小泉首相が靖国参拝をした8月15日前後。
マスコミはテレビ・ワイドショーは勿論のこと産経以外の大手新聞はこぞって首相の靖国参拝に反対した。
そして夏の高校野球の熱気とともに、靖国の「熱狂と偏見」は静寂に戻った。
来年の夏まで靖国騒動はやわらぐだろう。
だがマスコミには虚偽の仮面を剥ぎ取る理性を持ち合わせていない。
又来年の夏がくれば「熱狂と偏見」に満ちた靖国騒動が再燃するであろう。
メディアは虚偽の仮面をかぶり直して。
もったいぶって難解な表現をしているのではない。
パール判事の言葉を借用してメディアの「熱狂と偏見」に満ちた「虚偽の仮面」を皮肉ったまで。
パール判事とはいうまでもなく「東京裁判」のインド代表判事ラダビノード・パール博士のこと。
この裁判で11人の判事のうちただ一人、被告全員無罪の判決(少数意見)を下した判事である。
靖国神社の境内にそのパール博士顕彰がある。
その碑文にいわく、
≪時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には また理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には
その時こそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら 過去の賞罰の多くに
そのところを変えることを要求するであろ
大手新聞社説
★参拝反対
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東海新報 ☆★☆★2006年08月29日付
首相の靖国参拝とは結局のところなんだったのか?参拝すれば中国、韓国との冷え切った関係がさらに悪化し、深い断層ができるだろう、とマスメディアはほぼ一致して解説していた▼にもかかわらず、直後の世論調査は参拝賛成が反対を上回り、それ以前の調査とは反対の結果が出たのである。そして猛反発するはずだった中韓の反応も、あっけないほど鈍かった。これはなにを意味するのだろうか。誤解を恐れずにいわせていただけるなら、これはメディアというものが事の本質を見誤っていたという他はない▼つまり参拝が中韓にいまわしい思い出を蘇らせるという決まり文句は、表層をなぞっているに過ぎず、本心は別なところにあるということ。そして反対が賛成を上回っていた国民世論というものも、実はメディアのリードによってムード的に醸成されてきた一面も否定はできない▼誰だって隣人とは仲良くしたい。国もそうであり、事実これは戦後日本の一貫した風潮だった。だからこそ「冷静に」、「まず対話」というのが大切なキーワードとされてきた。靖国問題も同様で、産経のみが賛成、他はおしなべてというよりこぞって反対していた。多彩な言論を重んじる民主主義国家にとって、これは当のメディアがもっとも嫌う“大政翼賛”的狭窄症状である▼誰も戦前回帰など望まず、小泉さんにも他意があるわけではない。戦没者を悼むために日本には日本の流儀があり、これはどの国であろうと不可侵の領域なのである。その流儀にのっとった小泉さんの姿を見て、国民も本来の心を取り戻したということではないか。中韓との関係は大事だが、拠って立つ基盤まで失ってはならない。守るべきは守る。通すべき筋は通す。それだけの話である。