとも以前は使っていたが、両校が統合されて大成小学校となった現在はどうなっているのかは不明。

【2019年11月4日追記】陸奥新報の連載「津軽の街と風景」の10月28日アップ「「軍都」から「学都」へ=122」より。
●富田大通り
「県道127号は、桝形(ますがた)を境に北側が富田大通り、南側が松原通りと称している。」
とのことで、富田大通りは富田地区とおおむね一致することになりそうだ。
松原通りとは初めて聞いた。また、「戦前までは師団通りとも呼ばれていた。沿道に第8師団の関係施設が並んでいたから」とのこと。

●桝形の歩道橋
桝形交差点の文京小と第三中の間で県道を渡る(位置的に松原大通りということか)歩道橋は、1967(昭和42)年12月完成で、「文京歩道橋と称され、弘前市で最初の歩道橋である。」「県内では最も早い段階で設置された歩道橋の一つだった。」。
秋田市二丁目橋交差点の土手長町歩道橋と同い年。

●富野町に旧市立図書館があった!
現在弘前公園・市役所向かいの市立観光館などがある「追手門広場」で保存されている「旧弘前市立図書館」の洋館が、富野町にあったことがあったそうだ。
1906(明治39)年に、当時東奥義塾があった、現在の追手門広場に建築(義塾から市へ寄贈)。
1931(昭和6)年に「東奥義塾校舎の拡張に伴い民間に払い下げられ、富野町に移された。」「郵便局裏側の住宅街」で「歴代の所有者が下宿や喫茶店として利用してきた。大幅に改築されず、ほぼ原形をとどめ続けてきた」
1990(平成2)年に、弘前市制100周年事業で、現在地に移築。
という経歴だった。
連載では、1980年撮影の文京歩道橋から北側を見た写真が出ていて、その頭が写っている。富野町で「この建物が大切にされてきた」「現時点で図書館時代を合わせても富野町時代の方が長い。」としている。

移築されたとは聞いていたが、東奥義塾→追手門広場のほぼ同じ場所の中のことだと思いこんでいた。
しかも、近くはない富野町に移され、所有者や用途が何度かかわっているらしいのに、元の場所に(ほぼ)元の状態に復元できたというのがすごい。やはり、弘前には古いものを大切にする精神が根付いていると思わないわけにいかない。(以上追記)


桝形~取上の通りの「裏通り」について、いずれまた
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弘前MAX地帯

2018-10-02 23:57:31 | 津軽のいろいろ
「マックス(MAX)」といえば、「最大」の意味のほか、ホチキスなど事務用品・機器メーカー、オール2階建て新幹線、沖縄出身の女性音楽グループ等々。
新幹線はJR東日本のE1系電車が1994年に運行開始、1997年にE4系も登場したがその後の後継はなく、東北新幹線からは撤退、上越新幹線からもいずれなくなる運命。
音楽グループは、「安室奈美恵withスーパーモンキーズ」の安室奈美恵を抜いたメンバーで活動する時のユニット名で1995年結成。当初はグループ内ユニットという形だったようだが、後に実質独立。安室さんは引退したが、MAXのメンバーは多少の出入りはあるもののほぼ変わらず、9月30日もNHKBSの番組で歌っていた。

さらに、1990年代前後の弘前を知る人なら「ブック」、さらに現在も含めて弘前大学文京町キャンパスの学生や近隣住民なら「ハウス」も連想するかもしれない。
「ブックマックス」「ハウスマックス」、さらに「カフェマックス」というが、弘前市のある場所に集中して存在している/いたのだった。そのお話。

僕が弘前にいた1990年代後半は、新幹線と音楽グループのMAXの登場~全盛期だったから、弘前のマックスはそれらを借用というか便乗というか影響された命名かなと思っていた。ところが今回調べると、それ以前から存在していたことが分かった。だから由来は不明。

場所は弘前市富野町と富田町。この辺りは「富」が付く町名が多くて、ピンと来ない。
弘大農学生命科学部や(文京町キャンパスとは別にある)教育学部附属特別支援学校からは、いずれも数百メートル、ハローワーク弘前も近いけれど、道路の配置的にやはりピンと来ない。
枡形交差点~松森町の取上交差点(さらに奥羽本線の踏切、弘南鉄道弘南線弘前東高前駅)を結ぶ道路とその裏道の枡形寄りといえば、伝わるか。でも分かりにくいかも。

僕たちの頃は、スーパー「主婦の店マルエス」が近くにあったものの、後に移転(さらに後に廃業、Uマートに引き継ぎ。跡地は今も空き地)しているし、しかも他にもマルエスの店舗があったから、場所を伝える時は誤解を招く。
結局は「ブックマックスの近く」「ブックマックスの通り」など、特に表通りに面していたブックマックス自体がランドマークになっていた。自動車教習所の送迎バスの乗降場としても使われるほど。
はす向かいにしじみラーメンの「和歌山」があるが、開業は2000年以降のはず。


ブックマックスは、富田町にあった書店兼レンタルビデオ屋。文房具もけっこう扱っていた。
先に述べてしまうと、現在、ブックマックスの店は廃業、建物も解体された。跡地は、
薬王堂。奥突き当りの左方が枡形、右方が農学生命科学部
ドラッグストア「薬王堂 弘前富田店」になっている。
建物の大きさ、敷地内の位置関係はブックマックス時代とおおむね同じだが、やはり違う建物だから面影は薄い。


思い出とネットやGoogleストリートビューの情報を基に、ブックマックスの歴史をたどってみる。
2014年9月撮影のストリートビューより。この時点で看板はあるが廃業後
ブックマックスは、広い駐車場を備えた、平屋の大きな店舗。
全体の雰囲気としては、秋田駅東側にある加賀屋書店東通店っぽいけれど、店も駐車場ももっと大きいと思う。
今は、秋田市茨島や八橋のような、独立した建物が並んだショッピングモールの構成店舗の1つとして書店があることがあるが、ブックマックスの店の雰囲気はそんな感じ。
営業時間はおそらく21時までだった。

今は珍しくない形態だが、当時としてはあまり多くないタイプの書店だった。前の道路の通行量がわりとあるのと、周囲が学生街という立地を活かした書店だったのだろう。
考えてみれば、弘前大学より南(弘前駅と反対)方向には目立った本屋はないはずだし、大学生協の書店とは違う品揃えなので、こちら方面に住んでいた(ちょっと離れていたけど)僕は、たまにお世話になっていた。
2013年5月のストリートビューより
店舗に向かって左側(枡形寄り)・駐車場前の道路沿いには、電話ボックスとともに自動販売機がずらりと並んでいた。飲料のほかこの辺りでは他に西弘前駅前くらいにしかないセブンティーンアイスもあった(今はどちらも撤去)。閉店後のストリートビューではアイス1台・飲料7台。

僕が弘前を離れるまでは、ブックマックスは営業していたが、いつの間にか廃業していた。
調べると、2004年6月20日閉店との情報があった。思ったより早い。
閉店後も、建物・駐車場は長らくそのまま手付かずであった。ストリートビューで分かるように、屋根などサビが出ていた。
2014年のストリートビューでは、自動販売機は営業中のようだが、壁面の店名や駐車場入口の「本」の看板類は残されたままで「テナント募集中 土地860坪・建物175坪」の看板が立っていた。
さらに、2013年5月までは駐車場が使えた(月ぎめ??)ようだが、2014年6月には「本」の下の「P」の看板が外され、チェーンが張られて中に入れなくなった。
電話ボックスは2014年6月から2015年8月の間に撤去。
自販機群は、2015年8月でも営業をしていたようだ。

2016年になって、やっと建物の解体が行われ、新しい建物ができて2017年3月29日にドラッグストア「薬王堂 弘前富田店」がオープンした。
最近の別記事の通り、青森は地元拠点のドラッグストアがしのぎを削る中、薬王堂は岩手の企業。弘前市内では4店舗目。
まあ、ドラッグストアもこの辺にはないから、場所としては悪くなさそう。【3日追記】と思ったら、遠くはない、第三中前から学園町へ曲がる角に、ツルハドラッグ弘前豊原店が何年か前にできていた。ほんとに最近はドラッグストアが増殖する。



2014年6月ストリートビューより店舗の看板
書店名としては「BOOK MAX.」と英字大文字で最後にピリオドが入るのが正式らしい。Mだけ赤で他は緑色の文字。
上の看板で、左にあるのがロゴ。なんとなく記憶にあったが、今改めて見ると、MとXを組み合わせたもので、岩木山もイメージしているみたいだ。
「BOOKS MAX=ブック“ス”マックス」でなく単数形なのは、語呂が悪いからかな。

ところで、ブックマックスの運営企業というか経営者は誰だったのか、漠然と疑問だった。
全国チェーンや成田本店、今泉本店のような地元大手書店とも関係はなさそうで、他にブックマックスという書店はない。ロゴが岩木山風なことも合わせて、地元の個人経営だったのか。

今泉本店をかつて経営していた、弘前市議会議員 今泉昌一氏の2012年1月6日付ブログで、次のようなことが分かった。
・ブックマックスの創業者は山崎幸治氏で、一代限りで廃業した。
・ブログがアップされた2012年始に、山崎幸治氏の死亡広告が地元紙に掲載された。
・ブックマックスは、紀伊国屋書店弘前店の開店(1983年)より後に開店した。
ということで、ブックマックスは、20年弱営業した、地元の書店だったことになる。

書店としてのブックマックスについてはここまでだけど、後でまた同じ名が登場します。


今回、解体前の元ブックマックスが写る、Googleストリートビューを見ていて、気付いて思い出したのが「カフェマックス」。
ブックマックスの隣(道路から見て右隣・松森町方向)に、2階建ての民家のような建物があって、その1階に「カフェマックス」があった。名前の通り喫茶店らしい。
2014年6月撮影ストリートビュー
2015年8月のストリートビューでは、店は営業していないが、10時~19時営業、第2・4火曜日定休、「BOOK MAXの駐車場をご利用下さい。」の表示が残っていた。
看板のロゴは、MAX部分はブックマックスと同じ。ブックマックス廃業時にカフェもやめたとの情報があり、同経営だったのだろう。

薬王堂開店後の2017年もそのままで、「テナント募集」の紙が張り足されていた。その後、2018年8月に「ステーキ食堂 ミートソルジャー」がオープンした。(冒頭の写真手前に少し写っている)



以上を踏まえると、当時を知る方々の中には、ブックマックス、カフェマックスがなくなった今、ハウスマックスはどうなのかと、心配な方もおられよう。
ハウスマックスは健在です!

