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若草色とレンガ色の箱

2013-01-16 21:20:12 | 秋田のいろいろ
現在、秋田市では、粗大ごみを除くごみ収集を、大きく4つに分けて行なっている。※ここでいう分け方とは、「ごみの日」が4種類あるということ。それぞれの中での分別はもっと細かい。
家庭ごみ(昨年から有料化されたいわゆる燃えるごみ、週2回)、資源化物のうち金属類(昔の燃えないごみ相当、月1回)、資源化物のうちペットボトル(月1回)、金属・ペットボトル以外の資源化物(瓶・缶・古紙・乾電池、月2回)
4つの収集日は、各地域内で重ならないように割り当てられている。【17日訂正】一部地域では、ペットボトルと瓶・缶の回収日が重なっている。金属類とペットボトルは、どこでも必ず水曜日になっているようだ。
このような収集区分・方法になったのは、1999年4月【16日訂正】2002年から。(1999年4月にペットボトル回収が新規に始まった。古紙は1995年6月から)


さて、ごみの出し方なのだが、多くはゴミ袋に入れて出すけれど、そうでないものもある。
古紙はしばってそのまま出し、空きびんは、また違った出し方をする。

空きびんは、各集積所に置かれる「回収箱」に入れることになっている。
回収箱とは、
このコンテナ(雪が付いて、中に余計なゴミが入ってますが)
薄緑色のプラスチック製の容器で、側面は縦方向のスリットが入って網状。「空ビン回収用」「秋田市」の文字と市章が入る。

回収箱は、収集日前日(月曜収集の地域は前週金曜)に、ごみ収集車(可燃ごみのような圧縮装置付きではなく、荷台にコンテナを積み上げられるトラックタイプ)が巡回して置いていく。現在は、各集積所に1~2個置かれるのが標準かと思う(昔はもう少し多かったか)。

こういう収集方法をする理由としては、搬出・回収時等の瓶の破損を防ぐ、収集車に積み上げて効率よく運搬できる、各家庭から1度に出される瓶の量は多くないので袋だと非効率的、といったことだろう。
回収箱の配置作業が必要で2度手間だし、回収箱の手入れや保管なども必要にはなるけれど。
設置後に雪が積もって、埋もれる恐れもある



ところで、少し昔の秋田市を知る方なら、もう1種類の回収箱があったのをご記憶だろうか?

それは、

これ!
現行の空きびん回収箱とサイズはほとんど同じで、赤茶色のコンテナ。
昔は、空き缶を袋でなく、この箱で回収していたのだ。当時も、びんと缶は回収日が同じだったので、集積所には2色の容器が並んでいた。


姿を消してだいぶ経つが、つい先日、秋田市内某所で久々に“再会”し、撮影できた。
以前にも、別の場所で再会したことがあり、今回が2度目。
再会した場所は、某民間施設と秋田市関係の施設のいずれも裏口のごみ置き場的な場所。秋田市環境部で用済みになって、民間や市の他セクションへ払い下げられたのだろう。
撮影した所では、今なお空き缶回収箱として“現役”で活躍しているようだが、大事にされているのか、きれいな姿だった。
じっくり見るのは初めて
色以外の空きびん用との違いは、文字が「空カン回収用」に替わっているほか、側面が縦スリットではなく斜線が交わる網になっている。



秋田市の資源化物収集の歴史をさかのぼってみる。
秋田市がリサイクルするために区分してごみ収集を行った最初は、1980(昭和55)年5月のようだ。
旭川(地域名ではなく河川のことでしょう)より西側の地域で、月1回空き瓶を回収した。この時から既に、プラスチック容器で回収していたようだ。

翌1981年5月からは、市内全域で、空き瓶のほか空き缶の回収を開始。今では「資源化物」と呼んでいるが当時は「資源ごみ」と呼んでいた、僕を含めて古い秋田市民は今もそう呼んでしまう。
この時に、2色の回収箱が誕生したと考えられる。
【16日補足】その後、1983年6月から、月2回収集になった。

開始当時は不明だが、1990年前後頃以降は、広報あきたでは「空きびんは若草色の回収箱、空き缶はレンガ色の回収箱に」といったように、2色の回収箱を「若草色」と「レンガ色」と呼ぶことが多かった。若草色は秋田市の色でもある。
【2023年1月25日追記・若草色の箱は、2023年時点の秋田市ホームページでは「緑色の回収箱」と称している。】

