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狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

続・【沖縄語講座】 「そのまんま西」は北!

2007-01-23 09:17:44 | 沖縄語講座

今朝の各メディアはテレビを筆頭に「そのまんま東」知事の話題でもちきり。

テレビのインタビューで「ひがしこくばる」は言いにくいのでそのまんまは外して「東(ひがし)」一字で行こうかと言っていたが、・・・宮崎県民でさえテレビのコメントで「あずま知事」と発言していた。

東知事なんて陳腐すぎる。

そういえば東京都知事にも「東(あずま)知事」がいた。

「ひがしこくばる知事」という日本一発音しにくい知事の登場はインパクトが強い。

宮崎県の復興にはピッタリだと思うのだが。

                     *

【付記】12:11

「今後は東国原」 そのまんま東氏

 21日の出直し宮崎県知事選で初当選を決めたそのまんま東氏(49)は同夜の記者会見で、公務に携わる際は本名の東国原(ひがしこくばる)英夫を使用する考えを明らかにした。

 東氏は、「『東さん』とニックネームで呼ばれるのはありがたいが、事務的には本名の東国原でいかせてもらおうと思う」と語った。

=2007/01/22付 西日本新聞朝刊=

2007年01月22日02時10分

                  ◇

昨日の「沖縄語講座」で東は上がり、で西は入りだと得意になっていたら友人から「北と南」は何と言うのだと聞かれハタと考え込んだ。

沖縄では太陽の上がりと入りを基準に東と西の付く地名は多いが「北」の付く地名は少ない。

北のことは西(にし)という。

西を北の意味に使う場合は「いり」ではなく、そのまんま「にし」と言うところが面白い。

つまり沖縄語では「そのまんま西」は北の事。
 

※(『おもろさうし』には、「にし」は西の意にも北の意にも用いられている。  参考:図説琉球語辞典05西)

因みに「北枕」の事を沖縄語では「西枕(にしまっくわ」という。

 
それでは「南」は「南風(はえ)」が訛って「ふぇー」、今帰仁方言では「ぺー」という。

良く使う表現で〔風が南にまわること〕は「風(かじ)ぬペーマイ」という。

だが、沖縄では東西の感覚に比べて南北の感覚は余りない。

沖縄の方向感覚について沖縄の歴史を専門に扱っているブログ「目からウロコの琉球・沖縄史」http://okinawa-rekishi.cocolog-nifty.com/tora/さんのエントリに興味深い記事を見つけた。

≪面白いのは、古琉球では北方を「上」、南方を「下」とみる観念があったことです。つまり北方(ヤマト?)に何らかの中心性を見出していたことがうかがえるのです。古琉球の歌謡集『おもろさうし』には、日本へ行くこと(やまと旅)を「のぼる」とも表現しています。≫ (同ブログ)

 そういえば大和の旅に出る様子を歌った唄に「上り口説」がある。

「上り口説」は「のぼりくどき」ではなく、「ぬぶいくどぅち」と読む。

この唄は首里を出発して那覇から船に乗り、奄美諸島を通り過ぎて薩摩へと旅をする様子をうたったもの。

◆「上り口説」の歌詞。 カッコ内は沖縄語の発音。

旅ぬ出で立ち観音堂 千手観音伏し拝で 黄金酌とて立ち別る
(たびぬいんじたちくゎんぬんどー しんてぃくゎんぬんふしをぅがでぃ くがにしゃくとぅてぃたちわかる)

袖に降る露押し払ひ 大道松原歩みゆく 行けば八幡 崇元寺
(すでぃにふるつぃゆうしはらゐ うふどーまつぃばらあゆみゆく ゆきばはちまんすーぎーじ)

美栄地高橋うち渡て 袖を連ねて諸人の 行くも帰るも中之橋
(みーぢたかはしうちわたてぃ すでぃをぅつぃらにてぃむるふぃとぅぬ ゆくんかゐるんなかぬはし)

沖の側まで親子兄弟 連れて別ゆる旅衣 袖と袖とに露涙
(うちぬすばまでぃうやくちょうでー つぃりてぃわかゆるたびぐるむ すでぃとぅすでぃとぅにつぃゆなみだ)

船のとも綱疾く解くと 舟子勇みて真帆引けば 風や真艫に午未
(ふにぬとぅむづぃなとぅくどぅくとぅ ふなくいさみてまふふぃきば かじやまとぅむにうんまふぃつぃじ)

又も廻り逢ふ御縁とて 招く扇や三重城 残波岬も後に見て
(またんみぐりおーぐゐんとぅてぃ まにくおうじやみーぐすぃく ざんぱみさちんあとぅにみて)

伊平屋渡立つ波押し添へて 道の島々見渡せば 七島渡中も灘安く
(いひゃどぅたつなみうしすゐてぃ みちぬしまじまみわたしば しちととぅなかんなだやすぃく)

燃ゆる煙や硫黄が島 佐多の岬に走い並で(エーイ) あれに見ゆるは御開聞 富士に見まがふ桜島
(むゆるちむりやゆをがしま さだぬみさちにはゐならでぃエーヰ ありにみゆるわうかゐむん ふじにみまごーさくらじま)

漢字綴りの歌詞を見れば自ずと意味も分かると思うが、より詳しくは下記サイトで。

島唄まじめな研究:上り口説 別ウィンドウで表示

 


 

 

 

 

 

 

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続・「集団自決」と沖縄タイムス 地元メディアの異常反応

2007-01-23 07:59:18 | ★集団自決

                       
 
渡嘉敷島における集団自決の問題も、情報はどこから出たのか。

「軍命令による集団自決」という神話を、初めて活字にした『鉄の暴風』(沖縄タイムス社、昭和二十五年初版発行)は、

隊長梅沢少佐のごときは、のちに朝鮮人慰安婦らしきもの二人と不明死を遂げたことが判明したと書いた。 

ところが、現在もなおご健在の梅澤氏は、メディアのバッシングを受けて、その後職も転々とし、またご家庭も崩壊状態になったという。

何よりも今回の「岩波・大江訴訟」原告の一人は「鉄の暴風」で『不明死を遂げたことが判明した』と死亡宣告をされた梅沢氏その人なのだ。

「鉄の暴風」の杜撰な取材手法はこの一点(最重要人物の生死を間違える)だけでも自明である。

幸い梅沢氏の場合は、昭和六十年代に入って座間味村の関係者が真相を公表し、謝罪して身の潔白が証明された。

赤松大尉(渡嘉敷島駐屯第三戦隊隊長)の場合は、真実を語れば村民の「戦後補償」のからくりを暴露することになるのをおそれて沈黙を守った。

そして冤罪を晴らせぬまま他界し、今回の訴訟では弟さんが遺族として原告になっている。

『或る神話の背景 沖縄・渡嘉敷島の集団自決』の
著者
曽野綾子氏は次のように記している。

「あの多くの沖縄関係の書物が赤松氏の行為を断定し、断罪した証拠はどこからきたか。」

赤松隊長の命令によって集団自決が行われたと断定した第一の資料は沖縄タイムズ社によって刊行された『沖縄戦記・鉄の暴風』であり、初版は昭和25年8月15日である。」

それを原典と考える根拠を曽野さんは記しているが、驚いたことに取材源となった証言者二人の聴取は、現地でなく那覇で行われ、

二人とも、渡嘉敷の話は人から詳しく聞いてはいたが、直接の経験者ではなかった。しかし当時の状況では、その程度でも、事件に近い人を探し出すのがやっとだった。太田氏は僅か三人のスタッフと共に全沖縄戦の状態を三カ月で執筆したのである。」

いずれにせよ、恐らく、渡嘉敷島に関する最初の資料と思われるものは、このように新聞社によって、やっと捕えられた直接体験者でない二人から、むしろ伝聞証拠という形で、固定されたのであった。」



曽野氏は、「鉄の暴風」の執筆者、その二人の証人、赤松隊長・隊員、現地の生存者に綿密な取材をし、「神話の背景」を記している。

曽野さんは渡嘉敷島で現実にあった集団自決の詳細を直接当事者から聴取し冷酷とも思える文体で描写している。

=以下、曽野綾子氏の「司法制度改革審議会」における発言=

http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai34/34gijiroku.html
第34回司法制度改革審議会議事次第
日 時:平成12年10月16日(月) 9:29 ~12:10
場 所:司法制度改革審議会審議室

【曽野委員】

  ここに持参いたしましたのは『或る神話の背景 沖縄・渡嘉敷島の集団自決』という本です。(略) 
3月下旬のある日、米軍はこの島を砲撃後上陸を開始し、それを恐れた約三百人の村民は軍陣地を目指して逃げましたが、陣地内に立ち入ることを拒否され、その上、当時島の守備隊長だった赤松嘉次隊長(当時25歳)の自決命令を受けて次々と自決したというものでした。自決の方法は、多くの島民が島の防衛隊でしたから、彼らに配られていた手榴弾を車座になった家族の中でピンを抜いた。また壮年の息子が、老いた父や母が敵の手に掛かるよりは、ということで、こん棒、鍬、刀などで、その命を絶った、ということになっております。(略)

  私が赤松事件に興味を持ったのは、これほどの悪人と書かれている人がもし実在するなら、作家として会ってみておきたいという無責任な興味からでした。私は赤松氏と知己でもなく、いかなる姻戚関係にもなかったので、気楽にそう思えたのです。もちろんこの事件は裁判ではありません。しかし裁判以上にこの事件は終戦後25年目ころの日本のジャーナリズムを賑わし、赤松隊に所属した人々の心を深く傷つけていたのです。