ハウスマックス・カフェマックスがある枡形~松森町の道路は、広くて一直線だけど、歴史としては新しくもないようだ。
しかし、あたかもこの道の旧道であるかのように、この道の北側を並走する、狭くてカーブが多い道もある。位置関係としては、秋田大学近くの手形陸橋の通りと、三吉神社前の旧道みたいな感じ。
しかもこの道は、ほかの道に対して斜めに交わる、ちょっと不思議な道。枡形から弘前駅方面へ行くときは、多少の近道かと思って、僕はよく歩いていた(いずれまた)。

ハウスマックスは、この狭い道に面して、ブックマックスと背中合わせに位置する。所在地は富野町。
吉田ハウスの向こうがハウスマックス。その裏がブックマックス、道路奥が農学生命科学部方向

道路左側がハウスマックス
ハウスマックスとはアパート。場所的に大学生がメインターゲット。表通りに出て渡ればすぐ文京町キャンパス。道路の配置上、文京町3番地の農生・理工学部はもちろん、正門側1番地の各学部やミニストップ、Uマートも思ったより近く、なかなか好立地。
上の写真では、手前に淡い色の建物と奥にグレーの建物があるが、どちらもハウスマックス。しかも、この奥(左方)にも、同じ造りの建物が並ぶ。

淡い建物が4棟、グレーの建物が3棟あり、それぞれハウスマックスA~D、E~Gと棟の名前が表示されている。
ハウスマックスとは、アパート群の総称になるわけだが、僕が大学に入った時はA~Dしかなく、在学中にE~Gができた。
各不動産情報サイトによれば、前者は1988年4月、後者は1998年4月にできた(Aは1987年4月との情報もあるが、怪しい。Eは1997年11月との情報も)。
どれも1Kで、1棟当たり、A~Dは16戸、E~Gは12戸の模様。【3日追記】全体でちょうど100室。
現在の家賃月額は、A~Dは3万円台なのに対し、E~Gはその+1万円で4万円を越える。どちらも相場の範囲内【3日追記・でも4万円超は高いかも】ではあるが、築年数が10年違えば1万円違うのか。
【3日追記】余談だが、秋田市でも弘前市でも、都市ガスが引かれている地域なのに、そこに建つアパートでは都市ガスを引かずにプロパンガスを使わせているケースが多い。理由は知らない。ハウスマックス各棟は、珍しく都市ガスが使える。


反対側から
7棟のうちA棟にだけ、外壁に「ハウスマックス」の名が表示されている。
「ハウス・マックス」。20年前もこれだった
ブックマックスと同様の色使いで「マ」だけ赤文字。でも、こちらは日本語表記で間に「・(中黒)」が入る。しかも独特の書体。
アパート名にありがちな「ハイツマックス」「コーポマックス」とかでなく、「ハウス」にしたのが少々珍しい。

さらに、下にある管理者名の表示。
なんとブックマックスのロゴマークと「BOOK・MAX(中黒が入る)」!
カットした下には、電話番号が書かれているが、営業していた頃のブックマックスと同じ。

どうも、「株式会社ブックマックス」という企業が存在するらしい。
つまり、書店を廃業した後も、ハウスマックスを管理する会社として、「ブックマックス」の名前は今も残っているということのようだ。

大学生協は、以前からアパート仲介の不動産業をやっていたが、2000年以降、アパートの管理受託にも力を入れるようになった。該当アパートには壁面にその旨の表示板(秋大も弘大も同じデザイン)が設置されているが、ハウスマックスにはなさそうだった。仲介は生協でもやっている。


まとめると、
・ハウスマックスのほか、かつてはブックマックス、カフェマックスも、同じ一角にあった。
・マックス群は、昭和末期(ブックマックスは1983年より後、ハウスマックスは1988年)にできた。
・現在はハウスマックスだけが残っているが、ブックマックスも企業としては存続し、ハウスマックスを管理しているらしい。
といったところ。

あと気になるのが、これら各マックスができる前は、何があったのか。
1975(昭和50)年、1982(昭和57)年の航空写真を見てみた。既に現在並みに家が多く建っているが、後にマックス群となる敷地には、大型の建物と家ではない箱状の物体が並んでいた。おそらく製材所。
敷地は広い通り側と狭い通り側で一体化しているようで、できあがった板を狭い道側(現・ハウスマックス)に積み上げていたように見える。
実際はどうだったのだろう。


大学を挟んで反対側のバカヤローカーブ寒沢スキー場ほどのインパクトはないけれど、「マックス集中地帯」も、弘前大学周辺では特徴的な場所ではないだろうか。
狭い道の話題は続く
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土手町周辺2018

2018-09-27 00:25:37 | 津軽のいろいろ
この記事の続き、弘前の街並み。中心部の土手町かいわい。

紀伊國屋書店の上の弘前パークホテル(旧・法華クラブ)に宿泊。
楽天トラベルの朝食付き税込み4000円未満の格安プランだったのに、11階の岩木山側の部屋を割り当ててくれた。過去何度か泊まった時は、低層の反対側だったはず。
11階という高層から弘前を眺めた経験は、ほかには弘前大学理工学部2号館から(関連記事)しかない。
それに、近くの弘前国際ホテル(現・スマイルホテル弘前)や弘前プリンスホテルから岩木山方向を眺めたことはあったが、当然ながら、手前の市街地の風景はそれぞれ違った。パークホテルからの眺めもまた違った。
弘前パークホテルからの眺め。岩木山はうっすら
下中央から奥の道が土手町の通り。真下が中土手町、奥が下土手町。
左奥に弘前大学医学部附属病院、中央の黄色い看板がスマイルホテル、その向かい・右端が中三弘前店(独特の形状のわりにはあまり目立たない)。
この写真の中に、今回目の当たりにした街の変化が2点。以下、地上の写真で紹介。

まず、大きく見えている交差点。土手町と交わる左右方向の道は「3・3・2号線」。
それまで北大通り(きたおおどおり)が突き当たっていた写真右方向・弘前郵便局角から、土手町の通りを越えた「弘前市まちなか情報センター」のところまでが、2004年頃に開通して、現在の姿になった。
開通前の記憶は(あるはずだけど)ないが、少なくともこんなに大きい交差点はなかった。だから、道路開通によって、中土手町(あるいは連続した商店街としての土手町全体)が“分断”された形になる。
秋田市の仲小路は、秋田中央道路の地下トンネル出口ができたことで(+エリアなかいち再開発)、連続性が失われてしまったが、それに似た状況。
ただ、土手町はその先に中三や弘前公園もあることから、さほど人の流れが変わるような事態にはなっていないと感じる。道路横断や信号待ちは面倒だけど。

さて、その交差点の角(まちなか情報センターの隣)に、これまでなかった店ができていた。
交差点向かいから。枠外左がまちなか情報センター
ドラッグストア「ハッピードラッグ弘前土手町店」。今年7月26日にオープンしたばかり。24時まで営業、調剤薬局併設。

ハッピードラッグは、本社が青森市にあり、北東北3県に展開。
ただ、弘前では存在感が薄いと思う。桔梗野店もあるが、2013年5月オープンらしい。
秋田市には今年7月12日に泉北店として初出店。新屋にも開店予定とのこと。新規出店を加速させているようだ。→その後の秋田市の状況

ハッピードラッグが建つ前は、何があったんだっけ?
ここを左に入ると中央弘前駅
↑ここが以前は↓
2013年撮影。「なかどて月極駐車場」の看板
平面の駐車場だった。
おそらく、もっと前は何か店があって、道路建設で立ち退いて駐車場になっていたのだろう。


他のドラッグストアチェーンも、弘前の区画整理エリア内(前回の記事)、秋田市の仲小路近くなどにできていて、市街地にドラッグストアが増えつつあると言える。
土手町は、コンビニもミニストップしかなく、地元商店以外を避けたがっている感じもしていたが、こんな店ができたのには驚いた。以前を知る者としては場違いな感じもするけれど、駐車場や空き地のままよりはいいのかな。

なお、この真向かいが、一戸時計店のトンガリ屋根の時計台。
そして、上の写真で左側にある小さい道へ入って、坂を下ると、弘南鉄道大鰐線・中央弘前駅。
中央弘前駅は、場所が分かりにくい駅として有名。土手町の通りからこんな細い道へ入るポイントが分かりづらい点の1つ。これからは「ハッピードラッグの先を左折」と説明できるから、いくぶん分かりやすくなるかな。【27日追記】でも案内板は小さい棒状のものだけのはずで、予備知識がないと見落とす可能性あり。大きな案内板があってもいいのでは?


もう1点は、話には聞いていたこと。ハッピードラッグの先から、中央弘前駅を目指す。
狭い道路の左に弘前昇天教会、奥に中央弘前駅が見えるのだけど、右側は…
更地! 左が中央弘前駅
広い更地ができていた
道路が拡張されることになっており、工事が進んでいるのだ。
駅の反対側から。中央奥の白いビルがパークホテル
更地になった場所には、いくつかの建物があったが、いちばん大きかったのが「ルネスアベニュー」。かつての「ルネス街」。
若者向けファッションや飲食のテナントが入り、中央弘前駅と土手町の間で通り抜けができた。秋田市のファッションアベニューAD(→イーホテルショッピングモール→単なる通路)みたいな感じ。
1980年オープンで、2006年に「~アベニュー」にリニューアルされ、2017年3月にこの工事のために休業して解体された。
上の写真の駅の正面にある横断歩道の真向かいが、ルネス街の出入り口だった。
2013年撮影

左側が駅
上の写真右側のサーモンピンクの建物は、ルネスアベニューの一部ではないだろうか。ルネスアベニューの全部が解体されたわけではなく、道路拡張にかかる部分だけを解体したのかな。土手町側がどうなっているのか、見ればよかった…
道路整備後は、ルネスアベニューが復活することになっている。※続きはこの記事中ほど
2021年末の道路工事の状況はこの記事後半。


最後に再びパークホテルからの写真。

中央弘前駅横の土淵川を底に、すり鉢状の地形なので、岩木山に向かって徐々に高くなっている。歓楽街・鍛冶町近くには民家もけっこう多い。
手前のハッピードラッグ、その左隣がまちなか情報センター、そしてその左奥。
昇天教会と中央弘前駅
パークホテルからしか見られない風景だろう。
夜景
新しい道路になっても、これは変わらないだろうか。

弘前の他の場所の話題は続く。
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カブバス停/紅屋おはぎ

2018-09-23 23:12:03 | 津軽のいろいろ
弘前のスーパーマーケットの話題。
この記事などで時々出てくる、青森市の紅屋商事が運営する「ベニーマート」と「カブセンター」。
両者の違いは、店舗の規模ということなんだろうか。カブセンターのほうが広い駐車場を備えた、広くて大きい店の感じ。折り込みチラシは共通のようだ。

弘前駅から東へ2キロほど、国道7号など幹線道路が交わるエリアに、カブセンター弘前店がある。(弘前市内には、カブセンターブランドではもう1店「神田店」もある。)
こういう郊外型の店は、徒歩圏内の人以外は自家用車でなければ行くことはできない。ところが弘前は、弘南バスの「城東環状100円バス」(過去の記事)がある!
弘前バスターミナル、弘前駅(正面でない城東口)、大型店のさくら野、駅東側の新興住宅地を、両方向それぞれ1時間に2本ずつ環状運行するバスが、カブセンター前にも停車する。
バス停名はズバリ「カブセンター」
「しらゆり型」と呼ばれるタイプだそうだけど、弘南バスの新しいバス停の標準型。バス停名が手書きなのも標準。漢数字の「七」を加工したような「セ」、線がはみ出した「ン」など、ぎこちないような独特の文字。逆方向側のポールも、まったく同一の線に見えたので、1枚書いてコピーしたのか。

バス停名は「○○前」なんて言いながら、バス停からその○○まで、けっこう歩かされるものも少なくない。ところが、「カブセンター」バス停は、
店の軒先にバス停が!
玄関のすぐ前にバスが停まってくれる(コカ・コーラの自販機のところが店舗出入り口)。雨や雪の影響なく、徒歩5秒で入店可能。
駐車場に出入りする一般車と同じ経路で敷地内に入り、その通路上に停車する感じ。
商業施設や病院の敷地内に路線バスが乗り入れるケースはたまにあるが、一般車とはルートや場所が区別されているところが多いはず。しかし、これだけ大きくて出入りが多い駐車場に、一般車と路線バスが混ざって走って停まるのはちょっと珍しい。一般車との錯綜、乗客の通路横断時の事故などのおそれはあるものの、手軽で実用的な方法ではないだろうか。
駅方面から来てさくら野へ向かう大町回りが数人降ろして数人乗せて発車
環状運行だからどちらも弘前駅へは行く(運賃も同額)が、駅から来る時は「大町回り」が、行く時は「和徳回り」のほうが所要時間(駅~カブセンターは7~8分、カブセンター~さくら野~駅は16~18分)は短い。

