先日、秋田市の山王大通り~竿燈大通り~中央通りのバス停の表示板が交換されたことを、長々と(最初の記事、最後の記事)取り上げた。
その際、山王大通り西端「臨海十字路」バス停よりも、さらに先にも、交換対象となり得るバス停が続くことを、すっかり忘れていた。臨海十字路より先、臨海大橋手前を南へ左折して、秋田営業所(大川反車庫)へ向かう路線上の3停留所。
コメントで存在を思い出し、現地を確認すると、それらも交換されていた!
「大川反」
「船木鉄工所前」
「たけや製パン前」※県庁経由側のみ。長崎屋経由側は後ほど。
大川反上下と船木鉄工所前下りは、以前は支柱が錆びていたのがきれいになっているので、いっしょに交換されたようだ(台座は不明)。
交換直前は、3停留所・上下とも、四角い“共用タイプ”表示板であった。「船木鉄工所前」を2018年2月に撮影していた。
上り
下り
上下とも、北を向いていた面は普通だったが、南面は黄色の色あせが激しかった。下り側は板が曲がっていた。
共用タイプ表示板ではあるが、バス停名部分の雰囲気が、市営バス時代の本物の共用タイプとは違う。そもそもフォントがナールでなくスーラだし、文字が小さめで余白(余黄)が広い。ローマ字は「HU」「ZYO」など独特。
交換前の臨海十字路も、文字の大きさはやや違うがスーラで「ZYUUZIRO」表記と共通点が多いことから、移管後に中央交通が設置した可能性が高い。
また、「大川反」も上下とも船木鉄工所前と同じ見た目だったが、詳細は確認できずに交換されてしまった。
Googleストリートビューでさかのぼると、大川反は2012年11月時点で既に以前の表示板。船木鉄工所前は2015年8月までしか分からなかったが、その時点で以前のものだった。
実は、船木鉄工所前は上下とも、下に以前使われていたバス停名のカットシール文字が透けていた。事業者名部分には「市営バス」も透けていて、“真正共用タイプ”を転用していたことになる。
下り側を画像加工
画像では分かりにくいと思いますが。
上り側を画像加工
下りは「御所野ジャスコ前」、上りは「シルバーエリア入口」と判読できた。
「御所野ジャスコ前」とは、今の「イオン御所野店前」。秋田東営業所入口、ニューシティ前、サティ前、新都市交通広場など2011年4月にいくつか同時に名称変更されたバス停の1つ。
「シルバーエリア入口」は、御所野のイオンのそばだが、今も同名。Googleストリートビューで確認すると、2017年7月時点ではまだ共用タイプで、2018年7月には円形に交換済み。
したがって、少なくともシルバーエリア入口は、直近ではなくその1つ前の別の共用表示板だったようだ。市営バスの御所野方面撤退時に交換されたのだろうか。
なお、中央シルバーエリアは1997年に開設されたので、どんなに古くても製作はそれ以降。
「たけや製パン前」は、また違う。
上り側は、直近はパソコン印字の角ゴシック体で、日本語のみ表記。ストリートビューでは2015年8月でそうだった。2012年11月時点では、片面は丸ゴシック体で紙っぽいものに日本語のみ表記、もう片面は文字が消えていた。
そして下り側は、
2019年9月ストリートビューより
スーラらしきフォントでローマ字入り。
だけど、バス停名が「たけやパン前」と「製」が抜けてしまっている。
一般人にはそのように通称されるし、市営バス時代もそう言っていたので、中央交通さんだけの責任にはできないが、そこを間違っては失礼だ。