 もとより私には特別な調査機関もありません。私はただ足で歩いて一つ一つ疑念を調べ上げていっただけです。本土では赤松隊員に個別に会いました。当時守備隊も、ひどい食料不足に陥っていたのですから、当然人々の心も荒れていたと思います。グループで会うと口裏を合わせるでしょうが、個別なら逆に当時の赤松氏を非難する発言が出やすいだろうと思ってそのようにしました。渡嘉敷島にも何度も足を運び、島民の人たちに多数会いました。大江氏は全く実地の調査をしていないことは、その時知りました。

 当時私はまだ30代で若く体力があったことと、作家になって15年以上が経過していたので、いくらか自分で調査の費用を出せるという経済的余裕があったことが、この調査を可能にしました。

 途中経過を省いて簡単に結果をまとめてみますと、これほどの激しい人間性に対する告発の対象となった赤松氏が、集団自決の命令を出した、という証言はついにどこからも得られませんでした。第一には、常に赤松氏の側にあった知念副官(名前から見ても分かる通り沖縄出身者ですが)が、沖縄サイドの告発に対して、明確に否定する証言をしていること。また赤松氏を告発する側にあった村長は、集団自決を口頭で伝えてきたのは当時の駐在巡査だと言明したのですが、その駐在巡査は、私の直接の質問に対して、赤松氏は自決命令など全く出していない、と明確に証言したのです。つまり事件の鍵を握る沖縄関係者二人が二人とも、事件の不正確さを揃って証言したのです

 第二に、資料です。

 先に述べました資料のうち、1~3までを丁寧に調べていくと、実に多くの文章上の類似箇所が出てきました。今で言うと盗作です。ということは一つが原本であり、他の資料はそれを調べずに引き写したということになります。それをさらに端的に現しているのは、これほどの惨劇のあった事件発生の日時を、この三つの資料は揃って3月26日と記載しているのですが、戦史によると、それは3月27日であります。人は他の日時は勘違いをすることがありましょうが、親しい人、愛する者の命日を偶然揃って間違えるということはあり得ません。

 つまり「沖縄県人の命を平然と犠牲にした鬼のような人物」は第一資料から発生した風評を固定し、憎悪を増幅させ、自分は平和主義者だが、世間にはこのような罪人がいる、という形で、断罪したのです

 当時、沖縄側の資料には裏付けがない、と書くだけで、私もまた沖縄にある二つの地方紙から激しいバッシングに会いました。この調査の連載が終わった時、私は沖縄に行きましたが、その時、地元の一人の新聞記者から「赤松神話はこれで覆されたということになりますが」と言われたので、私は「私は一度も赤松氏がついぞ自決命令を出さなかった、と言ってはいません。ただ今日までのところ、その証拠は出てきていない、と言うだけのことです。明日にも島の洞窟から、命令を書いた紙が出てくるかもしれないではないですか」と答えたのを覚えています。しかしこういう風評を元に「罪の巨塊」だと神の視点に立って断罪した人もいたのですから、それはまさに人間の立場を越えたリンチでありました。

 
 
 
 
 

 
 
 
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「集団自決」と沖縄タイムス 地元メディアの言論封鎖

2007-01-23 07:45:16 | ★集団自決

沖縄タイムス 2007年1月20日  
 
「集団自決」訴訟/「軍命」で双方反論

 沖縄戦時の慶良間列島で起きた住民の「集団自決」をめぐり、命令を出したという記述で名誉を傷つけられているとして、当時の戦隊長らが作家の大江健三郎さんや著作出版元の岩波書店に損害賠償などを求めている訴訟の第七回口頭弁論が十九日、大阪地裁(深見敏正裁判長)であった。
 岩波側は、米公文書館で見つかった当時の米軍の作戦報告書や援護業務を担当した元厚生事務官の記録を基に、「座間味や渡嘉敷の『集団自決』は当初から援護法の対象で、適用を受けるために隊長命令が創作された事実はなかった」と述べた。
 また戦隊長側が渡嘉敷での命令を否定する根拠の一つにしている★沖縄の作家の新聞連載について、隊長が住民を虐殺した事実を抜きに一方的な人物評価をしていると指摘、信用性を否定した。
 戦隊長側は、名誉棄損の対象にしている家永三郎氏の「太平洋戦争」が、第二版から渡嘉敷での隊長命令部分を削除しているのは、曽野綾子氏の「ある神話の背景」の刊行で「歴史家である家永氏が自ら、命令がなかったことを認めているのは明らか」と主張した。
 渡嘉敷の戦跡碑に「『集団自決』は命令によるものではなく(親兄弟の)愛によって行われた」などとする曽野氏の碑文が記されているのを村教委が郷土資料にしており、「村民の真実の声はここにある」などと述べた。
 座間味で隊長命令がなかったことについても生存者の手記や証言で明らかだとしている。

(★筆者注:琉球新報に連載中の沖縄の作家上原正稔氏の「沖縄ショウウダウン」のこと。)

                      ◇

沖縄戦の「集団自決」をめぐっては、昭和二十五年に沖縄タイムス社から発刊された沖縄戦記『鉄の暴風』で、赤松大尉と梅沢少佐がそれぞれ、両島の住民に集団自決を命じたために起きたと書かれた。

この記述は、沖縄県史や渡嘉敷島の村史など多くの沖縄戦記に引用されている。

『鉄の暴風』は初版は1950年に沖縄タイムス編著、朝日新聞社で出版された。

因みに当時、朝日新聞の沖縄事務所は沖縄タイムスの社屋内にあり、その後初版の内容のままで第8版まで沖縄タイムス社が出版した。

又「鉄の暴風」の共著者の一人で、後に沖縄タイムスの専務になった故牧港篤三氏は戦前は「沖縄朝日新聞」の記者だった。http://www.okinawatimes.co.jp/jin/20040415_1.html

その「鉄の暴風」の中、で慶良間諸島の座間味島、渡嘉敷島の守備隊長であった「赤松大尉と梅沢少佐がそれぞれ、両島の住民に集団自決を命じたために起きた」と書かれたことが戦後60年に渡り様様な問題を残していく。

この記述は、その後沖縄県史や渡嘉敷島(渡嘉敷村)の村史など多くの沖縄戦記に引用されている。

「鉄の暴風」では「集団自決」を次のように表現している。

≪恩納河原に避難中の住民に対して、思い掛けぬ自決命令が赤松からもたらされた≫

≪住民には自決用として、三十二発の手榴(しゅりゅう)弾が渡されていたが、更にこのときのために、二十発増加された。手榴弾は、あちこちで爆発した。…阿鼻叫喚の光景が、くりひろげられた≫

≪座間味島駐屯の将兵は約一千余、…隊長は梅沢少佐…。米軍上陸の前日、軍は忠魂碑前の広場に住民をあつめ、玉砕を命じた。…村長初め役場吏員、学校教員の一部やその家族は、ほとんど各自の壕で手榴弾を抱いて自決した≫

疑問を抱いた作家の曽野綾子さんは渡嘉敷島の集団自決を取材し『ある神話の風景』(昭和四十八年、文芸春秋)を出版。

座間味島の集団自決についても、生存者の女性が「軍命令による自決なら遺族が遺族年金を受け取れると島の長老に説得され、偽証をした」と話したことを娘の宮城晴美さんが『母の遺したもの』(平成十三年、高文研)で明らかにした。

初版より30年後の1980年、沖縄タイムスは「鉄の暴風」の「明らかな事実の誤り(改訂版の序文)」の部分を削除した改訂版を発行した。

「軍命令による集団自決」と言う誤報を元本の「沖縄タイムスが削除訂正したにも関わらず、誤報はどんどん一人歩きを始める。

「強制連行された従軍慰安婦」と全く同じパターンで教科書にまで載るようになり、沖縄では「日本軍の住民虐殺」のシンボルになっている。

この本をネタ本にして、その頃数多くの「沖縄戦モノ」が出版された。

その中にノーベル文学賞作家大江健三郎の「沖縄ノート」(岩波新書)があった。

だが、「沖縄ノート」はタネ本の「鉄の暴風」の「明らかな事実の誤り」を削除したにもかかわらず、その「明らかな事実の誤り」を訂正する事無く依然として現在でも販売されている。

大江氏が沖縄戦に於ける日本軍の責任の象徴として取り上げたのが、「鉄の暴風」の中で述べられている 『渡嘉敷島の集団自決』だった。

この話を概略説明しよう。

終戦の年の3月、沖縄本島上陸を前に、その南西の沖合にある慶良間列島の中の渡嘉敷島で集団自決が行われた、という事件だ。

当時島には陸軍の海上挺進第三戦隊の130 人が、ベニヤ板の船に120 キロの爆弾をつけて夜陰に乗じて、敵の艦艇に突っ込む特攻舟艇部隊としていた。

3月下旬のある日、米軍はこの島を砲撃後上陸を開始し、それを恐れた約三百人の村民は軍陣地を目指して逃げたが、陣地内に立ち入ることを拒否され、その上、当時島の守備隊長だった赤松嘉次隊長(当時25歳)の自決命令を受けて次々と自決したというものだ。