店の軒先に停まるのは、実は大町回りだけ。
和徳回りは通路の向かい側にバス停がある。駐車場内でもちゃんと方向を分けていて、完全に道路上と同じような扱い。
ポールの裏面は真っ白なのね
上の写真で、通路向かい側にある、カート置き場のような小さい小屋が、和徳回り用の待合室付きバス停。待合室の中がちょっと汚かった…

大町回りは、正面から駐車場に入ってきて、バス停を過ぎると、
建物の裏へ回る
店舗裏側からも出入りできるようになっており、搬入口をかすめて、住宅地の中の狭い道へ突き進んから、再び広い道へ出て、さくら野方向へ向かう。和徳回りもこの逆順。
住宅地の狭い道は、秋田の仁井田御所野線のニュータウン御野場辺りみたいな、「ここをバスが通るの?!」という感じになる。スーパーの駐車場に入るのも「ここをバスが~?!」だけど。


さて、ベニーマート・カブセンターは、以前のカツ丼もだけど弁当惣菜類がなかなかおいしそう。
昨年、ここの「おはぎ」がおいしいという話を小耳にはさんだ。

スーパーのおはぎといえば、ここ数年全国的に多少知られるようになった、仙台市秋保の「主婦の店 さいち」というローカルスーパーのもの。遠方から買いに来る人もいて、飛ぶように売れているという。
全国の同業他社の中には、さいちを視察したり、レシピを譲り受けたり(?)しているところがあり、どうも紅屋もそうらしい。
さいちのおはぎはちょっと気になっていたが、そのためだけにわざわざ秋保へ行くほどのおはぎ好きではない。でも、弘前で似たものを買えるのなら…

ここで「おいしいおはぎ」の定義について。
ネットでさいちのおはぎの口コミを見ると、おいしいという声ばかりでなく、「ごく普通」さらには「あまりおいしくない」「まずい」というものも一定数ある。
個人的には、ものごと、中でも食べ物の好き嫌い・うまいまずいは人それぞれで、それをひとくくりにして星の数や無責任なコメントで評価するのは、どうかと思う(関連記事)。もちろん、アクセスなど公式情報が少ない店舗の補足情報など有益な口コミもあるけれど、それが埋没してしまっている。

そうであっても、例えばラーメンなら、味や麺の種類、地名などで、ある程度細かく分けることができ、それで好みを絞りこめる。
しかし、おはぎは、つぶあんこしあんごまきなこ、家庭の手作りも和菓子屋も、全国どこでも「おはぎ」(もしくはぼたもち)で同じ。「おいしいおはぎ」の基準があいまい、というかないのではないだろうか。
それを踏まえて、以下、ご覧ください。

以下は、ベニーマート松原店で買ったものだが、カブセンター弘前店でも見た目や入り数は同一のものが売られていた。彼岸時期以外でも、種類はつぶあん1種ながら1個、2個、3? 4?個入りくらいがあった。
「こだわりの自家製おはぎ」2個260円 ※輸送中にケース内で動いてしまい、少々崩れています
現在は彼岸のセール中で2個258円になっているほか、あんこ、きなこ、栗、ごま、よもぎを1個ずつセットした「彩り五色おはぎセット」627円もチラシに掲載。

第一印象は、大きさに驚かされる。
でーん
家庭や地域で異なるとは思うが、僕が連想するおはぎは、球を上から軽くつぶしたような形。一方、これは細長くて高さもわりとある。ラグビーボール、レモンケーキのような感じ。
一般家庭でもスーパーの惣菜でも、手作りのつぶあんおはぎは、表面のあんこの水気が多いのか、ぐちゃっとした見た目であることがあるけれど、これは水分が少なそう。また、豆の粒がはっきり分かる。
割ると
あんこが分厚く、餅が少ない。そして、餅も“半殺し”どころか、米粒がほぼそのままに近い。

原材料表示は「あんこ(小豆、砂糖、食塩)もち米(国内産)」とシンプル。おはぎ・ぼたもちは、もち米とうるち米を混ぜることもあるが、ここはもち米オンリー。秋保のさいちでは、うるち米も使っているそうだ。

食べると、かなりあっさりしたおはぎ。だから、大きさのわりには食べやすい。
個人的感想しては、おいしいし、まずくはない。でも、あんこは多いわりに甘さが物足りないし、もち米100%のわりには餅らしさがしない。【25日補足】「甘さ控えめ」というより「ほとんど甘くない」。
僕の理想というか「おいしいおはぎ」の基準からは外れてしまっている。おはぎ・ぼたもちというものは、小さくていいから、あんこはある程度甘く、餅はある程度以上つぶれていて餅っぽくなければ…(そもそもこしあん派だし)

折り込みチラシには、「紅屋特製おはぎのおいしい理由」として「あずきのおいしさを活かすため、粒が残るように煮た甘さ控えめの餡」などとあり、店頭のPOPには「一般的なおはぎより糖度を約10度もおさえ」「毎日食べたくなる甘さ控えめのおはぎ」とある。
なるほど。紅屋さんの目指すおはぎの理想像が、そうなのか。
僕は、甘さ控えめでなくてよく、毎日食べなくていいのだから、対極にある。


それにしても、地元津軽のみなさんは、どう評価しているんだろう。
このおはぎを食べて「素朴なおはぎ」と表現したくなったが、ほんとうの素朴さとは違う気がしてやめた。「洗練された素朴さ」「作られた素朴さ」は言い過ぎ?
津軽では、赤飯さえ甘くする(けっこう好きです)し、いなり寿司にもち米や砂糖を使う場合もあるし、米の漬物「すしこ」というのがある。甘くて餅っぽいものを好む傾向。
だから、津軽の家庭で、このようなおはぎを作っているとは考えにくいし、それを店で売るのは…どうなんだろう。これはこれで別物の「甘くないおはぎ」ととらえられているのだろうか。

ネット上には、紅屋のおはぎの評判、というか話題そのものはほとんどない。販売者が騒いでいるだけで、実はそれほどの人気でもない??
秋保のさいちのおはぎのほうだが、やはり、見かけも味も紅屋のおはぎとよく似ているようだ。
だから、さいちのおはぎを良く評価しない人は、「おはぎは甘いもの」あるいは「甘い=おいしい」と考えている人なのかもしれない。
僕も「おはぎは甘いもの」派だけど、「好みに合わない=まずい」とは思わない。好みは人それぞれなのだから。
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萩原牛乳 秋田進出?

2018-09-17 01:01:47 | 津軽のいろいろ
9月6日、最大震度7の北海道胆振東部地震が発生。震源地周辺で大きな被害が出た。
間接的には、大規模な停電が発生したことによる被害と、旅行のキャンセルといった風評被害が、全道的に出ている。

東北地方では被害はなかったが、ちょっとした影響が出ている。北海道で作られる製品、特に加工食品が入ってこなくなった。
北海道を地盤とするヤマザキ系列の「日糧製パン」がある。
秋田でもある程度の同社製品が流通しているが、青森には同社営業所もあって、より多種にサンドイッチなんかも売られている。地震直後に弘前へ行っていたが、「今後の入荷の見こみは立っていない」旨の張り紙を出すスーパーもあった。

北海道といえば乳製品。
電気を使う搾乳ができずに牛のストレスになる、搾乳はできたとしても工場が停止していて廃棄せざるを得ないという、二重の被害。
現在は回復しつつあるようだが、秋田のスーパーでは、いつも売っている乳製品が入荷していないものもまだある。例えばイオンのプライベートブランド「トップバリュ」の大容量ヨーグルト各種は、たしか札幌のサツラクで製造していて、16日時点でも未入荷。

14日、秋田市内のマックスバリュ東北の牛乳売り場へ行った。
いつもなら、サツラクまたは森永乳業の1リットルの(種類別)成分調整牛乳が並んでいる場所に、見慣れぬ牛乳、いや見たことはあるけれど秋田では初めて見る牛乳が並んでいた。
青森県産 萩原牛乳(種類別・牛乳)
弘前市に本社があり、青森県最大手の乳業メーカー「萩原乳業」の牛乳である。※過去の記事

萩原乳業の製品は、青森県内のほかは秋田県北部にしか流通しないとか。秋田市ではスーパードラッグメガでは、もしかしたら売っているかもしれないけれど。
今回は、普段、成分調整牛乳がある場所で、(種類別)牛乳である萩原牛乳が売られていたことを考えれば、地震によって成分調整牛乳が入荷できなくなり、代わりに急きょ手配した可能性がある。マックスバリュ東北は青森県も営業エリアだから、そのコネクションで。
ただし、他のスーパーでは、サツラクの成分調整牛乳があったし、マックスバリュでは森永の成分調整牛乳も少し置かれていた(どちらも賞味期限が長いので、被災前の製造かも?)。
※東日本大震災の時は、群馬県の牛乳が秋田で売られたが、その後はまた見なくなった。

秋田で萩原牛乳を買えるとは思わなかったから、うれしくて購入。14日は税込み213円と、いつも160円前後の成分調整牛乳よりは高い。ちなみに青森のイトーヨーカドーでは200円程度。
「県産はぎわら牛乳」
レシートには「県産はぎわら牛乳」と表示。
正確には「青森県産 萩原牛乳」。マックスバリュ東北では、POSデータは店舗間で共通のようだ。普段は青森県内の店舗でしか使わないから「県産」で済ませているだろう。「萩原」は「おぎわら」と誤読されないよう、ひらがな書きにしたのか。

萩原牛乳は、秋田市内の複数のマックスバリュで発売され、15日以降は178円とか、16日の泉店では、成分調整牛乳と同額の159円で発売されていた。※泉店は成分調整牛乳が他店より安い。
16日に売られていたのは、賞味期限が19日だったから、もしかしたら、もう入荷は停止していて、在庫処分的に値下げしているのかもしれない。

いつも成分調整牛乳を飲んでいるせいもあるけれど、さすが萩原牛乳。おいしい。
栄養成分表示

(再掲)2015年の200ml入りの表示
栄養成分表示の値が、2015年の200mlパックのものと少し違っていた。無脂乳固形分、乳脂肪分は同じ。
2015年は「製造者調べ」、今回のは「製造者による推定値」となっていて、その違い?

