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秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

くらた跡に竹半

2014-12-21 19:57:31 | 秋田のいろいろ
20日の秋田魁新報・社会面に秋田市のスポーツ用品店「竹半(たけはん)スポーツ」の広告が出ていた。
※盛岡市に本社があり、北東北と山形で店舗展開する「タケダスポーツ」ではありません。

「仲小路へ移転します。」「閉店セール」と大きく出ており、「店舗移転のご挨拶」が掲載されている。
現在、大町一丁目のショッピングモール(でいいのかな?【下記27日付追記参照】)「サン・パティオ大町」内にある店舗(とオフィス)を来年1月15日に移転するという。
移転先は、店舗が中通二丁目の「くらたビル」、外商・総務部門が入る事務所は保戸野原の町。
今日の竹半スポーツの店舗。閉店セールのPOPが控え目に出ていた
僕はスポーツ用品店とはまったくと言っていいほど縁がないけれど、秋田市で「竹半」といえばかなり名の通ったスポーツ用品店だろう。「スポーツ」を付けない「たけはん」だけで通じる。
学校の体育着や上履きの指定業者としてもよく使われるはず。(僕たちの頃は、学校での出張販売だったので店には行かなくて済んだはず。最近は、春休み中は店の上のフロアに特設会場を設けているらしい)

挨拶文には「昭和24年創業」とある。
それ以来ずっと、場所は少し動いたものの、いわゆる通町周辺に店を構えていたはず。
サンパティオは1997年オープンなので、その直前は、現在、セブン-イレブン通町店がある場所(セブン開店前は駐車場)に竹半があった。
一時期は、そのはす向かいの保戸野通町側にも店があったそうだ。(現在上りの通町バス停前の駐車場の所で、竹半のさらに前はスーパーだった時期もあったという)

現在の店は「サンパティオ本店」と呼んでいる(呼んでいた?)ようだが、今はそれ以外に店舗はないはず。【27日追記】昔は、駅前の中央通り沿い・買物広場バス停向かい、今は魚民グループの居酒屋ビルにも店があったそうだ。
臨海へ移転した秋田魁新報社の跡にできたサンパティオは、9者からなる協同組合が運営している。組合には企業としての竹半スポーツ(組合のホームページでは「株式会社竹半」と表記【下記27日付追記参照】)が主体的に関わっているようで、竹半スポーツはサンパティオの“核テナント”ととらえてもいいかもしれない。
再掲)サンパティオの北側の建物1階が竹半


移転先である仲小路の「くらたビル」。正式名称なのかは不明。(ネット上では「お菓子のくらた秋田ビル」という記述も見られる)
秋田県湯沢市に本社がある和洋菓子店「くらた」の店があった建物。
仲小路沿いの明徳館ビル(県立明徳館高校)とエリアなかいち東側の交差点の角にある。

くらたは秋田市内に複数(現在は4店?)の店舗があるが、ここは秋田市最初の店だったのでズバリ「秋田店」という名称だった。
「二〇世紀ひみつ基地(http://20century.blog2.fc2.com/blog-entry-490.html)」によれば、1970年オープン。1階が店舗、2階が喫茶部門。外観からすれば5階建て。
なかいちは、かつて秋田赤十字病院がだったわけだが、その移転でお得意様だった日赤関係者(見舞い客など)が来なくなり、もちろん市街地の衰退も進む中で、店舗部門だけは営業を続けていたものの、たしか今年始め?(遅くとも3月)に完全に閉店していた。
【2015年1月16日追記】2015年1月16日付秋田魁新報によれば、くらた秋田店の閉店は2014年「2月」。現在もビルはくらたが所有している。
再掲)営業していた頃のくらた秋田店店頭
空き屋となったビルでは、市民も参加するアートイベントが行われ、その作品が窓を飾っていた。
そこに、竹半が入ることになる。
今日現在も「くらた」の表示は残っていた。窓は作品で彩られている