自決の方法は、多くの島民が島の防衛隊だったから、彼らに配られていた手榴弾を車座になった家族の中でピンを抜いた。

また壮年の息子が、老いた父や母が敵の手に掛かるよりは、ということで、こん棒、鍬、刀などで、その命を絶った、ということになっておる。

10数冊余のこれら沖縄戦の著書は、一斉に集団自決を命令した赤松大尉を「人」「人面獣心」などと書き、大江健三郎氏は「あまりにも巨きい罪の巨塊」と表現した。

                                            *

◆「集団自決」のイデオロギー化
                  
30年間も一人歩きをした「誤報」はその歩みを止めることは無い。

沖縄戦で「アメリカ軍は解放軍で日本軍は住民虐殺軍」というスタンスで論調を展開する地元メディアにとって「軍命令による集団自決」は何が何でも死守しなければならない大命題である。

地元学者を総動員して論点をぼかして沖縄の「世論」の押さえ込みに必死だ。

事実、それが教科書にまで載ってしまうと、地元沖縄在住の人達でさえ「軍命令による集団自決」が誤報であったことを知っている人は少数派であろうし、それを声高に主張する「勇気」のある人は更に少数派か皆無に近い。

沖縄で地元メディアと反対の意見を述べる場所は皆無に等しいし、あってもそれを発表することは勇気がいる。

昨年8月27日、長年の沈黙を破って実名による証言をした照屋昇雄さんも6月の時点では「名前をばらしたら沖縄では袋叩きにあう」と地元のバッシングを恐れて実名を隠して証言していた。(文末の音声参照)

地元紙に掲載される「集団自決」関連の記事は地元大学の教授や歴史学者による「日本軍による住民虐殺」が主題となる。

これに対する反論は殆ど掲載されず、当ブログのように個人で意見を述べても「沖縄人のくせに」、とか「仲間を裏切るのか」と言った感情的コメントが書き込まれたりする。

産経新聞の現役記者で沖縄支局員の小山さんのブログ「今夜もさーふーふー」http://koyamay.iza.ne.jp/blog/entry/31333/で沖縄で地元新聞と異なる意見を述べるのが如何に困難な出来事かを次のように述べている。

以下引用。

(平成18年)8月29日

沖縄の「集団自決」を巡る地元の過剰反応

 昨年5月のことです。県政記者クラブで、琉球大学教授らによる記者会見がありました。
 
内容は、近く藤岡信勝・拓大教授らのグループが沖縄戦の「集団自決」の現地調査にやってくる、というものでした。「とんでもない連中が歴史を捏造しようとしている」とのニュアンスです。

 自分たちと立場の違う研究者が、フィールドワークで沖縄入りするらしい、というだけで記者会見をするというのも異常ですが、さらに驚いたのは、翌日の琉球新報、沖縄タイムスが大々的に「沖縄戦の実相をゆがめる意図がある」と警戒する記事を、藤岡教授への取材もなく、一方的に掲載していたことです。

 「これだけでも記事になるのか」と同業者としてあぜんとしました。それこそ「オウム」のような扱いです。

 このとき当方、記者としてではなく、先輩記者からの個人的な依頼として、一行の出迎えと見送りをしました。まずびっくりしたのは、那覇空港で、記者会見したグループの一人がカメラを持って、張り込みをしていたことです。

 さらに戦争の資料館に行ったところ、やはり先回りして、一行の数メートルあとをつけてくるのです。

 また、地元紙の記者が近寄ってきて、突撃インタビューを申し込むのですが、一行はタイトなスケジュールを組んでいるため、困惑して断るしかありません。

 集団自決の現地調査には同行しませんでしたが、最終日、一行から、「まるで犯罪者のように逃げ回っていると思われるのも嫌なので、場所を用意してくれれば、記者会見を開いてもいい」という相談を受けました。
 
ただし、日曜なので県庁の記者クラブが使えず、かといってホテルなどの会議室を借りるにも、急なことの上、費用の問題もあり、結局会見はできませんでした。

 フィールドワークの調査結果の発表会を聞いたうえで、それに「異議有り」と反論するというのであれば、結構なことだと思いますが、危険人物がやってくるとばかりに、訪問の数日前から「警報」を発する過剰な反応ぶりには、ショックを受けたものです。

引用終了

これを読んで「従軍慰安婦問題」での左翼学者や韓国人学者の感情的態度を連想する。

韓国人学者、安秉直ソウル大名誉教授がテレビ番組に出演して、日本軍の慰安婦強制連行の証拠はなかったと言明した。  

≪当初、安教授は軍が強制動員した可能性があると思って韓国挺身隊問題対策協議会と共同で調査をしていた。

だが同会議メンバーとして3年もの間調査活動した結果、同会議をやめた理由をを次のように語っている。

「挺身隊対策協」の目的が慰安婦の本質を把握して今日の悲惨な慰安婦現象を防止することではなく、日本とケンカすることだったからだ」

ソウル大教授が「慰安婦強制動員は無かった」とテレビで証言

地元メディアはすでに「軍命令があったかどうか」は問題でないとか、

「集団自決」ではなく「集団死」だとか、

「沖縄は準戒厳令下」だったから直接軍命令がなくとも、

命令があったのと同じだと主張する学者達の意見を掲載し初めている。

「集団自決」問題は当初の論点からどんどん外れ議論は混迷の様相を呈している。

中には「軍命令が無かった」と言う証拠を示せと言う暴論を吐く人さえいた。

「事件」の発端ともなる「鉄の暴風」の出版元である沖縄タイムスは、ある意味でこの裁判の“準当事者”である。

19日の裁判の前から同紙は裁判についてのキャンペーン記事を書いて被告大江氏と岩波書店への応援をした。

◆沖縄タイムス 2007年1月15日 
 
「集団自決」早期認定/国、当初から実態把握
座間味村資料で判明/「捏造説」根拠覆す

 沖縄戦時下、慶良間諸島で起きた「集団自決」への遺族補償に関し、一九五七年に申請が始まってから最短で三週間、平均三カ月で補償が認定されていたことが分かった。「集団自決」犠牲者に補償を適用するのは困難だったとされてきたが、沖縄タイムスが入手した座間味村役所資料で、早期認定されていたことが判明した。琉球政府援護課の元職員は「本島に先駆け、慶良間諸島の被害調査を実施した。厚生省(当時)も人々を救おうとの熱意を感じた」と話す。一部マスコミなどによる、補償申請が認定されにくいため「『軍命』が捏造された」という主張の根拠がないことを示している。
 座間味村役所の「戦闘協力該当予定者名簿」および「戦協該当者名簿」、厚生省から返還された県の記録を照合。
 役所がそれぞれの戦没者について戦死状況などをまとめて申請した日から、厚生省が各戦没者が援護法の補償に「該当」すると認定した日までの日数を調べた。要した日数で認定が容易かどうかが分かる。
 (略)
 (編集委員・謝花直美)

                     ◇

戦後の琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄さん(82)=那覇市=が、産経新聞の取材に応じ「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とする住民は1人もいなかった」と証言した。(産経新聞 2006年8月27日)

★下記のリンク先で藤岡信勝氏が沖縄戦の真実を音声で解説しています。

2006年6月の時点(この頃地元2紙は地元学者を総動員して「軍による住民虐殺」の大キャンペーンをしていた)で匿名ながら照屋さんは既に全ての証言をしていた様子がよく分ります。「名前をばらしたら沖縄では袋叩きにあうと言う言葉が生々しい。


「照屋証言」報道以前の状況ですが、参考までに聴いて頂きたい。
http://www.voiceblog.jp/okinawa_shinjitu/32568.html


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「沖縄語講座」 東国原英夫・あがりくにばるひでおって誰?

2007-01-22 14:51:43 | 沖縄語講座

お笑いタレント「そのまんま東」さんが宮崎県知事に当選。

とりあえずおめでとう。

ところで「東国原」って、そのまんま東新知事の本名だって。

姓は東で、名は国原ではなく、

東国原(ひがしこくばる)が姓で名は英夫とのこと。

原のことを「ばる」と発音するのは沖縄では珍しくない。

与那原(よなばる)町、南風原(はえばる)村、喜瀬武原(きせんばる)山原(やんばる)地方。

それに「桃原農園」は、とうばる農園で「宇栄原団地」はうえばる団地という。

因みに南風村の「南風(はえ)」は日本の古語で≪南または南寄りの風のこと≫で俳句では今でも夏の季語。 

「原(はる)」には関係ないが、南風村の近くに「東風平(こちんだ)村」がある。

「東風(こち)」も古語で≪東の方から吹いてくる風。ひがしかぜ。≫の意味で、これは春の季語。

そういえばこんな歌があった。

≪東風吹かば 思い起こせよ梅の花 主なしとて 春なわすれそ≫(菅原道真)

 

そのまんま東知事は“そのまんま”ではなく本名で知事をつとめるそうだ。

そのまんまがユニークで良いと思うのだが、・・・。

東は沖縄では「あがり」と言う。 

例えば筆者にも知人がいるが「東江さん」は「あがり江さん」。

「西」を「いり」というのは「西表島」の事を「いり表島」と呼ぶ事で分かる。

で、その心は?

そうです。

東は日が「上がる」ところだから「あがり」。

西は日が「入る」ところで「いり」、とは分かり易い。

そのまんま東さんの本名を沖縄風に発音すると、

「あがりくにばる・ひでお」・・・うーん、そのまんま沖縄風だ!