そうそう。市営バス移管前から元々の中央交通の車庫であった、大川反車庫のすぐ近くであるため、この辺は中央交通の独壇場という感覚になってしまっていたが、かつては市営バスもここを通っていた。恥ずかしながらすっかり忘れてしまっていた。
中央交通・県庁経由大川反車庫行きに対抗する意味があったのだろう【という単純な話でもなかったようだ。コメント欄参照】。市営バスでは「山王(県庁)経由たけやパン」行き/発という系統を運行していた。
(再掲)市営バス時代の方向幕。「製」が抜けている
完全競合ということで、市営バスから中央交通への路線移管第一弾として、新国道経由などとともに2000年4月に中央交通へ移管された。この路線は、中央交通側の本数がとても多いので、移管というより“市営バス撤退”かな。
かつては、大川反バス停の昔の名が「クリスマス電球」だったとか、「大川経由交通局線」なんていうのもあったけれど、別のお話。
あと、本数が少ないのでこれも忘れそうだけど、たけや製パン前から車庫に入らず、勝平新橋を渡って行く、山王商業高校線、県庁経由割山線も、いずれもここを通る元市営バス路線。
県庁経由側・下りたけや製パン前。台座は古そう
県庁経由が通るバス停は、位置的には“たけや製パン横”。
先の信号を右折すれば、すぐ秋田営業所。信号を直進すると、やや右に曲がって勝平新橋。
上の写真で、右から左へ直進するバスが写っている。車庫を出て、長崎屋経由で秋田駅西口へ向かうところ。その後続はこちらへ曲がって県庁市役所前から運行する、空港リムジンバス。
信号を左折したところが、たけや製パンの正面であり、そこには長崎屋経由が停まる「たけや製パン前」バス停がある。そちらは今回は更新されなかったが、この機会に見ておこう。
長崎屋経由上り側
下り側も同じ
車庫行きしか通らないから、次(信号を越えればすぐ)が終点のここから乗る人はいないだろう。
また画像をいじると…
上り側
「市営バス」も表記があったようだが、その当時の下段「秋田中央交通」がやけに下にある。
そのバス停名は「フェリーターミナル前」。
以前、ポートタワーセリオン方面のバス停表示板は、配色とその区分けが他と違うことを取り上げた。
フェリーターミナル前もその1つだったが、2010年頃に、ターミナルへの路線が一時期廃止されたため、バス停が撤去されたと聞いた(現在はバス停は復活)。その時の表示板だ。
下り側
移管直後に多数設置された、JTCウインRっぽいフォントだが、珍しくローマ字がない(八橋下水道終末処理場前上りはローマ字なし)。
「下沖田面」とある。
上小阿仁村沖田面(おきたおもて)の辺りでしょう。中央交通では2008年9月まで、五城目と沖田面を結ぶ路線があった。そこからはるばる持ってきたのか。なお、終点の沖田面では秋北バスと接続していて、バス停は秋北バスのものを間借りしていたらしく、中央交通の「沖田面」は存在しなそう。
この隣、「プライウッド前」も見てみた。細スーラ日本語のみの同スタイルだが、バス停名は浮き出ていなかった。上り【10日訂正】下り側の事業者名は「秋田中央トランスポート」らしき痕跡があったので、これもどこかローカルな所からの転用なのかもしれない。
※この後の更新は、2021年の単発。また文字配置が変わった。
その際、山王大通り西端「臨海十字路」バス停よりも、さらに先にも、交換対象となり得るバス停が続くことを、すっかり忘れていた。臨海十字路より先、臨海大橋手前を南へ左折して、秋田営業所(大川反車庫)へ向かう路線上の3停留所。
コメントで存在を思い出し、現地を確認すると、それらも交換されていた!



