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のてや閉店

2019-07-02 20:58:19 | 秋田のいろいろ
秋田市中央部にある「のてや」が閉店する。
わりと近くには「のとや(のと屋)」というのもあり、両店舗ともそこそこ知名度があるため、秋田市民の中には両者を混同する人も少なくないようです。閉店するのは「の“て”や」のほう。

最初に「のと屋」のほうを簡単に説明。
通町から新国道に向かう、保戸野鉄砲町の通り沿い、所在地としては旭北栄町(きょくほくさかえまち)にある、喫茶店のような弁当屋のような食べ物の店。50年ほど前創業だそうで、ソフトクリームが有名。※のと屋は所在地は旭北だが、町内会や学区としては保戸野地区に含まれている。
屋号の由来は、秋田市ではたまにある姓である、能登屋もしくは能登谷さんなのだろう。現在の「店長」のお名前は違うみたいだけど、創業者・経営者のお名前とか?


さて、のと屋から直線で500メートル強、保戸野すわ町、県道233号線のうち、「菊谷(きくや)小路」と呼ばれる辺りに「のてや」がある。
菊谷小路から入ってすぐのところに市立保戸野小学校があるが、その曲がり角の(間に通路をはさんで)1軒隣。扱うものは文房具。おそらく株式会社化が1975年のようだが、店としての創業はもっと古い(少なくとも戦後間もなく?)ようだ【末尾の追記参照】。
菊谷小路。押しボタン信号を左折すれば保戸野小正門
全国的に昔は小学校の前によく存在したであろう“門前文具店”(※)。学校指定の名札や体育着(※)なども扱う。
※街中の医院・クリニックのそばにある、その患者を当てにした調剤薬局のことを「門前薬局」と呼ぶのは全国的に通用する。医薬分業の推進により1980年代後半辺りから増えてきたが、秋田県は全国的に普及が早く、多かったようだ。
それに対し「門前文具店」は、ネット上にごくわずかしか使用例がない。学校にはまさに「門」があるのだし、上手いたとえだと思うけど…
秋田市の場合、中学校や高校では校内に購買部(売店)があるためなのか、また、小学校でも昭和末期以降の新設校や移転した学校の前には、あまりないと思う。やはり街へ出ないと文房具が入手できなかった時代のものなんだろうか。
※昔の秋田市立学校では、長袖がスポーツ洋品店で、半袖が文具店という不思議なすみ分けをしていた記憶がある。

店舗は、昔は道路際までの古い建物だった。よくある街の文具店といえばそれまでだけど。
平成初期頃、前に駐車スペースがある新しい建物になり、店のロゴマークもできた。
のてや店舗
感覚としては、以前の店も今の店も、広くないスペースにびっしりといろんな文具が並んでいる。雑誌や駄菓子などは扱わず、文具のみ。子ども向けからオフィス用まで品揃えは良く、またいつも2割り引きだったこともあるのか、平日も休日もわりといつも車が停まっている印象。学区外から親子連れで買いに来る人もいる。

ただ、今どきの多くの業種がそうであるように、店舗だけでは成り立たないだろう。
のてやは、店舗だけでなく外商にも力を入れていた。市内各所の学校へ納品していたのだろう。ロゴ入りのバンを、遠く離れた場所で見かけることもあった。たしか中学校の購買の商品も、のてやで入れていた。
文具以外に教材も扱うほか、秋田市内では3つしかない教科書取次店(教科書取次供給所=各学校に教科書を納品する)でもあったそうだ。※他2つは加賀谷書店と秋田協同書籍。
【20日追記】アスクルの代理店もやっている。
視力検査の環と直線を組み合わせたような、当時流行った感じのロゴ。初見の人は読めるかな?
6月中旬、店舗前に「閉店感謝セール」の告知と7月31日で閉店する旨が掲示された。いつもの2割り引きのさらに2割り引き(学校指定用品等を除く)。
また、聞いた話では、外商は今年度末まで続けるとか(先方との契約期間もあるでしょうし)。

のてやがなくなると、大人は他の文具店なりスーパーなりネットなりあるけれど、近くの子どもたちが、ノート1冊ほしいような時は困るかも。
コンビニでは品揃えが少ない。文具店は北高のそばにあるくらい。通町の商店街には昔からない。ダイエーも木内(の文具売り場)もなくなったし。秋田市中心市街地ではめっきり少なくなった。
来年度以降の教科書や学校の教材・消耗品も、現場では戸惑うかも。
【7月29日追記】保戸野小の体育着と名札は、のてや閉店の代替として辻兵で扱うことになったとのこと。大町二丁目というわずかながら学区外に位置するわけで、子どもが自分で買いに行くのは大変かも。