通町(大町)から旭川を渡って、仲小路へ直線で550メートルほど。秋田市中心市街地の範囲内での移動である。
このことは、どうとらえればいいのだろう。

竹半が、創業地(の近く)であり、設立以来関わって来たサンパティオを“見捨てる”ようにも感じる。
当然、サンパティオの跡は空きテナントになるだろう。この周辺では、ニューシティ跡地、所有者は代わったらしいがそのまま単なる通路と化している「イーホテルショッピングモール(旧・ファッションアベニューAD)」、サンパティオの裏にできる計画はどうなったのか不明な新たな商業施設と、あまり明るい話題はない。
そんな中でがんばっていたサンパティオは、今後どうなるのだろう。
サンパティオ前。突き当りが通町
移転先が、再開発エリア「なかいち」のすぐそばというのも、「通町を捨てて、なかいちへ」ということなのかと、複雑な気分にさせられる。
竹半の狙いは何なのか、今後どうなるのか、知る由もないけれど、個人的には少々気になる。
なかいちのにぎわい交流館と商業施設の間の通路の正面がくらたビル


外商部門が移転するというのは、加賀谷書店を連想した(本店閉店時の記事)。
加賀谷書店の外商部は、前から店と別にあった。両者とも、店舗での販売よりも学校などへの外商に力を入れていそうだから今回の竹半もそれと同じようなものじゃないだろうか。

移転先は広告では住所しか記載されていないが、その所在地と「-306」という番号からすれば、神田線が曲がる秋大附属中学校の角にあるマンション「アーバン原の町」だと思われる。
ストリートビューより
最近は、住宅地の中に、地元ではけっこう名の知れた会社がオフィスを構えることがある。南中そばのKAMADAスマイルコーポレーション(旧・鎌田会館)とか。
それで用が足りるからそうしているのだろうけど、竹半の場合も通町にいるよりも安く上がるんだろうか。

【27日追記】27日付秋田魁新報 経済面でわりと大きく報道された。「店舗縮小、専門性高める」「サン・パティオ大町集客への影響を懸念」といった見出し。リード文によれば「量販店との競合や少子化などで売り上げが落ち込んだことから、店舗面積を縮小して専門性を高め、大手量販店との差別化を図る。」。
店舗移転についてだけで、事務所移転には触れず。店舗移転先のことは「くらたビル」と表記。くらたの店舗跡だったことには触れず。

企業としての「竹半」は「竹半スポーツ」の経営母体という関係だそう。両社の社長は同じ。
「2013年7月期の売上高は約1億6200万円で、ピークだった約20年前に比べて4分の1程度」「約6600平方メートルある現在の売り場面積では在庫管理が難しくなった。」
「移転先のくらたビルでは1、2階に店舗を開設。売り場面積は現在の半分程度になる。」
現店舗は1月4日で営業終了。

「竹半スポーツは1949年3月に秋田市保戸野で創業」
→「保戸野」というのは今の「保戸野通町」という意味なのか、あるいは当時は住居表示実施前だから今とは境界が異なる時の「保戸野」を指しているのか?(住居表示前の地名としての「通町」は「保戸野」が付かない「中通町」と「上通町」だった)

現在の竹半の「主な客層はスポーツ少年団や部活動に所属する小中学生の親子連れ、クラブチームの社会人、高齢者など。」
「竹半スポーツは「移転後はにぎわいのある立地を生かし、(略)高校生など新たな若い客層を取り込みたい」」
→通町でも街中だから高校生の客は多いと思っていたが、そうでもなかったのか。

サンパティオは「ミニショッピングタウン」
現在は12店舗。「竹半スポーツは店舗面積、集客ともにパティオ内で最大規模」
協同組合の理事長は「新たな借り手が長期間見つからない場合、他の店の営業活動にも影響が出かねないと懸念。「(略)テナント募集や自主事業の開催なども含めて早急に対応を検討したい」」
(以上追記)

※続きはこの記事中ほど
【2018年5月26日追記】くらた跡の竹半は、移転名目で2018年5月に閉店した。詳細は上記続きの記事に追記。




ところで、わずか1年半でテナントが撤退してしまった、なかいちの商業施設。
明日22日に、新たなテナントを入れてリニューアルオープンする。

と言っても、今現在、公式ホームページには何の記述もなし。
新規テナントの1つが、東北初という「タニタ食堂」。直営ではなくフランチャイズで、秋田県産食材も使うとか。店名は「あきたタニタ食堂」。
なお、タニタと秋田には、大仙市にタニタの工場があるというつながりがある。