パックの広告欄
「青森県産生乳100%あおい森のヨーグルト」の宣伝。先日弘前に行ったときには、400グラム180円くらいで売られていた。東北町産の生乳のみを使っているそうだ。
これも秋田で売ってくれればいいのに…
上でキャラクターのミルキングさんは「牛乳の地産地消を推進し」とおっしゃっているけれど、もうちょっと拡大して“地産隣消”もいいかもしれませんよ。


地震と関係あるのかは不明だが、マックスバリュの冷蔵コーナーでは、
 工藤パンの「チョコバナナクレープ」
イチゴのクレープと2種類、170円。
青森でも見たことがないもの。
一部筋っぽい(?)バナナが入っていたけど手頃で食べ応えがあっておいしい。たけやのバナナボートもいいけれど、こういう隣県のものを日頃から食べられたらおもしろい。


【2018年9月28日追記】この後、9月20日頃までにはおおむね以前の供給体制に復帰(トップバリュのヨーグルトが、いちばん時間がかかった)。萩原牛乳を見ることはなくなってしまった。
秋田市内の意外な場所で、萩原牛乳が提供されていた
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続・ヨーカドーから和徳小への道

2018-09-13 00:06:18 | 津軽のいろいろ
最近の弘前。※前回の記事
1年前の状況を紹介していた、弘前駅前北地区土地区画整理事業の続き。

弘前駅前のイトーヨーカドー弘前店北西角の丁字路交差点を十字路にして、並木通りを北・市立和徳小学校方向に延長するように新しい道路と、それと交わる代官町と弘前プリンスホテル向かいを結ぶ東西方向の道路が造られていた。
1年前は、道路の形はできていたが、舗装は未完成だった。今年3月28日に開通したと聞いていた。

十字路化にともない、横断歩道・歩行者用信号機が増設されたイトーヨーカドー前の交差点。その音響式信号は、通りゃんせ/故郷の空のメロディのままだった。(音源はそのまま、スピーカーを増設しただけという形)
おそらくすべてピヨピヨ/カッコー化された秋田県と違って、メロディがまだ多い青森県でも、この近くのヒロロ前の交差点は、いつの間にかピヨピヨ/カッコーに代わっていた。
※雨の中、スマホで撮影した写真です。
イトーヨーカドーを背に北へ進む
まだ空き地も多いが、昨年よりは少し建物が増えたか?
車は並木通りなど周辺に比べれば多くはないが通行する(朝夕は知らないが、思ったよりは少ない)し、徒歩や自転車で通る人もわりといて、道に血が通ったのを感じる。

それにしても、帰ってから上の写真を見た時、一瞬、秋田駅周辺の新しい道路(脳研裏とか東口とか)を撮影したものかと錯覚してしまった。
歩道のタイル(形状と色合い)、照明、それに建物の感じが、とてもよく似ている。
画一化された個性のない街というよりは、住宅地に位置付けられるであろうエリアで、雪国仕様の歩道や建物となれば、似てしまうのは仕方ない。
強いて言えば、突き当りに見える、和徳小の校舎、振り返れば見えるイトーヨーカドーは、弘前の光景。それに、
弘南バスが通る!
営業運行のルートではない。回送のバスが、両方向とも1台ずつ通るのを見かけた。
なるほど。このエリア内にある和徳車庫と弘前バスターミナルの行き来には、ここを通ることもできる。
ただ、バスターミナルの乗降・待機位置の都合か、従来通り、プリンスホテル前~イトーヨーカドー北東の交差点のルートで回送することのほうが多いようだ。従来ルートは、道が狭いわりに交通量があるのと、交差点がX字状なことで、見ていて危なっかしい場面(一般車もバスも)もあるのだけど。

ヨーカドーからの道は和徳小手前で突き当たり、東西の新しい道と交わる丁字路がある。
信号機のない横断歩道が2本(南と東)あるが、車の通行量からしてこれで充分。【13日追記】でも、小学校・公園の近くであることや、夜間の明るさなどを踏まえると、どうかは分からない。
奥中央左の高い建物は弘前プラザホテル
突き当たりの先は、歩行者はさらに北進でき、和徳小向かいへつながる。この部分は「駅前北公園」を併設した「特殊街路(歩行者専用道路)」。
歩行者道路からイトーヨーカドー方向
駅前北公園もほぼできあがっているものの、まだ何かの工事中。
注意事項の看板
火を使うことはできないが、迷惑をかけなければ、バットなど用具を使ってもいいようだ。
それに、弘前市管理の公園では基本的に犬を連れて立ち入ることができないが、ここは可能。最近は規制が緩くなっていることもあるのだろうが、ここが公園緑地課でなく区画整理課の管轄であることも関係しているのかも。
看板の後方は、アスファルト舗装された広い空間。この公園には、スプリンクラーで融かすことができる雪置き場(雪捨て場)や、ねぷた小屋が設置されるそうなので、おそらくそのための場所。
ログハウス風の平屋も見えるが、特に表示はなく、中に入れそうにもない。防災用具置き場か?
和徳小寄りにはあずまやや芝生

戻って東西の道。
東のプリンスホテル方向を見る。東横インの向こう側が弘前駅
弘前プリンスホテルの向かい、新しい道路との角に、大きなドラッグストアができていた。
青森市の紅屋商事による「メガ弘前駅前店」。秋田市にも2店舗あるが、弘前市内には同社運営のスーパー(ベニーマート、カブセンター)のほうが多く、メガは2店舗目。
区画整理エリア内には、かつての小さいスーパードラッグアサヒはなくなったが、ツルハとメガの2つのドラッグストアができた。
昨日触れた、弘前でもこんなところにドラッグストアが…というのは、ここもそうだけど、もっと驚いた店があったので、後日。さらに別の弘前の新しいドラッグストア
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駅・ポスト・塀@弘前

2018-09-11 00:09:43 | 津軽のいろいろ
青春18きっぷで弘前へ行ったので、話題いろいろ。

●弘前駅(サイネージ・窓口時間・AOMORI行き)
今年春、秋田駅では、中央改札口の上に、70インチディスプレイを7枚横に並べたデジタルサイネージが設置された。普段は、歓迎の動画や広告、遅延・運休時にはその情報を表示している。
弘前駅改札口
弘前駅でも、70インチよりは小さいもの3枚だが、デジタルサイネージと呼んで差し支えないものが設置されていた。しかも、上の写真の改札口外側だけでなく、改札口内側(改札を出る人が目にする方向)にも設置されていた。秋田駅は改札内にはない。

そこに、こんな情報が設置されていた。
面倒でスマホで撮ってしまいました
10月1日から、弘前駅みどりの窓口の営業時間が短縮されるという。
現在は5時30分から22時までなのが、6時から20時までになる。

弘前駅の始発列車は5時24分青森行き、最終は22時09分青森行き、22時35分大館行き。
みどりの窓口の外(近距離券売機の右)にある指定席券売機は、5時00分から23時00分まで稼働しており、告知がないから10月以降も変わらないのだろう。
夜行列車も廃止されたし、指定席券売機でおおむね用が足りるという、判断なのでしょう。
ちなみに、秋田駅のみどりの窓口は、現在の弘前駅と同じ、5時30分~22時00分。こちらはどうなるか?
【11月9日追記】その後秋田駅でも、11月1日から変更。窓口は5時30分~20時15分に大幅短縮。一方、指定席券売機の稼働時間は5時30分~22時00分までだったのが、23時00分までに拡大。券売機が窓口内にあるため、仕切りの設置が行われたようだ(弘前駅では、1台は窓口の外にある)。


弘前駅の改札口や通路・ホームの3色LED式発車標は、できないのかやらないのか、英字表示はなかった。
一大観光地の玄関口にしては、物足りないかもしれない。いつの間にか、こうなっていた。
「青森」行きだけ「AOMORI」も
「青森」行きの時だけ2段にして、下に「AOMORI」と併記されるようになった。秋田はじめ他の行き先は日本語のみ。
わざわざこうしたということは、日/英を切り替えて表示する機能がないということなのかな。
※コメントをいただいた通り、後に青森以外の行き先も併記されるようになった。この記事後半にて。


●ポスト取集回数
郵便局のポストの中身を回収する(取集)回数が、秋田市中央部では、今年春と夏の2度にわたって、削減された。
情報によれば、郵便物を盛岡の中継拠点的なところに集める流れに変更されたことが関係しているらしい。では、弘前では?

その前に、昔弘前に引っ越した当初、カルチャーショックの1つだったのが、当時の秋田市と比べて、取集回数が少ない(平日でも1日2~3回?)ことと、初回回収が朝6時台の早朝であったこと。
おそらく当時見たであろう、西弘前商店街南側の三栄商会前のポストの今は…
1日2回
平日と休日が同時刻、土曜だけが時刻が少し違う。いずれも1日2回で11時前後と16時前後。
回数はともかく、朝は以前より遅くなっていた。
富田郵便局前や品川町郵便局前のポストも、同じ回数と時間帯。弘前市街地では多くても1日2回のようだ。

ほかのポストは。
弘前市立病院前のポスト
何やら張り紙が。
「お知らせ」(これは別のポストのもの)
「2017年11月1日から、このポストの取集時間を次の通り変更させていただきます」
てっきり、今年の11月から変更になるのを、2か月前から告知しているのかと思ったら、昨年の11月だった。ポスト本体の表示欄の時刻は、修正済み。
掲示は複数のポストにあったので、撤去忘れではなく、張りっぱなしということになる。おかげで、変更前の状況を知ることができた。
以前はいずれも、毎日2回だったのが、1回に削減されていた。
市立病院前は、平日12時10分・16時30分/土日12時40分・16時50分だったのが、10時00分/9時30分に。(秋田では土曜は平日扱いと聞いたけど、弘前は日曜と同じ扱いなのか?)
その近くの、バスターミナルそばのセブン-イレブン・ローソンの交差点は、12時10分・16時20分/12時50分・17時00分だったのが、10時00分/9時30分に。
松森町(取上交差点)の種屋さんのポスト(上の写真)は、12時00分・15時20分/12時30分・16時40分だったのが、10時00分/9時30分になっていた。

変更前は、各ポストで10分程度の時刻がズレていたのに、変更後は全部10時00分/9時30分。
回収時刻表記が大雑把になったようだ。といって9時59分に回収されると、10時00分だと思ってギリギリに投函しに来た人は、丸1日後回しにされてしまう。実際には表示より遅く来るということでしょう。
ちなみに、今日、秋田市内でポストから回収している場面に遭遇したが、15分遅れだった。


●弘前大学の塀
地震発生時のブロック塀の危険性が、改めて取り沙汰されている。先日、秋田市内のその掲示を取り上げて、中でも、秋田大学の周知方法について疑問を呈していた。意図が伝わらなかったり、危なそうな塀なのになにもなかったり。

その時、頭をよぎったのが、弘前大学。弘大でも、文京町地区正面側は生け垣などになったが、それ以外にはブロック塀が散在する。
今は知らないけれど、少し昔の弘前大学(あるいは国立大学)は、もっともお役所仕事をする役所だと感じていた。だから、秋大のように掲示類がなかったり、あったとしても、
「コンクリートブロック塀に係る注意喚起について」「このことについて、疑義のある近隣住民は当職まで照会いただきたく…」みたいな奇妙なものではないかと、不安になった。
※20数年前、本文が「このことについて」で始まる学内掲示を読んだ時は、どういう意味なのか分からなかった。「標記(タイトル)の件について」という意味なのだそうで、役所では使われる(使われていた)言い回しだそうだけど、少なくともここ20年弱の地方自治体の文章では見たことはない。この点からも、国立大学のお役所ぶりが伺える。今も使っているのかね?