大川反上下と船木鉄工所前下りは、以前は支柱が錆びていたのがきれいになっているので、いっしょに交換されたようだ(台座は不明)。
交換直前は、3停留所・上下とも、四角い“共用タイプ”表示板であった。「船木鉄工所前」を2018年2月に撮影していた。


上下とも、北を向いていた面は普通だったが、南面は黄色の色あせが激しかった。下り側は板が曲がっていた。
共用タイプ表示板ではあるが、バス停名部分の雰囲気が、市営バス時代の本物の共用タイプとは違う。そもそもフォントがナールでなくスーラだし、文字が小さめで余白(余黄)が広い。ローマ字は「HU」「ZYO」など独特。
交換前の臨海十字路も、文字の大きさはやや違うがスーラで「ZYUUZIRO」表記と共通点が多いことから、移管後に中央交通が設置した可能性が高い。
また、「大川反」も上下とも船木鉄工所前と同じ見た目だったが、詳細は確認できずに交換されてしまった。
Googleストリートビューでさかのぼると、大川反は2012年11月時点で既に以前の表示板。船木鉄工所前は2015年8月までしか分からなかったが、その時点で以前のものだった。
実は、船木鉄工所前は上下とも、下に以前使われていたバス停名のカットシール文字が透けていた。事業者名部分には「市営バス」も透けていて、“真正共用タイプ”を転用していたことになる。

画像では分かりにくいと思いますが。

下りは「御所野ジャスコ前」、上りは「シルバーエリア入口」と判読できた。
「御所野ジャスコ前」とは、今の「イオン御所野店前」。秋田東営業所入口、ニューシティ前、サティ前、新都市交通広場など2011年4月にいくつか同時に名称変更されたバス停の1つ。
「シルバーエリア入口」は、御所野のイオンのそばだが、今も同名。Googleストリートビューで確認すると、2017年7月時点ではまだ共用タイプで、2018年7月には円形に交換済み。
したがって、少なくともシルバーエリア入口は、直近ではなくその1つ前の別の共用表示板だったようだ。市営バスの御所野方面撤退時に交換されたのだろうか。
なお、中央シルバーエリアは1997年に開設されたので、どんなに古くても製作はそれ以降。
「たけや製パン前」は、また違う。
上り側は、直近はパソコン印字の角ゴシック体で、日本語のみ表記。ストリートビューでは2015年8月でそうだった。2012年11月時点では、片面は丸ゴシック体で紙っぽいものに日本語のみ表記、もう片面は文字が消えていた。
そして下り側は、

スーラらしきフォントでローマ字入り。
だけど、バス停名が「たけやパン前」と「製」が抜けてしまっている。
一般人にはそのように通称されるし、市営バス時代もそう言っていたので、中央交通さんだけの責任にはできないが、そこを間違っては失礼だ。
そうそう。市営バス移管前から元々の中央交通の車庫であった、大川反車庫のすぐ近くであるため、この辺は中央交通の独壇場という感覚になってしまっていたが、かつては市営バスもここを通っていた。恥ずかしながらすっかり忘れてしまっていた。
中央交通・県庁経由大川反車庫行きに対抗する意味があったのだろう【という単純な話でもなかったようだ。コメント欄参照】。市営バスでは「山王(県庁)経由たけやパン」行き/発という系統を運行していた。

完全競合ということで、市営バスから中央交通への路線移管第一弾として、新国道経由などとともに2000年4月に中央交通へ移管された。この路線は、中央交通側の本数がとても多いので、移管というより“市営バス撤退”かな。
かつては、大川反バス停の昔の名が「クリスマス電球」だったとか、「大川経由交通局線」なんていうのもあったけれど、別のお話。
あと、本数が少ないのでこれも忘れそうだけど、たけや製パン前から車庫に入らず、勝平新橋を渡って行く、山王商業高校線、県庁経由割山線も、いずれもここを通る元市営バス路線。

県庁経由が通るバス停は、位置的には“たけや製パン横”。
先の信号を右折すれば、すぐ秋田営業所。信号を直進すると、やや右に曲がって勝平新橋。
上の写真で、右から左へ直進するバスが写っている。車庫を出て、長崎屋経由で秋田駅西口へ向かうところ。その後続はこちらへ曲がって県庁市役所前から運行する、空港リムジンバス。
信号を左折したところが、たけや製パンの正面であり、そこには長崎屋経由が停まる「たけや製パン前」バス停がある。そちらは今回は更新されなかったが、この機会に見ておこう。

整備帰りなのか「回送」幕で通過する中型バスは、中央交通の日野レインボーでは最古参の部類の603号車。男鹿営業所所属らしいが、車体には「中央交通」とも「中央トランスポート」とも書いていないようで、ただの緑のバス。
表示板の色も、細いスーラの「たけや製パン前」も鮮やかだが、社名は消えて、下にほかの文字がボコボコしている。2012年11月にはこれになっていた。
車庫行きしか通らないから、次(信号を越えればすぐ)が終点のここから乗る人はいないだろう。
また画像をいじると…