そのタニタ食堂のチラシが折り込まれたのだけど、「12.27土 営業開始」とある。
22日じゃないの? と思ったら、たしかに小さく「12.22OPEN!」ともあり、22日から26日は「内覧&試食会。一般のお客様はご利用いただけません。」とのこと。
そういうのって、「27日オープン」とするのが普通じゃないでしょうか?※「内覧&試食会」というのは誰向けなんでしょう?
【21日22時50分文章がおかしかったので書き直し】22なのか27なのか分かりづらいし、他のテナントと足並みが揃わないのも分かりづらい。
常識的に「営業開始」と「OPEN」は同義なのにそれが別々の日なのは戸惑うし、一般客が利用できない期間を指して「OPEN」というのは拡大解釈ではないか(せいぜい「プレオープン」だ)。
だから「12.22OPEN!」の表記は不適切だし、準備の都合もあるだろうけれど、がんばって22日から一般客が食べられるようにするべきだったのではないだろうか。メニュー限定とかでいいから。
【27日追記】27日付秋田魁新報では、27日のことを「開店」と表現し、それ以前は「内覧会」「試食会」としていた。これが妥当でしょう。(以上追記)

こういう宣伝下手で、客の立場になれないのが、いかにも秋田。もうちょっとだけ気を配って、一手間加えれば済むのに。
26日までの間に、勘違いしてタニタ食堂で食事をしようと訪れる人がいないことを祈ります。なお、12月30日~1月4日は休業。


【23日追記】23日には、ホームページは更新されていた(22日は見ていないので不明)。
新規テナント9店舗を加え、全部で17店舗(うち2店舗は後日オープン)となった。
リニューアルに当たって、商業施設の名称を「@4の3(アットヨンノサン)」に改称。

ホームページによれば、「商業施設のある「中通1丁目の4-3番地」に場所や位置を示す@を加えて愛称としました。」
23日付秋田魁新報地域面によれば「「農」「食」「健」「美」をコンセプトに店舗の再編成」をし、「@4の3」には所在地のほか「「4」で四つのコンセプトを、「3」で「産地直結」の意味を表現し、親しみやすさや覚えやすさを図った。」

高齢者には「@」は難しそうだし、単なる数字の「4の3」は覚えづらい。
でも、奇妙な横文字もどき造語よりはマシだし、個人的には嫌いじゃないネーミングかも。

2012年7月のオープンから2014年3月まで「サンマルシェ」、サンマルシェ撤退後の2014年4月から施設所有者直営の「なかいちプラザ」となるも、短期間で「@4の3」に変わってしまったことになる。
この記事後半に続きが少々

【2018年5月26日追記】タニタ食堂は2018年3月で閉店した。

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8 コメント

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ABS発祥の地 (あんなか)
2014-12-22 23:55:00
今の竹半サンパティオ店の場所はABS発祥の地ですね。
つまり旧さきがけ本社の3階部分と4回を継ぎ足した所に局舎を間借りしていたのです。
当時はラジオ放送だけでRTBラジオ東北と言っていました。
送信所は今の茨島と同じでアンテナは頂冠付き支線式円管柱75mアンテナで建設メーカーは加藤電気工業所。
放送機は日本電気製の真空管式である終段陽極変調で
周波数720kHz(当時表記kc)出力昼は1kW、夜間は500Wでした。
1956年940kHzに移動しのち3kWに増力しTV放送に免許が下りてABSと改名。
この時期フィンランドから「受信出来た」と受信報告書が届き技術者を驚かせました。
1977年頃に放送機を真空管式からトランジスタ式所謂固定化に。

