広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

かんぷうざんorさむかぜやま

2024-07-21 20:34:45 | 秋田の地理
大相撲本場所開催中、NHK各放送局の夕方や夜のローカルニュースでは、「県出身力士の今日の取り組み結果(成績)」コーナーがある(首都圏や大都市圏はどうなっているのだろう)。
その名の通り、幕内から序の口まで、放送エリア出身の全力士の勝敗や決まり手が紹介される。幕内以外(?)では、映像は出ないことが多い。

現在開催中の名古屋場所が始まった時、秋田放送局のそのコーナーで、西三段目筆頭に「『龍王(りゅうおう)』改め『寒風山(かんぷうざん)』」という、しこ名の力士がいた。

1992年度後半に放送・2023年に再放送された、NHK連続テレビ小説「ひらり」(この記事など)に登場した、しこ名が現実のものとなった!

ひらりの寒風山は、秋田市出身・梅若部屋。
実際の寒風山は、南秋田郡井川町出身・中村部屋(6月に発足したばかり。それも改名の一因のようだ)。ひらりの放送1年後、1993年11月生まれ。
寒風山の所在地・男鹿市出身ではないが、秋田市からも井川町からも寒風山は見え、親しみがある山。
出身地にちなむしこ名の力士は多い。以前の「龍王」だと、山梨県の竜王(甲斐市の中央本線の駅名)を連想してしまっていた。井川町だと「井川さくら」駅にちなんで、「井川桜」とか?

実際の寒風山について、スポニチが取り上げていた。
「スポニチアネックス」2024年7月1日配信「【名古屋場所番付発表】中村部屋の龍王が「寒風山」に改名 由来は故郷の山、朝ドラ「ひらり」にも登場」では、見出し通りひらりにも言及。
さらに、15日配信「「足が出なかった」と寒風山が黒星スタート。独立と同時に「龍王」から改名も裏には幻のしこ名が存在していた」では、「実は日本相撲協会に改名届を提出した時は違うしこ名だった。」「秋田伝統の「生剥(なまはげ)」というしこ名を熱望した。しかし、協会から「違うしこ名の方がいいのでは」と言われたという。」。
※ナマハゲも、男鹿市の行事。秋田県全域で行われるわけではない。

しこ名について、日本相撲協会から“物言い”が付くとは知らなかった。
最近は、人名同様に読みづらいしこ名(キラキラしこ名?)の力士も見受けるが、それならナマハゲだっていいのでは。
秋田新幹線開業時の列車名で、公募1位の「なまはげ」が見送られ、「こまち」になったということもあった。秋田=ナマハゲがすべてと思われるのも好きではないが、知名度は抜群。別にそんなに避けるべき名ではないとも思う。

第2希望だったのだろうが、決めた本人・部屋側にも、協会側にも、「ひらり」再放送の影響があったのではないか。
作者であり、秋田市生まれであり、相撲好きである内館牧子氏は、秋田魁新報で日曜に月2回、エッセイ【8月4日追記・「内館牧子の明日(あした)も花まるっ!」】を連載している。本件にどんな感想を持ったか知りたいところ。21日が掲載日だったが、特に触れていなかった。
【8月4日追記】その次の8月4日付連載で、「出た! 寒風山!」として全編で言及。「私は「寒風山」という名が大好きで、(ひらりでは)最初から新弟子の四股名にするつもりだった。」。
今回の件を、当時、梅若親方や寒風山を演じた、伊東四朗、小林 健に手紙で伝え「二人とも大喜びである。」。
秋田とゆかりがある前頭・王鵬は、「ナマハゲの化粧廻しも締める。ルーツを思えばのことではないか。」とした上で、寒風山の生剥計画について「何かで読んだ」。「強そうでインパクトのある四股名だが、「生身から剥きはがす」という印象がダメだったのだろうなァ。」と結んだ。(以上追記)



ところで、調べたら、過去にも「寒風山」というしこ名の力士がいた。
「相撲レファレンス(http://sumodb.sumogames.de/Default.aspx?l=j)」というホームページによれば、1949年、南秋田郡飯田川町(井川町の隣、現・潟上市)生まれ、花籠部屋、1970年引退。
ただし、読みは「さむかぜやま」だったらしい。読みの欄に「#」が付いていて、凡例などがなく、その意味が分からなくて気になるのだが。
あえて読みを変えたのか?