「市営バス」も表記があったようだが、その当時の下段「秋田中央交通」がやけに下にある。
そのバス停名は「フェリーターミナル前」。
以前、ポートタワーセリオン方面のバス停表示板は、配色とその区分けが他と違うことを取り上げた。
フェリーターミナル前もその1つだったが、2010年頃に、ターミナルへの路線が一時期廃止されたため、バス停が撤去されたと聞いた(現在はバス停は復活)。その時の表示板だ。

移管直後に多数設置された、JTCウインRっぽいフォントだが、珍しくローマ字がない(八橋下水道終末処理場前上りはローマ字なし)。
「下沖田面」とある。
上小阿仁村沖田面(おきたおもて)の辺りでしょう。中央交通では2008年9月まで、五城目と沖田面を結ぶ路線があった。そこからはるばる持ってきたのか。なお、終点の沖田面では秋北バスと接続していて、バス停は秋北バスのものを間借りしていたらしく、中央交通の「沖田面」は存在しなそう。
この隣、「プライウッド前」も見てみた。細スーラ日本語のみの同スタイルだが、バス停名は浮き出ていなかった。
※この後の更新は、2021年の単発。また文字配置が変わった。
バスで通りすぎたので詳しくは分かりませんでしたが、確かあの歩道には縁石もあったはずで、赤く塗装をする理由が思い付きませんでした。
歩道はちょうど数日前に現地で見ました。赤くするだけでなく、目地風の白い線を入れる工事をしているようでした。
タイルというか、赤れんが館にちなんでレンガブロック風の路面にするつもりのようです。
本物のタイル・ブロックを敷くと、経年でガタガタになるのでやめるべきだと思っていますが、わざわざレンガ風にする必要があるのかなとも思います。
いずれ記事をアップしますね。
また、未だに自衛隊通り側の自衛隊入口、船場町側の豊町上りや新屋駅入口上り等にある初代バスロケも、その際に撤去の上、上記のタイプへ更新による置き換えもありそうです。
最後に余談だが、臨海営業所配属の14-11の後部に、元792の後部広告が移っているのを確認しましたが、792は恐らくだが廃車になり、同時に男鹿からの転属だった916の後部にあったベルコ社(葬儀業)と辻兵の広告もそれぞれ240、1365の後部に移っていたので、こちらも廃車、1999年製は全滅になったと思われます。同タイプは残りが男鹿の700、五城目の702、臨海の791並び富士重工業製造の臨海の862だけになった模様です。
個人的には、辻兵の広告は、大型車の後部の下よりは、エルガミオか日野のOEMのやつ(転属車も含む)の大型広告板の下に広告枠を新設し、そこに移った方が良かったのにと思います。
現在は、1027・1163の升谷、1028・1087・1159・1160のAIFULL HOME、1029・1085のエレックス極東、1086・1164の希望ナンバー、1162のSOSACの広告版の下のスペースに小型表示板の枠を新設させて、そこに移せればいいのになと思います。
このタイプではすでに秋田営業所配属の939が、辻兵スクールの広告板を枠を新設した上で移っております。
あと余談ですが、現在秋田営業所配属の元三平バス車(いすゞ・日野製)は、2020年6月現在、未だに臨海営業所への転属、五城目営業所への貸し出しまたは転属のケースが出ていませんが、今年10月辺りの改編で、元三平車から初の転属車が出そうな予感がします。日野の143か144の辺りが初の臨海営業所担当路線で使われそうかなと打って出ましたが、さて実際はどうなるのでしょう。
長文・乱文、済みませんでした。
臨海営業所は青い反射材を巻いてしまっているので、相変わらず後回しになるのか。秋田貨物駅入口のような、透明シール貼りで文字が消えているものは、早めに交換してほしいです。
