広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

バナナボートと言わないNHK青森

2020-02-13 23:06:11 | 津軽のいろいろ
2月10日のNHK秋田放送局のローカルニュース内の「東北各地の話題」コーナーで、青森放送局からの青森県内の話題が流れた。
「長さ150mのロールケーキ作り」が2月9日につがる市で行われたという。
青森局ニュースサイトより
「900本以上(※)のバナナと、地元産の米粉を使って、長さ150メートルのロールケーキを作る催し」※938本。
「つがる市の市民グループが、毎年この時期に開いていて」
開催場所は「市内の観光宿泊施設」(字幕は「つがる」のみ)
うんぬん。
映像も合わせて見ても、それって「ロールケーキ」?

「バナナボート」じゃないの??
でもって、旧森田村の「つがる地球村」のイベントでしょ!

青森放送局作成の原稿での呼称は「ロールケーキ」で一貫しており、計5回出てくるが、「バナナボート」はひとことも出てこない。

じゃあ、イベントでの名称がバナナボートからロールケーキに変更になったのか? 調べた。
今年の公式情報は見当たらなかったが、陸奥新報が報道しており、サイトに「150メートルのバナナボート完成/つがる」があった。
「地球村冬物語」という催しのメーンイベントがこれで、「世界一長~い! バナナボート」。やっぱりバナナボートじゃん!
ちなみに、NHKでは「観光客や地元の人など500人余りが集まり」とあるが、陸奥新報は「来場者約800人(主催者発表)が参加」と、300人違う。
また、青森の他のマスコミ各社のサイトには、本件は未掲載。

NHKでは、つがる地球村やイベント名称にさえ触れていない。
つがる地球村自体は民間企業のようだから、NHKとして触れないことにしたのだろうか。別に競合企業があるとかではないし、隠す必要は低そうだし、隠すと分かりにくい。
例えばNHK秋田なんか、イベント名「いぶりんピック」、「秋田県内の仲卸業者などで作る企業「あきたベジフルサポート」」、NHK福島でも「スパリゾートハワイアンズ」などと言及しているのだから、構わないのではないか。

そしてお菓子の「バナナボート」。
バナナとホイップクリームを、スポンジケーキの皮で包んだ「オムレット」という分類の菓子。
秋田のたけや製パンが大規模に製造しているが、そのほか秋田、青森、長野辺りでは、地域のお菓子屋さんが製造していところもある。長野では冬限定の店もあるらしい。
同名の乗り物? 遊具? もあるし、食べ物としては全国区で通じる名でもないのだろう。しかし、登録商標などはでないだろうから普通名詞として、NHKが用いていい語だと思う。補足説明は必要かもしれないが。まさか放送禁止用語じゃないでしょう。

「ロールケーキ」は、スポンジケーキの生地やクリームを使う点ではバナナボートと同じ。
でも、ロールケーキは、基本的にはバナナまるごとは入らないと思うし、クリームが少なめで、なると状に1周以上ぐるりと巻きこんで作るはず。最近は、ローソンなど、クリームたっぷりで1周だけのロールケーキもあるけれど。
NHK青森では「(スポンジケーキにクリームとともに)バナナを1本1本載せたあと、主催者のかけ声に合わせて一斉に巻き上げました。」と表現しているが、映像を見ると「巻く」と言えなくもないが、正確には「皮を折って合わせる」のではないかとも感じた。
そんなロールケーキとバナナボートを同一視するのは、乱暴だと思う。見聞きした人に正しく伝わらないし、地域の食文化が誤って広まるかもしれない。イベント主催者はどう感じただろうか。


どうすればいいか。「オムレット」も知らない(卵料理と混同する)人が多いだろう。
「『バナナボート』は、つがる市周辺などで親しまれる、バナナと生クリームを、薄いスポンジケーキで包んだ洋菓子です」みたいなことを最初に述べて、あとは「バナナボート」を使えばいい話ではないだろうか。
それもしたくなのなら、いっそ取材・報道しないという選択肢もあるのでは? 他社は陸奥新報しか伝えていないようだし、NHKさんもお忙しいでしょうし…
なお、NHK青森ホームページ「週末おでかけ情報」には、このイベントは未掲載。


なんやかんや言って、長いバナナボート作りを話には聞いていたが、実際の動画は初めて見られた。屋外でやっていたけれど、吹雪いた時はどうするんだろう。厳寒だとバナナが凍りそう。
あと、本件は記録に挑戦する類のイベントではないようだが、「最も長いロールケーキ(Longest Roll Cake)」はギネス世界記録にある。日本の複数箇所と台湾で更新が繰り返されていて、現時点では千葉県茂原市の2015年の365.42mのようだ。
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弘南バス2020.1

2020-01-17 00:15:48 | 津軽のいろいろ
正月の弘前(前回の記事)、弘南バスについて。
車両については、目新しいのはLED行き先表示(これまでは全車が方向幕だった)を付けた日野リエッセを見かけた程度。写真はなし。

朝日自動車中古の前・後ドアのオートマ日野レインボー
LED行き先表示が、弘前でこれまで見たことがないほど、ごちゃごちゃっとした表示のバスがいた。


「Soma Via Hirosaki City Hall ・ Apple Park」「市役所・りんご公園経由 相馬庁舎」

以前のこの路線は、こんな表示じゃなかった。
(再掲)余白たっぷり極めてあっさりと「 相 馬 」
経由地ばかりか、英語まで表示された!

変化に驚いて見落としそうになったが、新たに弘前市りんご公園の中へ乗り入れるようになっていた(従来は園内に乗り入れるのは「ためのぶ号」だけだった)。
2019年10月から、相馬線の朝夕を除く除く全便が公園経由になり(1~2時間に1本運行、所要時間5分増。運賃はためのぶ号よりも高い)、それを機に表示を新しくしたようだ。外国人にも知られた観光地であるりんご公園を通るだけに、英語入りにしたのだと思われるが、どうせならリンゴの果実のイラストを表示させたら、誰もが瞬間的に理解できていいかも。

「市役所」で済ませているけど「弘前公園」があったほうが親切ではないかとか、「大学病院」はいらないのかとか思ってしまうが、それらだと余計ごちゃごちゃするし、土手町循環100円バスもあるから…
「相馬」は「Soma」となっているが、「Souma」じゃないかとも思う。しかし、市役所の地域紹介ページや相馬中学校、さらにかつての相馬村のサイト(?)のURLは、いずれも「soma」なので、そういう決まりになっているのかも。

弘南バスでは、十二湖の路線で英語表示を入れていたが、弘前市内では初。弘南バスはレシップ製の表示器だけど、なかなか細かく表示できるもんだ。
秋田市内では、国際教養大行きで「AIU(大学の略称)」とか入るようだが、市街地ではなし。中央交通のオージ製表示機は、首都圏事業者が使っている同社製表示器よりドット数が少ない機種で、かつメンテナンスが良くなくドット抜けが散見される。秋田ではこんな表示はできるだろうか…

今回は、この系統を2台見たが、どちらもLEDの中型車だったから同じ表示。方向幕の車や、小型車が入る場合も(じゃなく中型限定路線?)あるかと思うが、その時はどうなるのだろう。
あと、逆方向の駅行きは? 朝夕のりんご公園に入らない便は「 相 馬 」のまま? など未確認。
【17日追記】正面が英語入り表示の車でも、側面の矢印表示では日本語だけだったはず。後部表示は、写真の中古車では表示器自体がないが、後部にもある新車では日本語だけだったか?
【2月24日追記】漫画・アニメ「ふらいんぐうぃっち」には、相馬線が登場するそうだ。少なくともそのアニメ版では、弘南バスの車体デザインはリアルに描写されているが、LEDの行き先表示は(当時の)実態とは異なるローマ字入りで「For SOMA」となっていたそうだ。ここも「U」がない「ソマ」。

りんご公園入口である常盤坂入口バス停は、相馬線のほかに西目屋村役場行きも通っている。これは公園内に入らないのだろうか。こちらは2時間に1本ほどで、それもあれば観光客には便利になりそうだけど。
【17日補足】「ためのぶ号」は駅~りんご公園は200円、弘前公園付近~りんご公園は100円。途中、津軽藩ねぷた村に寄るなど、経路・所要時間も相馬線とは異なる【乗車の際は、乗り場などよく確認を!】。ためのぶ号の運行開始当初は、それなりの本数(毎時1本??)があったが、利用低迷で現在は1日4本。相馬線がりんご公園に乗り入れることで、本数は確保されたことになろう。


話変わって、富田大通りの「弘前大学前」バス停。
雪で見えないけど下り側
下り側バス停は、昔の弘南バス標準仕様である、ダルマ型に三角柱の時刻表掲出枠兼広告枠がついたポール。
上り側は、
新しくなった!
「しらゆり型」と一部では呼ばれる、下が絞られたデザインの樹脂製枠。今はこれが弘南バスの標準だろう。
それに時刻表掲出枠を照らすソーラー式LED照明が付いている。
弘南バスでは2016年春から、しらゆり型にLEDを付けたポールを所々に設置していて、隣の弘大農学生命科学前は上下とも、その時からこのタイプだった。※照明なしのしらゆり型はそれ以前から導入。

それにしても、「弘南バス」も「弘前大学前」も丸ゴシック体風の手書きだ。
これも弘南バス標準

ちなみに、
弘前大学前上り時刻表
冬は若干増便されているが、この本数。現在の地方都市としてはかなり多い。朝は5時50分(土日運休)、6時15分からある。
秋田市でこれに匹敵するのは、山王大通り~竿燈大通り以外にはないだろう(富田大通りも車庫からの出庫を兼ねた路線ではあるし、小型バスも多いけど)。

さて、それ以前の弘前大学前上りはどんなポールだったか。
(再掲)このタイプはバス停名は車道向き面にだけ、ふりがな付きで表示されるのが原則
水色の金属枠で、内側から蛍光灯が灯る電照式ポールだった。2018年8月撮影のGoogleストリートビューでは、まだそれが使われていた。

弘前市内では、同じ電照式がまだ残っているバス停もある(バスターミナル前下りなど)。もし、計画的にLED付きに更新したのだとすれば、残っている電照式が一掃されたり、この向かいの下り側も交換したのではないか。
弘大前上り側電照式が、単独で老朽化か、車がぶつかるなどして、使用に耐えられなくなって、新しくなったのかもしれない。

以前、秋田市のバス停では、電照式であっても点灯しなくなったものが大部分(全部?)で、その役を果たしていないのが実情であるとした。
弘前のLED付きは、まだ新しいことだし、当然点灯すると思っていたが…
下土手町
周りの街路灯が灯るくらいだから、バス停も点灯しても良さそうなのに、灯っていない。センサーで近づくと光るのかもと思ったが、のぞきこんでもそのまま。
悪天候で充電不足だったり、寒さでバッテリーが弱ったり、積雪でセンサーがふさがれたりしたせいかもしれないが、どうなんだろう。

※正月の青森の話題の続きは工藤パンのことなど
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弘前駅前の押ボタン信号