                                             ◇

新知事「そのまんま」とはいかず、事務は本名「東国原」で
05:11  
 
 選挙戦は芸名で戦ったそのまんま東さんは当選後の記者会見で、「(芸名は)ニックネームとしてはありがたいけど」と話したうえで「たった今から、事務的なことは本名の東国原(ひがしこくばる)英夫でやらせてもらう」と述べ、知事としては芸名を使用をしない意向を表明した。
 政界に進出したタレント議員で、芸名を使用したケースは多く、元大阪府知事の横山ノック(本名、山田勇)氏もその1人。横山氏は芸名使用に強くこだわり、府議会などで使用の可否の論争を呼んだ。
 結局、公文書ではない賞状や感謝状では芸名使用としたが、反発した受賞者が続出し、希望者には本名で出すなど混乱を招いた。(産経新聞)

 

 
 

 

 

 

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「普天間移設」の分かり難さ

2007-01-22 07:03:34 | 未分類

「普天間基地移設問題」ほど分かり難いものはない。

地元在住の県人でさえこの問題を前にするとウーンと考え込んでしまう。

ましてや県外の人にとっては良く飲み込めなくて当然だろう。

問題を分からなくしている理由の一つは「民意」が良くつかめないと言う事だろう。

地元メディアの伝える「民意」は果たして本当の「民意」か。

「普天間移設」テーマにするとブログ訪問者が減る!?

民意とは新聞社の意見なり

揺れる「民意」  沖縄の「ローマ人」知事

                   *

♪ らせん階段昇る靴音で. 愛されてると感じた.

扉をノックするあなたの手を. 私のものと思ってた .♪
.(夢おんなー桂銀淑))

                  *

≪らせん階段がある。ぐるりぐるりと回りながら一緒に上っているのは久間章生防衛相、仲井真弘多知事、島袋吉和名護市長だ。≫

≪一方、上っていく3人を見上げているのは、普天間飛行場代替施設移設計画がある地元住民、そして県民である。≫

≪下から見れば、3人の動きは右へ上ったり、左へ上ったり、どこへ行くのか、じっくり見ていないと分からない。≫

≪ただはっきりしているのは、上へ上へ、最上階へと進んでいるということだ。≫

≪向かう先は三者ほぼ同じ“最上階”の「キャンプ・シュワブ沿岸」である。≫

≪普天間移設をめぐる協議は、迷走しているようで非常に分かりにくく、遅々としている。≫

≪だが、それに惑わされて普天間移設問題の本質を見失ってはならない。≫

≪普天間を移設する目的は、1日も早く周辺住民の危険を除去することである。≫ 

19日、首相官邸で第3回普天間移設措置協議会が開かれた。正式協議の後の自由討議で島袋市長はV字形滑走路の沖合移動を要求した。

仲井真知事は3年内の普天間飛行場閉鎖を求めた。

これに対して国は政府案に理解を求める、これまでの姿勢を変えなかった。

単純に見れば、地元と国の対立の構図。(琉球新報 1・29 社説「 普天間移設協議・危険性の除去を最優先に」より抜粋)

                ◇

新報社説が言うように「普天間移設問題」は非常に分かりにくい。

だが、分かり難くしているのは地元メディアにその責任の一端はある。

問題を長期にわたりこじらした原因の一つに稲嶺前知事の頑な態度があるが、地元紙はこれには触れようとしない。

保守系知事でありながら、政府と対決姿勢を示した稲嶺前知事に対する地元紙の評価は意外と高い。

だが、普天間基地の移設問題が動かなかった一因としては、知事が98年の選挙戦で公約した代替施設の軍民共用化や、基地の使用期限を15年に区切ったことなどが挙げられる。

折角普天間基地移設の合意がなされていたのに、稲嶺前知事が実現不可能な要求を突きつけたのが結果的に普天間基地移転を頓挫させた。

その意味で稲嶺前知事の責任は大きいが、地元紙は前知事の責任を問う事はない。

仲井真知事は「地元や県民の意向を踏まえ、なるべく早く解決する」「県内移設もあり得る」と述べ、沿岸案の修正や新たな条件を巡って政府や名護市と協議する姿勢を打ち出して当選した。

県民は実現可能の現実路線を求めて仲井真氏を選んだ。

仲井真新知事に県民が望むことは、

実現不可能な要求をするだけでは、結果的に県民の願いである「普天間基地移設」が頓挫すると言うことを前政権から学んで欲しいということだろう。

だが、左傾した地元メディアを敵にまわさないためには、保守系知事といえどもある程度政府と対決の姿勢を示さなければならぬ。

ここに「普天間移設問題」の難しさがある。

                  ◇


月20日付・読売社説(1)
 [普天間移設]「政府も地元も努力が足りない」

 沖縄の米海兵隊普天間飛行場(宜野湾市)のキャンプ・シュワブ沿岸部(名護市)移設に関する政府と沖縄県側の協議は、何の進展もなかった。

 日米が、在日米軍再編計画を合意して9か月になろうとしている。いまだに移設計画推進の第一段階である環境影響評価にすら着手できないというのでは、再編計画が定める2014年までの移設が実現するのかどうか、危惧(きぐ)せざるをえない。

 政府、沖縄県、名護市の3者に合意への一層の努力を求めたい。

 協議で名護市の島袋吉和市長は、政府が米国と合意した「V字形滑走路案」について「なるべく遠い沖合まで滑走路を出してほしい」と計画変更を求めた。

 V字形滑走路案は、住宅地の上を米軍ヘリが飛ばないようにしてほしいという島袋市長の要望に沿ったものだ。島袋市長が今になって、政府に変更を求める合理的な理由があるのだろうか。

 政府の姿勢にも、問題があった。久間防衛相が「滑走路1本でもいい。政府と地元と米政府とが合意する案なら何でもいい」と、決定済みの案をくつがえすかのような発言をしたことだ。

 防衛相は、仲井真知事が「V字形案のままでは賛成できない」と主張して当選したことを配慮したのだろうが、計画を作り直すだけで、膨大な時間がかかる。防衛相の軽率な言動が、いったん決まった計画の見直しを求める口実を沖縄側に与えたのではないか。

 一方、知事は、普天間飛行場周辺の「危険性除去」のため、3年以内に飛行場を「閉鎖状態」にすることを求めた。

 政府としても米軍機が普天間飛行場に離着陸する際に、住宅密集地を避けるよう飛行経路の変更を米軍に求めるなど、努力する必要はある。ただ、知事も、閉鎖状態にすることが容易に実現できないことは、理解しているはずである。

 防衛省は、移設に必要な工期を短縮することが可能としている。普天間飛行場の危険性を除去するには、環境影響評価に着手し、早期に完工することが最も近道ではないか。

 日米両政府が、沖縄施設・区域特別行動委員会(SACO)で普天間飛行場の移設を合意したのは1996年だ。

 実に10年もの歳月を空費したあげく、V字形滑走路案も実現できない、となれば、日米間の信頼関係は損なわれる。

 政府は、沖縄県、名護市の説得に全力を尽くし、移設計画を一刻も早く実施に移さねばならない。地元の反発で計画が進まないなら、知事の権限を国に移す特別措置法も視野に入れねばなるまい。

(2007年1月20日1時51分  読売新聞)

                    ◇

地元紙では県民の声は反映されない。

やむなく全国紙に県民の声を模索するもどかしさよ。 

仲井真新知事に望む 全国紙・社説が浮き彫りにする県民の声

普天間移設が遅れた最大の理由は県内での移設に対する沖縄県内での合意ができていない点にある。県内世論を背景に、1998年から06年12月まで知事を務めた稲嶺恵一氏が米側との合意が難しい代替施設の使用期限を15年に限ると公約し、混乱に拍車をかけ、作業を遅らせる結果を招いた。

 仲井真県政の発足は、仕切り直しになりうるが、仲井真氏もまた15年問題に代わる「3年問題」を自ら作り出し、混乱の要因になりかけている普天間基地を3年以内に閉鎖するとの公約である。仲井真氏本人もそれが不可能であると承知しているはずであり、稲嶺県政の15年問題の繰り返しを避けるには仲井真氏のメンツを保ちながら移設を進める政治的技術が要る。

 稲嶺県政時代の政府と沖縄県との関係は信頼感が欠け、特に政府側には、強硬路線をとらない限り、沖縄を説得できないとの空気が強かった。仲井真氏は旧通産省の出身でもあり、知事選挙では基地のある市町村でも対立候補を上回る得票をした。その意味で政府側と対話ができる条件を備えている。

 久間防衛相は仲井真氏の当選以来、一貫して対話を呼びかけている。移設先である名護市は基本的には日米合意の内容に同意しており、稲嶺県政時代のような硬直姿勢では、普天間の危険な現状が続く結果になる。だからこそ対話が重要になる。

普天間基地移設の遅れの原因? 反対派市民の「妨害」でしょう

 

 

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12年目の封印解除  阪神大震災時、瓦礫の中から迫撃砲! 