保戸野小学校の前には、昔はもう1軒文房具店があった。のてやのすぐ隣・曲がり角に。
「いろは堂」という店で、のてやが建て替えたのとあまり違わない時期に廃業して、今はビル管理会社の社屋が建った。
国土地理院の古い航空写真では、解像度が低くてはっきり分からないが、1994年5月時点では、のてやの場所が更地(建て替え真っ最中?)で、ビル管理会社はもうできているように見える。※ビル管理会社の「定礎」表記を見れば参考になりそうなので、後日確認して追記するつもりです。【3日追記】「平成5年3月」1993年だったので、航空写真と矛盾がない。感覚としてはもう少し後のような気もしていた。デザインがさほどぶっ飛んでいなくて21世紀にも通用することと、ビル管理会社だけにメンテナンスが行き届いているのでしょう。いろは堂は昭和63年頃はまだ営業していた気がするので、平成のごく初期に廃業したことになりそう。

さらにこの近くには、大人向け映像ソフトが充実していた「エス書店」、秋田では1990年代に全店やめてしまった「小僧寿し」、同じく今はなき食品スーパー「マルナカ(他に寺内や勝平にもあった。現存する他県のチェーンとは無関係)」なんかもあった。→この記事参照
商店街通町から数百メートル離れた住宅地だけど、昔はそれなりににぎわっていたようだ。


最後に、そう言えば気になる「のてや」の由来。
経営者は平岡さんなので、お名前などではなさそう。
子ども向け文房具屋さんの主力商品といえば、ノート、notebook。ノート屋→NOTE屋→のてや かも? と昔から妄想しているのですが…【正解は下の追記にて↓】

「のてや」のアクセントは、「て」を高く発音する人も多そうだが、おそらくは平板に発音するのが正式(?)のはず。「おまけ」「止まれ」みたいに。

【7月31日追記】閉店日である7月31日付秋田魁新報 秋田市地域面に「秋田市の文具店「のてや」 学習支え90年、きょう閉店/常連客から惜しむ声」として取り上げられた。それによれば、
「1930(昭和5)年に創業。平岡さんの母方の祖父が現在地に店を構えた。店名は、母方の姓である「野手」に由来している。」
創業者の名前由来か。そう言われれば、そんな話を聞いたことがあったような… 大したことではないが、疑問を持つ人は少なくなく、閉店してしまえば調べづらくなることを、しっかりと伝えてくれた魁を評価します。
店舗の取り扱い商品は「5万点以上」。
売り上げは「ピークの90年代と比べ6~7割ほど」「1日当たり150人ほどいた利用客は、近年は100人弱」。
最終的には半額セールになった。

※のてやの建物のその後

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9 コメント

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Unknown (秋田市4227ファン)
2019-07-02 22:55:02
こんばんは
『のてや』の閉店の情報は全然、分かりませんでした。
自分も他の店舗に売っていない文房具の『最後の砦』として店を使っていたので少々残念に思います。
確かに町の文具店は少なくなりつつありますね。
子供さん方がノートを1冊買いにフォンテのロフトに・・・は少々違う感じがしますね。
山王の『とみや』はチョット高級な感じですし山王・大町の『金圓』も少々敷居が高い感じが・・・。
寺内堂の沢にあった『マルナカ』(ダイナミック・アサとも言いました)は懐かしいですね!自分も利用してました。
マルナカは将軍野のコミセンの近くにもありましたが今は、どうなっているのやら・・・?
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Unknown (りお)
2019-07-02 23:07:41
私が通っていた小学校では、長袖の体育着は竹半で、半袖の体育着はのてやで購入していました。
安くてそれなりに品揃えも良かったので、中学校以降も度々買い物に行っていたものです。
無くなってしまうのは、寂しいですね。
そういえば、小学生のとき、学校指定の名札は門前文具店で購入することになっていました。保戸野小学校ではどうなっているのでしょうね?
返信する
コメントありがとうございます (taic02)
2019-07-03 00:39:27
>秋田市4227ファンさん
こんばんは。張り紙が控えめなせいか、口コミでほそぼそと広まっている程度だと思います。通りかかって張り紙を見つけ、驚いた表情で読んでいる人もいました。
他業種の個人商店と比べれば、文具店は探せばそれなりに残っていそうな気もしますが多くはないでしょうね。特に子ども向けとなると。
今年の4月初め、イオン秋田中央店の文具売り場に数十人のレジ待ちの行列ができていました。多くが親子連れで、新学期の用品を買いに来ていたようですが、結局はスーパーでしょうか。100円ショップもいいかもしれません。

マルナカは保戸野と割山のファミマの所にあったのしか、具体的には知りません。といってもおぼろげで昭和のスーパーっぽかったな…程度ですが。いつの間にかなくなってしまった感じですね。