2020-01-15 00:25:35 | 津軽のいろいろ
正月の弘前の続き。
弘前駅の西側・中央口を出ると、大きい道は左前方(ヒロロ方向)と右前方(イトーヨーカドー方向)に伸びている。
どちらへ進んでも、すぐのところに信号機が設置されている。それぞれアートホテル弘前シティと駅前交番の前。
シティ弘前側。左奥が駅
シティ弘前側は不整形の丁字路(Y字路)に近い形状で、うち1本は路線バスが出るだけの道。一般車両は単にカーブを通過するだけだが、バスが出るために赤信号になる。
駅前交番側
交番側は、駅ロータリーに入る道が分岐しているが、信号機とは無関係。信号機は1本道に立っている形。
上と逆側から。左が交番

この2つの信号機は、どちらも横断歩道は1本だけ。そしてどちらも押しボタン式。
車両用信号機周辺に「押ボタン式」の表示板が設置されていないが、青森県警ではこれが標準のようだ(過去の記事)。個人的には、車両用信号機には押しボタン式の表示はいらないと思う。
ドライバーの中には、押しボタン式信号を軽視するのか、信号無視する(黄色はまだしも赤になってすぐに、停まれるはずなのに加速して通過する等)者が普通の交差点の信号機よりも多いと感じる。表示板がなければ、押しボタンかどうか分かりにくく、緊張感を持たせられる。
これは運転者の話。

一方、歩行者には…
弘前駅というある程度の規模の駅前に、押しボタン式信号があるというのは、個人的に(青森・秋田県民の感覚?)は、別段おかしくはない。まあ駅前すぐに2か所も、というのは言われてみれば珍しいような気もするが。

でも、首都圏など都会の人にとっては、押しボタン式信号なんて住宅地の学校前あるいは田舎の国道なんかにあるもので、こんな繁華街にあるはずがないと思いこんでいる人が少なくないような気がする。
なぜなら、弘前を訪れてここを通ると、旅行客らしき歩行者が、ボタンを押さずに突っ立って、“変わるはずのない信号待ち”をしている場面を、非常によく見るから。「弘前を1回訪問すれば、少なくとも1回は遭遇する」と言っても過言ではない。
初めて来た場所で、押しボタン式であることに気づかないことは、ここ以外でもなくはない(長野県で経験あり)が、「押しボタン式であることに気付かない歩行者が多い場所」ランキングがあったとすれば、全国版でも上位になるかも。

さらに、外国人。
以前取り上げたように、外国には押しボタン式信号というものが存在しないところが多いらしく、そこから訪日した人は、そもそもボタンを押す概念がないことだろう。
全国的には、押しボタンを説明する多言語表示の設置が進んではいる。


全国的に見ても、歩行者信号機に「押しボタン式」表示板が設置されているケースは多くはないと思う。秋田県では、秋田駅前の公営駐車場前くらいか。
押しボタン箱の黄色や、その箱の近くの表示板(これが多言語化されている)が周知の役目を果たしているのが実情。

弘前駅前では、交番前には、柱の若干ヘンな位置に、大きな「押ボタン信号」の板がある(写真は後で)。
一見、車向けにも思えるが、青森県警の方針や両側・両面に設置されていることからすれば、歩行者に知らせたいのだろう。
しかし、柱が太かったり、隣に設置された道案内に隠れてしまうなどにより、歩行者の視界に、表示板やボタン箱が目に入りづらいような気がしていた。

シティ弘前前のほうは、大きな表示板はない。しかも、
2018年末撮影
歩行者用信号機に表示板が2枚あり「歩車分離式信号」「歩行者自転車専用」。
「歩行者自転車専用」は、秋田県警では省略しがちだが、青森県警は律儀でわりと設置されている。
「歩車分離式」というのは、ここでは分かりづらい。
たしかにここでは、歩行者信号が青の時は、車両用信号機はすべてが赤になる(昔はたしかそうでなかった)。だから歩車分離で間違ってはいないが、ここであえて表示する必要性は低いと思う。ミスリードさせてしまうかも。「押しボタン式」であることを表示したほうが、歩行者には有益だと思った。

上記のことを、2019年初め、青森県警に対して提案した。1年経って今年正月では…
まずシティ弘前前。
変わっている!
「歩行者自転車専用」が「押ボタン式」に代わっている。

交番前では、
大きい「押ボタン信号」が上記以前からあったもの。その下に!
新しくカラフルな表示があった(シティ弘前側にも)。
「PUSH BUTTON SIGNAL」
英語の表示。パソコンで作ってラミネートしたものっぽい。全国共通の多言語表示とは、言い回しは多少異なる。
その下の日本語縦書きの表示は、かなり薄れているがそのまま。

1年前の提案を受け入れて、設置してくれたのだろう。感謝。
ただ、日本語もボロボロなんだから、秋田県警のような多言語表示板に一括交換してもよさそうなのに、青森県警では多言語表示板を未導入なのか。予算の都合か。

弘前市中心部でも、英語表示が設置されたのはこの2か所しか確認できなかった。
ヒロロやヨーカドーの並木通り側、弘前公園周辺、弘前大学正門前は従来と変わらず。
弘前公園中央高校口の押しボタン式信号では、アジア系外国人2人連れが、雪が降りしきる中、突っ立っていた。僕はその向かい側から渡る必要があったので、押すと、理解して苦笑されていた。
青森県では外国人観光客が特に増加しているとか。多言語表示の設置拡大が望まれる。

さらに弘前駅前交番。
この正月も、日本人と思しき人が、突っ立っていた。うーん。人さまざまとはいえ難しい。
これ以上の改善の余地があるのか…
歩行者向け表示板を蛍光色とか目立つものにするとか、「ボタンを押してください」としゃべる箱(秋田県では一時期あったがなくなった。警視庁では新タイプを導入中)を設置するとか??

青森県警には、とりあえず一大観光地である弘前駅前や弘前公園周辺で、分かりやすい案内をお願いしたい。
全国的にも、各県警のほか観光庁とか警察庁も関わって、突っ立って待ち続ける歩行者がいなくなる工夫をしてほしいものである。

※弘前の話題の続きはこちら
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弘前いろいろ2020正月

2020-01-08 00:03:56 | 津軽のいろいろ
正月の弘前の続きで、市内や駅のちょっとした話。※直近の記事はリゾートしらかみ、その前は弘前公園

元日朝の中土手町
この状態で積雪30センチほど。歩道はロードヒーティングで路面が出ている。

情報がなく気になっていたのが弘前パークホテルが入る「川嶋ビル」の1階の今。2019年5月で閉店した(この記事後半)紀伊國屋書店弘前店の跡。
現状
空いたままだった。もちろん看板はなくなり、格子のシャッターが下りている。
シャッターの向こうの、ドアもそれ以外も道路に面した部分は全部ガラス張りだが、紙かなんかが張られて(一部はホテルのブライダルかなにかのショーウィンドウ?)おり、中をうかがうことはできない。
シャッターのすき間から。きゅるるるときしむ二重のドアが懐かしい

弘前駅。
改札内通路の窓から東方向
向こうに見えるJRマークが入った建物は、弘前運輸区。事務所のほか、乗務員宿泊所もあるのかな。
その右隣に2階建ての建物が工事中。

以前からちょこちょこ触れているが、今年春に、大館運輸区と盛岡支社青森運輸区が廃止される。そのため、弘前運輸区の受け持ちと人員が増え、要は大きくなるようだ。
※弘前運輸区が新たに津軽線を担当することになったり(当然、奥羽本線内の担当も増える)、盛岡支社から秋田支社へ支社をまたぐ異例の人事異動が行われたりするらしい。
そのための増築だろう。

弘前駅の発車標では、日本語と英語を切り替えて表示することができないらしい。その代わりなのか、2018年には青森行きだけ青森 AOMORIと同時に併記していた。他の行き先は日本語のみのまま。
(再掲)2018年は青森だけ併記
その後、2019年4月には、他の行き先でもローマ字が出るようになったとコメントをいただいていた。
現在。たしかに大館も秋田も深浦も併記
ただ、リゾートしらかみの「五能線経由秋田」ではローマ字は出ないようだ。要改善か。
【8日補足】AOMORIとAKITAは文字が太く、ODATEは文字が細いようだ。県庁所在地の駅だと太くなるのか?

正月の弘前の続きはこちら
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2020元日の弘前公園

2020-01-03 19:46:03 | 津軽のいろいろ
2020年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
大晦日~元日は風が強く荒れた天気。秋田市は31日昼には雪がなかったのが、夜から雪が降り出し、1日には5センチ強積もった。

さて、最近の恒例で、今回も弘前へ行ってきた。2019年は正月に行った後、行っていなかったので1年ぶり。
1年前の弘前は70センチ積もっていた。今冬は12月下旬から積もり、28日には48センチ。その後は30センチ程度。
大晦日から元日も、時折弘前としては強い風を伴いながら、ずっと雪が降っていたものの、積雪量としてはさほど変わらなかった。
新雪の弘前公園
今回は、1日昼前の弘前城址・弘前公園の風景。
弘南バスは元日も8時から19時の間は、土日ダイヤの通常運行。土手町循環100円バスも10分ごとと、便利。
10時過ぎの循環バスは、バスターミナルと弘前駅前から計7~8人が乗車。大学病院で4人ほど降り、3人は病院内【4日補足・見舞客か職員・関連従業員か】へ。追手門最寄りの市役所前で、他の2人とともに降車。
車道も積もっているが、除雪車が出るほどではない

お堀の対岸の角に注目

追手門側からズーム
降りしきる雪の中、白い鷺がたたずんでいた。

白鷺というサギはいないが、秋田市でも見られる、チュウサギかダイサギだと思われる。
秋田市にはサギの集団営巣地があるため、中心部でもサギ各種をよく見かけるが、弘前ではそれほどでもないようで、これまでアオサギしか見たことがなかった。
そして、秋田市での経験上、白いサギとアオサギでは、白いほうが警戒心が強いもしくはアオサギが図太い。ただ、千秋公園のお堀に人をおそれない白いサギが来ることもあって、個体差によるのかもしれない。
弘前公園のサギも、普通の白いサギなら、飛び立ってしまいそうな距離だったけど、この個体はこちらを意識しながらも逃げるそぶりもなかった。雪の中、飛びたくなかったのかな。

今回は、追手門から入って、冬は無料の本丸・北の郭を回って、中央高校口から出て、文化センター前からバスに乗車。
園内はどこも除雪してくれていて歩きやすい(もちろん雪対応の靴は必要です)が、ほぼ絶え間なく降っているのが嫌で、さっと通り抜けた形。
公園内に護国神社があるので、そこへの初詣客がいるかと思ったが、追手門側からは遠いせいか、人は少ない(昨年と同じくらい?)。地元の人と外国人を含む観光客、合わせて10人くらいしか見かけなかった。
昨年より積雪量は少ないが、今年のほうが雪は新しくて枝は白い。

2011年末の雪で倒れた「二の丸大枝垂れ」。※2017年9月
まだ松より低いけど枝ぶりは安定してきたかな
向こうが何かの工事現場。雪で近寄るのが面倒で詳細不明。

弘前城天守は、石垣工事のため、まだ移設中(冬は内部公開休止)。今年もまた雪であまり分からないが、昨年から目立った変化なし。
お堀左の斜面が石垣だが、シートで覆われ、そこに雪が付着している