2007-01-21 13:42:39 | 県知事選

初めてその封印が解かれたのは阪神大震災の12年後であった。

19日の読売新聞が

政府関係者によると、阪神大震災の時、ある被災地の瓦礫(がれき)から、工作員のものと見られる迫撃砲などの武器が発見されたという。」

と驚くべき事実を報じたのだ。

その日は震災12周年記念日を二日過ぎていた。

 

封印解禁の前兆は1月5日の朝日新聞の麻生外相の発言に現れていた。

「(北朝鮮から流入する難民が)武装難民である可能性が極めて高いと考えられるため、対応しなければならない」

今まで政府要人の口から「武装難民」と言う言葉が出た事はなかった。

しかし「迫撃砲の噂」は関西地方ではかなり前から流布していた。

そして平成13年海上自衛隊と交戦して自爆した北朝鮮工作船にロケットランチャーが配備されていた事が発表されると、「その噂」はかなりの真実味を帯びて語られるようになった。

北朝鮮工作船展示 http://homepage3.nifty.com/tompei/NorthKoreaShip.htm

だが、政府は何故この事実を12年間も封印してきたのか。

噂が沈静化しパニックの起きるのを防ぐには12年間の封印は余りにも長すぎなかった。

政府当局者の胸のうちには1923年の関東大震災の悪夢がトラウマとなっていた。

関東大震災は、運悪く震災8日前に加藤友三郎首相が急逝して「首相不在」という異常事態下での災害であり、通信・交通手段の途絶も加わって多くの地域で伝聞情報による情報収集に頼らざるを得なかった。

新聞紙上では噂やデマが取り上げられ、その中に「朝鮮人が混乱、暴徒化した」というものもあった。

実際、当時の混乱の中、大衆の多くが“暴徒と化した朝鮮人”を恐れ、民間の自警団との衝突も発生した。

そのため、朝鮮人や中国人、沖縄県などの地方出身者なども含めた双方で死者が出た。

方言を話す地方出身の日本内地人が殺害されたケースもある。

殺害の犠牲者は複数の記録、報告書などから研究者の間で議論が分かれており、当時の政府の調査では233人、最も犠牲者を多く見積もる立場からは6000人と幅が見られる。(ウィキペディア)

大震災⇒在日朝鮮人の多い阪神地域⇒

迫撃砲⇒武装工作員のテロ

このような構図からパニックが起きて「関東大震災の二の舞」を恐れたのだろうか。

 読売新聞は【国内で複数テロ発生】というシミュレーション記事を書いているが、その仮定の記事の間に封印してきた「瓦礫の中の迫撃砲」と言う驚くべき事実を暴露したのだ。

関東大震災時加藤首相の8日前の急逝という不幸が重なり「首相不在」震災処理を余儀なくされたが、

阪神大震災も歴史上稀に見る村山富市と言う無能首相の為、同じく「首相不在」の震災処理と言う不幸を経験させられた。

「有事」の際の情報コントロールは難しい。

情報伝達のタイミングを誤ると、群集心理からパニックに陥り、「関東大震災」の悲劇を再現しかねない。

一方パニックを恐れて情報封印を必要以上に続けると国民は能天気な平和ボケに陥ってしまう。

今回の12年間の封印は、

羹にこりて膾を吹く」ではなかったのか。

                    ◇

【核の脅威】[第1部] 20XX年北朝鮮が…(3)重要施設を警備せよ

陸自いつ出動 武器使用は

【国内で複数テロ発生】
 <20XX年X月X日深夜、山口県西部の広範囲の地域が停電となった。一部の変電所で爆発が起きる一方、ほぼ同時刻に複数の送電線が切断されたのだ。変電所の焼け跡からは、ハングルが書かれ、外国製と見られる時限爆破装置が見つかった。
 翌日午後、首相官邸で緊急会議が開かれた。警察庁の警備局長は「訓練されたプロ集団によるテロ活動であるのは明白です。標的は、米軍基地と考えられます」と報告した。そして、こう付け加えた。
 「実は5日前、島根県の海岸で潜水服姿の5、6人の男が目撃されています。北朝鮮の特殊工作員の可能性も否定できません」
 しかし、北朝鮮のテロ活動と断定する根拠はなかった。自衛隊の出動は見送られた。官房長官は、重要施設の警備強化を警察庁に指示するにとどまった。
 福井県内の原子力発電所に数発の迫撃砲が撃ち込まれたのは、その10日後だった>
フォトニュース 写真の拡大
対テロ訓練で工作員を拘束し、手当てする空自隊員(昨年12月、山口県萩市で)
 
                                             ◇

 朝鮮半島有事などの際には、北朝鮮の特殊部隊が日本で破壊活動を行う事態が想定される。陽動作戦のため、全国各地で複数のテロが発生する恐れもある。

 日本政府の極秘資料は、約10万人に上る北朝鮮の特殊部隊のうち約2500人が人民武力省偵察局所属の日本専門の工作員と推定。うち500人前後が日本に向かうと分析している。

 陸上自衛隊は、〈1〉特殊工作員の上陸・入国阻止〈2〉重要施設の警備〈3〉潜入工作員の撃破――の3段階のテロ対処活動を想定している。

 日本に向かう北朝鮮の工作員は通常、偽装漁船や小型潜水艇を利用する。航空・海上自衛隊の航空機と艦船が日本海で厳戒態勢を取る。陸自は日本海沿岸で、警戒網をすり抜けた工作員の上陸を阻止する。過去に工作員が上陸した形跡のある個所は40~60か所程度。最終的に上陸する工作員は数十人との見方もある。

 日本に長年潜入中の休眠工作員(スリーパー)もいる。政府関係者によると、阪神大震災の時、ある被災地の瓦礫(がれき)から、工作員のものと見られる迫撃砲などの武器が発見されたという。

 陸自は、警備対象施設として首相官邸や国会、原子力発電所、石油コンビナートなど計135か所を選定し、重要度に応じて3段階に区分している。

 工作員の撃破には、警察と連携し、大がかりな包囲網を敷く。徐々に包囲網を狭め、最後は約300人の対テロ専門部隊「特殊作戦群」(千葉・習志野)などの精鋭部隊を投入する。

 包囲網の構築には大量の隊員が必要となる。1996年9月、韓国で起きた北朝鮮武装兵上陸事件では、特殊工作員26人の掃討に韓国兵最大約6万人が約1か月半も動員されたほどだ。

 一連の作戦では、どの段階で陸自にどんな出動を命令するかが、武器使用の問題を含め、課題となる。

 北朝鮮が「宣戦布告」せず、工作員が国籍不明の段階では、武力行使が可能な防衛出動の命令は難しい。

 治安出動は、警察力で治安が維持できない場合に限られる。武器使用も、相手の武装や抵抗の度合いに応じる「警察比例の原則」に縛られる。警護出動は、対象が自衛隊と在日米軍の基地に限定される。

 防衛省幹部は語る。

 「重要施設を警備していた警察から突然、『もう我々では対応できない。後は任せた』と言われても、陸自は対応できない。平時から緊密に連携する態勢を築くことが急務だ」

2007年1月19日  読売新聞)
                   *
 
平和を望むなら平和に備えよ」
 
という言葉が「平和学」では聞かれるという。
 
これは、古来の
 
「平和を望むなら戦争に備えよ」という格言を言い換えたもの
 
だが、平和を望むのなら「平和学」だけではなく「戦争論」も理解せねばならぬ。
 
現実に目を閉ざし、臭いものに蓋をしての平和は絵空事に過ぎない。
 
そこで上記格言をさらに言い換えよう。
 
「平和を望むなら戦争を理解せよ」
 
                   ◇
 
 
韓半島有事なら「北難民15万人が日本流入」…韓国在住米日民間人撤収計画も

  韓半島有事の際、北朝鮮から日本に10万-15万人の難民が流入すると日本政府は分析していると、朝日新聞が5日報じた。 日本政府は昨年12月から米国政府と準備している韓半島有事時の「共同作戦計画」の主要項目に、こうした予測値に基づいた難民対策を積極的に検討していると、同紙は伝えた。 日本政府の具体的な難民予測値が出てきたのは今回が初めて。 予測値は韓国からの難民を含めず、事実上、北朝鮮住民を想定している。

  麻生太郎外相もこの日の記者会見で、韓半島有事に対応した難民対策を検討していることを認め、「(北朝鮮から流入する難民が)武装難民である可能性が極めて高いと考えられるため、対応しなければならない」と述べた。

  読売新聞はこの日、「韓半島有事の際、日米政府が韓国に在住する約11万人の日本人・米国人を日本に退避させる対策を検討し始めた」とし「この計画案は今秋の合意を目指している」と伝えた。 北朝鮮の核実験で高まった韓半島の危機は、いまや「難民対策」「退避対策」など有事を想定した周辺国の本格的かつ具体的な対策の準備に移っている。

  ◆「北朝鮮難民の第三国移送も必要」=韓半島から日本に流入する難民が10万-15万人にのぼるという予測値は、日本内閣府安全保障会議の補佐機関「事態対処専門委員会」が出した。 首相官邸と外務省、防衛庁など関連省庁の局長級が03年から1年かけて北朝鮮の東海岸にある元山(ウォンサン)・清津(チョンジン)などの港湾・船舶数を調査、推算した。 難民は韓半島と近い九州・中国地方に主に上陸すると予想している。

  同紙は委員会関係者の話を引用し、「難民の日本滞在期間はおよそ1年が必要だが、体育館や会館など日常的な行政活動に大きな支障がない施設を開放したとしても、収容能力は数万人程度」とし「このため第三国への移送も検討する必要があるという結論を出した」と伝えた。

  ◆「軍事的緊張前に米日民間人を日本に退避」=米日間の「共同作戦計画」と並行して韓半島有事に対応、韓国に在住する両国国民を日本に退避させる作戦も昨年末から両国政府間で議論され始めた。 韓国駐在・滞留の日本人は3万人(観光客含む)、米国人は8万5000人(在韓米軍除く)。

  日本政府は▽軍事的緊張発生前に民航機で可能な限り日本に退避させる案▽ソウルなどに残った民間人は米軍輸送機で日本に退避、また陸路で釜山(プサン)などにひとまず移送した後、米軍戦艦で日本に輸送する案--を提示している。 塩崎恭久官房長官もこの日、「有事に対応して準備をするのは国民の生命と財産を守る国の責務」とし、退避計画の準備を認めた。 (略)

 
東京=金玄基(キム・ヒョンギ)特派員 

                    


 

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社民党・阿部知子議員「阪神大震災」で自爆発言?