バスロケのような埋めこみ式は、路面の工事が必要だし、処分費用もかかりそう。でも、倒れると危険だし、点灯しない現状では無意味です。元々の設置者である秋田市が多少補助してもいいと思います。交換後は、せっかくならもう少しスタイリッシュなものを期待したくなりますが、難しいかもしれません。
来年で三平バスも導入20年です。中央交通の設立100周年でもあるので、2代目三平バスでも期待しておけばいいでしょうかね。
いすゞエルガミオは、今週、マイナーチェンジされたそうで、最近の傾向からすれば、また2台くらい買ったりするかもしれません。
昔は中央交通の路線網にまったく関心がなかったので、勉強になります。
かつての方向幕では「県庁・八橋・車庫」と「県庁・八橋」で終わっているのがありました(細かいバリエーションはさらに多様でしたが)が、後者は市民広場終点の時に使っていたのでしょうね。
現在地に長崎屋がオープンした当初は、長崎屋経由の側面方向幕に、赤いサンバードマークを入れていたのは覚えています。
ここ20年の感覚で、臨海十字路より南側は中央交通の独壇場と思ってしまっていました。実際は、臨海工業地帯への通勤の足ということか、市営バスも活躍していたみたいですね。
思っていたほど単純な区分けや移管でもなかったようです。
中央交通の以前の車庫は、現在の長崎屋バスターミナル(ドン・キホーテ)でした。
ご承知のとおり、秋田市内(市街)は市営バスが幅を効かせており、中央交通が新規路線を開拓するのは至難の業。とはいえ、郊外からの路線を秋田の官庁街まで直通で向かわせたい(と同時に市営バスの乗客を取り込みたい)という思惑から、市営バス側とかなり協議した末に、何とか八橋球場前までの路線免許を手に入れた、というような文献を以前見たような記憶があります。
(中央交通側の文献だったので、結構市営バス側への恨み節が多かったような)
中央交通が昔から運行している路線が、秋田駅経由の通し運行をしているのは、その時の名残だったような気がします。
ただし市営バス側としては、八橋球場前以降の区間については了承しなかったので、路線移管が始まるまでは長年免許が下りずに中央交通のバスは回送で車庫に戻っていました。
なお、長崎屋経由の場合は市営バスと競合しなかったので、車庫までの免許が下りたのかと思います。(乗客取り込みの観点か、以前は長崎屋まわりの方が多かったような)
似たような例で、北部方面の中央交通の市内線の終点は、飯島北の手前である飯島一区止まりになっていたはずです。
そちらは、小さな回転所の跡が今でも線路際に残っています。
リムジンバスが雄和の空港に変わった際も、市営と中央交通はかなりやりあったようですし(市営側は、旧空港へのバスの既得権を主張、中央交通は営業エリアである雄和地区の既得権を主張)、今考えると、よく無事に路線移管ができたものだなぁ、と思います。
やはり中央交通の県庁経由は、元々はサブルートだったみたいですね。今は長崎屋経由がだいぶ減った印象で逆転しましたが。
飯島北は、元は交通局北営業所だったわけですが、中央交通ではその先追分・五城目方面まで行っているにも関わらず、飯島地区止まりは手前の飯島一区折返しだったは不思議でした。用地や利用者数もあったかもしれませんが。
ほかにも、牛島方面、中央交通の大野四区と市営バスの二ツ屋線(二ツ屋下丁、大野口)、大住団地線も、同じようなものがあったのでしょうか。御野場団地線は2社で同じルートだったようですが。
さかのぼれば、新国道で路面電車と中央交通のバス、さらに市営バスというせめぎ合いもあったと聞きます。
末期には、回数券の共通化やそれこそ共用バス停もありましたから、徐々に軟化したのかもしれません。
まだどこかにあるでしょうかね?
ちょっと違いますが、新国道の幸町交番前の下り側は、共用タイプっぽいデザインの表示板(埋めこみLED式の表示部だけ交換)が残っています。来年度、交番が移転予定ですから、ここも長くはないでしょう。