田布施座

演劇でつながる、役者で伝える。

クライマックス

2020-07-23 14:44:14 | 日記

さて新吉とお賤はこの下総塚前村の観音堂の庵室に足を留めることになります。この観音堂は藤心村の観音時という真言寺持ちで一切の事は引き受けて致します。ある日の事お賤は台所で働いています、新吉が表の草を刈っているところへ観音寺の小僧宗観が法事で尼さんを迎えに来る、寺男の音助が新吉に話しかけ新吉は宗観の齢を聞くと十二と言う。ご両親も承知で出家なすったのかと聞くと両親は死んだと宗観は泣出す。それから音吉が詳しく話し、「父親が死にこの人の兄が後をとって村の名主役を継ぎ其処へ嫁子が入って、そこに安田一角が嫁子に惚れていたから恋の遺恨でもって兄さんをぶっ斬って逃げた。一角に同類が居て富五郎が共謀して殺した。嫁子は離縁状をとって富五郎を欺いて同類の様子を聞いて敵討ちに行ったが切られて安田一角は逃げた。相撲取りで花車重吉が味方だから年老いたおふくろとこの人が江戸へ行く途中、小金原の観音堂でから塩梅が悪くなってこの人が薬を買いに行ってあと、母様は縊り殺され路銀を盗られ死んだからこの人は泣いていたところへ、おらと旦那が通りかかり敵討ちなどしないで追善供養がよいと坊主になれと言って寺に連れて来てやっと去年頭を剃った。」

新吉は小僧さんは何処の人かと聞くと音吉は岡田郡羽生村と答え、お父さんの名前を聞くと羽生村の名主役をした惣右衛門という人の子の惣吉様だと言う。新吉はそれを聞いてお賤と密通して病中の惣右衛門を縊り殺し湯灌場で甚蔵に脅され実の兄をお賤は鉄砲で撃ち殺すとは、敵同士の寄合これも因縁、惣吉殿のことを思えば背筋に白刃を当てられるよりなお辛い悪いことは出来ないものだと、暫らくは草刈鎌を手に持ったなり黙然としています。音吉は鎌が錆びているのを見て、惣吉の村の三蔵という質屋が死に絶えてしまい家も取り壊され貰った鎌だがよく切れるから使ってみろと言う。新吉は手に取って草刈鎌を握り詰め、累ケ淵でお久をこの鎌で殺し、お累はこの鎌で自殺し、廻って今また我手へこの鎌が来るとは神仏がわしのような悪人をなに助けておこうぞ、この鎌で自殺しろといわぬばかりの懲らしめか、恐ろしいことだだと思い詰めます。そしてお賤を呼び小僧さんの顔をよく見ろと言いますが思い出さないので新吉が惣右衛門の子で惣吉さんだ、と言ってお賤を引き倒し咽喉へ鎌を当てプツリと刺しましたから悲鳴を上げ七転八倒、宗観と音助はびっくりし人を呼ぶと其処へ比丘尼が入ってきて何故お賤をこの鎌で殺すという了見になったかと問います。

新吉は門番の勘蔵から聞いた己の身の上、それからしてきた悪事をすべて話します。そして惣吉には二人は父親の敵でこの鎌で斬って下さい、お詫びのため申し上げるが惣次郎さんとお隅さんの敵安田一角は五助街道藤ケ谷の明神山に隠れていますと、お賤に命の納め時だ宗観様にお詫びを申し上げなと新吉、賤は「惣吉さん誠に済まない事をしました、堪忍して下さいまし・・・」と苦しいから早く死のうと鎌の柄に取りすがるを、新吉は鎌を取り我左の腹へグッと突き立て柄を引いて腹を掻き切ります。

宗観は父・兄・姉の敵は知れたがおっかさんの敵はいまだに解らないが・・・というのを聞いて比丘尼が「忘れもしない三年前小金原の観音堂でお前のお母さんを縊り殺し、百二十両という金を取ったのはこのお熊比丘尼でございますよ」。と新吉が持っていた鎌を取って咽喉を切って相果てました・・・・

 

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新吉の改心

2020-07-23 13:58:44 | 日記

新吉は深見新左エ門と聞いてびっくりします。

八年前門番の勘蔵が死際に、己は深見家の次男で改易の前に妾のお熊が入り腹へ孕した女の子を産み落とす。してみればお賤は腹違いの兄妹、知らずに夫婦になって足掛七年、飛んだ事をしたと油の如き汗を流し、殊にはまたその本郷菊坂下へ捨子にしたのは七年前お賤が鉄砲で殺した土手の甚蔵に違いない、聖天山へ連れ出して殺した甚蔵はやっぱりお賤のためには血筋の兄であったか、お累が自害の後このお賤がまたこういう変相になるというのも九年前狂死した豊志賀の祟りなるか、己は畜生同様兄妹で夫婦になりあさましい事だと思うと総毛立ち、只ポロポロ涙を落とします。そして新吉はお賤に夫婦の縁も今日限りと告げますと、お賤はこんな顔貌になったから捨てて逃げるのだと思うから新吉から放れません。

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お熊の懺悔

2020-07-23 11:20:29 | 日記

吹っかけ降りの雨の中観音堂に新吉とお賤が入ると六十近い尼が親切に迎え入れてくれます。足を洗い囲炉裏の側で二人は尼さんにお礼を言いますと、お賤は尼の顔をつくづく見て母親「・・・十三年前深川の櫓下の花屋へ置き去りにしていかれた娘のお賤だよ」と気づきます。尼はびっくりし「・・・先刻から見たような人だと思ってたが・・・私は親子と名乗ってお前に逢われた義理じゃあありません・・・不実の親だと腹も立ちましょうが、どうぞ堪忍してください・・・」と尼は懺悔話を始めます。

「・・・私の産まれは下総の古河の土井様の藩中の娘、父親は百二十石の高を戴いた柴田勘六と申し・・・お嬢様育ちでしたが・・・十六の時家来の宇田金五郎と私通、江戸へ逃げ出し本郷菊坂に所帯をもって午年の大火事のあった時宝暦十二年十七で子どもを産みました。翌年亭主が傷寒で亡くなり、子持ちでは喰い方にも困り産んだ子には名を「甚蔵」と付けましたが、菊坂下の豆腐屋の水船の上へ捨子にして、上総の東金へ行き料理茶屋の働き女に雇われ、長八という船頭といい交情となり深川相川町の島屋という船宿に行き亭主は船頭をしますが病が原因でまた死に別れ、そんな時島屋の姐さんから勧められ「小日向の旗本の奥様が塩梅が悪いので中働きに住み込んだところが殿様のお手が附いて、僅かな中に出来たのはこのお賤」。「この娘を芸者に出して私の喰い物にしようという了見でしたが、網打場の船頭の喜太郎と私通をして房州の天津へ逃げましたがそれからというもの悪いことだらけ、手こそ下さないでも口先で人を殺すような事が度々・・・仕方がないから頭髪を剃りこの観音堂で只観音様にお詫事をして、何不足なくこうやっていますが今日図らずお前たちに逢って、私はなお、観音様の持ってらっしゃる蓮の蕾で背中を打たれるように思います・・・」。

新吉「その小日向の旗本とは何処だえ」

尼「はい、服部坂上の深見新左エ門様というお旗本でございます」。

(ここからどんどん展開していきます)

 

 

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