2007-01-21 08:23:54 | 県知事選

 

2007年01月21日

社民党・阿部知子議員「阪神大震災で自衛隊の出動は数日後。防災も任務のはずなのに」

1 名前:依頼961氏 投稿日:2007/01/20(土) 21:54:02 ID:MiWbHpPa0 ?BRZ
国民保護は地方自治から 2007/1/19 カエルニュース第253号
(前略)
阪神大震災は12年目を迎えたが、国民を災害から守ることを任務とされているはずの自衛隊が、国による命令を受けて救援に向ったのは、数日を経て後のことであった。
日本の場合、自衛隊は軍隊ではないし、国土保安隊として出発し、防災のたねにも働くことを任務としてきた特別な生い立ちがあるのに、である。
(抜粋)
http://www.abetomoko.jp/
http://megalodon.jp/?url=http://www.abetomoko.jp/&date=20070120220233
※関連:阪神大震災の流れまとめ
http://www.tamanegiya.com/hannsinnawajidaigyakusatu.html
以下、2ちゃんねるの反応
 
以上「痛いニュース」より引用。
 
                    ◇

 
 
 
当時の首相は社会党(現社民党)の村山富市氏。
 
待機する自衛隊に、拱手傍観で何もせず、「何しろ初めての経験だもんで」とは首相が吐いた歴史的妄言。

自衛隊は直ちに動ける体制を整え、各国も援助を要請したのにろくに対応できずにいたずらに死者を激増させたのは当時の村山内閣の責任。

自衛隊出動後も妄言炸裂で救助の足を引っ張りまくったのは、社民党の大先輩・村山富一その人だったことを忘れてしまった阿部知子議員。
 
忘却とは忘れ去ることなり。 忘れえずして忘却を誓う心の哀しさよ。
 
(川口松太郎「君の名は」より)
 
ところで君の名は?
 
はーい! 社会党の・・・じゃなくて、社民党の阿部知子でーす。


韓国より遅れて対策本部作った村山、ダイエーより対処遅れた村山♪
筑紫温泉町発言
 

 
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納豆売り切れ今も?

2007-01-21 07:29:52 | 食文化
今朝の朝刊を見て何事が起きたかと一瞬ビックリした。

一面トップを五段抜きの大見出しで。

「実験データ捏造」の太い文字が躍っている。

「発掘あるある大辞典」の「納豆騒動」の記事だが、社会面もトップ五段抜き大見出しで、

納豆売り切れ今もとある。

この「納豆騒動」が三面はともかく、一面のトップで大騒ぎするほどのニュースかどうかは別として、このニュースはネット上では既に古くなりニュース価値のなくなったネタだ。

細々やっている当日記でさえも1週間前には既にエントリーしているくらいだ。

ここでも既存メディアがネット情報に一週間ほど置き去りにされていることがわかる。

因みに我が家の新聞は琉球新報だが、「納豆売り切れ今も」とは一体何処のスーパーを取材したのでしょうネ。(共同配信で3大阪その他の地域のスーパーの記事をそのまま転載している模様)

少なくとも沖縄では“今も”じゃなく「“今時”納豆の品切れ」なんて聞いた事ない。

伝聞で記事を書いてはいけませんよ。

 

◆参考エントリー:納豆で血液サラサラ」は嘘!(1月13日)

◆参考エントリー:フジ系列 『発掘!あるある大辞典II』、放映前に内容が大手に漏洩(1月14日)

 

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「発掘!あるある大事典II」架空データ謝罪  明日は放送休止!

2007-01-20 19:01:54 | 食文化

納豆ダイエット効果…実は架空だった「あるある大事典」
18:04  
 

 関西テレビ放送(大阪市)は20日、納豆のダイエット効果を取り上げたテレビ番組「発掘!あるある大事典II」で、架空の実験結果やデータを放送したと発表、社長らが謝罪した。

 関西テレビ放送のホームページによると、納豆を食べた場合の比較実験で、血中イソフラボンの測定は行わず、架空の比較結果を紹介。その他、やせたことを示す際に、比較写真として無関係の写真を使用するなど、事実と異なる放送をしたという。

 また、21日放送の「発掘!あるある大事典II」の放送を休止することを明らかにした。(iza)

 

発掘!あるある事典II WEBSITE 別ウィンドウで表示

 
◆参考エントリー:納豆で血液サラサラ」は嘘!

◆参考エントリー:フジ系列 『発掘!あるある大辞典II』、放映前に内容が大手に漏洩

 

 

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「総連は大切な団体」 民主党角田義一議員

2007-01-20 09:29:22 | 県知事選

角田陣営献金疑惑「総連は大切な団体」 (読売 07/1/20)

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news003.htm

民主県連関係者 説明責任求める声も

 2001年の参院選を巡る角田義一参院副議長(69)陣営へのヤミ献
金問題で、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)傘下の在日本朝鮮群馬県商工会などから計160万円の献金を受けた疑惑。同県連の関係者からは18日、県連と朝鮮総連との関係が以前から深かったことや、角田氏の説明責任を求める声などが相次いだ。

 朝鮮総連について、県連関係者は「大切にしなければいけない関係団体として、名前が挙がることが度々あった」と明かす。別の関係者は、「群馬の社会党は全国的にみても朝鮮総連との関係が深かった」とし、「民主党県連発足後も、旧社会党系の一部でつながりが続いていた」と指摘。朝鮮総連との関係について、旧社会党系と保守系で対立することもあったという。

 また、石関貴史衆院議員は「(献金が)事実だとすれば、違法であるだけでなく国家に対する背信行為だ。副議長というより議員としての責任が問われる」と語った。18日、角田氏の説明を聞くための最高執行役員会議を開くよう、長沼広事務局長に申し入れた。長沼氏は「現在、日程を調整中」としている。

 一方、記者会見を開かない角田氏に対して、同党本部内でも「ちゃんと説明するべきだ」との声が上がっており、角田氏の対応が注目される。

                     ◇

角田参議院副議長、抗日戦争記念館を参観

 


朝鮮総連施設、92自治体が税減免 (日経 07/1/19)

http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20070119AT3S1902M
19012007.html

 総務省は19日、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の関連施設に対する固定資産税について、2006年度の課税状況(昨年12月末現在)をまとめた。
中央本部と地方本部・支部のある133自治体(東京都と132市町)のうち、92団体が税額を減免していたが、05年度と比べると10団体減った。

 内訳は全部減免が45団体、一部減免が47団体。このほかに3団体は「回答を差し控える」としている。

 

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日本の植民支配は不幸中の幸い

2007-01-20 07:04:16 | 歴史

本日20日、「在日特権を許さない市民の会」の発足集会が東京で行われます。

西村幸祐さんの講演会もありますので東京近郊にお住まいの方奮ってご参加ください。 入場無料とのこと。

詳しくは「在日特権を許さない市民のHPhttp://zai.japan.aikotoba.jp/index.html

                     ◇

歴史に「もし」は許されないと言われる。

それを承知で敢えて考える、

もし明治維新に失敗していたら・・・。

もし日清戦争に負けていたら・・・。

もし日露戦争に負けていたら・・・。

 

朝鮮半島には19世紀末から欧米列強が来訪し、開国を要求した。

そして日本、清、ロシアが朝鮮に対する影響力をめぐって対立した。

結局日清戦争の勝利の結果下関条約により、朝鮮は清の冊封体制から離脱し、朝鮮国から大韓帝国と国号を改め独立国となった。

その後日本は朝鮮半島へ南下を狙うロシアと対立。

そして日露戦争に勝利して、1910年韓国は全土が日本に併合された。

もし日露戦争でロシアが勝利して韓国をロシアが併合していたら・・・。

「日韓併合」ならぬ、「露韓併合」が実現していただろう。

ロシアに併合されるよりは、

日本による韓国支配は不幸中の幸い」。

何とこれは韓国の学者の言葉である。

韓昇助・高麗大学名誉教授が主張した。

韓国にも歴史の分かる学者がいた。

 

朝鮮日報 記事入力 : 2005/03/04 19:19

「日本の植民支配は不幸中の幸い」 韓国教授の論文が論議に http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/03/04/
20050304000069.html

  韓昇助(ハン・スンジョ/75)高麗(コリョ)大学名誉教授が日本の雑誌に寄稿した原稿で「日本による韓国支配は不幸中の幸い」と主張し、議論を呼んでいる。

 韓名誉教授は右寄りの産経新聞が発行する月刊「正論」4月号に「共産主義・左派思想に根差す親日派断罪の愚 韓日合併を再評価せよ」と題した論文を掲載した。

 韓教授はこの論文で、「大韓帝国の滅亡と韓日合併はあまりにも韓国民には不幸なことだったが、不幸中の幸いだった」とし、1930年代、韓国人をシベリアと中央アジアの辺境に移住させ、農民虐殺に走ったロシアに合併されていたら、3.1独立運動といった事件の際、遥かに大きな被害が出たはずと主張した。