西弘前(弘前学院大前駅)方面から弘大文京町地区へ、徒歩や自転車で来る時は、農学生命科学部正面(昔からある建物。現・1号館)からまっすぐの道を通るのが近い。
細い道が入り組んでいて、学生向けアパートと古くからの一般住宅が混在しているが、外部の車はまず入ってこないので、歩きやすい。
通称・バカヤローカーブの最初のカーブの入口からもまっすぐであるが、そこは砂利道になっている。そういえば、バカヤローカーブに面した角に、昔は夏の間だけ営業する花火屋さんがあった(店名不明。通称「花火屋」)けど、今もやっているのだろうか。建物はそのままのようだけど。見てくればよかった…
左がグラウンド、右が学内圃場
住宅と農学生命科学部の建物の間には、右側は研究・実習用の農作物を育てる学内圃場があり、中でもこの付近は水田。夏はカエルの大合唱が聞こえ、少し離れたところからヤギの声が聞こえることもある。
左側は、手前・バカヤローカーブ方向からグラウンドが広がっている。
圃場、グラウンドと通路の間には、どちらもあまり高くはないがブロック塀があった。そこに…
田んぼ側
「地震による揺れを感じたら、ブロック塀などに近づかないようにしましょう。弘前大学」
なかなか適切な文章じゃない! 「ブロック塀などに」の「など」はどういう意味なんでしょう。たしかに、壁とか窓ガラスも危険ですが、ここでは関係ない。
グラウンド側も見ると、
水濡れ・ツルがからまっているけど
「地震による揺れを感じたら、ブロック塀に近づかないようにしましょう。弘前大学」
「など」なし、ふりがな入りバージョン!
グラウンド側の塀は、民家のある区画と向き合っており、近隣の子どもたちが前で遊ぶこともあったはず。だから、ふりがなを入れたのかな。
読む人の立場になった、かなり適切な掲示だ。こういうことも「地域と共生する大学」として大切だと思う。近隣の皆様には、学生の声、カエルの声、ヤギの声、土ぼこりなども我慢してもらっているのだろうし。

建物裏側・大通りを渡って反対側に入ったところにある、教育学部附属特別支援学校の栽培実習園の塀にも、これと同じ内容の掲示が出ていたので、大学本部の施設管理部門が設置した掲示だと考えられる。
また、弘南バスの車内には、「附属小学校で塀の工事を行うので、その間はバス停を移動する」旨の告知が出ていた。
弘前大学では、ブロック塀の対策はけっこう進んでいるようだ。

弘前の話題は続く
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弘南バスの回数券

2018-09-03 22:36:43 | 津軽のいろいろ
乗り物の磁気カードやICカードの乗車券の導入により、消えていくであろう紙の乗車券。
中でも、定期券ほど利用しないけれど、利用機会が多い人向けに「回数券」というものがある。
鉄道では、区間を定めてその11回分を10回分の値段(0.91割引)で発売、3か月間有効といったものが多い。
路線バスでは、区間に関わらず金券として使えるものを有効期間なしで発売しているところが多い。【4日補足・割引率は下記の通り、さまざま。】支払い時に、運賃分をもぎって支払う。【4日追記】バスの回数券は、区間と期間の制限がないことから、使い勝手はいい。同一区間を週5回往復する場合の割引率は、一般定期券と比べても遜色ないことも少なくないはず。

秋田や弘前のバスでは、紙の回数券がまだまだ現役。
秋田市のバスは、以前取り上げた(地色変更発売所)ように、かつては市営バスと中央交通で共通利用できたものが、中央交通に全面移管された現在もそのまま残っている。
0.91割引の「普通回数乗車券」のほか、割引率が2割を越える「買物回数券」、「通学回数券」がラインナップされているのが特徴。

どの回数券も、10円から100円の券を組み合わせて、それぞれの割引率に合わせて綴った(普通1100円分、買物1400円分、通学1300円分)ものを1000円で発売する「セット券」がある。
普通券には、200円券も含めた3300円分を3000円で売るセット券もある。
さらに、普通券には、100円から200円まで10円刻みで、同一額の券11枚綴りを10枚分の値段(例えば170円×11枚で1700円)で売る「単券」もある。
3000円セットや単券は、バス会社窓口や委託店舗でしか購入できないが、1000円の各種セット券はバスの車内でも購入できる。
※以下、(かつての秋田市交通局と)秋田中央交通の回数券のことを「秋田の回数券」と表記します。実際には、それ以外のバス会社では、異なる回数券が存在します。また、不正防止のため、写真には赤い線を入れました。


一方、弘南バスには、買物券や通学券に相当する回数券はなく、普通券のみ。だと思っていた(←実はそうではなかった。末尾にて)。
詳細はホームページにも出ていないが、秋田で言う「単券」に相当するものと「セット券」が存在する。

セット券については、バスの車内放送でも紹介され、「お求めはバスが停まっている時に乗務員へどうぞ」と(音声合成化前?)言っていた。
でも、秋田と比べると、車内で購入する人はおろか、支払いに使っている人もかなり少ない印象がする。

弘南バスに乗って20年以上経つが、車内で回数券を買っている場面は2回しか見ていないはず。乗車回数が違うので比較できないが、秋田では10回乗れば1回は買う場面に遭遇している感じかな。

弘南バスで回数券の利用が少ないのは、割引率が渋いということと、「車内でも買え、自分の支払額合わせて切り取って使いやすいはずのセット券が、実際にはちょっと使いづらい」ことが原因の気がする。
実は僕自身も、初めて弘南バスの回数券を買ったのは、10年ほど前だった。
秋田の回数券を見慣れた者としては、びっくりした。

2009年に購入したセット回数券

第一印象は、長い!
あとは、これだけ?=表紙がないの?
そして構成を見ると、使いづらそう…

秋田の回数券は、同じ金額の券片×5片で1つの「ページ」となり、金額が違う何ページか組み合わせて、糊付けして、「表紙」「裏表紙」がついた「冊子」になった構成。
一方、弘南バスの回数券は、ぺらっとした1枚もので表紙がない。上部に発行番号と思われる数字が記された短い紙片が付いている以外は、全部回数券本体。長さは21センチ。
両社とも、各券片にはミシン目が入っている。

窓口で購入すると、21センチの長いままそのまま渡されるので、特に戸惑う。車内では、半分程度に折って渡すようだ。
秋田の回数券からすれば斬新だけど、考えてみれば、JR東日本の窓口販売分の普通回数券も、1995年頃まではこんな形だった。駅名や有効期間をその都度、ハンコで押していた。それを思えば、これも回数券のひとつのスタンダードなのかも。



さて、現在、弘南バスのセット回数券を買うと、渡されるものがこちら。
170円券3枚を使用済みです

どちらも発売額は1000円なのに、2009年のセット券と現在で、券片の構成が違っている。2種が並行して売られている(選べる)わけではない。内訳は、
2009年 160円券×4枚、100円券×5枚、10円券×1枚。計10枚・1150円分
2018年 170円券×6枚、100円券×1枚、10円券×3枚。計10枚・1150円分
13.1%割引となり、9.1%引きの単券よりは少し得になる。

2009年と今で、金額の大きい券片の額が変わっている。160円と170円。これはその時の初乗り運賃の額。どちらも券片の合計は10枚。
ということで、弘南バスのセット回数券は、9.1%引きにこだわらず、その時の初乗り額の券片を入れ、余りをそれ以外の券片で調整して、全部で10券片になるようにしている。ということらしい。
11券片以上(9券片以下も)にすることは、製造上できないかもしれないから、150円以前や今後の値上がり時には、10枚は維持して、合計1150円・13.1%割引以外になることもあるのではないだろうか。

割引率がわずかにいいのはうれしい。また、初乗り区間をよく利用する人には、それなりに使いやすい。
だけど、中途半端で使いづらくもある。1枚しかない券片なんて、いつ使えばいいのか悩む。
当然、硬貨との併用は必須【4日補足・その分、割引率は下がってしまう】。特に現在は170円券が基準だから計算しづらいし、小銭が増えると両替~支払い/確認が手間取る。例えば260円を支払うには170円券+90円、じゃあ380円だと…等々、払う客も確認する運転士も手間で面倒だ。

表紙の印刷や製本にもコストがかかる(ただし秋田の回数券では、高速バスの宣伝が入っているし、市営バス時代には外部企業の広告を入れる場合もあった)し、ゴミにもなる(リサイクルしましょう)。
弘南バス方式では、その問題はないという利点はある。


両社の回数券を手にすると、紙の厚さが違うのがはっきり分かる。
比べると秋田のほうが薄く、弘南バスは厚い。ちょうどコピー用紙より、やや薄いのとやや厚いくらいか。
冊子型の秋田では1枚が厚いとかさばるし、弘南バスのでは薄すぎると扱いづらいのだろう。

各券面は、弘南バスは、裏表で色が違う。
さらに表面は金額ごとに、色が違う「K<<<」ロゴの地紋(ローマ字でなく日本語で「弘南バス」)。
色は水色、茶色、緑色。160円時代も170円時代も、この3色は変わらないが、10円券と100円券の色が入れ替わっている。一方、160円券も170円券も変わらず水色。
乗客や運転士にしてみれば、ちょっと紛らわしいけれど、後で精算する時に区別するのだろうか。
裏面は、中央部に帯状に紫色のロゴ

秋田の回数券では、かつては発行者で地紋の柄・色を分けており、移管後2008年からは普通・買物・通学の種類で色を分けている。金額は、数字の書体を変えて分かりやすくしている。


券片1枚のサイズ。
これまで、秋田のよりも弘南バスのほうが少し大きく感じていた。ところが今回、並べてみたら…
まったく同一サイズ!
縦2センチ×横5センチだった(キリがいいからいざという時(?)定規代わりになる)。
数字のバランスのせいか、全体が長いことに目を奪われるのか、錯覚だった。
なお、弘南バスの上部のナンバリング部分の長さは1センチ。



今回の記事を書くにあたって、ネットで調べてみると、弘南バスには単券の回数券も発券できる自動券売機があるらしい。少なくとも青森空港と弘前バスターミナルにあり、地紋の入った感熱紙が出てくるようだ。ミシン目は入るのだろうけど、そういう芸当ができる券売機もあるのか…
弘前バスターミナルの券売機の存在は知っていたけれど、乗車券・往復券専用かと思いこんで見過ごしていた。
また、青森空港で販売しているということで、空港リムジンバスでも回数券で支払いができるようだ(秋田中央交通では、その旨を告知してはいるが、券売機で回数券は買えない上、無割引の乗車券を乗車前に買うようにも勧めていて、どこか矛盾している)。

券売機で購入できる単券回数券は、10円刻み全種類というわけではないが、100円(10円券)から5400円(540円券)まで設定されているようだ。
さらに、「学生(13枚綴り)」も何種類か設定されている。なんと弘南バスにも、秋田で言う通学回数券が存在するらしい。割引率も同じ。
弘前の学生でも、このことを知る人は少ないかもしれない。窓口でも販売しているんだろうか?
バスをお得に利用してもらえるのだから、弘南バスさんには、もっと積極的にPRしていただきたい。

あと、秋田でも回数券の券売機があってもいいのではないでしょうか。

【2019年4月8日追記】2018年末に弘前バスターミナルへ行ってみたら、券売機が更新されていた。
以前は物理的な押しボタン式だったのが、新しいのはタッチパネル式。回数券の対応や青森空港のがどうなっているか等、詳細は不明。

【2023年1月21日追記】ICカード導入により、回数券廃止決定。
2023年2月25日にICカード「MegoICa(メゴイカ)」導入・回数券発売終了。
回数券は2024年3月31日まで使用でき、2025年3月31日まで払い戻しを行う。
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駅名変更から10年

2018-08-30 00:47:43 | 津軽のいろいろ
今は住んでいない土地の10年前の話を蒸し返して恐縮ですが…
10年前・2008年8月下旬。当時、定期的にチェックしていた、とあるネット掲示板(個人管理)を見て、目を疑った。

