狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

[防衛省昇格 古い上着よさようなら

2006-11-30 10:49:32 | 普天間移設

朝日新聞 【社説】2006年11月30日(木曜日)付

  防衛「省」 改めて昇格に反対する

 戦争が終わって60年が過ぎた昨年、詩人の長田弘さんはそのころ盛んに語られた「戦後60年」という表現に疑問を投げかけた。「不戦60年」と言うべきではないのか。

 「昭和の戦争に敗れて戦争はしないと決めてからの、戦争をすることを選ばなかった『不戦60年』という数え方のほうが、この国に戦争のなかったこの60年の数え方としては、むしろ当を得ています」(長田弘「知恵の悲しみの時代」みすず書房)

 60年もたてば、多くのものは古くなって時代に合わなくなる。手直しするのは当然だ。憲法しかり、戦後民主主義しかり――。そんな風潮がある。

 だが、日々続けてきたものは古くなるのではなく、日々新たな到達点がある。そこを前向きに評価したい、というのが長田さんの言いたいことだろう。

 防衛庁を「省」に昇格しようという法案の審議が衆院で大詰めを迎えている。きょうにも本会議で可決される見通しだ。「庁」という形は時代に合わないから、直したいということのようだ。

 防衛庁が生まれて52年がたつ。自衛隊は国土防衛だけでなく、カンボジアへの派遣をはじめ海外でもさまざまな経験を積んだ。かつてと比べ、国民は自衛隊や防衛庁をより肯定的に評価するようになったのは事実だ。

 だがこの間の歩みには、戦前とは違う国のありようを求めてきた私たち自身の決意が投影されていることを忘れてはならない。

 戦後日本は、侵略と植民地支配の歴史を反省し、軍が政治をゆがめた戦前の過ちを決して繰り返さないと誓った。だからこそ、戦後再び持った武力組織を軍隊にはせず、自衛隊としてきた。普通の軍隊とは違う存在であることを内外に明らかにする効果も持った。

 軍事に重い価値を置かない、新しい日本のあり方の象徴でもあった。国防省や防衛省ではなく「防衛庁」という位置づけにしたのも、同じメッセージである。

 省になってもこれまでと実質的な違いはないと、政府・与党は言う。自衛隊員が誇りを持てる。諸外国も省の位置づけだ。名前が変わったからといって、戦前のような軍国主義が復活するわけではない。それはそうだろう。

 だが、問われているのは私たちの決意であり、そうありたいと願う戦後日本の姿である。古びたり、時代に合わなくなったりする問題ではないはずだ。

 長田さんが「不戦60年」の表現を薦めるように、私たちは「庁」にこだわりたい。省になることで、軍事的なものがぐっと前に出てくることはないのか。そんな心配もある。

 日本は、惨憺(さんたん)たる敗戦に至った歴史を反省し、新しい平和の道を選んだ。それは多くの国民が賛成し、いまも支持している選択だ。その重みを考えると、あたかも古い上着を取り換えるようなわけにはいかない。

 

>戦後日本は、侵略と植民地支配の歴史を反省し、軍が政治をゆがめた戦前の過ちを決して繰り返さないと誓った。

うーん、来た来た!

平和を念仏のように誓えば天下泰平だと言う、あの名文が。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」(憲法前文)

 

>だからこそ、戦後再び持った武力組織を軍隊にはせず、自衛隊としてきた。普通の軍隊とは違う存在であることを内外に明らかにする効果も持った。

「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」(憲法前文)

>日本は、惨憺(さんたん)たる敗戦に至った歴史を反省し、新しい平和の道を選んだ。それは多くの国民が賛成し、いまも支持している選択だ。その重みを考えると、あたかも古い上着を取り換えるようなわけにはいかない。

 平和を祈りながら何時まで反省し続ければ気が済むのか、朝日新聞。

羹に懲りて古い上着を何時までも着込んで痛いのか、考えるのを放棄して。

「青い山脈」  【作詞】西條 八十  【作曲】服部 良一

2.古い上衣よ さようなら
  さみしい夢よ さようなら
  青い山脈 バラ色雲へ
  あこがれの
  旅の乙女に 鳥も啼く

名文と名曲の後には東海新報の明快なコラムで口直しを。

同じ問題を扱っていながら、かくも異なる意見を述べる両新聞の記者に改めて満腔の「敬意」と「驚異」を表したい。

言うまでも無いが敢えて言おう。 

敬意→尊敬→東海新報

驚異→異なるモノへビックリ!→朝日新聞


東海新報 ☆★☆★2006年11月30日付

  防衛庁がようやく省に昇格となりそうだ。自民、公明の与党案に民主党が賛成し、昇格関連法案が今国会中に成立の見通しとなったからだが、それもこれも国防にかかわる大事な機関を「庁」で済ませてきたわが国の能天気さを世論もやっと認めたということであろう▼英語の「デフェンス」を日本語になおすと、防衛、防御、守備、国防などとなる。同じ言葉を使っていても米国のそれは「国防総省」、英国のそれは「国防省」と邦訳される。しかしわが国では「防衛」で通してきた。みずからそう名乗ってきたからだが、ではなぜ外国の同じ官庁を「防衛」と訳さないのか?▼それはつまるところ「国を守る」という考え方に彼我の質量の差を見るからでなかろうか。「これは軍隊ではありませんよ。警察予備隊です、保安隊です、自衛隊です」とまやかしを続けてきた国と、自らは自らの手で守るという気概を持つ国とを比較すれば、同じ呼称をたてまつるわけにはいかない。だからこそ相手によって訳語も変えるようになったと解釈したい▼そんな言葉遊びはどうでもいいことだが、問題は省に昇格したら庁とはどう違うことになるのかという点である。法案によれば従来は付随的任務とされてきた国際緊急救助活動、国連平和維持活動(PKO)、周辺事態法に基づく後方支援―などを本来任務に格上げするのだという。それはそれで結構だが、この省のトップにはきちんと国防を考え、専門的知識と認識と見識を持つ人物を据えるようにすることが何より大事だろう▼「私は靖国に参拝しません」などと中国に媚びを売るような長官には、この大任をまかせるわけにはいかないのである。現にそう発言した現長官は降格させよ。