移設中の天守。向こうにそびえる岩木山はもちろん見えず

展望デッキから本来の天守台

本丸の北側の橋を渡ると、引き続き有料区画の北の郭。「武徳殿休憩所」は元日も営業していたようだ。
いつも素通りしがちな北の郭に、昨年、とある木があることを知って立ち寄った。
武徳殿休憩所の前、写真右側の木
左側の常緑樹も大木だけど、弘前市「弘前公園古木名木マップ」には未掲載。
この木
「ハルニレ」で推定樹齢200年。弘前城の歴史からすれば半分くらい、広大な敷地の中では目立たないが、立派。

ケヤキやエノキもニレ科だけど、ニレ自体は秋田や青森ではそんなに身近ではないと思う。北海道で「エルム」として親しまれるのが、このハルニレ。西日本にはアキニレもあるが、おそらく北日本では育たない【12月16日訂正・秋田市では育つことが判明】。
秋田市立保戸野小学校では、校門の横に「ニレの木」と呼ばれる大木が2本あり、シンボルツリーとなっている。
以前、北海道大学植物園に行った時、保戸野小のニレの木はハルニレと異なり、「マンシュウニレ」または「ノニレ」と呼ばれる、近縁の別種であることを知った。
両種の大きな違いは葉の大きさ(ハルニレのほうが大きい)。縦に筋が入って凹凸がある木肌はよく似ていて、落葉した今は、区別が困難だろう。
こんな感じ
保戸野小のニレの木は、2本が近すぎたり、剪定され続けたりしたせいか、樹形は少々不格好。
こちらのハルニレも、すぐ近くに建物があってややきゅうくつそうだけど、空に向かってのびのびと枝を伸ばしていてきれいな樹形。いつか葉が茂ったところも見てみよう。

文化センター前から乗った循環バスも、計5人強乗って、並木通り・バスターミナル前で多くが降りた。
※弘前の話、帰りに乗った「リゾートしらかみ」の話が続きます。

※この次に弘前公園を訪れたのは、2021年12月
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お岩木なっとう

2019-07-28 21:03:02 | 津軽のいろいろ

弘前市の豆腐類のメーカー「かくみつ食品」が、今年春から納豆の製造販売も開始した。
同社の具材入りの「玉子とうふ」は、秋田市内でもよく売られているので、納豆にも期待したが「まず弘前市やその周辺で安定的に販売しその後、青森県内に拡大したい」とのことだった。(この記事後半)
いつか弘前へ行った時に買ってくるかと、気長に待つことにした。

秋田市のハッピー・ドラッグ秋田泉北店へ行ったら、なんと
売っていた!!
かくみつ側が販売エリアを拡大したのか、ハピドラ側の手違い(?)か、先日のイギリストーストエヴェンゲリオンに続き、買えないはずの秋田で、突然の出会い。
なお、近くのマックスバリュ泉店には置いていなかった。
「お岩木なっとう 中粒」
50グラム×3パックで8%税込み105円。
スーパーで売っている同価格帯の納豆は、40グラム×3パックが主流なので、手に取ると若干大きく感じる。

ねぷた絵師にかいてもらったパッケージは、岩木山を背景に納豆のパックを持つ女の子が描かれ、かわいらしい。絵の中で持っている納豆にも、ほぼ同じパッケージが描かれ、その絵の中のさらに中のパッケージは岩木山の輪郭だけ。

パックはごく普通
一般的なタレ(5グラム)とカラシ(1グラム)付き。
お岩木なっとう
大豆は、遺伝子組み換えでないカナダまたはアメリカ産。1個103kcal(タレカラシ込み110.3kcal)。

最近の低価格納豆は「極小粒」がほとんど。
これは「中粒」ということになっているが、(極小粒に慣らされた者には)「大粒」と言ってもいいかもしれないほどの大きさ。

僕は納豆は嫌いではないけれど、そんなに食べないし、食べても極小粒40グラムばかり。
そんな舌での感想ですが、おいしいと思う。
そして、久しぶりに粒の大きい納豆を食べて、量も多いだけではない、大きな豆による食べ応えに満足した。秋田県ではひきわり納豆も好まれ、僕も嫌いではないが、大きい粒の納豆はいい(極小粒は中途半端)。
低価格で粒大きめ・ちょっと多めというのは、アドバンテージになる。

各パックの側面が、部分的に少々ベタベタ(糸引くとかニオイがあるわけではない)したのは、ちょっと気になったけど、また買いましょう。
※2019年9月時点でも、ハッピー・ドラッグ秋田泉北店で販売継続。秋田新屋店でも販売。いずれも多くて2~3個が陳列されている。
【2020年4月4日追記】2020年4月時点では、同じく青森に本社がある「スーパードラッグアサヒ」の秋田市内の店舗でも、販売されていた。売り場全体がハピドラより大きめなこともあるが、アサヒのほうが在庫量が多いようだ。


【28日23時追記】ちょうど今、林先生の番組でやっていた、納豆豆知識。
クラゲに刺されたことがきっかけで、納豆アレルギーになることが多く、納豆アレルギー患者の大部分がサーファーとのこと。

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弘前3つの新事業

2019-06-09 20:50:35 | 津軽のいろいろ
弘前で閉店した4店を紹介したけれど、新たなことを始めてがんばる企業等もある。3つ紹介。

●あどばだり復活 【2020年12月4日訂正】以下「あど『ば』だり」としてしまった箇所が多いですが、津軽弁として店舗名としても「あど『は』だり」が正当です。
4月21日付アップの弘前経済新聞サイト「弘前「ルネスアリー」全館オープンへ 津軽三味線居酒屋やカプセルホテルが入居」より。
部分開業していた旧ルネス街の「ルネスアリー(昨年末の記事)」が4月18日にフルオープン。

テナントの1つに「津軽路居酒屋あどはだり」ができたとのこと。
同店は、かつて別の場所で営業していて2014年閉店にしていたのが、移転・復活。2代目となる新店主の「父親の死去が一因となり一時閉店」していた。

あどばだりとは、津軽弁で「アンコール、おかわり」。郷土料理とともに、津軽三味線の生演奏を聞くことができる店。
弘前市内で津軽三味線の生演奏を聞ける場所は、あまり多くはない。以前は弘前駅前の「山唄」があったが(1964年頃開店?)、2016年に閉店したのは知っていた。それ以前にあどばだりもなくなっていたのか。富田大通りの住吉入口バス停近くの変形交差点の角にあった店の前は何度か通ったけど、気づかなかった。

10年以上前、1度だけあどばだりに行ったことがある。
ほぼ貸し切り同然&ほぼ目の前で、お父さんが説明しながらソロで演奏してくれた。なんやかんやいってこんなに近くで津軽三味線を見聞きするのは初めてで、興味深く聞いたものだったが、その方が亡くなったのか。
食べ物も良かったけれど、シメのあっさりしたラーメンが、とてもおいしかった(津軽特有の濃いにぼし出汁ではなかったはず)。

【2021年2月17日追記】その後、新型コロナウイルス感染症のためか、2020年11月いっぱいでルネスアリーは、あどはだりを含めて全店舗撤退・閉館。
あどはだりは、2021年1月18日、土手町内に移転(中三向かい・立体駐車場脇の小路)再開したとのこと。


●ロマントピア新源泉
「星と森のロマントピア」という施設群が、リンゴ畑と岩木山に抱かれた弘前市郊外・相馬地区にある。
旧・相馬村時代(1995年頃?)にオープンし、現在は弘前市の外郭団体が運営しているようだ。

ホテルとコテージの宿泊施設もあり、2度ほど泊まったことがあるけれど、静かでおいしくて安くて、良かった。
明るくて広い内風呂と岩木山が見える露天風呂からなる温泉もあった。お湯は無色透明だったか。

一時期、その温泉の調子が悪くなったような話もあったが、2つ目の源泉を掘り、4月5日から2つのお湯が楽しめるようになった。
内風呂はナトリウム・カルシウム-塩化物泉(無色透明・塩味無臭)。
露天風呂がナトリウム-塩化物・硫酸塩泉(茶褐色微混濁・微塩味微硫化水素臭)。
露天のほうが新源泉か。
愛称が公募され、6月から内風呂が「羽衣の湯」、露天風呂が「星天(せいてん)の湯」になったとのこと。
入りたい。


●かくみつ納豆
弘前(旧・岩木町エリア)に「かくみつ食品」という豆腐メーカーがある。
豆腐、油揚げもあるが、「玉子とうふ」が代表商品だろう。一般的な玉子豆腐とは違い、茶碗蒸しのような具が入っている。豆腐型容器に入った茶碗蒸しとも言える。

名前はさほど知られていないが、工藤パン以上に広く流通しているかもしれない。秋田市内のスーパーでも、同社の豆腐や玉子とうふはよく売られている。
秋田市内のハッピー・ドラッグでは、味付け油揚げ、おまけに青森県他社の玉子どうふも扱っていて、さながらそこだけ青森県のよう。

そのかくみつ食品が、納豆の製造販売にも乗り出した。
「お岩木なっとう中粒」で、岩木山が描かれたパッケージ。
5月10日の陸奥新報サイトによれば「大手納豆メーカーとの競合や後継者不足などで納豆製造元の廃業が相次ぎ、弘前市内でもゼロとなっていた中での挑戦。」。【末尾の追記も参照】

5月28日には日本経済新聞にも掲載。
「1パック(50グラム)3個セットで100円前後。」
「低温熟成することで、納豆のにおいを抑えてふっくらとした製品に仕上げた。」「納豆製造の技術は他社に学んだ。」
パッケージはねぷたの「絵師、八嶋龍仙さんに依頼」。
「「地元産の納豆」を前面に出し、顧客獲得をめざす。」
「まず弘前市やその周辺で安定的に販売しその後、青森県内に拡大したい」」 ※7月に秋田で買うことができた


さて、かくみつ食品では、今回、初めて納豆に進出したことになっている。ところが…
「バカヤローカーブ」の存在を教えてくれた、弘前大学消費生活協同組合の新入生向け情報誌「APPLE COOP」。
その少なくとも、1995年版と1996年版に、かくみつ食品の広告が出ていた。
「営業種目」のところ

「熟成納豆」ってのがあるのですが…

熟成納豆は、なかったことになっているのかな??
イチから改めてということなんでしょう。


最後に、今回、かくみつ食品のことを調べていたら、意外なことを知った。
○水豆花
弘前市新寺町、五重の塔・弘前高校から来て、桔梗野へ左折する丁字路のちょっと先に、店の前に水車(水がなくて回らない?)がある飲食店があった。それがいつの間にか閉店したことを聞いていた。
その店は「おとうふ懐石『水豆花(すずはな)』」。2001年には隣に「うの花や」という直売店も併設(おそらく両方同時に閉店)。

弘前にいた頃にできたばかりの店だと聞いた。ランチ1500円~、夜3000円弱~といいお値段で、身分不相応ながら昼と夜1回ずつ行ったことがあった。

その水豆花は、かくみつ食品で経営していたのだった。地元の人は知っている人は知っているようだ。
1995年9月開店。
ネットで調べると、2011年10月30日には営業していたが、2012年12月には閉店していた。
Googleストリートビューによれば、2018年7月時点でも、看板がないだけで、建物も水車も往時のまま。

なお、かくみつ食品の創業地(大正2年)が新寺町で、1981(昭和56)年頃に岩木へ移転したようだ。【7月30日補足】水豆花の場所が、まさに元工場の場所だったようだ。


