大相撲本場所開催中、NHK各放送局の夕方や夜のローカルニュースでは、「県出身力士の今日の取り組み結果(成績)」コーナーがある(首都圏や大都市圏はどうなっているのだろう)。
その名の通り、幕内から序の口まで、放送エリア出身の全力士の勝敗や決まり手が紹介される。幕内以外(?)では、映像は出ないことが多い。
現在開催中の名古屋場所が始まった時、秋田放送局のそのコーナーで、西三段目筆頭に「『龍王(りゅうおう)』改め『寒風山(かんぷうざん)』」という、しこ名の力士がいた。
1992年度後半に放送・2023年に再放送された、NHK連続テレビ小説「ひらり」(この記事など)に登場した、しこ名が現実のものとなった!
ひらりの寒風山は、秋田市出身・梅若部屋。
実際の寒風山は、南秋田郡井川町出身・中村部屋(6月に発足したばかり。それも改名の一因のようだ)。ひらりの放送1年後、1993年11月生まれ。
寒風山の所在地・男鹿市出身ではないが、秋田市からも井川町からも寒風山は見え、親しみがある山。
出身地にちなむしこ名の力士は多い。以前の「龍王」だと、山梨県の竜王(甲斐市の中央本線の駅名)を連想してしまっていた。井川町だと「井川さくら」駅にちなんで、「井川桜」とか?
実際の寒風山について、スポニチが取り上げていた。
「スポニチアネックス」2024年7月1日配信「【名古屋場所番付発表】中村部屋の龍王が「寒風山」に改名 由来は故郷の山、朝ドラ「ひらり」にも登場」では、見出し通りひらりにも言及。
さらに、15日配信「「足が出なかった」と寒風山が黒星スタート。独立と同時に「龍王」から改名も裏には幻のしこ名が存在していた」では、「実は日本相撲協会に改名届を提出した時は違うしこ名だった。」「秋田伝統の「生剥(なまはげ)」というしこ名を熱望した。しかし、協会から「違うしこ名の方がいいのでは」と言われたという。」。
※ナマハゲも、男鹿市の行事。秋田県全域で行われるわけではない。
しこ名について、日本相撲協会から“物言い”が付くとは知らなかった。
最近は、人名同様に読みづらいしこ名(キラキラしこ名?)の力士も見受けるが、それならナマハゲだっていいのでは。
秋田新幹線開業時の列車名で、公募1位の「なまはげ」が見送られ、「こまち」になったということもあった。秋田=ナマハゲがすべてと思われるのも好きではないが、知名度は抜群。別にそんなに避けるべき名ではないとも思う。
第2希望だったのだろうが、決めた本人・部屋側にも、協会側にも、「ひらり」再放送の影響があったのではないか。
作者であり、秋田市生まれであり、相撲好きである内館牧子氏は、秋田魁新報で日曜に月2回、エッセイ【8月4日追記・「内館牧子の明日(あした)も花まるっ!」】を連載している。本件にどんな感想を持ったか知りたいところ。21日が掲載日だったが、特に触れていなかった。
【8月4日追記】その次の8月4日付連載で、「出た! 寒風山!」として全編で言及。「私は「寒風山」という名が大好きで、(ひらりでは)最初から新弟子の四股名にするつもりだった。」。
今回の件を、当時、梅若親方や寒風山を演じた、伊東四朗、小林 健に手紙で伝え「二人とも大喜びである。」。
秋田とゆかりがある前頭・王鵬は、「ナマハゲの化粧廻しも締める。ルーツを思えばのことではないか。」とした上で、寒風山の生剥計画について「何かで読んだ」。「強そうでインパクトのある四股名だが、「生身から剥きはがす」という印象がダメだったのだろうなァ。」と結んだ。(以上追記)
ところで、調べたら、過去にも「寒風山」というしこ名の力士がいた。
「相撲レファレンス(http://sumodb.sumogames.de/Default.aspx?l=j)」というホームページによれば、1949年、南秋田郡飯田川町(井川町の隣、現・潟上市)生まれ、花籠部屋、1970年引退。
ただし、読みは「さむかぜやま」だったらしい。読みの欄に「#」が付いていて、凡例などがなく、その意味が分からなくて気になるのだが。
あえて読みを変えたのか?