ちなみにNHK秋田の発祥の地は今の中通り病院ですね。
どうでも良いことをズラズラ書きすみません。
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魁旧社屋 (taic02)
2014-12-23 23:55:11
旧県立美術館の使い道を取り上げた18日の魁のコラム「北斗星」で、魁の旧社屋を壊したのはもったいなかったと言及していました。1931年築だそうで、そこ(の増築部分)を間借りしていたわけですね。
18年前に解体されたので、僕はしっかりと見ているのに、記憶はおぼろげです。

ちなみに青森放送は今も「RAB」ですが、ここもラジオから始まったからですね。
ラジオ東北は改名してABSにしてしまったわけですが、仮にこのタイミングが前後していたら、青森のほうがABSになって、秋田は? などと妄想してしまいます。

中通病院の敷地には、NHK跡を示す標柱があったそうですが、改築後はどうなっているでしょうか。
「秋田のラグビー発祥の地」の石碑はちゃんと残されていますが。
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Unknown (Unknown)
2014-12-25 12:53:46
竹半跡地にスポコンカフェが移転すればキャパも大きいし、それなりの集客がありそうな感じがしそうですね。

個人的にはくらた跡地にスポコンカフェが移転すれば、いいかと思っていましたが。
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スポコンカフェ (taic02)
2014-12-26 00:02:34
今は竹半の上のフロアにあるスポコンカフェですが、ちょっと目立たない感じでしょうか。
なかいちの屋外の大画面でパブリックビューイングが行われることがありますね。
どっちにどれがあるのがベスト(ベター)なんでしょうかね。
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@4の3 (住民)
2014-12-26 21:13:25
なかいちプラザの方がわかりやすかったですね。もしくは「なかいちモール」でも良かったのではないでしょうか。施設の運営を指定管理者にして任せた方がはるかににぎわいを生み出せると思うし、今のビューティーモールのテナントは趣旨からずれるように思います。なかいち本来の趣旨は中心市街地の活性化です。テナントにNPOが入った方が地域のためになると思っています。
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なかいち (taic02)
2014-12-27 23:38:21
「なかいち」自体は既に定着したと言っていいでしょうから、「なかいち~」がストレートで良かったかもしれません。「アットヨンノサン」は覚えてもらえるかどうか…
再開発だから地権者のこともあるでしょうし、誰がやっても上手くやってくれれば、それでいいわけですが、税金が投入されているからには、上手くやっていただきたいものです。
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Unknown (ちゃかしこ)
2015-08-07 21:28:00
今晩は。pcのちょうしがわるくここしばらくタブレットで、読んでいます。昨日のニュースであきたのタニタ食堂が苦戦しているというのがありました。へー秋田もしょっぱいものが好きなんだ、、、と思って。短命県ワーストの青森県人としては、苦笑い。タニタ食堂の味一度食べてみたいと思ったことありますが、じゃ、口に合わないな、、、。でも秋田にタニタ食堂があったとは。食材には文句なしのものをつかっているだろうから、後はやっぱり味付けの加減なのでしょうかね。
管理人さんは、弘前にいたとき、かなりしょっぱいと思いましたか。
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タニタ食堂の塩分 (taic02)
2015-08-07 23:29:38
こんばんは。PCで見てもらう前提で作っていますので、ちゃんと読めますでしょうか。

しょっぱいものを好むのは、青森も秋田もいい勝負だと思いますよ。昔に比べれば薄味になったとも言いますが、それでも全国的には濃い味なのでしょう。
現に醤油やソースをドバドバかける人がいますし、秋田ではかなりしょっぱい塩鮭が売られていたりします。

僕は秋田人としては薄味寄りだと自負(?)しています。
弘前にいた頃は、(何件もの家やお店を食べ比べたわけではないですが)「ちょっとしょっぱいな」と感じることはありました。我慢できないほどしょっぱくはなかったのは、秋田での味付けと大差がなかったからでしょう。
むしろ赤飯が甘いのがカルチャーショックでした(笑)

秋田のタニタ食堂は、ネットやテレビで今週にわかに注目されたみたいですね。
濃い味好きで固いものが苦手な高齢者のお客も多い場所に出店したのも、不利に働いてしまった気がします。秋田でも、駅ビルとかオフィス街だったら、違ったかもしれません。
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