【7月30日追記】陸奥新報の通り、昔は弘前市内に納豆メーカーがあった。
その1つが「弘前納豆」。食べたことはないはずだけど、インパクトのあるパッケージは印象にある。朝食バイキングのメニューに入れていた市内のホテルも多いはず。
「弘前納豆」の製造元は、南横町の武田食品工業。1937年創業、2011年12月20日、経営者の健康状態や後継者不在により廃業。
50グラムパック入りで、赤い縦長の相撲文字のような書体で「弘前納豆」と横書きされた商品(これが記憶にある)のほか、縦長包装の100グラム入りもあった。100グラム入りは、「まる」が赤、「ひきわり」が緑の地色で、白抜きに扁平な毛筆(相撲文字とは違う)で「弘前納豆」と縦に書かれていた。

ほかに、野田の「野田食品工業」が「パール納豆」のほか、地元スーパー「マルエス主婦の店」向けプライベートブランドの納豆を作っていたようだ。
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弘前4つの閉店

2019-05-23 00:10:20 | 津軽のいろいろ
報道やネットの受け売りですが、久しぶりに弘前の話題。
昨年後半から今春にかけて、市内で4つの店が営業をやめた。うち3つは中心市街地の土手町。
いずれも当ブログではこれまで明確に取り上げたことはなく、写真も撮影していない。それほど、弘前の街に溶けこんだ、あって当然のものであった。
●一戸時計店
中土手町の新しい大きい交差点、昨年夏にハッピー・ドラッグがオープンした向かいに「一戸時計店」があった。
その建物が有名で、観光名所(外観のみ)であった。
明治30年に建てられた(大正9年までは別の店)、赤いトンガリ屋根(円錐形)の小さな時計台で、ささやかながら街のシンボルであった。
(再掲)手前のメガネ屋の隣にトンガリ屋根の先端がちょっとだけ見える。奥の巨大構造物は中三
閉店は2018年10月だそうだが、陸奥新報で報道されたのが今年3月22日で、そこで広く知られたようだ。
店主が亡くなって後継者がいないためだそうで、今はシャッターが下りたままで時計は動いているようだ。
陸奥新報では「家族と商店街関係者は「建物を何とか残したい」と保存、活用の方策を探っている。」としている。

なお、2013年1月20日には、車同士の衝突事故のはずみで、1台が店舗に突っこんでくるという被害(けが人なし)を受けている。

【2019年8月2日追記】2019年8月から2020年春まで、近くで工事中の「弘前れんが倉庫美術館」の開館準備室の事務所が入居することになり、久々にシャッターが上がることになった。
【2021年7月23日追記】中土手町商店街振興組合の事務所として使うことが決まった。老朽化しているので2022年秋にも改修を行う予定。2021年7月時点ではシャッターは下りているものの、時計は動いている。
【2022年12月7日追記】改修を終え、2022年12月5日から中土手町商店街振興組合事務所としてオープン。時計は一時期止まってしまったが、補助金、クラウドファンディング、奈良美智Tシャツの売上によって修理された。

●ミニストップ弘大前店
富田大通り、弘前大学文京町地区の向かい、富野町8-2にあった、イオン系列のコンビニが閉店。
2018年11月25日閉店とする情報が多いが、実際には在庫処分が順調で11月22日正午に繰り上げて閉店した。
さっそく解体されて更地になったらしい。年越しで行った時にバスで通っているのに、気づけなかった。

店舗名は略した「弘大前店」が正式。
弘前大学文京町地区の正門は、敷地のどちらかと言えば隅にある。
ミニストップがあったのは、大学敷地の中央付近、人文学部と理工学部の間=文京町1番地と3番地をへだてる市道が大通りと交わる所。
信号機のない横断歩道を渡らないとならないものの、学内からの買い物場所としては、大学生協と並ぶ便利な立地で、「弘大前」でも差し支えないだろう。
開店当初は、大学敷地1番地側からは遠回りだったが、2000年代に大通りから人文学部裏の自転車置き場に出入りできる口が設置されたので、便利になったかも(別にミニストップのための出入り口じゃないけど)。

開店は、僕が在学中だったから、1998年度だと思う。
弘前市内のミニストップとしては初期の出店だったと思うが、青森市などには既に多かったそうだ。
「ソフトクリームがおいしい」と話題になり、その形の携帯ストラップ(というものも当時目新しかった)をもらって見せびらかす学生もいて、「いつか食べなきゃ」と思いつつ、及び腰で卒業してしまった。

文京町周辺には、他にはスーパーが1つあるがコンビニはない。大学生協では買えない物や時間帯もあるわけで、重宝されていた店だと思っていた。(秋田大学手形キャンパス周辺も、ファミマが1つあるだけ。どちらも需要はありそうだけど…)
青森県内では、ここ何年かでミニストップの閉店が続いているそうで、その一環か。弘前市内には土手町ともう1店しかなくなった。

●スペースイン
下土手町のゲームセンターが今年3月24日閉店。
僕はゲーセンはまったく利用しないので、行ったことはない。場所は中三(なかさん。百貨店)の並びで、20年少し前の大学生には略して「スペイン」と呼ばれていたくらいしか知らない。

3月19日アップの弘前経済新聞と4月7日の陸奥新報が詳しい。以下、出典を「経」「陸」と略記。
どちらも、「スペイン」の略称で親しまれたことを取り上げていて、大学生以外にも通用したようだ。
閉店の告知は3月17日。オープン年は、1989年(経)、1990年(陸)で、1年ズレているが「ゲームセンターの屋号では県内で最も長い歴史を持っていた。」(陸)。ともかく平成時代だけをほぼフルに営業した。

運営は「三珠産業」。本社は駅前のアートホテル弘前シティ・弘前駅前郵便局の向かいで、スペインの姉妹店の位置づけであるゲームセンター「ゲームフェスタミタマ」も併設しており、今後はそちらに集約。
スペイン跡は「同社がテナントビルとして活用」「入居者を待っている」(陸)。

ただし、下土手町で約30年間同じ場所で営業していたわけでもなかった。
・隣接する「したどてスカイパーク」を挟み2店舗で営業をしていたが、2005年に現店舗に移転した。(経)
・2005年には近隣の旧今泉本店ビルを取得し移転した。(陸)
2005年に、2000年に倒産した「今泉本店(という名の書店)」の後に入ったのだった。
でも、両サイトの書き方と、立体駐車場の変遷(2013年に1階は日弘楽器が閉店、ミニストップになった)などもあって、ちょっと分かりづらい。

独自に調べたところ、1995年や1998年頃では、西側(弘前公園寄り)から、
[今泉本店・日弘楽器・スペイン・中三]の並び(略している店もあります)。(経)の「2店舗で営業」というのがよく分からない。
その後、
[移転したスペイン・スカイパーク・元スペイン・中三]となった。
スカイパークの中三側隣の移転前のスペインの建物らしきものは、Googleストリートビューによれば、2014年5月には美容室、2015年8月~2018年は空き店舗になっている。

地図サイトによれば、今泉本店→スペインのビルは「三珠第2ビル」、駅前のゲームフェスタミタマは「三珠ビル」という名のようだ。

●紀伊國屋書店 弘前店
全国チェーンの大手書店。今年5月6日閉店。
弘前経済新聞によれば閉店は3月26日発表、売り場面積は372坪。陸奥新報によれば「約1230平方メートルの売り場面積と15~16万冊の書籍数(雑誌類を含まないのかも?)」。
※ちなみにジュンク堂書店秋田店は「約50万冊(雑誌・コミック含む)」とむしろ多いが、品揃えの違いもあり、単純に冊数での比較はできないと思う。

中土手町の「弘前パークホテル(旧・ホテル法華クラブ弘前店)」が入る「川嶋ビル」1階に、1983年9月22日開店。東北地方では最初の出店(他には仙台店だけ?)。
※以前の記事で、法華クラブのオープン年を間違って記載していました。法華クラブは書店の少し前、同年5月1日開業のようです。ビル自体が新築されたところに、ホテルと書店が新規オープンした形のようです。法華クラブは2000年撤退。

5月8日付陸奥新報では、市民らに惜しまれつつ閉店したことを「県内随一の品ぞろえを誇る書店であるとともに商店街の顔」「「学都弘前」の一翼を担ってきた」「「知の拠点」との別れを惜しむ」といった表現で伝えている。

僕は弘前へ行った当初、「紀伊國屋書店」の何たるかをよく知らず、ただの大きい本屋として入って、「これは秋田の大きな本屋とは格が違う」と圧倒された。
県庁所在地でもない街に、このような書店があるのが弘前という街なのだということを理解した。陸奥新報の表現は大げさではないと思う。

ただ、本は大学生協で割引きで買えたし、場所的に近くもないので、頻繁に利用したわけではない。たまに行く程度。
専門書の品揃え、そして店内の作りや雰囲気は、地元資本の書店や最近の大型書店にはない、独特のものがあった。通路が広いだけでない「余裕」や「重厚感」「威厳」と言っては大げさかもしれないが。
店内の匂いも他の書店とは違うように感じ、見た目よりも重い手押しのガラスドアのゴムがどこかにすれる【23日補足・もしくは ちょうつがいがきしむ】「きゅきゅきゅー」という音も印象的(これはメンテナンスの問題)。


ちょっと謎だったのが、店舗中央のドアを入ると、店内の左右で少し雰囲気が違ったこと。
中央に大きな通路があって、店内はなんとなく分割されており、左が書籍(ハードカバーや文庫)、右が雑誌・コミック・参考書・文具。右の雑誌側は通路がやや狭く窮屈で、レジは左右それぞれにあった。単に売り物の種類が違うためだけではない、見えない壁があるように感じられた。
そして、雑誌側レジのレシートは紀伊國屋ではなく「ブックス弘前」と印字された。袋はどうだったっけ?

この謎が、閉店時の陸奥新報で解決。
ブックス弘前は「地元資本」だったそうだ。
ネット上のわずかな情報を元にすれば、紀伊國屋進出時には、地元書店業界から反発が出たそうで、その緩和策として、雑誌部門を地元資本にして、棲み分け的なことをしたのだろうか。

ブックス弘前は2013年で廃業。以降はレジを1つにして、すべて紀伊國屋直営だったとのこと。
陸奥新報ではその引き受けが「分野的にインターネット販売や電子書籍の普及の影響が大きく」閉店につながったようにも書いている。

ただ、紀伊国屋書店では、大分店や宇都宮店の閉店も決まっており、昨今の本を取り巻く状況も鑑みれば、弘前だけが特殊な事情で閉店になったのではないだろう。むしろよくぞここまで持った。

これにより、弘前市街地から路面店の大きな書店はなくなったのだろう。近くの中三の上には、2012年進出のジュンク堂書店がある。
川嶋ビル1階がどうなるのかも注目。※2020年正月の状況
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弘前いろいろ2018年末

2019-02-28 00:31:50 | 津軽のいろいろ
遅ればせながら、2018年末~2019年始の弘前市内の光景いろいろ。
●アプリーズてっぺん
2017年夏に、弘前駅ビル「アプリーズ」てっぺんの看板の工事をしていた。
現在
一見、以前と同じものがきれいになっただけの気がした。
少し違って、以前のもの(ストリートビュー等で各自ご確認ください)は、文字が出っ張っていて夜は自発光していた。
現在は平面に書かれているように見える。下に照明は見当たらないようだけど、夜は暗いまま?

