広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

ケララの道

2018-11-06 00:16:24 | 津軽のいろいろ
弘前市富田エリアの続き。
※関連記事はブックマックス・ハウスマックス富田町とその周辺の町名について。必要に応じて参照すると分かりやすいと思います。
地理院地図に加筆
上の地図は、弘前大学文京町地区東側、富野町・大富町・富田町辺り。
縦方向の黄色い線が、バス通りの青森県道127号(富田大通り)。
上のオレンジ色の線は、県道109号線の2008年(一部は2006年?)開通区間。それ以前は、松森町で行き止まりになっていた。新規開通区間は、富田大通り側の焼き肉モーモーの交差点と接続するために、緩くカーブしている。
下の青い線が、富田町と一致する桝形から取上交差点、弘前東高前駅までの道。

弘前市街地は、城下町であり比較的高低差もあるため、まっすぐな道や碁盤の目状の道路配置は少ない。青い線の富田町の道が気持ちいいくらいに一直線なのは珍しい。古い道のようだけど、どうしてここまで一直線なんだろう。
※1912年の地形図で、すでに道ができていたが、取上交差点で突き当たって終わり。その後、1939年では東へ伸びている。この記事後半参照。

今回は、その上(北側)の赤い線の道について。
周りの道と比べてもカクカクしている上、他の道と直交せず斜め方向に突っ切るという、個性的な道。
秋田市でいえば、秋田大学手形キャンパス南東の三吉神社前の道のような、新しい道に対する旧道的な道かと思ってしまうが、ここの場合、富田町の道も新しくはないようなので、由来については分からない。

この道を北側からたどってみる。
赤い矢印が入口
品川町の土手町から続く県道260号の裏道。弘前品川町郵便局の向かいが、その道の入口。他の道と同じ狭さなので、意識しないと見落とす。

最初はこの道(もしくはその裏手の水路)を境に、右が御幸町、左が大富町。古くからありそうな住宅が建ち並ぶ。微妙な角度があって見通しは良くない。
この辺りは比較的道幅があって、破線のセンターラインが引かれた区間もあるし、路肩というか歩行者スペースが充分ある区間も。
道幅が狭くなってきた
上の写真右側の建物がカフェ「ケ・ラ・ラ」(後述)。奥に見える山は、久渡寺山とかかな? 岩木山はこの右方なので、建物に隠れてほとんど見られない。
その先で、右方からの道と交わる。
振り返って。右が品川町から来た道
交わる道は緩い上り坂で、片側が木に囲まれている。弘前厚生学院(旧弘前偕行社)の敷地。

その先は、御幸町から富野町に代わり、さらに大富町も終わって両側とも富野町に。

道はカーブが大きくなったり、また広くなって狭くなったりを繰り返す。
先にハウスマックスが見える。左に入れば富田町の一直線の通り
やがて学生向けアパートが増えてくる。ハウスマックス付近から特に道が狭くなるが、一方通行ではない。

そして、
自転車屋さんの脇で
富田大通りに出る。
右が来た道
向かい側は弘前大学の敷地の南端。生け垣とフェンスの向こうは農学生命科学部の学内圃場なので、出入口はない。
昔、生け垣のすき間からきれいに見える岩木山に向かって、通りがかったおばあさんが手を合わせていたのがここ。
大通りを北へ進めば、弘前富田郵便局や農学生命科学部・理工学部側の門。
品川町郵便局から富田大通りに出るまでのこの道は、およそ800メートル。


僕はかつて、文京町キャンパスより向こう側=南西側(西弘前方面)に住んでいた。
だから、弘前駅へ行き来するルートの1つとして、この道が選択肢にあった。(上記の通り、駅と大学を行き来する時は、門を通り過ぎて敷地端に出てしまうので、遠回りになる)
というか、好んで通っていた。道は狭いけれど車はさほど通らないし、気分的に近道に感じられたので。夜遅くの厚生学院の辺りなど、ちょっと怖かったけど。

地図で見る限り、大学前を通ると少し遠回りになりそうだし、松森町~取上交差点~富田町は一直線で気持ちいいけれど、それよりは斜め方向のこの道のほうが距離が短いと考えていた。実際のところ数百メートルの差だろうし、交通量や気分などもあって距離がすべてではないのだけど。
松森町~桝形の距離を地図上で計測してみると、県道~取上~富田町の直線コースでは1.3キロ。品川町郵便局~この道のコースでは1.1キロと、やっぱりいくらかは短い。
2003年2月。車道部分はしっかりと除雪されている
この道の個人的ないくつかの思い出。
お盆に通った時、御幸町辺りの沿道のお宅の人たちが、路肩で火を燃やしていた。「迎え火」か「送り火」かどっちか忘れたけれど、それだ。
秋田市中央部ではやらない風習なので、実物を初めて見たのがこの道だった。
津軽では珍しくないはずだが、他の道では見た記憶がない。ここの道は古くからのお宅が多く、道幅に余裕があるからだろうか。風情のある光景だった。

今回(9月)、この道を久々に通った。
御幸町側の民家が新しくなったりなくなったり、富野町のアパートがきれいになっていたり、20年前の時を感じさせられたこともあった。
その一方、この道で存在感のある3つの建物は、変わりがなかった。
1つは以前取り上げたハウスマックス。

もう1つは、上の自転車屋さんの1つ手前の写真に少し写っている赤い構造物。
おしゃれ(?)なビル

少々場違いな雰囲気も
20年前もこの姿で存在したと思う。今も車が駐まっているし、建物外観はきれいなので、使われてはいるようだ。
だけど、看板が真っ白(ストリートビューによれば2013年5月時点でも)だし、地図を見ても何の建物かは分からない。

あと1つが、上で出たカフェ ケ・ラ・ラ。
オープンカフェ風デッキがあるなど20年前ではまだ新しそうなカフェだった。上の写真の通り、現在もほぼそのまま営業中。

タイミング良く、9月3日アップの「弘前経済新聞」に「弘前のカフェ「ケ・ラ・ラ」が夫婦経営で25周年 震災で看板メニュー休止も復活(https://hirosaki.keizai.biz/headline/1071/)」が掲載された。
1993年8月25日オープンということになる。
ご夫婦で経営していて、「マスターグラタン」というパンを器にしてメレンゲでフタしたグラタンなどが初期からの人気メニューとあった。

飲食店には疎いけれど、実はケララに1回だけ行ったことがある。1998年か1997年。
ただ、何を食べたか記憶がない。
行きの道中と、何かのセットメニューを頼んで、ドリンクが選べて「ブラッドオレンジジュース」を飲んだことしか覚えていない(存在は知っていたけど、初めて飲んで、思ったのと違う味だった。それ以後、今まで飲んでいないかも…)。
だけど言われてみれば、「ふわふわしたのが載っかったグラタン」を見たような、食べたような記憶もあるような…

そんな思い出の道。なんて呼べばいいのか分からないから「ケララの道」というタイトルにしました。でなければ「ハウスマックスの道」かな。“富田三部作”はこれにて完結。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« カラタチ観察日記 | トップ | 今さらホテルハワイの謎 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