そして、1999年4月。
資源化物としてのペットボトル回収が新たに始まるとともに、空き缶は袋で出すようになり、レンガ色の回収箱は役目を終えた。


空き缶収集を回収箱から袋に変えたのは、「収集効率を高めるため(1999年3月26日付広報あきた1454号)」だそう。
1981年の回収開始当初は、瓶入り飲料を買って、空いたら酒屋さんに回収してもらうことも多かったかもしれないが、1990年代には缶ビールの消費が増えていただろう。それに、清涼飲料の500ml以下の小容量ペットボトルが出たのは1996年だから、それ以前は缶の利用すなわち空き缶が圧倒的に多かったと考えられる。
そんな背景から、1990年代中頃には、資源ごみに出される缶の量が多くなり、回収箱が集積場に置ききれなかったり不足したりといった問題や、箱の中に山盛りに積み上げられて箱からあふれてこぼれるような問題があったのではないだろうか。
【17日追記】箱による空き缶収集に、もう1つ欠点があったのを思い出した。それは、「集積所に出すときの音」。
各家庭からまとまった数の空き缶を出す場合、家から適当な袋なり箱なりで運んで、集積所で回収箱に入れるのが普通。この時、1本1本丁寧に回収箱に入れる人はあまりいないわけで、ほとんどは回収箱の中に流しこむように落として入れることになり、「カランカランカラン」と缶がぶつかる音が集積所周辺に響いてしまっていた。
定められた時間帯(朝6時~8時)前に出す人も少なくなく、一種の騒音公害になっていた場所もあっただろう。これも缶の箱による収集をやめた理由かもしれない。


余談ですが、資源化物の回収開始当初は、集積所から瓶や缶を持ち去り、売却して利益を得る人がいたようだ。以前は、それは犯罪行為であることを伝える、市と警察連名の警告が表示されていたこともあった。
そればかりか、回収箱自体を持ち去る人もいたようで、1981年5月20日付広報あきた848号では「配置したプラスチック箱が散歩に連れ出されて、帰って来ない例があります。箱は集積所から移動しないでください。」と、詩的な表現で呼びかけていた。


現在に戻って、年明け最初の収集日のとある集積所。よそ様のごみを拝見して申し訳ないですが。
古紙がたくさん、空きびんも…?(段ボールをテープで縛るのはいけません。紙紐を使いましょう)
若草色の空きびん回収箱が、やけに多い!
ここは環境センターの容器置き場とかではないですよ
上記の通り、今は各集積場所に3個もあれば多い方だが、ここは30個以上ある。
いや、よく見ると、回収箱2つを上下に向きあわせて重ね、その中にもう1つの箱を縦にして入れているものもあり、50個近いかもしれない。
それ以前に、これは収集日当日の、家庭から出すべき時間を過ぎた時。それなのに、ほとんどの箱が空っぽで、供給過剰だ。

この集積所がいつもこうなのかは不明だが、大規模な団地などではなく、秋田市中心部のありふれた住宅街。
もしかしたら、町内会の方針などで、町内全部の資源化物の集積所を、ここ1か所に集約しているのかもしれないが、それにしても回収箱が多すぎる。大酒飲みさんが住んでいる町内で、この時はたまたま禁酒中だったとかだろうか…(機会があれば、次回以降の収集日に確認してみます)→【2月2日追記】その後は、2つしか置かれていなかった。

静岡市清水区でも、箱で空きびんを回収していたが、違う点もあった

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8 コメント

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懐かしい (FMEN)
2013-01-16 22:24:03
赤の缶カゴ懐かしいです。
確か「秋田市」でなく「クリーンジャパン」という名義のやつがありました。
クリーンジャパンで検索したら「日本テレビとつながりのある財団で昭和時代には公共広告機構と並んで啓発した時期がある」とかありましたがそれかはわかりません。

昔のゴミ捨て場には「告ぐ この集積所からビン類の持ち去りを固く禁ずる 秋田市 秋田警察署 秋田臨港警察署」なるパネルがありましたがこれは1981年条例の名残でしょうか。
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Unknown (taka)
2013-01-16 23:12:02
私が秋田に居た頃は、各家が設けたごみ箱に生ごみだろうがなんであろうが、区別なく押し込んでいた記憶があります。ゴミを資源としてリサイクルするという環境意識の変化は必然といいながら誇っていいものだと思います。でも、ゴミの量が多すぎることも問題として持ってもらいたいですね埋立地がなくなったら大変です。食べ残し、過剰包装など少しでも減らす意識を持たなければと思っています。
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クリーンジャパンセンター (taic02)
2013-01-16 23:18:09
さすがよく覚えてますね~
そういえば「クリーンジャパン」ってあったような…