 また、「韓国の民族文化日帝植民当地の時期を通してより成長しており、韓国の歴史や語学、文学など韓国学研究の基礎を打ち立ててくれたのは、むしろ日本人学者と彼らの韓国人弟子だった」とし、「韓国でハングル教育を廃止したのは37年からであり、太平洋戦争が終わった後、韓国語文学が大きな損失を被ることはなかった」と主張した。

 韓教授は「韓国人は日本人に対し、負けまいとする競争意識をもっている。このため日本の植民地支配が韓国人の成長、発展意欲を大きく刺激した」と付け加えた。

 韓名誉教授は高麗大学・政治外交学科教授として在職し、引退しており、現在「自由市民連帯」という団体の共同代表を務めている。

 一方、「日帝の手先並みの寄稿」などというネチズンの非難が殺到すると、韓名誉教授が共同代表を務めている自由市民連帯は、同日ホームページに謝罪文を掲載し、「日帝の植民地支配が正当で、慰安婦強制動員が大したものではないという韓氏の主張に憤りを覚える」と述べた。

 韓名誉教授は物議にもかかわらず、「日本が支配しなければ、ロシアが支配していただろうし、日本の植民支配は返って民族意識を強化させる機になった」とし、主張を曲げなかった。

東京=崔洽(チェ・フプ)記者 pot@chosun.com

                     ◇

 

↓ この哀れな男、もし韓国に来ていなかったら・・・。http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/01/19/
20070119000049.html
 

 「韓国に来たのが私の最後の愚かな行動だった」とはこの男の遺書。

 

 

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玉川大学に「在日特権」を迫る朝鮮総連

2007-01-19 06:45:30 | 教科書

玉川大学と朝鮮総連の間で、騒動が起きている。

この手の問題には何時もの事ながら腰の引ける大手メディアは殆ど報じていない。

これは明日東京で行われる予定の「在日特権を許さない市民の会」(http://zai.japan.aikotoba.jp/)の発足集会を前に,

玉川大学側の「大学の自治」に対して「在日特権」を強要する朝鮮総連の壮絶なバトルともいえる。

今までのような朝鮮総連のゴリ押しが通るものかどうか。

玉川大学の英断に冷たい大手メディアに対し、ネット住人の支援が不可欠。

だがその一方、こんなヤツもいる。↓

 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070118i401.htm

 


 2007/01/18 10:21  
 「玉川大、朝鮮学校生徒の受験を拒否」 
 
 横浜市の神奈川朝鮮中高級学校高級部(高校に相当)の3年生の男子生徒(18)が、東京都内にある玉川大学の農学部に出願したが、大学側が「朝鮮学校の卒業生には受験資格がない」として拒否した、と朝日新聞が18日付で報じた。だがこの生徒は、現在も同大の受験を希望している、と同紙は付け加えた。

 玉川大の入試担当者は、「朝鮮学校を含め、高校卒業資格を得られない学校の生徒には、高校卒業程度認定試験に合格することを受験のための条件としている」と話している。

 だが、2004年の文部科学省の調査によると、日本の全ての国立大学と、私立大学の約半数は、朝鮮学校の卒業生に対し、高卒程度認定試験やその前身の大学入学資格検定試験に合格しなくとも受験資格を認めているという。

 朝鮮学校側は玉川大に対して再検討を要請したが、これに対し大学側は「差別する意図はない。ただ、朝鮮学校の卒業生だけ例外的に受験資格を認めることは公平ではない」として、改めて受験を拒否した、と関係者らが伝えた。

NEWSIS/朝鮮日報JNS

                      *

日本の全ての国立大学と・・・、≫・・・ということは全ての国立大学は朝鮮総連のゴリ押しに屈していた事になる。

頑張れ! 玉川大学! 大学の自治を護れ!

 

                     ◇

 ◆以下「痛いニュース」さんhttp://blog.livedoor.jp/dqnplus/より。

「重大な人権侵害だ」 玉川大学に朝鮮学校の教師や弁護士ら6人が押しかけ、受験を認めるよう抗議…朝鮮学校生の受験拒否で

1 名前:かしわ餅φ 投稿日:2007/01/18(木) 14:17:46 ID:???0
玉川大学を訪れたのは、横浜市の神奈川朝鮮中高級学校の教師や弁護士ら6人です。
朝鮮中高級学校によりますと、高級部3年の男子生徒が玉川大学農学部への入学を希望したため、今月、出願資格を大学に問い合わせたところ、以前の大検・大学入学資格検定にあたる認定試験に合格しなければ出願資格はないと、受験を拒否されたということです。
大学を訪れた教師らは「重大な人権侵害だ」として受験を認めるよう要請しました。法律上「各種学校」にあたる朝鮮学校の生徒の大学受験については、4年前に、認定試験に合格しなくてもそれぞれの大学の判断で受験が認められるように文部科学省が方針を転換したことを受けて、ほとんどの大学で受験を認めるようになりました。男子生徒の代理人の弁護士は「スタートラインにすら立たせないという対応は許せないことだ。生徒本人の希望も聞いたうえで、今後の対応を検討したい」と話しています。

一方、要請に対し玉川大学は「朝鮮学校のように、法律で『各種学校』とされている学校の生徒については、原則としてすべて平等に認定試験に合格することを受験資格にしている。特別扱いはできない」として受験を認めない方針を変えていません。

http://www3.nhk.or.jp/news/2007/01/18/d20070118000078.html
以下、2ちゃんねるの反応

                     ◇

 

※「玉川大学騒動」を伝える参考ブログ、

◆東アジア黙示録http://dogma.at.webry.info/200701/article_16.html

◆doronpaの独り言http://ameblo.jp/doronpa01/entry-10023711557.html

 

◆【追記】9:17
朝鮮学校卒業生への入学資格認定を求める要請書http://www.k-jinken.ne.jp/tamagawa.u-yousei

≪玉川大学学長 小原 芳明 殿

(前略)・・・、万が一、来年度入試に間に合う形での早期解決がなされない場合、法的手段を含むあらゆる措置を講
じて貴大学の翻意を強く促す決意であることを敢えて付記しておきます。


2007年1月18
在日本朝鮮人人権協会≫


 

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「プロ市民」の訴訟  「TMに漏れた」と・・・

2007-01-18 10:54:54 | 県知事選
TM落選者:女性ら4人国と市を提訴 週明けにも 京都

 政府が主催し、京都市教委が共催したタウンミーティング(TM)の参加者抽選で特定の個人が作為的に落選させられた問題で、排除された市内の女性ら4人が週明けにも、国と市に対する国家賠償訴訟を京都地裁に起こす。「言論の自由やプライバシーなど人権を侵害された」として、1人当たり慰謝料など150万~200万円の支払いを求める。TMを巡っては、やらせ質問や動員などの問題が明らかになったが、主催者側の責任を問う訴訟は初めて。

 女性らや政府の報告書によると、05年11月の「文化力親子タウンミーティング」に向け市教委が応募者約280人から定員の200人を選ぶ際、内閣府に「他のイベントでプラカードを掲げ、指名されてなくても大声を出した人が応募している」と連絡。同府は「混乱回避」名目で同市の蒔田直子さん(52)と夫の応募受け付け番号の末尾を落選対象に設定した。この2人と、同じ末尾番号で落選した約50人のうちの2人が原告となる。【太田裕之】

毎日新聞 2007年1月18日 10時17分

                     ◇

タウンミーティングの「やらせ」についてはメデイアの批判の大合唱がやっと納まりかかってきたと思ったら、今度は選ばれなかった市民が訴訟を起こすと言う。

「やらせTM」を弁護する気はさらさら無いが、あれほど大騒ぎするほどの事件だったのかと言うと一寸首を傾げたくもなる。

日本では元々やらせ会議はお得意の手法だ。

政治だって会社だqって議論より根回しがモノを言う。

だいぶ前に書いた拙文に次のような件があった。

≪ホリエモンや村上某がいくら会社は株主のモノだとアメリカ型資本主義の論理を吠え立てても現在の日本では馬の耳に念仏のようなものだ。

20年程前山本七平という人が「空気の研究」という著書でこの日本型資本主義を見事に解明して見せた。

ホリエモンは本を余り読まないと豪語していたが、そのへんに彼の弱点を見た。

もともと日本にはアメリカ型資本主義、或いはアメリカ型民主主義は育っていない。  

日本独自の“社会主義的”資本主義或いは“社会主義的”民主主義」が根強く育った。

だから日本では議論とか会議と言ったようなことには不毛の地域だ。  

会社でも中堅社員以下の会議では多少変わってきたが,役員会、取締役会ともなると依然として議論は不毛でその場の「空気」が全てを決める。   

では何が「空気」を決めるか。

会議前の「根回し」が空気を決める。

それが株主総会ともなると、議論を仕掛けると大変な事になる。

神聖な株主総会を議論の場所と勘違いする不逞の輩は,会社から嫌がられ社会からは抹殺される。

この会社の嫌がることを生業としているのが「総会屋」である。

ちなみに総会屋と言う単語は英語には無い。≫

 

取締りが厳しくなって総会屋は映画や小説の中でしか聞かなくなったが、訴訟を起こした蒔田直子さんって一種の総会屋ではなかったのか。

≪他のイベントでプラカードを掲げ、指名されてなくても大声を出した人が応募している≫のなら立派な総会屋。

≪内閣府が「混乱回避」名目で同市の蒔田直子さん(52)と夫の応募受け付け番号の末尾を落選対象に設定した。≫のは会議進行上でごく当然の措置だと思うのだが・・・。

試しに蒔田直子で検索したら、

出てきました!