弘前市内にある弘南鉄道大鰐線の2つの駅「西弘前」と「城南」の名前が、同年9月1日から変わるという。
ガセネタかと疑ったが、駅に掲出された告知の写真も見ることができ、どうやら真実。
西弘前駅に掲出された18日付掲示
でも信じられない。マスコミなど他の媒体での報道・掲載は見当たらない。
当時はすでに公式ホームページを開設していない企業や組織のほうが珍しくなっていたが、弘南鉄道はその1つだった(この後、2008年中に開設されたはず)ので、公式情報は分からない。(今にして思えば、市販の大型の(JTBや交通新聞社の)冊子時刻表でどうなっているか確認しておけばよかった。)
そもそも駅名変更が唐突で、しかもその経緯や理由が見えてこないし推測もできない。
何よりも、告知から変更まで2週間というのが、短かすぎる。
西弘前駅ホームの駅名標
個人的に両駅は大鰐線の中でも身近な駅だから、特別な感慨になるのは当然だけど、それを別にしても、この時の駅名変更について引っかかるものを禁じ得なかった。何かこっそりと済ませようとしているようで。あと、このままで本当に駅名が変わってしまうのか、混乱が生じないのか。不信と不安のようなものを覚えた。

駅名を変えるのなら、国土交通省に対して手続きがされるのではないかと思いついた。
国土交通省東北運輸局のサイトにも未掲載。余計なことかと思いつつ、東北運輸局へ問い合わせてみた。「間もなく弘南鉄道の駅名が変わるようですが、公式発表はされないのでしょうか。もっと周知しないと、混乱が生じるのでは?」と。
丁寧な回答を頂いた(国の出先機関って、一国民の問い合わせに、わりとしっかりと対処してくれる)。
驚いたことに、運輸局側でも、その時点ではこの件を知らなかったらしく、メールでの問い合わせを受けて、駅名変更が事実であることを弘南鉄道に確認してくれた。
ただ、この時点で運輸局が駅名変更を知らなかったことは、法令上は間違いではなく、鉄道事業法並びに鉄道事業法施行規則において、事後に届け出をすれば良いことになっているとのこと。
しかしながら、事前に充分に周知することは当然必要であるとして、運輸局から弘南鉄道に対して、その旨を伝えたとのこと。

駅名変更が、事前の認可・申請などでなく、事後報告で済むとは知らなかった。路線バスのバス停名の変更と同じレベル。
極端な話、東京駅を「新宿駅」、新宿駅を「桂根駅(秋田のきわめて停車本数が少ない駅)」に変えたり、米子駅を「ねずみ男駅」にしてしまっても(水木先生の故郷なので、本当に妖怪の愛称が付けられているが、あくまで愛称)、変更後に届け出れば法令上は構わないということになるのだろう。(それで混乱が起きれば、指導されるだろうけど)


この時の運輸局とのやり取りがきっかけになったのかは分からないが、駅名変更まで1週間を切った8月27日頃、やっと報道で取り上げられ、現地で動きが出始めた。
その後、弘南鉄道が西弘前の商店街など地元に対して説明会(9月4日らしい)を行なって、そこで地元から批判の声が上がった。

ほら言わんこっちゃないと思った。
駅に告知は出ていたものの、弘南鉄道の利用状況からして、告知を見る機会がない地元の人が多かったはず。乗らないけれど、駅名変更は知らせてほしかった/反対するというのは、ムシがいい話のような気もするけれど、鉄道というものは事業者と乗客だけで成り立つものではない。線路が通り、駅がある地元の協力があって、地域と共存してこその鉄道。鉄道や駅は地域の共有財産である。
地域の合意なしに、簡単に告知するだけで充分だと弘南鉄道が考えていたのなら、とんだ思い違いである。

特に地方の私鉄や第3セクター鉄道では、最寄りの学校を駅名に変えることはあるが、利用者や地域に受け入れられた上での変更が普通。
例えば、長崎県の松浦鉄道「清峰高校前」駅は、県立清峰高校が甲子園で好成績を収めたのを機に、地元から駅名にしてほしいとの声が上がり、所在地の町長名で鉄道会社に要望書が出されて、2007年に改称。
福岡県の筑豊電気鉄道「希望が丘高校前」駅は、2008年に私立高校の名前に変わった。その経緯は不明だが、改称記念式典が開催され、記念乗車券も発売されたという。
弘南鉄道では、こうしたことは一切なく、乗客や地域住民としては、一方的に唐突に押し付けられるようにして名前が変わった。
これまで、鉄道の駅名が変わった事例はいくつもあるけれど、このようなことはほかにあっただろうか。



もう1つ引っかかることがあった。変更後の駅名。
西弘前が「弘前学院大前」、城南が「聖愛中高前」。
それ以前から弘南鉄道には、大鰐線に「弘高下」「義塾高校前」、黒石方面・弘南線にも高校の名前を使った駅が3つある。だから、沿線にあるのに、それまで駅名になっていなかった学校を新たに駅名にしたとも考えられる。
しかし、西弘前は弘前学院大学も近いけれど、弘前大学も近い。城南に至っては、聖愛中学高校よりも近い場所に、県立弘前実業高校がある。弘大や弘前実業でなく、なぜこの2校の名前にしたのか。

新駅名になった2校は、どちらも同じ学校法人が経営する。
となると、学校法人と弘南鉄道の間で、何らかの“取引”があったのではないかと勘ぐりたくなる。
取引といっても、悪いことではなく、駅名変更の費用もしくはプラスアルファの広告費的なものが、学校法人から弘南鉄道へ支払われたのではないかということ。
当時すでにちらほら始まっていた、公共施設の命名権の売却(ネーミングライツ)と同じこと。富山ライトレールでは行なっていたはずだし、公共施設では学校が命名権を購入した事例もあり、この2駅がそうであったとしても、別にやましいことでも隠すことでもない。鉄道の収益になって、それが路線の維持につながるのであれば、乗客としては(親しんだ駅名が変わることへの寂しさはともかく)ありがたい。
だが、この点も、弘南鉄道はあいまいに済ませたかった雰囲気。

当時のマスコミの報道によれば、弘南鉄道側は変更した理由を、通学に利用してもらいやすくして、利用者を増やすために変えたとしていたはず。
後に改めて調べると、朝日新聞青森版ではさらに踏みこんで、
説明会の時に「弘南鉄道によると、旧西弘前駅に隣接する弘前学院大から、「学生の自覚を促す効果があるので駅名を変更してほしい」と要望があり、同社も学生の利用者増を期待して踏み切ったという。」
と伝えていた。多少は分かったが、金銭が支払われたのかは不明。
しかし、駅名変更にはそれなりに費用がかかるはずで、変更によって増収があったとしても相殺されてしまうかもしれない。また、学校側から変更を働きかけるだけで、後は鉄道にお任せというのも、ムシが良すぎる。
あくまで推測だが、少なくとも駅名変更諸費用相当額は、学校法人側が負担したのではないだろうか。
また、このことから、学校法人と弘南鉄道の2者だけで変更を決めてしまい、乗客や地域を置き去りにしていたことになる。

あと、学校名を略した駅名なのが、若干もやもやした。
どうせなら「弘前学院大“学”前」「聖愛中“学”高“校”前」などと、略さない駅名にしたほうが良かったかも。(既存の他の駅名も、「弘高」「柏農高校」など略しかたはまちまち)


当時、使い残しの青春18きっぷがあったので、それで駅名が変わる直前の両駅へ行った。今回アップしている写真は、その時の撮影。ここで城南駅の写真をまとめて紹介。
城南駅ホームと駅名標

城南駅の告知は手書き

当時は平日の朝夕は駅員がいたようだ
城南駅はホーム(駅舎もホーム上)のすぐ南側に道路があって踏切がある。その東側には、駅の所在を知らせる、門型の看板があった。
西側から。向こう側左が駅
弘南鉄道の他の駅で見られるような、オレンジ色地の看板と同じものだと記憶していたが、写真で見るとかなり色が薄い。色あせたのか。たしか夜間は黄色っぽく内側から光っていた。駅そのものよりも立派だったかも。
東側から。両面に表示があった
駅名変更後は、このゲート自体が撤去された。代わりの看板類は設置されていないようで、特に道路の東側からは、駅の存在を見落としてしまいそう。

結果として弘南鉄道が押し切って駅名を変えてから、10年。
その途中、変更5年後の2013年には、弘南鉄道の社長が大鰐線を2017年3月で廃止する方針を突然(ここでも唐突)示し、地元に衝撃が走った。
その後、弘前市と大鰐町が間に入るなどして、1月ほどで廃止の方針は撤回された。
協議会が立ち上げられ、運賃優遇など乗車促進策や民間も関わったイベントが開かれるなどするようになった。厳しい現実を地域へ突きつけることで、ある種の“ショック療法”にはなった。中央弘前駅周辺の整備計画も出ている。
それでも、1時間に1本になってしまった列車は、昼間はガラガラ。冷房がない車齢50年を越えた車両も、先は長くはないだろう。

当の西弘前改め弘前学院大前駅は、2009年には完全無人化・自動券売機撤去。【30日補足】2008年の駅名変更の時点で、休日終日と平日昼間は無人扱いになっていて、平日の朝夕しか駅員はいなかったようだ。
今年春には駅舎が建て替えられ、生協のカート置き場と一体化してしまった。


10年前、駅名変更を働きかけた学校側の「学生の自覚を促す効果」があったのか、あったとしても10年経っても続いているのかは知らない。
それを受け入れた弘南鉄道側の「学生の利用者増を期待」した目論見は、上記の状況では、少なくとも大幅増には至っていないのは確実で、外れてしまったと言うべきかもしれない。
駅名を変えなくても同じ結果になっている気はするが、駅名を変えた効果も意味も、とても小さかったと言わざるを得ない。


一方、旧駅名の「西弘前」とその略「西弘(にしひろ)」は、10年経っても健在。
西弘前は地名ではない駅名だけの呼称だったから、駅名が変わった以上、徐々に消滅するのかと思われたが、商店街も、みちのく銀行【30日追記・建物が新しくなった生協も】を始めとする店舗名も、弘南バスのバス停も、今なお「西弘(前)」。衰える気配すらない。
※「弘南鉄道」と「弘南バス」はルーツは同じだが、現在は資本関係はなく、直接の関連はなくなっている。
弘前大学には、10年前に在学していた学生・大学院生は、規則上、留年者さえもういないはず【30日訂正・学部から在籍している大学院生がどこかで休学・留年しているか、学部を卒業した数年後に大学院や別学部に入り直した人は、今も在籍している可能性はあるが、かなり少ないだろう。】なのに、今も「西弘」が通用するらしい。
【9月4日追記】「西弘前」の由来である駅名だけが変わって、それ以外は変わらないままとも言える、本末転倒の状態。また、新駅名に追随する店舗や施設は今のところ、ないのではないだろうか。

駅名変更時に、地元が怒って心配したような事態は、さほど起きていないと言えるだろう。
この点でも駅名を変えた意味がなく、弘南鉄道としては文句を言われた意味もなかったような結果か。
10年経って過去の話になって、そんなこともあったな…程度に落ち着いているのかもしれない。