(山の)寒風山は、昔は「さむかぜやま」と言っていたらしい。
さらに大昔は、妻恋山(つまこいやま)あるいは羽吹風山(はふかぜやま/はぶかぜやま)と呼んでいて、羽吹風が転じて「さむかぜ」になったとか。とすれば、さむかぜが本来だ。
明治・大正の頃まではそれが一般的だったとの話もある。
ただ、船川で大正~昭和初めに生まれ育ったうちのばあさんは、「かんぷうざん」と言っていた。
余談だが、小学校の遠足は毎年寒風山で、下級生は途中まで、上級生は頂上まで登ったという話を、毎年のように聞かされていた。ふもとまで歩くにも、今の感覚では大変そう。
地元の学校の校歌には、寒風山が歌いこまれ、「さむかぜ」と読むものもあるとのこと。
男鹿市教育委員会のホームページでは、閉校分も含めた市立学校の校歌を、県教委の資料なども使って保存・公開してくれており、ほとんどの学校を調べることができた。以下にまとめる。カッコ内は、作詞者、制定年、閉校年度。
・脇本第一小学校(天野源一、1955年)2番「さむ風山の峰つづき」
・払戸小学校(工藤武雄、1957年、2024年度で閉校)2番「夕べの雲が あかあかと さむかぜ山に 映えるとき」
・美里小学校(近藤貢太郎、たぶん2014年=2014年開校なので)3番「芝山まろき 寒風の」
・五里合中学校(三浦喜栄三、1948年、2007年度で閉校)1番「千万いるる寒風の」
・払戸中学校(柴田金雄、1953年、2007年度で閉校)1番「み柱高き 寒風に」
以上、5校が「さむかぜ(やま)」派。
対して「かんぷう」派は、
・脇本第二小学校(竹内瑛二郎、1955年、2006年度で閉校)1番「空の青さに 寒風の」
1校のみであった。
なお、読みがどちらか分からなかったのが、
鵜木小学校(柴田金雄、1953年、2014年度で閉校)3番「平和の雲よ 寒風よ」、男鹿市外だが、潟上市立天王中学校(竹内瑛二郎、1951年)3番「寒風山よ 海なりよ」。
余談だが、男鹿市立潟西中学校(山田千之、1956年、2021年度で閉校)では、近いのに寒風山は出てこなくて、3番「太平の 嶺はあかるく」。
秋田市の太平山のこと? 八郎潟(制定時は干拓前)の向こうに見えるとは思うけれど。
作詞者は、県立秋田中央高等学校(秋田市立高等学校時代の作か?【22日コメントいただき確定】)、秋田市立山王中学校の校歌も手がけ、どちらにも太平山を「太平」として取り入れている(かがやく 峰の 太平に/鳥海招き 太平なごむ)。
※校歌についての過去の記事 作者、山や川。
愛媛県・高知県にまたがる「寒風山」もあって、こちらもかつては「さむかぜやま」、今は「かんぷうざん」と呼ぶとのこと。
その名の通り、幕内から序の口まで、放送エリア出身の全力士の勝敗や決まり手が紹介される。幕内以外(?)では、映像は出ないことが多い。
現在開催中の名古屋場所が始まった時、秋田放送局のそのコーナーで、西三段目筆頭に「『龍王(りゅうおう)』改め『寒風山(かんぷうざん)』」という、しこ名の力士がいた。
1992年度後半に放送・2023年に再放送された、NHK連続テレビ小説「ひらり」(この記事など)に登場した、しこ名が現実のものとなった!
ひらりの寒風山は、秋田市出身・梅若部屋。
実際の寒風山は、南秋田郡井川町出身・中村部屋(6月に発足したばかり。それも改名の一因のようだ)。ひらりの放送1年後、1993年11月生まれ。
寒風山の所在地・男鹿市出身ではないが、秋田市からも井川町からも寒風山は見え、親しみがある山。
出身地にちなむしこ名の力士は多い。以前の「龍王」だと、山梨県の竜王(甲斐市の中央本線の駅名)を連想してしまっていた。井川町だと「井川さくら」駅にちなんで、「井川桜」とか?