蒔田直子さんが大活躍している場所が↓

◆人権教育研究センターhttp://www.hanazono.ac.jp/kyouiku/jinken/kanko/ronsyu/ron6.html

 

 

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在日特権  大爆笑【付録】付き

2007-01-18 08:02:16 | 県知事選

 
◆「在日特権を許さない市民の会」発足

当サイトは会名が表しますように「在日特権を日本から無くすこと」を目的に設立された団体です。
 本来「在日」という言葉は「在日外国人」を示すものですが、現状日本では「在日=在日韓国人・朝鮮人」を示す言葉として使われております
 これだけみても在日韓国人・朝鮮人(以下、在日)がいかに特異な存在であるかがご理解いただけるのではないでしょうか? 移民でも難民でもない外国人、すなわち在日は「特別永住資格」(以下、特永)という特権をもって日本に存在しています。
 そしてこの特永という特権は在日にほぼ無条件で日本永住を認めており、さらに子々孫々それこそ在日十世、百世と日本という国家が存続する限り棲みつき寄生することを認めているのです。
 もちろんのことながら、日本に滞在する在日以外の外国人に対しては通常このような特権が認められることはなく、滞在する目的に応じてビザが発給され期限が切れれば延長手続きを取るか、祖国へ帰るかの二者択一になります。(後略)
在日特権を許さない市民の会」ホームページより

           
                                      ◇

沖縄に住んでいると「在日」と言う言葉には縁が遠い。

ましてや「在日特権」とか「特永」だと言われると、その詳しいい意味を知る者は少ない。

復習の意味でウィキペディアの「在日特権」を訪問してみる。

在日特権(ざいにちとっけん)とは、さまざまな制約がある日本在住の外国籍の人々が生活する上での便宜をはかるために整備された色々な制度に対し、これを過度の処置であると批判する際に便宜上ひとまとめにくるための呼び方。公に定義されている用語ではない。

                    ◇

最近ではウィキペディアだけでなく【動画】が分かり易い。

下記「チャンネル桜」が詳しく「在日特権」を説明している。

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チャンネル桜「人間の杜」-「在日特権をなせ」   
チャンネル桜「人間の杜」
(著作権フリー)

①「在日特権をなくせ」 4-1(H19.1.8)
http://www.youtube.com/watch?v=HlB96d--UDc
②「在日特権をなくせ」 4-2(H19.1.8)
http://www.youtube.com/watch?v=X8DVfp5-wTM
③「在日特権をなくせ」 4-3(H19.1.8)
http://www.youtube.com/watch?v=eA64LeTZL8M
④「在日特権をなくせ」 4-4(H19.1.8)
http://www.youtube.com/watch?v=1AOoEhIgKlk

                     

                    ◇

【付録】 新春 大爆笑

共産党穀田・社民党福島VS宮崎・勝谷連合軍「憲法バトル」
【朝生テレビ 2007年1月1日】

http://www.youtube.com/watch?v=twEYnThqqkw

http://www.youtube.com/watch?v=k8eTOTn8-Vk

 

165 :名無しさん@HOME:2007/01/03(水) 00:49:18
【動画有り】 朝まで生テレビで、宮崎哲弥(評論家)と共産党の穀田恵二が憲法問題で大口論!!

勝谷 「憲法残って国滅ぶだったんですよ今までは・・・・・・」
宮崎 「戦後の憲法体制なんてごまかしですよ。嘘話だよこんなものは!!」
福島 「いや、違うよ。解釈改憲をやり尽してきた訳じゃないですかぁ。」
勝谷 「憲法を祀って拝んでたのはお前の政党だろ!」
宮崎 「あんたらの政党だよ。嘘を流布してきたのは。」
穀田 「あんたらてどういう意味や?」
宮崎 「二つだよ。共産党と社民党」
穀田 「くぁwせdrftgyふじこlp;@(巻き舌)」
宮崎 「何だお前!!何だよこの野郎ぅ!!」
    「(ドン!)何だコラァ!!表出ろって言ったな今!!!」
穀田 「あんたらって、なんだよ!」
宮崎 「表出ろってのは何だ!?共産党がプジュョン・・・プ・・・」

田原 「ちょっと、つまんない事言ってんナ!」

宮崎 「ばーか」
勝谷 「まだ銃口から革命とかばっか考えてんだろ」
宮崎 「そうそうそう、銃口から革命考えてんだろ!!!暴力政党!!!」

田原 「ね、インテリジョン無さを晒け出してるぞ。ねぇ!下品さを晒け出してんぞ」

勝谷 「はぁい」
宮崎 「そうだ共産党!」
福島 「そっw」
宮崎 「人殺し政党のくせに・・・」「本性が出たな。」

http://www.youtube.com/watch?v=k8eTOTn8-Vk
その後の様子 ttp://yaplog.jp/cv/nagano/img/223/dscn0108_1_p.jpg


 

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「従軍慰安婦」 朝日が捏造した亡霊はまだ彷徨っている

2007-01-17 09:35:36 | 従軍慰安婦

「従軍慰安婦」問題は、現在ではその存在が捏造だったことが判明し教科書からも削除されている。

だが、未だにその存在を信じる左翼集団がいることは驚くべき事だが、特に左傾した地元二紙とそれを支持する左翼学者が「民意」を操る沖縄では必ずしも左翼で無くとも「従軍慰安婦」の存在を信じる人は多い。

彼等が信じる根拠の一つに地元新聞の偏向報道の他に朝日新聞の捏造報道がある。

良識ある人にとって朝日が極度に左に偏向した新聞であることは知れ渡っていろ。

そして幾多の捏造記事の常習犯でありながらその誤報を指摘されても黙して語らない事も又周知のことである。

だが、朝日信仰者にとっては朝日の記事は絶対であり、朝日が訂正しない限り捏造記事でも信じて疑う事は無いのだ。

そう、朝日新聞は一連の捏造記事をいまだに訂正していないのだ。

朝日の三大捏造記者と言えば、本田に本多(ややこしい)そして植田の三記者。

夫々記事捏造には重大な役割を担っているが、「従軍慰安婦」を捏造して誤報を世界中に一人歩きさせたと言う点では植田記者をもって嚆矢とする。


桜魂:「朝日新聞にまず問いたいこと」西岡力(2005/1/26)

話は1991年8月11日までさかのぼる。その日の朝日新聞は「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」と大きな見出しを付けたソウル発記事で「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、『韓国挺身隊問題対策協議会』(尹貞玉・共同代表、十六団体約三十万人)が聞き取り作業を始めた。同協議会は十日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した。テープの中で女性は『思い出すと今でも身の毛がよだつ』と語っている。体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近く経って、やっと開き始めた」と書いたのだ。韓国紙がそれを伝える三日前で、国際的「特ダネ」ということになる。

ところが彼女は「女子挺身隊」の名で連行などされていない。本人が同年八月十四日にソウルで開いた記者会見で「生活が苦しくなった母親によって十四歳の時に平壌のあるキーセン置屋に売られていった。三年間の置屋生活を終えて初めての就職だと思って連れていかれたところが、華北の日本軍三百名余りがいる部隊の前だった」と語っている。同年十二月に彼女が東京地裁に提出した訴状でも同じことを書いている。貧困による人身売買の被害者なのだ。

十一日付けの記事を書いたのは植村隆記者だ。彼は朝日新聞から派遣されて語学留学までした韓国語の使い手だ。その植村記者が、彼女が何を語っているのかわからなかったわけがない。知っていながら意図的に「キーセンとして売られた」という重大事実を伝えず、そのかわりに「『女子挺身隊』の名で連行」などというまったくの捏造報道を行ったのだ。

植村記者は日本政府を相手に賠償を求める裁判を起こした「太平洋戦争犠牲者遺族会」の女性幹部(当時の常任理事、現在は会長)の娘と結婚している元慰安婦の証言について第一報を書けたのも、義理の母からの情報提供によるのだろうが、朝日新聞は事実を歪曲した重大な誤報を載せて、記者の親族の裁判を応援したことになる

◆【動画】朝日新聞の説明責任http://www.youtube.com/watch?v=g0YnvWKwZ18  

                    ◇ 

★★腐臭を放ちながら亡びの葬送曲を奏し続ける瀕死の朝日に下記の葬送目録を献じたい★★

  

◆ 「従軍慰安婦」朝日新聞記事
http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/ianfu/korean-ianfu.html

アジアの真実:「戦後日本の転換点 -- 弾劾され始めた朝日新聞」(2005/2/25)

http://blog.livedoor.jp/lancer1/archives/15060238.html

◆在日?朝鮮人・戦時徴用者は245人・朝日新聞報道http://www.youtube.com/watch?v=nphQDygKRtQ

 ◆「朝日新聞の偏向を糾明する会」

朝日捏造報道年表

 

  

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