(山の)寒風山は、昔は「さむかぜやま」と言っていたらしい。
さらに大昔は、妻恋山(つまこいやま)あるいは羽吹風山(はふかぜやま/はぶかぜやま)と呼んでいて、羽吹風が転じて「さむかぜ」になったとか。とすれば、さむかぜが本来だ。
明治・大正の頃まではそれが一般的だったとの話もある。

ただ、船川で大正~昭和初めに生まれ育ったうちのばあさんは、「かんぷうざん」と言っていた。
余談だが、小学校の遠足は毎年寒風山で、下級生は途中まで、上級生は頂上まで登ったという話を、毎年のように聞かされていた。ふもとまで歩くにも、今の感覚では大変そう。


地元の学校の校歌には、寒風山が歌いこまれ、「さむかぜ」と読むものもあるとのこと。
男鹿市教育委員会のホームページでは、閉校分も含めた市立学校の校歌を、県教委の資料なども使って保存・公開してくれており、ほとんどの学校を調べることができた。以下にまとめる。カッコ内は、作詞者、制定年、閉校年度。
・脇本第一小学校(天野源一、1955年)2番「さむ風山の峰つづき」
・払戸小学校(工藤武雄、1957年、2024年度で閉校)2番「夕べの雲が あかあかと さむかぜ山に 映えるとき」
・美里小学校(近藤貢太郎、たぶん2014年=2014年開校なので)3番「芝山まろき 寒風の」
・五里合中学校(三浦喜栄三、1948年、2007年度で閉校)1番「千万いるる寒風の」
・払戸中学校(柴田金雄、1953年、2007年度で閉校)1番「み柱高き 寒風に」
以上、5校が「さむかぜ(やま)」派。
対して「かんぷう」派は、
・脇本第二小学校(竹内瑛二郎、1955年、2006年度で閉校)1番「空の青さに 寒風の」
1校のみであった。

なお、読みがどちらか分からなかったのが、
鵜木小学校(柴田金雄、1953年、2014年度で閉校)3番「平和の雲よ 寒風よ」、男鹿市外だが、潟上市立天王中学校(竹内瑛二郎、1951年)3番「寒風山よ 海なりよ」。

余談だが、男鹿市立潟西中学校(山田千之、1956年、2021年度で閉校)では、近いのに寒風山は出てこなくて、3番「太平の 嶺はあかるく」。
秋田市の太平山のこと? 八郎潟(制定時は干拓前)の向こうに見えるとは思うけれど。
作詞者は、県立秋田中央高等学校(秋田市立高等学校時代の作か?【22日コメントいただき確定】)、秋田市立山王中学校の校歌も手がけ、どちらにも太平山を「太平」として取り入れている(かがやく 峰の 太平に/鳥海招き 太平なごむ)。
※校歌についての過去の記事 作者山や川

愛媛県・高知県にまたがる「寒風山」もあって、こちらもかつては「さむかぜやま」、今は「かんぷうざん」と呼ぶとのこと。

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 蒲鉾復活! | トップ | キャッスル裏も斜め横断化 »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (yo)
2024-07-22 18:08:08
秋田中央高等学校の校歌の太平は秋田市立高校時代の校歌に歌われていました。中央の校歌は旧市立と同じなんです。昭和53年度卒業生より。
返信する
情報ありがとうございます (taic02)
2024-07-22 19:36:22
歌詞に校名が出てこないのですよね。それが幸いして、スムーズな移行となったのでしょう。

ちなみに、同じ作詞者の潟西中では、3番まで歌った後に1度だけ、山王中では各節に3回ずつ(3番までなので計9回)、学校名が出てきます。
返信する
平成15年度 (FMEN)
2024-07-24 01:37:42
校歌だけでなく校章も同じ。
ただ市立世代、学ラン世代、新校舎世代とやけに世代が分断されてる感もあります。
ちなみにブレザー旧校舎ですが、管理主体よりも進学路線が理由でしょうか。
返信する
スムーズに移管 (taic02)
2024-07-25 23:01:55
校章もスムーズに移管できたわけですね。
校歌は1961年制定。校章は戦後の共学の市立高校発足時に制定されたそうで、創立の1920年、女子校時代までさかのぼれば、また違うものだったことになります。
返信する

コメントを投稿