●ルネスアリー
2018年秋には、中土手町と中央弘前駅前を通り抜ける商業ビル「ルネスアベニュー」が2017年3月に閉鎖され、解体されていた。
昨年12月26日に、残った部分をリニューアルして営業再開された。ただし、訪れた日は全館休業だったので、土手町側外観だけ。
右隣はスマイルホテル弘前(旧・弘前国際ホテル
以前のルネスアベニューがどういう外観だったか記憶になかったが、こちら側は建物がそのままで、外壁なども以前とほぼ同じ。
ただし、壁面の「RENAISSE AVENUE」が「RENAISSE Alley」になった。

リニューアルに際して、名称が「ルネスアリー」に変わった。
ルネス街(1980年)→ルネスアベニュー(2006年)→ルネスアリーと変遷したことになる・

12月26日は部分オープンで、2019年年明け以降順次営業店が増え、3月フルオープン予定。
飲食店は8店舗で、中三や代官町から移転するものもある。2階にはカプセルホテルができる。
というのは、陸奥新報と弘前経済新聞の両サイトの受け売り。公式サイトが存在しないようで、よく分からないのが惜しい。

【2021年2月17日追記】2020年の新型コロナウイルス感染症流行の影響らしいが、2020年11月いっぱいで、ルネスアリーの全テナントが撤退・閉店してしまった。

●バス停アイテム
弘前公園外堀沿い。
土手町循環100円バスの陸奥新報前バス停
バス停のポールの手前には、
「弘前市」と書かれた黄色い除雪道具
表示もあって、
「バス停の除雪に、スコップをご利用ください。 弘前市建設部道路維持課」
厳密には「スコップ」じゃなく、プラスチック製の「雪べら」だね。これのことを北海道では「ジョンバ(英語由来)」と呼ぶそうだけど、秋田ではまったく使わない言葉。
【2021年2月17日追記】ここは道路としては県道で弘前市道路維持課の管轄外。弘前市が「道路管理者として設置」したのではないことになる。

歩道と車道の間に雪山ができていて、バス乗降に支障があるので、ボランティアで除雪してというもの。
そのおかげか、乗降に支障がない状態になっていた。

富山県や青森市では、だいぶ以前から道路やバス停に除雪道具を設置していたが、弘前や秋田市では(試験的にやったことはあるとは聞いたが)見たことはない。
今回の弘前市でも、陸奥新報前しか見かけなかった。一般路線の住吉入口下り側なんて、踏み分けられてできた狭い道がツルツルの斜面になっていて、乗る時は怖かった。
【28日追記】ネット上の情報では、2015年~2016年のシーズンに、城西大橋の南袋町入口上り側にも同じものが設置されていた。どちらも、バス停前に民家や企業など建物がなく、その善意の除雪に期待できないから置いたのだろう。住吉入口下りは、昔は駐車場だった気がするけれど、今は立派な建物が建ったから…

自助共助じゃないけれど、道路管理者やバス会社の手も限られるし、もっとやればいいのに。

●ドームカメラ
ここ何年かで、街中の監視カメラが増えた。昔は細長い箱型=テレビカメラ型のカメラが定番だったが、最近はドーム状の覆いのついたカメラも多い。目立たない、死角が少ない、本体の保護といったメリットがあるらしい。弘前ではこんなところにも。
交差点の信号柱の上

銀色のPanasonic製ドーム型カメラ
逆「し」の字のアームから、色が違うものをつり下げて、小さいながらかえって目立つ【28日補足・以前のカメラはアームの付け根部分にあったはず】。商店街のようなもっと低い位置にある防犯カメラと同じものに見える。

これはおそらく、道路交通状況を監視するための青森県警のカメラ。昔は、街中に設置されたカメラといえばこれぐらいしかなかったのでは。
昔は、どっちを向いているのかが一目瞭然のテレビカメラ型のカメラだった。単に車の流れを見ているだけだから、どっちを向いているか分かっても問題はない。ドーム型のほうが安いから、これに更新したということだろうか。たしかに、車の流れを見るくらいなら、汎用品で十分そう。

秋田県警では、交通監視用は、昔よりは小型になったものの、テレビカメラ型のカメラを今も採用している。犯罪抑止捜査用の「街頭防犯カメラ」は、ドーム型(たしかPanasonic)だけど。

●SWANにPOLICE
もう1つ青森県警。
青森県のパトロールカーの車体側面には、県の鳥(県民鳥と称するようだ)である白鳥が、黒地に白抜きで描かれていた。
(再掲)
近年、パトカーに「POLICE」の英字や警察のエンブレムを追記する都道府県が増えている。

青森県でもそうしていると聞いていたが、白鳥はどうなったかと思っていた。
白鳥とPOLICE
写真のような小さい車でも、白鳥を前方へ移動させることで残していた。エンブレムはなし。


雪が少なかった今年の秋田市は、もうすっかり消えた。アメダスのデータでは、今も弘前市は50センチほど積雪がある。
昔の今頃、入学試験で弘前へ行って、その雪の多さに驚いたのを思い出した。
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弘南バス2018年末

2019-02-22 00:09:15 | 津軽のいろいろ
中古エアロミディに続き、昨年末~正月の弘南バスの話題いろいろ。
日野リエッセだけど…
2015年に宮園団地線で走っていた車。青森22あ86、50811-9号車。和徳車庫配置。
(再掲)2015年
弘南バスで大きな勢力を占める日野リエッセの中で、異端の車。中古車ではなく新車で入ったようだけど。【3月8日追記】いただいたコメントによれば、この車は中古車で、かつ弘南バスの子会社を経て、現在の塗装・和徳配置になったとのこと。それならば納得できる。
具体的には、ナンバープレートが別付番(他は中・大型と共通)、バンパーがボディーと同色(他は銀色)、側窓が黒い、ボディーの色味がやや異なるといった点。【25日追記】正面の行き先表示機自体は他のリエッセと同タイプのようだが、その枠が、弘南バス伝統の黄緑色でなく白なのも特異。【3月3日さらに追記】一般タイプのリエッセでは謎の系統番号(?)が併記される行き先でも、この車では表示されない。
以前は、ヘッドライトの間に「弘南バス」の行灯(点灯はしないかも?)があってこれも特異だったが、今はボディ・バンパーと同じ色の板になった。ネット上の写真によれば、2017年8月には行灯があり、2018年9月16日にはなくなっていた。
正面右のエンブレム(シール?)もなくなっており、塗装し直されたのかもしれない。

客席は、運転席側は観光バスのような、2人掛けで白いビニールカバーがかかったもの。他のリエッセは1人がけでグレーのカバーなのと違う。
この車は、白神山地方面の「暗門白神号」運用がメインらしい。最長では2時間以上走る便もあるから、豪華なんだ(ナンバープレートが違うのはなぜ?)。
冬は暗門白神号は運休だし、夏場でも他のリエッセが暗門白神号に入る(区間便?)こともあるそうで、結局はこの車も一般路線にもけっこう入るということらしい。
弘前駅から学園町まで、たった20分(そんなにかかるっけ?)の豪華な運行。大型の元貸し切り車の運行が多かった20年ほど前を少し思い出す。


方向幕について。
昨秋少々触れた、2018年10月の路線再編で、「田代経由西目屋村役場・居森平線」が短縮されて「西目屋村役場線」となった。
西目屋村役場行きリエッセ。これが多数派仕様

行き先表示
役場行きの方向幕がちゃんとあるということは、昨秋に新しく作ったコマなのでしょう。今も幕を印刷できるのか。
フォントはスーラのようだけど、どうして青色なの?【3月3日追記】あまり意味がない謎の系統番号も表示されない。

枯木平行きなど他の再編路線も含めて、LED式の車(マイクロも中型も)では、上段に小さく「大学病院・市役所」とか経由地が表示されるようになった。既存路線は変わらない模様。全路線に広めてほしい。
【2020年4月13日補足】2020年春時点の中型のLEDでは「市役所・茂森・常盤坂経由(ここまで小文字、改行)西目屋村役場前」。
【2023年11月1日補足】2023年10月時点でも、中型のLED表示は変わらず。マイクロバスでも同じレイアウトの模様。2023年11月からは、相馬線と統合されて経路・経由地が変わったため、表示は更新されたはず。


(再掲)雪山をギリギリ通過する日野レインボー
浜ノ町経由で藤代車庫へ帰る青森22か13-44、51108-5。
弘南バスでは「車庫」のことを「営業所」と表記することも多いのでそれはいいけれど、見慣れない方向幕。
書体はMBD101でなく「見出丸ゴシック体MBD31」かな
「藤代営業所」と略さずに文字幅を狭くして表示するのが珍しい。かつての秋田市営バスの「臨海営業所」に似ている(あちらはやや太いMBD101?)。【25日訂正】秋田市営バス時代は「交通局(=中央営業所)」で、臨海営業所になったのは中央交通移管後なので、市営バス時代にMBD101でそう書かれてはいませんでした。思いこんで書いてしまったので削除します。ただ、移管後のスーラの「臨海営業所」と文字の配置は似ている。

一般的なのは、
(再掲)2002年

(再掲)
「藤代営」「藤代(営)」と略す。
同じ車でも城西大橋経由のコマは「藤代営」のようで、弘南バスの方向幕はほんとにバラエティ豊か。
【2023年6月5日追記・浜ノ町/浜の町の表記について】アップ時に見落としていたが、現在では地名としては「浜の町」と「の」がひらがなが正当。昔は「浜ノ町」だったようだが。写真のLED表示のほか、たしか幕で「藤代営」と表記するものでも「浜の町」表記。したがって、「(浜ノ町)藤代営業所」表記の幕は古いものなのかもしれない。


地元スーパー「佐藤長」がラッピング広告を出していた。同社のバス広告はこれまでなかった気がする。
弘前営業所と和徳車庫の中型(どちらも朝日自動車中古、前・後ドアのレインボー)に、ピンクとオレンジの色違いで1台ずつ確認。年末年始は土手町循環100円バスと大町回り城東環状100円バスに使われていた。

弘南バスでは珍しい(秋田でも近年は減った)、両側面と後部の全面を使ったフルラッピング。窓より上・屋根下には「津軽を愛し 津軽と共に 地域密着」と書かれている。
青森200か952 51215-2 弘前営業所

10-16 51217-9 和徳車庫
両車違う面しか見られなかったので、色違いでもデザインは同じなのか違うのかは不明。
あっさりとしたデザインだけど、なかなか情報量は多い。ヒロロ店の営業時間(だから市街地で運用されるのか?)とか、ピンクの側面最後部には「土曜日はたまごの日」とある。
頭にリンゴをかぶった女の子は「しんこちゃん」、魚にかみつかれた(?)男の子は「せんたろうくん」だって(服に新/鮮とある)。苗字は佐藤さん?
年の瀬の土手町を行く。リアウインドウには場違いに医院の広告

※弘南バスの次の記事は2020年正月
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弘南 中古エアロミディ

2019-02-07 00:02:44 | 津軽のいろいろ
2018年末~2019年始の弘前で見た弘南バスの話。※昨秋の記事
2018年に弘前市内の路線バス用に、三菱ふそうの中型車・エアロミディの中古が何台か入ったとのこと。
3台を見ることができたが、おそらくそれで2018年転属・弘前市内配置のすべてのようで、運がよかった。前事業者等はネット上の情報を参考にさせてもらいました。
青森200か11-15 31311-9号車 2001年製 和徳車庫 2018年春頃から運用