でもやっぱり、弘南鉄道の失敗だったと思う。
僕はこの一件により、弘南鉄道を見る目が、悪い方向に変わってしまった。
それまでは、弘前に行けば極力乗ることにしていたのだが、この件の後は本数も減ったし、運賃も高くなったしと理由を付け加えて、弘南バスのほうを好むようになった。
その後の廃止宣言&撤回でも、唐突で強引なやり方には疑問を覚えたが、そんなに厳しいのなら微力ながら力になってやろうかと、また少しは乗るようにしている。(でも昔より乗らなくなった)
中心市街地の川沿いを走り、住宅地・学生街からリンゴ畑へ駆け抜ける雪国の直流電車【30日・言い回しを書き換え】という、全国的にも珍しい環境の弘南鉄道大鰐線。いつまでも走り続けてほしいというのは、感傷に過ぎない。遠くない将来に、何らかの変化は避けられないだろう。

【9月3日追記】弘南鉄道は2017年9月で、開業90周年なのだった。これは現在の弘南線の一部区間の開業が基準で、大鰐線は前身から数えても65年ほどの歴史(1952年開業、1970年弘南鉄道に吸収)。
それと、どうせ駅名を変えるなら、「大鰐」を同じ場所にあるJR奥羽本線の「大鰐温泉」に揃えようというつもりはないのだろうか。JRの列車内で、遠方から来た旅行客が、スマホの乗換案内で「大鰐温泉」と「大鰐」が表示されて、その違いに困惑(駅が違う場所なのか、乗り換えないといけないのか等)していたのに遭遇した。
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弘前2018.6 その2

2018-06-27 23:45:38 | 津軽のいろいろ
この記事に続いて、6月の弘前いろいろ。バスとお城について簡単に。
弘南バスに新たな車が。
か11-26、51223-2号車(弘前営業所)
2000年製日野レインボーHRの中古。ロングボディではない普通の中型サイズで、ノンステップのようだ。
秋田中央交通にも今春そっくりな中古が来た(和歌山の中古)けれど、側窓の配置が違う。
ネット上の情報によれば、埼玉県の朝日自動車の中古。弘南バスでは2016年頃から、これよりも古いレインボーやエルガミオの朝日自動車中古を入れている。それらは、ツーステップだったり後ろにドアがあったり、ちょっと変わった仕様だったが、これは標準的か。
朝日自動車はオートマを好むものの、この当時のこの車種はマニュアルの設定しかなかったそうで、朝日自動車では数少ないMT車だったそうだ。

弘南バスとしては、中古のノンステップバスは初めてだろうか。それに、中古で側面にもLED表示器が設置された車も初めてかも。
それにしても車体に「ノンステップバス」どころか、ドアに「出入口」の表記もない。
【28日訂正】忘れていた。先立って2017年後半頃、五所川原営業所に西東京バスの中古のロングボディ・ノンステップのレインボーHR「11-00(51517-3)」が導入されていたので、ノンステップかつ側面LED付きはそれが最初。(五所川原駅とイオンモールつがる柏のシャトルバス専用車。やはり「出入口」や「ノンステップバス」表記はない模様。)
この車は、それに続いておそらく2台目のノンステップ中古かつ側面LED付き中古になると思われる。弘前市内とか一般路線用としては、最初とも言える。


三中校前から弘前駅行きに乗車。
土曜日の昼間は、1時間に最低3本はあり、等間隔ではないもののそこそこ分散している。
ところが、15時だけは09分、23分、24分、49分と、1分間隔で続行するところがある。まさにそこに乗ることになった。
ほぼ定刻で、通りのまっすぐ向こう、松原方面からエルガミオが来た(正しくは同設計の日野レインボー)。屋根上の冷房機のデザインからして現行車種。
10-91、52907-2号車(降りてから撮影)
しかも、2016年末に導入されたのよりもさらに新しい、2017年の車。
秋田中央交通では、排気処理に必要な尿素供給の都合で、秋田営業所だけの配置、しかも2台だけなのでまだ乗る機会がない。
ここで乗れるとはラッキーと思ったら、赤信号に引っかかり、その間に学園町方面から三菱ローザが曲がって来て、そちらに乗るはめになってしまった。惜しい!
時刻表上は、23分が学園町発、24分が小栗山(弘前営業所)発のようなので、時刻表に忠実ではある。

住吉入口で降りたら、レインボーはだいぶ後方に離れていた。
その間に、いつの間にか弘南バスの日野リエッセがついてきていた。行き先表示は「スクール」で「聖愛スクール」とかの紙を掲出。
聖愛高校では、下校時間などに合わせて弘南バスによるスクールバス(学校前から生徒だけが乗車できる、路線バスという位置づけか)を運行しているようだけれど、土曜日のこんな時間にも設定されているのか。

それにしても、3台とも乗客はとても少なかった。

ところで、上の2台のバス。小栗山線の往復なわけで、行き先表示は両方向ともおなじみの「富田大通り」経由。これはLED式だけでなく方向幕式でも同じ。
(再掲)幕式では謎の系統番号と経由地にカッコが付く
小栗山線以外でも、狼森線や安原団地線でも、同様。
ところが、例外を見つけた。
「弘前大学 学園町」
富田大通り経由では小栗山行きに次いで本数が多い、学園町行きでは「富田大通り」の部分が「弘前大学」になるのだった(中型車のLEDの場合)。
幕式ではどうだったか?
分かりづらいですが「(富田大通り)学園町」
なぜかLEDでは経由地表記が違ってしまうのだった。学園町始発弘前駅行きの場合、あるいは別のLED表示器が使われるマイクロバスではどうだろうか。
弘南バスは、行き先表示が車両によってまちまちなことがあり、これではLED化されて余計に複雑になってしまったようなもの。
【29日追記】中型のLEDでは、いずれも漢字3文字で同じ文字サイズの「小栗山」「学園町」「弘前駅」なのに、文字の間隔は「小栗山」だけが広く、1文字分ほどのスペース。ぱっと見て小栗山と学園町を区別するためなのかもしれないけれど、単に表示についての決まりがないだけかもしれない。


ところで「富田大通り」というのは青森県道127号線の通称のはずだが、そのうちどこからどこまでを指すのか、明確な定義はないと思う。
ただ、バスが富田大通り経由と表示するのは、中央松森町経由と区別するためと考えられる。両経由は三中校前で合流して、127号線を進む。
学園町線は、その三中校前の次で127号線と分かれるものの、そこまではずっと127号線を走っているのだから、富田大通り経由とすることに問題はない。

側面にも(看板でなく)方向幕がある、ちょっと古いレインボーやエアロミディの小栗山線の表示は、
弘前駅-富田大通り-弘前大学-松原-小栗山
駅と大学の間に「富田大通り」を入れているから、それなら学園町線だって該当する。
ただ、この表記では「富田大通り」というバス停があると誤解される恐れがある。ここは秋田の「新国道経由」みたいに経由地を別に書いたほうが分かりやすい。

などと長々書いたけれど、富田大通り経由=弘前大学前経由で、どっちでもいいでしょう。分かりやすさでは、どちらかに統一(もしくは両方併記)するべきだけど。


土手町循環100円バス。
これまで弘前営業所が全便を担当していると思っていたが、今回、藤代営業所(厳密には弘前営業所藤代車庫)担当らしきバスに乗った。
自家用バスの中古と思われる、四角い横長ヘッドライト、引き違い窓、青い2人掛け座席の「か123(50312-9)」だったはず。
弘前営業所の循環バス充当車にも、ほぼ同じ車は前からあったが、座席の色が違うし、バンパー周りの造作も違う(ヘッドライトがちょっと小さい?)。
黄色い紙の「土手町循環100円バス」の表示が、弘前営業所のものよりも小さく、観光客は戸惑っていた。
【7月4日追記】↑どこかで見間違えている。社番のハイフンの後が「9」だと和徳車庫、藤代だと「5」になる。だけど、文字では「藤代」と書いていたような気もしなくはない。いずれにしても、弘前営業所(本所)以外の所属の車と乗務員のようだった。

※2018年9月の弘南バスの状況と、富田大通り経由の表示方法の続きはこちら


弘前へ来たからには、弘前城の石垣工事の進捗をチェック。無料エリアの見学用デッキからちょっとだけ。
前回は2017年9月、石垣を上から順に取り外していた。
2018年6月9日


全体がシートで覆われて、ごく一部しか露出していないが、石垣はすべて撤去され、土(もしくは細かい石)がむき出しになっている模様。
どんな作業内容かはよく分からないけれど、作業員は斜面を身軽に上り下りしていた。
こうなると、見てもあまりおもしろくないね…(中の有料エリアから見れば、また違いそう)※続きは2019年正月の記事にて。

以上、2018年6月の弘前の話題でした。
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弘前2018.6 その1

2018-06-18 00:34:28 | 津軽のいろいろ
6月上旬の弘前いろいろ。※前回の記事

●やはり気になる
弘前大学文京町地区裏手の土淵川では、ここ20年近くかけて、地元の住民が1人で、川の中にキショウブを植えている。
花の時期には毎年のように地元紙で報道されるが、キショウブは繁殖力の強い外来植物であり、川のような開かれた環境に人為的に植えるべきものではなく(植栽が法令で禁じられているわけではないが、環境省は対策をとるべき種に指定している)、個人的には快く思っていなかった。
昨年花が終わった時期に現地を見てみたが、今回、ちょうど花の時期(の終わりかけ)だったので、改めて。
弘盛橋。ここが上流端
植えられているのは、弘盛橋から寒沢橋までの350メートルほど。
弘盛橋より下流では、びっしりとキショウブが茂って花を咲かせていた。橋より上流では、草は茂っているが、キショウブは見当たらなかった。種や根が上流方向へ流されることはないのだから、人為的に植えない限りそれは当然。
土淵川らしい護岸と岸辺の風景の中、キショウブが咲く
キショウブに対して先入観を持ってしまっているから、これが「きれいな光景」とはどうしても言えない、言いたくない。
下流端・寒沢橋から上流方向
この区間には、護岸を水面まで下りる階段はない。上の写真右側のような備え付けのとって状のハシゴがあるだけ。高齢の住民は、これを伝って、ひとりで上り下りされているのだろう。

では、寒沢橋から下流方向は?
イネ科の草の穂が目立つ
弘盛橋上流と同じく、草は茂っているが、キショウブはない。

ということで、昨年確認したのと同じく、現状では弘盛橋~寒沢橋の区間を逸脱してキショウブが繁茂するようなことはない。
キショウブを植えることは、法的に禁止されているわけではないものの、国と県が管理する一級河川で、しかもマスコミで報道されているのに、このようなことが“まかり通って”いるのは、良くないと思う。
ただ、高齢の人が、長い年月をかけてやっていることを全否定してしまうのも、なんだか気が引ける。
それに、土淵川は護岸が固められた、極めて人工的な環境。そこに外来植物があっても、大きな影響はないようにも思われた。セイヨウタンポポが繁茂する野原のようなもので。
少なくとも、よそ者がとやかく言うほどでもないのかなという印象は受けた。
ただし、下流の岩木川本流へ影響を与える可能性は否定できない。環境省、国土交通省、青森県はどう考えるのだろうか、そもそもこのことを知っているのだろうか。


●裏からも見えた
三中校前の弘前駅行き側バス停から、道路向かい側を見る。
市立第三中学校の駐車場が見える
第三中の駐車場の奥にそびえるのは…
円形校舎
以前紹介した、学校法人柴田学園 柴田女子高等学校の円形校舎だ。
裏側が見えていることになるが、バス停からちょうどまっすぐの位置で、第三中越しに見えるとは知らなかった。
僕が弘前にいた頃は、第三中が旧校舎だったので見えなかったのかもしれない。