>りおさん
現在の店頭には、体育着は東中、保戸野小、附属小・中の指定店と表示があります。
指定店が複数ある学校もあると思いますが、のてやは保戸野小からも附属からもいちばん近い店のはずで、なくなると困るかもしれません。

保戸野小の名札はのてやのはずです。門前文具店がない小学校では、どうやって入手するのでしょうかね。
返信する
なつかしい… (n_waka)
2019-07-08 09:16:53
のてやさんの閉店も残念なんですが、隣の文具店なんっつったっけ???と思いながら読んでて、やっぱり出てきた「いろは堂」!!!さすがです。
あの頃、なんとなく、いろは堂のおばちゃんが怖くて、建物は古かったけど、のてやの方をチョイスしてました。
向かいの今はなき本屋エス書店さんと、わしやと並んで、保戸野小に通ってた者にとっては懐かしいお店なんですよね・・・
そうそう、小僧寿しもありましたし、マルナカの角を大きなバスが曲がってくるのも迫力がありました。
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のてやといろは堂 (taic02)
2019-07-09 00:13:40
音は絶対に自信がありますが、表記は「いろは堂」でいいのでしょうね。他に考えにくいですが。
通町の果物屋さん、新大工町の床屋さんとともに、保戸野の同業店集結地点です。
当時はそこまで意識できなかったですが、のてやといろは堂、品揃えや価格はどんなもんだったのでしょうか。どちらでも名札など指定用品は買えたのでしたっけ?
どちらかといえば、のてや派のほうが多かったでしょうか。僕はダイエーも好きでした。

バスが曲がるのは保戸野八丁寄りでしょうか?
それは「丸富中川」という八百屋さんです。10年くらい前に、旧バス通りをさらに桜町方向に進んだ場所に移転し、今も営業しています。
マルナカはのてやの向かい・エス書店の隣、今は低いマンションが建つ場所だったはずです。遠足のお菓子を買いに行ったり、クラスに来ていた教育実習生とばったり再開したり、これも今はなき消防保戸野出張所の消防士が食料の買い出しに来ていたり、最近のスーパーではない生活感がありました。
のてやさんがなくなれば、わしやさんがほそぼそと残るだけになりますね…
返信する
マルナカ (n_waka)
2019-07-11 17:58:42
値段はともかく、いろは堂の方が(当時)店が新しくかったけど、品揃えはのてやが良かったような・・・?!

そっかー!!
マルナカとマルトミ勘違いしてましたー。
ありましたねー、そういえば!!
あと、マルトミの西側の角にもなにかスーパーみたいなのがあったような・・・酒屋さん??
意外と覚えてないもんです。
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おぼろげな記憶 (taic02)
2019-07-12 00:27:16
店はいろは堂のほうがきれいでしたね。品揃えでは、やはり今も昔ものてやでしょう。

マルトミから桜町方向へ進んで、次にバスが曲がる角の左側ですよね。(中型バスとはいえ、よくぞあの角を曲がっていたなと感心します)
もともとは米屋さんで、ある時からAコープの看板を掲げるようになり、その後閉店・今もシャッターが下りたままという経緯のはずです。泉の親戚がここから米を買っていました。
Aコープといってもフランチャイズみたいな形で、建物は米屋時代と同じなので小規模だったのでしょうか。桜町のバス停の前にあったAコープの閉店の代替の意味もあったのかもしれません。
ストリートビューもなかった昔、おぼろげな記憶しかないですよね。
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Unknown (nobnob)
2019-07-13 06:04:18
こんにちは。ご無沙汰しています。
休下町に住んでいましたがのてやは友達と何度か行きました。
小僧寿司は母親と週末に買いに行きましたのでよく覚えています。小ぶりで食べやすかったです。

以前の丸富中川さんの店舗先の角を左に曲がった道の左側に小さなおもちゃ屋さんがありましたよね?子供向けのプラモデルとか買った覚えがあります。
さらにその先は、ななかまど通りが拡幅前でまだ泉方面に繋がっていなくていつも車が混雑していました。
返信する
記憶はあいまいで (taic02)
2019-07-15 00:29:38
こんばんは。お久しぶりです。
子どもにしてはけっこう遠くからおいででしたね。
小僧寿しは、土曜日の昼食って感じがします。西日本の風習である、恵方巻きや幽霊寿司を教えてくれたのも小僧寿しでした。

おもちゃ屋さんは知らないです。丸富と米屋がある狭くて通りづらい道としか認識していなかったです。
当時はあの道が県道で、保戸野と泉を結ぶ唯一の道だったわけで、そこにあの狭さでは大変だったでしょうね。今の交通量でも(車でも徒歩でも)通りたくない道です。よくバスが通っていたと感心します。
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