11-62 31502-2 2003年製 弘前営業所

11-70 31503-5 2003年製 藤代車庫 2018年11月頃から運用
どれもピカピカのベージュ色が気持ちいい。弘南バスの特徴の銀色バンパーも踏襲。

弘南バスでは、2000年代以降は三菱製の新車は小型車と高速・貸切車ばかり(新車エアロミディは1998年が最後)。中古ではエアロミディが何台か入ってきたが、路線用でない元自家用バスっぽい仕様の車ばかり。そんな状況であった。
1998年新車導入の青森22か12-80
1993年製のエアロミディ2台も含めて、まだ健在のよう。

今回の3台は、純粋な路線用で、このタイプは新車中古問わず久々(20年ぶり)の導入。
今回来たうち、2003年製の2台の社番は、「弘南バスに在籍する2003年製の三菱車(小型、貸切、高速も中古も含む)の中で、2台目と3台目」を意味しており、2003年三菱製のバスは、これまで弘南バスに1台しか存在しなかったことになる。
それは「31501-2」号車で、夜行高速「ノクターン」用の車両。
【7日補足】一方で、2001年製はこれが11台目=既に10台ある。


それにしても、この3台は、一見同じような仕様の車なので、出どころ(前所有者)が同じかと思ってしまいそう。でも、ナンバープレートが飛んでいるし、よく見れば差異がある。
弘南バスは、自家用車中古を買うぐらいだから仕様の統一には興味がないと思っていたけど、気が変わったのか、たまたま似たのが集まったのか。秋田中央交通さんも欲しがりそうな、マトモな車たちである。

改造箇所も含めて3台の共通点。どれもワンステップだと思われる。その他2000年代のエアロミディとしては標準的な仕様なのかもしれないけれど、弘南バスとしては初導入と思われる点もある。
・客席窓が銀色枠の逆T型配置。
・転属時に前と側面にLED式行き先表示機を設置。正面表示機の周囲は黒塗装。
これまでは幕式で周囲が黄緑色だったので、この組み合わせのエアロミディは初めてで、引き締まって見えていい。なお、側面のLEDは設置位置が3台とも微妙に違い、まだ取り付け作業に慣れていないのかも。

1台ごとの特徴。
和徳の1115。運用としては和徳回り城東環状バスに入ることが多いようで、3台の中ではいちばん遭遇しやすく乗りやすそう。
側面LEDの左下に、白い横長のテープのようなものが貼られてしまっていて、「弘前バスターミナ 」などと左側2コマの下の文字が読めない。

この車の前所有者特定は容易。中古バス経歴調査の基本中の基本。
・フロントガラスに向かって右下に四角い枠(黄緑色)がある。
・ドアに表示を変更できる「出入口」「しめきり」表示がある。
あと、今回発見し、ネット上に言及は見当たらないのだが、
・前バンパーに穴(?)が多い。
これらから、神奈川中央交通(通称・神奈中。小田急グループ)の中古車と特定できる。
神奈中では、エリアによって乗り降りするドアや支払い方式が異なるそうで、正面にその表示機があり(弘南バスで黄緑に塗りつぶした)、ドアの出入りを変更できるようになっているのだ。
バンパーの穴については理由は分からないが、神奈中のエアロミディはこれが標準らしい。

神奈川中央交通と秋田中央交通に直接の関係はないが、10年くらい前には、いすゞと三菱の中型の中古車が何台か秋田に入っている。正面の表示は、塗りつぶした車と「運賃後払い」がそのまま残っている車がある。
個人的には、秋田の神奈中中古は、できれば乗りたくない。車内が落ち着かないから。背もたれは薄っぺらだし、前席背もたれの取っ手が(もともと)ないのとか、(以下は秋田での改造かもしれないけど)車椅子スペースに座席がないのとか、ドギツイ紫色の座席に張り替えられた(←これは別の中古だったかも??)のとかで…【7日追記】それとツーステップ車では、前ドアの段の間隔が通常と違う。乗り降りさせやすくするのは分かるけど、譲渡先では他車と違うのでかえって足元がおかしくなりそうなのも好きでない。
弘南バスの1115も、座席の色は緑っぽい水色とピンクだから、神奈中当時のまま。座り心地はどうだろう。


弘前営業所の1162。
側面はごく普通のエアロミディ
側面LEDはきれいに取り付け。1115もだけどバス協会のNBAステッカーは中ドア付近だから、前所有者のままかも。
運賃箱は弘南バスでの使い回しなのか、古い小田原機器製。
整理券発行機は見ないでしまったけど、まだインク式か、感熱紙になったか。
後部
補助テールランプがあるのと、リアウインドウに「低公害車 エンジンは自動停止します」とある。秋田の中央交通子会社のバスでもこう書いた車があったけど…
ネットの情報に頼れば、京成グループ「千葉交通」のさらに関連会社「千葉交タクシー(通称・ちばこうバス)」の中古とのこと。近年は秋田にも、京成系列の中古が来ている。


藤代の11-70は、一瞬しか見られなかった。他の2台がベージュに塗られたミラーが、これは黒。
車内の座席
座席の布地は、いすゞっぽい柄の新しそうなもので、張り替えたようだ。
その座席は、かつて秋田市営バスでも採用されていた、天龍工業製の背もたれの高くて厚いタイプに見える。
愛知県の「知多乗合(通称・知多バス)」という、名鉄グループの中古とのこと。

弘前にエアロミディ3台が増え、おそらく代替で廃車になったのは、平成初期の自社発注の日野レインボーか。新車も増えて、旧レインボーは確実に減っているはずだけど、そうは感じない。それだけ弘南バスに旧式レインボーは多いから。(同じことを昨年も書いていました。)


ところで、昨年、弘南バスに西武の中古のいすゞエルガも来たと聞いていた。見られることをかすかに期待したのだが、実はこの時点ではまだ動いていなかった。
それがついに今週から、営業に入ったとのこと。ナンバー1182、「11301-2」号車で、弘前営業所に配置。社番からすれば2001年いすゞ製はこの車が初なのか…

年末年始の弘南バスについて多少、続く
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新作 大丈夫~

2019-02-06 00:13:14 | 津軽のいろいろ
2月1日からだろうか。「だいじょうぶ~」が新しくなった。
「大丈夫」にはイナバ物置(100人乗っても)、志村けん(だいじょうぶだぁ)、小島よしお(ダイジョブダイジョブー)等々あるけれど、それらじゃない。

この大丈夫は、主に東北地方で知られる。※便宜上、この記事は津軽カテゴリー・青森県ジャンルにしています。
青森県八戸市に本社がある「三八五(みやご)流通株式会社」の引っ越しブランド「三八五引越センター」のテレビCMのこと。その新作が放送され始めたことと、これまでの変遷についてのお話。以下、一部敬称略。

青森県の人は青森県内でしか放送されていないと思っているかもしれないが、秋田県でも流れるし、北海道と東北地方各県でも流れるらしい。首都圏でもテレビ朝日や中央線の車内(音が出ないからインパクトは薄いね)で流れるらしい。
引っ越しシーズンに合わせているのか、放映時期に偏りがあるような気もする。2月に新作を投入したのも、その狙いか?


僕のこれまでのこのCMシリーズのイメージ。
前提として、「大丈夫」でないバージョンのCMで、「♪あなたの町から わたしの町へ まごころこめて運びます グリーン坊やのみ・や・ごー」とかいう歌が流れるCMがあった。これも秋田ではそれなりに知られていると思う。(後述のように、近年は歌詞付きでは放送していないはずなのに、頭に入ってる!?)

「大丈夫」バージョンは、引っ越しに関する画像やナレーションが流れ、その最後のほうに突然、オペラ歌手のような女性が現れ、「♪だいじょうぶ~」と歌う。
最後は、上記歌の「♪グリーン坊やのみ・や・ごー」の部分が流れる。冒頭から、その歌詞なしのインストゥルメンタル版が流れることもある(最後だけ歌でサウンドロゴやジングルのような形)。
何度か新作が作られているが、この流れは不変であったはず。

このCM、Wikipediaでは「青森県内で1990年代から放送」とされている。
僕が初めて見たのは、弘前へ行く以前に秋田で見たはずだから、1990年代前半。時期的にはイナバ物置、志村けんよりは後。
最初は、CMの展開に戸惑い、「引っ越し、三八五、大丈夫」が強く印象づけられた。(←CMとしては成功)
でも、歌っている人が何者なのか、どうして唐突に出てきて歌うのか、謎であった。15秒にいろいろ詰めこんで、つぎはぎしたように感じられた。
リメイクされても流れは変わらず、この不自然さ・不思議さが、このCMシリーズ、三八五引越センターなんだというイメージが固まった。

歌っている女性は、本当に歌手。わりと早い段階のバージョンから、字幕で表示されている。ソプラノ歌手の小渡恵利子という方で青森県出身。
公式な情報は分からないが、八戸の出身だか、八戸の高校の卒業だかだそうで、大学の同期の八戸出身の人が「だいじょうぶ~の歌手の人が、高校に歌いに来たことがあった」と話していた。

さらに、ここ10年くらい前からは、小渡さんより若い、しょこたん似の女性バイオリン奏者(寺沢希美=青森や東北とのゆかりは不明)が一緒に出てきて、「大丈夫」に合わせて演奏するという、さらに謎のシチュエーションになっている。


以上が記憶。調べてみると、いろいろ分かった。
まず、歌の最後のジングル的な「グリーンぼうやのみやご」部分は、2017年に青森県初の音の商標として登録されていた。※「ぼうや」が正式表記。1984年から使われているとのこと。

次に、1993年のCMを某所で発見。照本涼子という人がバイオリンを演奏するもので、「大丈夫」ではない。
ということは、僕が弘前に行った年と合わせると、「大丈夫」は1994年から始まったのかもしれない。

公式サイトに2009年以降の歴代CM動画が掲載(http://www.0385.co.jp/cm/index2.php)されていた。今回の新作は未掲載。
少なくとも2009年以降は、毎年新作が作られていたのを知って、びっくり。20年間でせいぜい3作くらいと思っていたのに…
なお、公式サイトでは「だいじょうぶ~♪」と表記。

記憶の通り、流れはほぼ不変ではあるが、たまに違う年もあった。
2009年はだいぶ違う。すでに寺沢さんは出ており、観客を前に「♪あなたの町から~」を演奏している。これもまたシュールな光景だけど、後のバージョンではないので、貴重なシーン。最後は「大丈夫」~ジングルの定番。
2010年は、冒頭で寺沢さんの別の曲のソロ演奏がちょっと流れた後、従来の「♪あなたの町から~」インストゥルメンタル版になり、「大丈夫」~ジングル。
2011年は、ソロ演奏が長くなって、インストゥルメンタル版廃止。「大丈夫」~ジングル。これまでなかった「だいじょうぶ~」の赤文字(波型の配置)テロップが表示。
2012年は十和田湖ロケ。「だいじょうぶ~」の赤文字に黄色い縁。
2013年は「エコ」を強調。インストゥルメンタル版が復活し、以降踏襲される。「だいじょうぶ~」は黄文字、水色縁。
2014年は三陸ロケ。「だいじょうぶ~」が画面下から上に移動。
2015年はどこかの湖畔。「だいじょうぶ~」が再び下。
2016年は久々の家の中。子どもたちも登場。「だいじょうぶ~」は庭で、赤文字、中央部(電話番号と重なるため)。
2017年は冒頭から小渡さんが出て「まかせて安心」としゃべるという、これまでにないパターンだが、以降は前と同じ。字幕は、波型からアーチ状配置、丸ゴシック体から赤い角ゴシック体(新ゴ?)に変わり、「~」がない「だいじょうぶ」となった。
ちなみに、この「まかせて安心」の時は、トラックの前に作業員が並ぶ映像。そのロケ地は、秋田市役所旧庁舎前(向かいの秋田県庁正庁舎【2021年4月11日訂正】本庁舎がはっきり映る)。おそらく2016年春の秋田市役所庁舎移転を三八五が請け負って、その時に撮影したのか。
2018年は冒頭のセリフがなくなり、以前に戻る。字幕も前年と同じ。