なお、柴田女子高は2019年度から男女共学となり、「柴田学園高等学校」に改称するとのこと。


●低コストフードレス歩灯
イトーヨーカドー弘前店裏側のセブン-イレブン角の交差点の信号機。
以前(2017年8月のストリートビューでも確認)は車用も歩行者用も、20年以上前に設置された電球式(おそらく小糸製、車両用は縦型)が設置されていた。それが、
「並木通り」は交差点名ではなく道路名称を表示している
ついに歩車とも薄型LED式に更新されていた。

2017年度から低コストな信号機が規格化され、都道府県やメーカーによる差はあるが、これまでとは違う外観の信号機が登場している。秋田県では、車両用は従来より少し小さいものになったが、歩行者用は今のところ従来と同じ。

青森県では、低コスト化以前から、フラット型の信号機を横型で設置するのが普通になっており、この隣の隣の新しい道路が交わる交差点でもそのタイプ。
しかし、この車両用は、短いフードを付けた縦型で、小さくないもので、従来の秋田県と同じ。中古品でもなさそうに見えるので、車両用は低コストではなく、縦型設置も継続していくのだろうか。

一方、歩行者用。
薄型になったのは今は当然
まず、点灯部分がLEDの粒が見えるタイプ。これは以前からちらほら見られる。
斬新なのはフードがまったくないこと。
低コスト仕様の歩行者用では、フード(ひさし)を付けないものが主流(秋田県では付ける)だそうなので、これは低コストなんだろう。
裏面
銘版は2017年11月、京三製作所製。
ボディのデザインは、秋田県に多い信号電材製(低コスト化前)と同一で、同社から供給されているようだ。

歩行者用信号機にフードがないというのは、これまで例がないし、車両用のフードなしのように下向きに角度を変えて設置するようなこともない。視認性はどうかと不安になるけれど、実は、横断した時は、フードがないことに気づかなかった。渡り終えてから、LEDの粒が見えることに気づき、その後でフードがないことにも気づいたという順番。
日光直射時や積雪時、汚れの付着具合は分からないけれど、通常では問題ないようです。
【18日追記】昔の厚いボディに長いフードの歩行者用信号機と比べると隔世の感があるが、既に薄型ボディ、短いフードの信号機はすっかり見慣れているから、フードがないくらいではさほど違和感がないということか。メーカーによっては、まな板みたいな真っ平らなボディのものがあるそうで、それを見たらどう感じるか。
※その後、秋田県にもこれとほぼ同タイプの歩行者用信号機が設置された。

弘前の話題はもう少しあります
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西弘新駅舎

2018-06-15 00:46:21 | 津軽のいろいろ
大館を後にするけれど、帰るには早いし、ここまで来たのだから矢立峠を越えて弘前にもちょっとだけ。2018年最初の津軽カテゴリーの記事です。

弘前大学文京町地区近くの弘南鉄道大鰐線・弘前学院大前駅に隣接した生協のスーパー「コープあおもり西弘店」が、この春(4月26日)に新しくなったそうだ。どうも駅舎のほうもいっしょに新しくされたらしい。
情報が少ないので、現地へ行ってみた。あまり時間がなかったので、細かいところは見ていません。

これまでの流れを整理しておく。(この記事などの再掲)
弘南鉄道の駅名は、1952年の開業時から長らく「西弘前」駅だった。
西弘前という地名は存在しないが、駅名を発端として商店街の名前、銀行などの店舗名にも「西弘前」が使われ、それを略した「にしひろ」が、市民や学生に浸透して親しまれていた。

ところが、2008年9月、弘南鉄道は唐突に駅名を「弘前学院大前」駅に改称。
地元への説明がほとんどないまま、周知期間も短かったため、混乱になったとまでは言えないにしても、新しい駅名が地元に浸透して受け入れられているとは言い難い。
10年経った今でも、商店街、みちのく銀行の支店、弘南バス(弘南鉄道とは起原は同じだが別会社)のバス停など「西弘前」の名前はたくさん残っている。何度も代替わりしている大学生にさえ「にしひろ」が通用するらしい。

僕が弘前にいた20年前は、西弘前駅にも駅員がいて、券売機が稼働して集改札を行っていた(休日や夜間は無人)。
21世紀に入って無人の時間帯が増え、2009年春からは完全な無人駅となっている。

駅舎隣の生協は、1973年に「弘南生協西弘店」として開店。駅名改称後も「西弘店」のまま。
1971年までは西弘前に車庫があったそうなので、憶測だが、その車庫の跡地に建てたのかもしれない。また、「弘南生協」と弘南鉄道の関係については分からない。
2010年には、弘南生協が青森市のコープあおもりと合併したため、「コープあおもり西弘店」として営業を続けていたが、2017年9月5日でいったん閉店して建て替えをしていた。
(再掲)2009年弘南生協時代。コープあおもりになってからも、外観は表示が変わった程度の違い
場所的に学生街かつ住宅街、周辺に他のスーパーもないことから、立地としては良さそう。
僕が弘前にいた頃は、場所的にはいちばん近いスーパーであったが、生協の組合員ではなかったので気が引けて、ほとんど利用しなかった。旧店舗は、昭和の食品スーパーとしては標準的な、今となっては狭い店だったと記憶している。

建て替え前のGoogleマップの航空写真より。赤で囲ったのが駅と生協の敷地
敷地としては南北・線路に沿って細長く、北側は駐車場。
南側に建物があって、別棟のトイレと、駅舎と生協が一体化した建物があった。
航空写真で見ると、L字型の南(写真下)に、体育館のような建物がくっついている。L字部分の線路寄りが駅舎、残りが生協だったと思われる。(マップで「コープ~」と印が付いている部分は、実際には駅だったことになろう。)
駅と生協はそれぞれに出入り口があったが、駅と生協を直接行き来できるドアも内部にあったはず。

マップには「コープカルチャーセンター虹」なるものも表示されているが、知らなかった。調べても詳細は不明。

2015年8月撮影のGoogleストリートビューより
上のストリートビューは、東(航空写真右)側の商店街の通り、惣菜のさとう前から見たところ。建物の向こう側が、駅ホーム・線路。
意識していなかったが、L字型の部分は2階建てだった。一般人は2階には立ち入れなかったはず。
駅舎の入り口は道路からまっすぐの奥、生協は道路沿いながら出入り口は通りには面していない。

また、生協並びの道路側に「青森銀行」とあるのはATMコーナー。過去のストリートビューで確認すると、2013年5月時点ではここに花屋が入っており、2015年までの間に替わったようだ。
現在は…
こうなった!
まったく別の場所のようにも見えてしまうけれど、L字型の建物と全体的な位置関係は、ほぼ変わらない。
旧店舗時代は、商店街の道路側に、駐輪場(正式ではない?)、ホームタンク、ゴミ置き場などがあった。新店舗では、それらがなく、道路ぎりぎりまで建物の壁、しかも黒っぽい色なので、圧迫感というか殺風景さが強くなってしまった。商店街のオレンジと緑の街路灯も、この部分だけ撤去されてしまった。
この面にもドアを付けるまではいかないにしても、デザイン的な工夫でもうちょっとなんとかできそう。

上の航空写真では、敷地の南隣に建物が写っている。みちのく銀行との間で、「じゅんフォト」という写真館。
ストリートビューによれば、2015年8月まではあったのが、2017年8月には更地になり、生協の箱置き場になっていた。もしかしたら、その土地も新店舗に使われたかもしれない。

少し角度を変えて、正面。
この向こうが線路
建物右側にあったトイレがなくなった。建物内に移ったのだろう。跡は自転車置き場(以前は手前にあった)。
建物右端には青森銀行ATM。その左が「店内・待合室入り口」とある。
このドアが入り口
新店舗では、駅と生協の出入り口が共通になった。このドアを入るとカート置き場があって、その左に生協店内へのドアがある。

駅はどうなのかと言えば、
ここが駅??
最初のドアからまっすぐ、カート置き場の奥に、自動ドアでないドアがあって、その外は構内踏切を渡ってホーム。
カート置き場には、生協の理念とかポスターとともに、時刻表と運賃表が掲出されている。左にベンチもある(旧駅舎と同じものかも?)。
つまり、カート置き場=弘前学院大前駅となってしまったことになる。

かつての駅舎を知る者としてはショックだけど、無人駅なんだからこれだけあれば問題はない。冷暖房やトイレもあるのだから、機能としては充分。
乗車券の販売や案内を生協に委託するとかすれば、サービスとしては向上するけど。これが現実。

【15日追記】全国的に見ても、公共施設や道の駅に、申し訳程度の駅舎機能が併設される事例は少なくない(道の駅いまべつの風除室に併設された津軽二股駅など)。だけど、スーパーマーケット(のカート置き場)に併設された駅というのは、あるだろうか。なくはなさそうな気もするけど。


素朴な疑問として、生協が閉まっている時間はどうなるんだろう? カートを置いてある屋内を開放するわけにはいくまい。
旧駅舎時代は、駅舎を通らずに、構内踏切と駐車場を行き来できる通路があって、駅員がいた頃は柵が閉まっていたが、無人化後は常時開放されていた。現在は、その通路・柵はなくなったようにも見えた(不確実)。

構内踏切~ホームの位置は以前と変わっていないから、新しい手押しドアの位置が、かつての改札口の位置と考えられる。したがって、生協部分の面積が駅舎側に拡大したことになる。
生協の店内は、たしかに以前よりは広くなったと思う。
今どきの、落ち着いた雰囲気のきれいなスーパー。でも、まったく新規にできた今のスーパーと比べれば狭い。惣菜の品揃えが豊富。
昨年秋田市にできた、マックスバリュエクスプレス新屋関町店に似ていて、それをちょっと大きくしたような感じ。

北側から。右が線路・ホーム
トイレ跡の自転車置き場には屋根も付いた。かつてはホームからの通路がこの辺りにつながっていたはずだけど…
旧駅舎では、この面にも出入り口があったが、今はATMが間に入ったので設けられなかった。
自販機は4台。以前もこの付近にあって(冒頭の写真を見れば、向きは違って、台数はもっとあったらしい)、20年前はグリコセブンティーンアイスの自販機もあって、時々お世話になったものだが、今はなくなってしまったようだ。

こちら側の外壁の見た目は2階建ての高さがあって(実際の造りは不明)、同じ大きさの色違いの文字で「弘前学院大前駅」「コープ西弘店」の表示。東面にはあるけれど、こちらには「弘南鉄道」とは表示しないのね。
駅名を上にしたのは、駅への敬意を表しているのだろうか。でも、実際にはカート置き場同然。
それにしても、元は駅名を活かした店舗名だったのに、今はちぐはぐ。店は新しくなっても、店舗名は「西弘」。
「ドン・キホーテ秋田店」になっても、「長崎屋バスターミナル」みたいなものか(ちょっと違うか)。

駐車場北側から
上の写真、左手前に新しいアパートができていた。さらに手前(角)にもう1棟ある。
昔は別の建物があったはずで、2013年5月までに更地や駐車場になっていて、2015年8月までには角の建物ができて、2017年8月までにはもう1棟もできていた。その後でできたほうの名前は、
「アロハ西弘」
なぜにアロハ? ヤシの木?
そして、今なお、新しくできたものでも「西弘」。これが現実。
西弘は永遠に不滅です。※駅名変更10年となる2018年8月末の記事

弘前の話題は続く
コメント (6)
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