実際の寒風山について、スポニチが取り上げていた。
「スポニチアネックス」2024年7月1日配信「【名古屋場所番付発表】中村部屋の龍王が「寒風山」に改名 由来は故郷の山、朝ドラ「ひらり」にも登場」では、見出し通りひらりにも言及。
さらに、15日配信「「足が出なかった」と寒風山が黒星スタート。独立と同時に「龍王」から改名も裏には幻のしこ名が存在していた」では、「実は日本相撲協会に改名届を提出した時は違うしこ名だった。」「秋田伝統の「生剥(なまはげ)」というしこ名を熱望した。しかし、協会から「違うしこ名の方がいいのでは」と言われたという。」。
※ナマハゲも、男鹿市の行事。秋田県全域で行われるわけではない。
しこ名について、日本相撲協会から“物言い”が付くとは知らなかった。
最近は、人名同様に読みづらいしこ名(キラキラしこ名?)の力士も見受けるが、それならナマハゲだっていいのでは。
秋田新幹線開業時の列車名で、公募1位の「なまはげ」が見送られ、「こまち」になったということもあった。秋田=ナマハゲがすべてと思われるのも好きではないが、知名度は抜群。別にそんなに避けるべき名ではないとも思う。
第2希望だったのだろうが、決めた本人・部屋側にも、協会側にも、「ひらり」再放送の影響があったのではないか。
作者であり、秋田市生まれであり、相撲好きである内館牧子氏は、秋田魁新報で日曜に月2回、エッセイ【8月4日追記・「内館牧子の明日(あした)も花まるっ!」】を連載している。本件にどんな感想を持ったか知りたいところ。21日が掲載日だったが、特に触れていなかった。
【8月4日追記】その次の8月4日付連載で、「出た! 寒風山!」として全編で言及。「私は「寒風山」という名が大好きで、(ひらりでは)最初から新弟子の四股名にするつもりだった。」。
今回の件を、当時、梅若親方や寒風山を演じた、伊東四朗、小林 健に手紙で伝え「二人とも大喜びである。」。
秋田とゆかりがある前頭・王鵬は、「ナマハゲの化粧廻しも締める。ルーツを思えばのことではないか。」とした上で、寒風山の生剥計画について「何かで読んだ」。「強そうでインパクトのある四股名だが、「生身から剥きはがす」という印象がダメだったのだろうなァ。」と結んだ。(以上追記)
ところで、調べたら、過去にも「寒風山」というしこ名の力士がいた。
「相撲レファレンス(http://sumodb.sumogames.de/Default.aspx?l=j)」というホームページによれば、1949年、南秋田郡飯田川町(井川町の隣、現・潟上市)生まれ、花籠部屋、1970年引退。
ただし、読みは「さむかぜやま」だったらしい。読みの欄に「#」が付いていて、凡例などがなく、その意味が分からなくて気になるのだが。
あえて読みを変えたのか?
(山の)寒風山は、昔は「さむかぜやま」と言っていたらしい。
さらに大昔は、妻恋山(つまこいやま)あるいは羽吹風山(はふかぜやま/はぶかぜやま)と呼んでいて、羽吹風が転じて「さむかぜ」になったとか。とすれば、さむかぜが本来だ。
明治・大正の頃まではそれが一般的だったとの話もある。
ただ、船川で大正~昭和初めに生まれ育ったうちのばあさんは、「かんぷうざん」と言っていた。
余談だが、小学校の遠足は毎年寒風山で、下級生は途中まで、上級生は頂上まで登ったという話を、毎年のように聞かされていた。ふもとまで歩くにも、今の感覚では大変そう。
地元の学校の校歌には、寒風山が歌いこまれ、「さむかぜ」と読むものもあるとのこと。
男鹿市教育委員会のホームページでは、閉校分も含めた市立学校の校歌を、県教委の資料なども使って保存・公開してくれており、ほとんどの学校を調べることができた。以下にまとめる。カッコ内は、作詞者、制定年、閉校年度。
・脇本第一小学校(天野源一、1955年)2番「さむ風山の峰つづき」
・払戸小学校(工藤武雄、1957年、2024年度で閉校)2番「夕べの雲が あかあかと さむかぜ山に 映えるとき」
・美里小学校(近藤貢太郎、たぶん2014年=2014年開校なので)3番「芝山まろき 寒風の」
・五里合中学校(三浦喜栄三、1948年、2007年度で閉校)1番「千万いるる寒風の」
・払戸中学校(柴田金雄、1953年、2007年度で閉校)1番「み柱高き 寒風に」
以上、5校が「さむかぜ(やま)」派。
対して「かんぷう」派は、
・脇本第二小学校(竹内瑛二郎、1955年、2006年度で閉校)1番「空の青さに 寒風の」
1校のみであった。
なお、読みがどちらか分からなかったのが、
鵜木小学校(柴田金雄、1953年、2014年度で閉校)3番「平和の雲よ 寒風よ」、男鹿市外だが、潟上市立天王中学校(竹内瑛二郎、1951年)3番「寒風山よ 海なりよ」。
余談だが、男鹿市立潟西中学校(山田千之、1956年、2021年度で閉校)では、近いのに寒風山は出てこなくて、3番「太平の 嶺はあかるく」。
秋田市の太平山のこと? 八郎潟(制定時は干拓前)の向こうに見えるとは思うけれど。
作詞者は、県立秋田中央高等学校(秋田市立高等学校時代の作
※校歌についての過去の記事 作者、山や川。
愛媛県・高知県にまたがる「寒風山」もあって、こちらもかつては「さむかぜやま」、今は「かんぷうざん」と呼ぶとのこと。
ちなみに、同じ作詞者の潟西中では、3番まで歌った後に1度だけ、山王中では各節に3回ずつ(3番までなので計9回)、学校名が出てきます。
ただ市立世代、学ラン世代、新校舎世代とやけに世代が分断されてる感もあります。
ちなみにブレザー旧校舎ですが、管理主体よりも進学路線が理由でしょうか。
校歌は1961年制定。校章は戦後の共学の市立高校発足時に制定されたそうで、創立の1920年、女子校時代までさかのぼれば、また違うものだったことになります。