上記の各バージョンでは、「何に対して『大丈夫』なのか?」が分からない作りになっている。
「引っ越しを三八五に任せて『大丈夫』」というニュアンスなのだろうが、2000年以前の初期のCMでは、その辺りが分かるつながりになっていたような気がしなくもないが、とにかく「大丈夫」のインパクトだけが強くて記憶にない。

とまあ、「偉大なるマンネリ」とも言うべき変遷。毎年作るのが無駄なような。
ところが、2019年2月のバージョンは、大幅といっていいほど内容(構成)が違った。
といっても、まだ2回しか見てないのでうろ覚えですが。

小渡さん、寺沢さんが、引っ越しに場違いな服装で登場して歌唱・演奏し、「だいじょうぶ」なのは変わらないのだけど、けっこうイメージが変わった。
クラシック分野の人にしてはテンポが速い、ラップ調に近いような、「遠くても近くても」とかなんとかいう歌を、左右方向にステップを踏むように動きながら歌唱・演奏するのだ。【22日追記】バイオリンは演奏せずに、持って動いているだけだった。

いきなり「大丈夫」だけ歌って消えるのでなくなり、個人的にはストーリーがしっかりして歴代でいちばんいいバージョンだと感じた。
【7~11日順次、聞き取れた歌詞を追記】
引っ越しなら電話しよ 0385(ゼロサンハチゴー※同社の電話番号の下4ケタ)で安心
ひとり暮らしだって大家族だって 近くも遠くも
三八五に頼めば だいじょうぶ~
何が大丈夫なのかが分かる作りになっている。また、近年は「シングルパック」に重点を置くCMが多かったが、これは「大家族」も含めている。
それにしてもテンポが速く、歌うほうも聞くほうもちょっと大変かも。だけど嫌いじゃない。(以上追記)

こうなると、次(来年)のバージョンはどうなるのか。小渡・寺沢コンビがいつまで続くのか。期待したくなる。
ちなみに、三八五では、「だいじょう~ぶ♪お守りストラップ(サイトの表記ママ)」という、音が出る小渡さんのストラップを発売していたこと(2010年頃?)があったらしい。


公式サイトによれば、三八五引越センターは「東北地方引越売上実績No.1」。
近年、秋田市内のマンションやアパートでの引っ越し現場では、サカイが多く、クロネコヤマト【6日補足・ヤマトは過大請求問題により現在は休止中】が続き、三八五はそれほどでもない感じ。アートは昔ほど見なくなった気もする。
新CMじゃないけど、近くの引っ越し遠くの引っ越しまちまちだし、転勤で引っ越す人は勤務先の提携なんかもあるから、秋田市の単身住宅だけ見ては偏りがあるのかもしれない。
サカイなんて、20年ほど前の青森や秋田では、「勉強しまっせ」のCMを見ることすらあまりなく、トラックは見たことがなかったと思う(引っ越しだからまったく来ていなかったわけではないだろうけど)。パンダマークのトラックを初めて見たときは感動したけど、今はそれなりに見かける。

【2020年1月17日追記】この翌年の引っ越し向けCMは、秋田では2020年1月15日頃から放映開始。
中身は前年・2019年と同じで、歌詞の字幕が出るようになった。上記、聞き取った歌詞との相違は「引越なら」「電話しよう!」程度。最後の「大丈夫」は字幕なし。
公式ホームページも更新されていて、字幕がないもの(=2019年放映分と同じはず)が「「2019 街、まるごと三八五」15秒篇」とされている。
さらに、同「30秒篇」というのもあり、歌詞が長く、映像も演出が多少異なり、字幕が入る。字幕は、2020年のCMと同じ書体ながら「大丈夫~」も表示。もしかしたら、列車内で放映されるのが、こちらなのかも。

【2021年1月17日追記】さらに翌年は、IBC岩手放送と秋田では、やはり1月15日に初めて見た。新型コロナウイルス流行下でも変わらない。内容は前年と変わらないようだが、「横浜支社OPEN」の文字が出る。
【追記】2022年は1月8日に初めて見た。中身は変わらず。2023年は1月12日に初見。中身変わらず。
2024年は1月21日に初見。新作の「スマホ見積篇」。歌は変わらないが、歌詞が短くなり、スマホ見積もりを勧める小渡さんのセリフが入り、「初めてでも」「♪大丈夫~」とつながる。15秒では詰めこみ過ぎの印象で、前のほうが良かった。
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雪の弘前で年越し

2019-01-04 19:42:41 | 津軽のいろいろ
この年越しも、前々回以来2度目の弘前にて。
今冬初めは雪が少なかった。秋田市ではクリスマス後に積雪が増えていつも並みに。
アメダスのデータによれば、弘前も同じ傾向。大みそかの朝には70センチに達していた。弘前で70センチといえば、この時期としては平年の3倍超、2月のいちばん多い時期並み。気温はこの辺の冬としては普通。

碇ケ関~大鰐温泉辺りのリンゴ畑も雪の中
青森に入ると、家の屋根の積雪が多くなった。
弘前に着いて、順番が前後しますが、
弘前公園内 追手門を入ったところ
弘前公園内のメイン通路は、きれいに除雪されていた。幅も充分。
写真には誰も写っていないが、日本人の一人旅~家族連れ、アジア系外国人を中心に、それなりに観光客が歩いている。なお、天守公開は冬期休止中で、有料区域は無料開放。

天守を動かしての石垣解体補修工事(昨年6月はこの記事後半)は、
下乗橋から堀と石垣。左奥に天守
堀も、石垣(が撤去されているであろう斜面)も、雪で真っ白で何が何だか分からない。
公園内は、雪の城跡ならではの静かな空間であった。
※石垣工事の続きや園内などの続きは、1年後の記事

時間を戻して、弘前駅前に降り立った時。
こんな光景 ※待機しているバスについては後日
向こうのアートホテル弘前シティ側に、大きな雪の壁ができている。考えてみれば、路面が露出しているから、それをきれいに寄せただけではあるが、ここでこれを見るのは初めてで圧倒された。
駅舎・バス乗り場・タクシー乗り場を結ぶ広場は、限られた通路幅しか除雪されておらず、徒歩の動線が限られていた。これは思った以上に大雪かも。
観光タイプのバスよりも高い雪山
商業施設の駐車場の片隅に除雪した雪山があるのと同じことだけど、ここでこれは迫力がある。観光客も珍しげに写真撮影。
上の高速バスは、駅舎寄りの乗り場を出て、雪山のすき間をまっすぐに抜けるだけなので問題はなさそう。
一方、駅舎と反対側のバース(列)から出るバスは、中型バスであっても、
ギリギリ ※「藤代(営)」と略さずに「藤代営業所」と表示するバスは珍しい。これも後日
運転席側は植木の雪囲いの板がある。ドア側はミラーが雪に埋まりそう。
1月1日には、雪山を崩してよそへ運ぶ排雪作業が行われ、雪山は解消。ここの除排雪は、弘南バスが行うのだろうか。年末は手配できなかったのかな。


市内中央部の道路。歩道は踏み分けて道ができた感じで歩きづらい箇所多数。仕方ないけれど、特に年末休みで人がいない店や家が多く、除雪されない所も少なくなかったはず。
車道は差が激しい。しっかり除雪されて路面が完全に出ている所もあれば、わだちや融雪剤散布の結果、ガタガタの洗濯板・そろばん道路の区間もあった。
バスターミナルを出て駅へ向かう市道もボコボコ
市道では上写真のイトーヨーカドー・虹のマートの間、県道でも127号線(富田大通り)は悪路だった。
下り・住吉入口バス停から富田大通り経由のバスに乗ったら、乗る時にはツルツルの狭い雪山を乗り越え、乗ってからはずっとガタガタと、ひどかった。でも、バスはほぼ定刻だったのはさすが。

虹のマート前は一般車もバスも多く通るし、富田大通りも合わせて道幅が広くはないだけに、もっと除雪に力を入れて(優先順位を上げて)もいいのではないか。
県道3号線・下土手町は狭くなっているが路面は露出

弘前駅の反対。城東側。
佐藤長城東店前。奥にアートホテル弘前シティが見えている
こちらは車道は悪くない。ここでは車両用信号機に注目。
横型信号機の欠点が!
秋田市ではかなり少なくなった横型設置の信号機(電球式、樹脂製ボディ)は、今も弘前市内ではさほど珍しくない。
(最近のフラット型は別として)横型設置の信号機の欠点は、フード(ひさし)の上に雪が積もって、点灯色を見づらくさせること。(秋田県での過去の状況

もっとすごいのがあった。中野・豊原の富田大通りから学園町へ曲がる交差点。
丁字路だと思っていたが、中野方向の小さい道もあって十字路。その中野側から出る車向きの車両用信号機。
こんなの見たことない!

赤と青はかろうじて見え、黄色は完全に隠れている

横から
信号機から雪庇ができていて、ツッパリ兄ちゃんのリーゼント風。
秋田市と違って風が弱いから、真上から積もりやすいのだろうし、この時の雪質が特に“粘っこかった”のか。
歩行者用にはまったく積もっていないし、対面する向かい側はじめ他の車両用もそれほど積もっていなかった。偶然も重なったのだろう。
反対向きは落ちたのかこの程度
以上、多少の制約や迷惑・困惑はあるが、大きな混乱もなく弘前はいつもの冬の暮らしの模様。
今年の秋田市は雪が少なかったせいもあって、久々に本格的な雪を体験した。雰囲気や感覚(においとか?)で「そうそう。これが弘前の雪だったな」と思い出した。
こんなのを経験してしまえば、秋田市程度の雪で騒ぐのが恥ずかしくなる(秋田市は、雪の量より風が強いのが困る)。
弘前にしても秋田にしてもこの雪があってこそ、夏場の飲み水、農作物、豊かな自然と独特の文化が育まれるはず。雪国に雪はなくてはならない。
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続・東奥と魁を比較

2018-11-21 00:18:30 | 津軽のいろいろ
青森県と秋田県をぞれぞれ代表する地方紙である、東奥日報と秋田魁新報の比較。
2015年にも比較したが、その後、2017年に魁の書体が変更されている。
2018年9月8日付 東奥日報 第45700号
この日の東奥日報は、西目屋村にある白神山地のシンボルのブナの巨木「マザーツリー」が風で折れたという、ショッキングなニュースがトップ。