 

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小沢党首の ≪不可解な沖縄県知事選≫

2006-11-30 07:13:09 | 未分類

平成18(2006)年11月28日[火]

■【正論】政治評論家・屋山太郎 小沢民主党代表に苦言を呈す
 
 ■党首の座に甘んじる“大変節”か

 ≪不可解な沖縄県知事選≫

 民主党を率いる小沢一郎代表の行動はまさに不可解なものである。1993年、政治改革、選挙制度の改革を唱えて自民党を割って以来、小沢氏が目指してきたものは政権交代可能な政界再編だった。そのために小選挙区制度を導入し、二大政党制を志向した。自民党に対抗する新進党を結成したが、寄り合い所帯では政権をとるに足る政党に熟成させるのは無理と判断したのだろう。新進党を解党して自由党を結成し、自民党と連立をすることによって、自らの改革案を実現させた。政府委員の廃止、副大臣・政務官の創設は官僚内閣制の根本を変える改革だった。衆院の比例選出定員20人の削減も二大政党制に一歩近づく戦略だった。ここまでの小沢氏の行動は理解できたし、十分意味のあるものだった。

 しかし、民主党と合併し代表となり、9月無投票で再選されてからの小沢氏の行動はただの壊し屋ではないのか。一方の小泉純一郎氏の壊し屋は自民党の利権構造をぶっ壊し、保守政治に新しい局面を開いたが、小沢氏は何を狙って壊そうとしているのか。民主党を乗っ取って民主党を壊そうとしているとしか思えない。その不可解な行動を象徴したのが沖縄の知事選挙である。日米安保条約に反対し、沖縄からすべての基地を追い出せという糸数慶子氏をかついで全野党共闘を展開した。

 ≪民主党に2つの不信感≫

 このことは民主党に大きな2つの不信感を抱かせた。ひとつは民主党の安保・外交政策に対する不信感だ。かりに糸数氏が当選し、基地問題の処理にとりかかる時、民主党は無政府主義的な糸数路線を本気で支持するのか。少なくともかついだ以上、抑えに回ることはできまい。共産党と共闘するという“奇手”はそもそも禁じ手だが、最低限政策協定を結ぶ手順は不可欠だった。これは自社さ政権以上の野合だ。

 ふたつ目の疑問は知事選や来年の参院選に向けて対決姿勢を打ち出すために、審議拒否戦術に出たことだ。その標的となった教育基本法改正案については、民主党も独自の「新教育基本法案」を提出している。基本法の必要性を認めながら、かつ十分な審議を尽くしたとみられるのに、知事選を有利に導こうとして審議拒否に出た。目的のために手段を選ばないのは政党の品格を貶(おとし)めるだけだ。

 小沢氏は来年の参院選挙に勝つという一点のみで全面対決路線を突き進もうとしたようだが、時局を読み誤っているとしか思えない。政党支持率のどの調査をみても自民党の支持率は民主党の3倍から4倍ある。これは、かつて4~5割にもなった自民党離れの無党派層が自民党に回帰しているからだ。

 ≪「官公労に依存」の変節≫

 小泉政権以前の自民党が抱える問題は金権腐敗と利権漁りだが、この腐敗臭が消えたから無党派層の多くは自民党にもどった。一方、小泉政権以前以後を通じて民主党が抱える問題は連合の中の官公労への依存である。

 教育の現場にいじめがはびこり、学力が極端に落ちた真の原因は、日教組が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)したからだ。基本法の「不当な支配」(第10条)の解釈をねじ曲げて、教員が文部科学省の「指導要領」までを「不当な支配」と断じ、職員会議を最高の議決機関として学校運営まで牛耳ってきた。

 岐阜県職員による17億円の裏金、大阪市職員によるまさに税金泥棒のごとき所業、8日間勤めて5年分の給料を払わせていた奈良市の職員-。自治労はこういう不祥事に組合としてとるべき責任をとったのか。

 小沢氏は参院選を目指して旧社会党の横路孝弘氏の片腕といわれる鉢呂吉雄氏を選挙対策委員長に、参院をとりしきる議員会長に日教組のボス、輿石東氏を当て、政権戦略委員会委員長に旧社会党系のナンバー3、赤松広隆氏を据えている。党の金を仕切る財務委員長は側近の山岡賢次氏だ。要するに小沢氏は金を握って、旧社会党なかんずく官公労を手足に使って選挙を乗り切ろうとしているわけだ。国民が敵視している日教組と自治労が前面に出て選挙に勝てるわけがなかろう。

 かつて小沢氏は常に天下をとろうと考えていたから、天下をとった時に困るようなことはしなかった。それが国民投票法を流し、防衛庁の省昇格、教育基本法まで流そうとしている。小沢氏は代表再選に当たって深刻な健康問題に直面した。肉体的にも小沢氏が天下をとるのは不可能だ。これを悟って民主党代表の座で甘んじるという“大変節”を遂げたのではないか。自社体制の社会党委員長並みの発想だ

(ややま たろう)


 

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