調べたら「財団法人クリーン・ジャパン・センター」のことのようです。昨年3月で解散し「社団法人産業環境管理協会」というのに継承されたとか。
秋田市で1981年に資源ごみ収集が始まったのは、そこから「再資源化事業モデル都市」に指定されたのがきっかけだったらしいので、そんな辛みで名義の違う箱があったのでしょうかね。

警告文は、まさにそれです。
たしか若草色のカゴに金具で取り付けていたような気がします。
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>takaさん (taic02)
2013-01-16 23:25:05
昔はそんな感じだったと聞いています。八橋にごみ処理場があったそうで。
僕が物心ついた頃は、処理場は御所野にあり、資源ごみ分別は当然のことになっていました。

秋田市は古紙回収も早かったですし、今は鉱山技術を活かした使用済み小型家電からの希少金属回収にも取り組んでいます。
その一方、おっしゃるように、市民に環境意識が深く浸透しているとは言えない側面もあると感じます。
秋田市には、有料化するより前に、市民の環境意識を高めることをしてほしかったと思います。
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FMEN (告ぐ)
2013-01-17 00:15:47
やはり「告ぐ~」でしたか。
正方形のプラ板に書かれ針金や有刺鉄線で収集日を告知した看板にくくってた記憶が。
告ぐ~は大半が識字不能になり現存率は低いかと。
当時は「日産秋田会」が寄贈した集積所もたくさんありました。
証紙性前の粗大ゴミは回収前日に看板が立っていたり、そんな小さい頃のゴミ捨て場。


ゴミ有料にしたのに除雪費が足りない、ゴミ収集が遅いという苦情がかなり来ていますね。
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有料化後 (taic02)
2013-01-17 19:39:25
日産秋田会は、記憶にないな…
そうそう、粗大ごみは年2回だか3回の収集でしたね。

ごみ処理手数料は、ごみ関連にしか使えない決まりなので、雪関連はどうしようもないでしょうね。
有料化した見返りということか、市から補助があるらしく、折りたたみ式の集積所(というかカゴ?)を設置する町内が増えています。カラス対策や維持管理が楽(従来網を使っていて面倒だった)になって、うちの近所では好評です。
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ゴミと言えば (りお)
2013-01-19 01:54:47
市の広報に描かれている、ゴミ減量の信号が赤から黄色になり、エコアちゃんの表情も若干明るくなりましたね。
ゴミが有料化されてから、空き缶や空き瓶、食品トレーを近所のスーパーに持ち込むようになりましたし、古紙や雑がみは縛って資源化物に出すようになりました(お恥ずかしい話、有料化以前は面倒で全て家庭ゴミに出していたのです)。聞いたところ、実家でも同じような作戦を取っているようです。
我が家ではかなりゴミの減量ができていると実感しています。一人暮らしですが、家庭ゴミは45リットルのゴミ袋で月に2回ほど出す程度で済むようになりました。以前は月に3~4回出していましたから、半分から2/3位に減らせたことになりますね。体積は減りましたけど、その分密度が増して重さは大して減らせていないので、エコアちゃんをもっと笑顔にするためにも更なる減量が必要ですね。
空き缶や空き瓶のコンテナ、懐かしいです。小学生の頃の夏、ラジオ体操のついでにゴミ出しを手伝っていたのを思い出しました。父親に、「あそこはゴミ捨て場じゃない、ゴミ集積所だ。捨てるのとは違って集めてもらっているだけなんだ」と言われたのを覚えています。その当時は父親が何を言いたいのかあまりよく分かっていませんでしたが、今なら分かる気がしますね。
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捨てるのでなく (taic02)
2013-01-19 17:37:28
ゴミは捨てるものではない。たしかにそうですね。そんな意識をみんなが持つべきです。
雑紙を資源化物として出すのは、我が家ではずっと以前からやっています。今なお、可燃ごみにしてしまう世帯も少なくないと思いますが、秋田市には、有料化前にもっとPRしてほしかったと残念でなりません。それでごみ減量できたなら、有料化しないで済んだかはともかく、市民のごみへの意識が違ったはずです。(個人的には、処理手数料がかかるのは、やむを得ないと考えます)

広報のエコアちゃんはあまり意識していませんでしたが、前年同月の重さベースなんですね。
対して、ごみ処理手数料は容積が基準。
仕方ないことですが、ストレートに伝わりにくい気がします。
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