テレビ欄を比較。
左~中央が東奥、右が魁
まずは新聞からそれて、土曜日の青森の民放各局の番組について。
秋田と同様に青森でも、多くのテレビ東京系の番組が、他系列局によって放送される。秋田朝日放送はテレ東の番組をほとんど放送しないのに対し、青森朝日放送はテレ東、さらにフジ系の番組もけっこう放送している。したがって、民放3局が競い合うようにテレ東・フジの番組を放送している状態。

フジテレビ系で日曜朝10時に放送の「ワイドナショー」を、青森テレビ(ATV。TBS系)が6日遅れの土曜9時30分から放送。(フジ系では生放送だと思っていたら、収録番組だそう)
フジテレビと一部系列局で土曜12時から放送の「ぶらぶらサタデー」内「有吉くんの正直さんぽ」。秋田テレビでは土曜の13時からだが、青森朝日放送(ABA)が土曜10時35分から放送。
土曜12時台は、青森放送(RAB。日テレ系)が「YOUは何しに日本へ?」、ATVが「出川哲郎の充電させてもらえませんか?」、ABA「開運!なんでも鑑定団」と、3局ともテレ東。
ちなみにこの3番組。秋田では、いずれもAKTが、それぞれ日曜9時、土曜12時(青森と同じ時間帯)、土曜16時30分から放送。
さらにRABは13時から「世界!ニッポン行きたい人応援団」と、テレ東外国人枠(?)が続く。秋田では、秋田放送で木曜15時54分。
【21日追記】ちなみに秋田の土曜12時は、AABが珍しくテレ東の「和風総本家」を放送、AKTは上記「充電」とテレ東が揃うが、秋田放送はTBS「世界ふしぎ発見!」を放送。さらに、ケーブルテレビで見られるIBC岩手放送でも「和風総本家」を放送していて、AABとIBCで同じ回のこともある。結局、地方局では、土日午後はテレ東や系列外の番組の時間ということか。

土曜日のこのような状況は20年前も似たようなもの。
RABで「古畑任三郎」を2話連続で放送。しかも一部局だけが深夜に放送(AKTでは未放送)したスピンオフ番組「巡査・今泉慎太郎」も直後に放送してくれるという、うれしいような疲れるような編成であった。

話を新聞に戻して。
左が東奥、右が魁
東奥日報は、全体の構成も含めて2015年と変わらず。フォントは「UDモトヤ新聞明朝」をやや縦長にしたもの。
魁は、モトヤの(UDでない)明朝体から、イワタ「ミンゴ」に変わった。

まず、2015年も感じたが、魁以外の他紙のテレビ欄と比較しても、東奥日報はスペースが縦に長く、文字がとても大きい。だから見やすい。
魁は、ミンゴ導入で、自称「読みやすくなる」としていたけれど、どうだろう。個人的には、メリハリがあるようなないような中途半端な文字(あるいは文字間隔・行間隔のせい?)で、うるさく感じてしまう。東奥日報と比較するまでもなく、好きじゃないというか苦手。やっぱり明朝体か、いっそ普通の角ゴシック体のほうがいいのでは?

文字放送(字幕)の番組は、一般的には「字」マークを付けると思っていたが、東奥日報は「文」なのが珍しい。


2紙とも、共同通信社からの配信を受けている。社会面などのニュースは、地元ニュースとの兼ね合いもあり、全文が同一なわけではなく、紙面レイアウトは異なるのが普通。では、連載記事はどうだろう。
現在「平成をあるく」というシリーズがあり、両紙とも9月8日に同じ第35回が掲載された。
左が東奥、右が魁
全体のレイアウトが異なる。
上が魁、下が東奥
意外にも「平成をあるく」のタイトル文字や見出しも違う。各社でデザイン・作成しているのか。
記事本文は、両紙ともまったく同一。
ただし、テレビ欄同様、東奥日報のほうが文字が大きく、1行当たりの文字数も異なる。レイアウトが異なるのはこの影響もある。写真は同じだが、東奥日報のほうがサイズが少し小さく、さらに少しトリミングされているのは、文字が大きい分、写真スペースが狭くなったためだろう。
左が東奥、右が魁
で、やっぱり東奥日報のほうが、本文の文字は読みやすい。
文字の大きさのせいもある。モトヤとイワタの違いもあるのかな。でも、本文の明朝体は、魁のイワタも悪くないと思う。
だけど、今の魁のテレビ欄や見出し用の書体(特に太い明朝体)は、1年経ってもまだ慣れない。モトヤのほうがきれいで読みやすかった気がする。


死亡広告とは別に、市町村への届け出を元に掲載(死亡届提出時に可否を伝える)される「おくやみ」欄。
魁では「おくやみ/謹んでご冥福をお祈りいたします」として、市町村ごとに、名前、年齢、住所、死去日、葬儀の日時と会場、喪主が掲載される。「○○ ××さん(100)/ 山王臨海町1の1=20日死去。葬儀23日午前11時、山王2の4の15、秋田典礼会館セレモ。喪主・長男□□さん」といったように。身内だけで葬儀をした場合など「葬儀は終了」ということもある。
東奥日報。左下が死亡広告、右側中央がおくやみ欄
東奥日報では「お悔やみ申し上げます」として、文字は記事と同じく大きいが、市町村ごとに氏名、年齢、住所のみ。まさに亡くなった事実だけが告知されるのだった。
魁の掲載内容では、知っている人が亡くなったのを見つけて、いつどこへ行けば葬儀に参列できるのかを知ることができる。さらに、喪主の名から「□□さんのお父さんが亡くなったのか」と分かる場合もある。田舎ならではというか…
一方、東奥日報では、亡くなったことを知ったとしても、それだけ。葬儀に行こうと思ったらどうすればいいのだろう…
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弘前の新宿/河川名看板

2018-11-18 00:18:31 | 津軽のいろいろ
9月の弘前の話2つ。
●新宿→弘前駅前
秋田方面から下り列車に乗って弘前駅に入る時(もうホームに入っている頃)、車窓左側に小さなホテルが見える。
駅を出て正面左側に位置するのだが、駅前【20日補足・これは駅舎を出てすぐ、駅前広場付近という意味】からはアートホテル弘前シティの大きな建物にさえぎられて見えないはず。ヒロロ方向へ進むと、駐車場の向こうの裏道に建つ姿が見える。
駐車場越しに
ホテルの名前は「弘前駅前ホテル」と、妥当な名前。今はルートインや東横インができてしまったけれど、駅から有数の近さの宿。

しかし以前は、別の名前だった。
2017年8月撮影のGoogleストリートビューより
「ビジネスホテル新宿」だった。
ここ1年ほどの間に、経営者交代などはなく名前だけを変えたらしい。

泊まったことはなく、昔は(建物が裏通りにあって小さいせいか)名前はあまり印象にないホテルだった【19日補足・表通りはよく通っていたから視界に入っており、建物の存在は認識していた。】が、10年ほど前、弘前の人と会話して存在を知った。
弘前で安いホテルの話題で、僕としてはプリンスホテル辺りを思い浮かべていたのだけど、相手の地元の人は、真っ先に「ホテル新宿」を挙げた。地元では安いホテルとして認知されていたのだろうか。
今は消されたが、ストリートビューの画像にあるように、以前は朝食付きシングル4500円と書かれていた。探せばもっと安いホテルもあるけど。

それにしても、弘前なのに新宿とは、これいかに?
東京の新宿と関係あるのか?
ひっそりと存在する公式ホームページによれば、「最初昭和42年に旅館「新宿」(新しい宿)として創業し、その後、弘前市の駅前再開発計画のため、平成2年10月に「ビジネスホテル 新宿」として名称を改め」。
なるほど。
旅館時代を含めた歴史は51年、以前はどこにあったのか知らないけれど、いわゆる駅前旅館がルーツだったのだろう。
ちなみに、駅との間に立ちはだかるアートホテル弘前シティは1989年にできた(当時はシティ弘前ホテル、その後何度も改称)。

【2022年6月9日追記】再開発以前の旅館新宿は、今とは違う場所にあったとのこと。また、当時は周辺に多くの小さな旅館があり、再開発の立ち退き時にほとんどが廃業したそうだ。この記事も参照。


●手書き川看板
一級河川の本流は、国土交通省が直接管理する。実際の管理業務は、出先機関の各地方整備局の各河川事務所等が行う。(一級河川の支流は、国から委託されて県が管理する)
その国管理の川では、橋のたもとの堤防などに、川の名前を記した大きな看板がある。

秋田県の雄物川では、青地に白文字で片面漢字・片面ひらがな。ローマ字やハングル表記があるものもある。時期によって、色合いや書体は異なる。
再掲
一方、愛知県の木曽川では、
(再掲)地色が緑色
道路の案内標識では、規格が定められているが、川の看板はそこまでではなさそう。

今回、革秀寺のハスを見に行ったけれど、もう終わっていてアテが外れ、早々に市街地へ戻ることにした。バスもしばらく来ないので、岩木橋を歩いて渡った。【19日追記・橋のたもとにアイスクリームというか冷菓屋さんがあるのだけど、涼しくて食べる気にならず】
「岩木川」の看板
雄物川で見慣れたものと基本的には同じだが、文字が手書き。かつて「建設省」だった上に「国土交通省」を貼っている。
上の写真の雄物川も建設省時代からのものだけど文字は活字(写研のナール)。岩木川のほうが古いようだ。
裏は「いわきがわ」
こういう手書き看板って、経年で文字が剥離することがあるが、少々汚れた程度できれいに保たれている。地色も鮮やか。

この岩木川の看板、手書きは別として、雄物川の看板とは大きく違う点がある。それ以外の川を含めても、こういうタイプは見たことがないかもしれない。
それは看板の向き。
一般的には、川の流れに平行、すなわち橋を渡る時に(脇見をしなくても)文字が読めるように設置されている。
ところが、これは流れに対して直角。設置スペースが限られているとか、川や道路が大きくカーブしているといった、向きを変えるべき特別な事情は見当たらない。十字路交差点だから、どちら向きでも無意味ではないけど、珍しいと感じた。
【19日追記】天気が良ければ、対岸に岩木山がそびえる
まあそういうもんかなと思いつつ、調べると、東北地方整備局ホームページ「Q&Aかわ全般」に、看板の基準が出ていた。
「河川名看板は、国土交通省で昭和43年から漢字の河川名でも川表(川側)は漢字、川裏(宅地側)はひらがなとして大きさや形が決められて整備されておりました。」※昭和43年ならば、正確には建設省でしょう。
当初は青地に白文字だったようだが、
「最近ではよりわかりやすく、親しみやすくしたいということで、実際に整備管理している河川国道事務所(昔の工事事務所)の判断で色や形、大きさ等が工夫されたものも」「英語や韓国語で併記したりしている所も」ある。

へえー。「河川名看板」が正式な呼称なのかな。
となると川に平行に設置するが(少なくとも)昔は正式・原則だったようだ。
岩木川の看板は、手書きだからそれなりに古いものと考えられるが、その時点で青森工事事務所(当時)が独自の判断で向きを変えたのだろうか。理由は不明。
上の写真の雄物川の看板も、川の外側向きが漢字表記だから原則から外れる。これも秋田工事事務所の独自判断か。理由は不明。【18日補足・秋田大橋架替え工事で移設されたはずだから、その時に変えられたもしくは変わってしまった可能性も。この記事後半参照】
※秋田の子吉川にも、岩木川と同じ川に対して直角向きの看板があった。
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