昨日、広島・上野学園ホールで観てきた。
およそ1800席の会場・・・12時開場時間前、入口前広場にはあっという間に人が溢れてきた。劇団の力量が推し量られた。う~む只者ではないな。
若者から年配者まで男・女・男女・・・多様な人々の集合。
開場されてほぼ満席、すごい。わたしは12列中央いい席だった。
休憩をはさんでの2時間のミュージカル。
原作・遠藤周作「わたしが・棄てた・女」、舞台美術・朝倉摂
役者の演技は洗練され、歌唱もダンスも良く、
(台詞が正確で切れが良く、間に狂いがみじんもなく、動きに無駄がなく。きっとダンス・歌唱リズムの相乗効果によるもの!?相当訓練されてます。)
舞台美術・朝倉摂さんのセットが素晴らしい。私が所属していた劇団も朝倉さんの舞台美術をお願いしています。
冒頭のシーンと最後のシーンを同じにする物語の展開。
クライマックスの最後のシーンの一部から物語が始まるのであるが、その効果が絶妙で、この作品の伝えようとしている意図が深く届いてくる構成だった。
主人公「森田ミツ」を軸として「吉岡努」を見事に表現していた。
あらすじ
物語の舞台は、戦後間もない東京------街は復興のエネルギーに満ちていた。アルバイトで学費と生活費を稼ぐ貧しい大学生の吉岡努は雑誌の文通覧で知り合ったクリーニング工場の女子工員、森田ミツとデートをする。大学生とのデートに胸をときめかせるミツ。しかし吉岡は、ただやるせない気持ちのはけ口が欲しいだけだった。ミツと一夜を共にした吉岡は、その後下宿を引き払い、姿をくらませる。そんなことを知らないミツは、吉岡と会う日に着ていくことを夢見て、カーディガンをを買うために残業に励んでいた。やっと手にした給料袋を握りしめて店に出かけるミツだったが、酒と博打に溺れる工員の田口が生活費のことで女房と言い争う場面を偶然に目撃してしまう。目をそらし通り過ぎようとするミツの心に、女房に背負われている赤ん坊の泣き声が突き刺さる。結局ミツは、残業で稼いだ金を田口の女房に差し出してしまうのだった。大学を卒業し、小さな会社に就職した吉岡は、社長の姪である三浦マリ子に思いを寄せるようになる。マリ子から映画に行く約束を取り付けた吉岡は、幸せな気分にひたりながら雨の街を眺めていた。その時、急にミツの面影が吉岡の胸をよぎる。同じ頃、大学病院の窓から吉岡と同じ鈍色の空を見つめているミツの姿があった。手首にできたアザを検査してもらったミツは、医師からハンセン病という宣告を受ける。富士山の麓にある復活病院。「さいなら、吉岡さん」吉岡への思いを断ち切るように、竹林に囲まれた復活病院の門をくぐっていった。ところが精密検査の結果ハンセン病ではないことが判明する。ミツは吉岡が暮らす東京へ戻ろうと駅へ急ぐが列車にに間に合わず、病院に残って患者たちの世話をする選択をとる。その頃吉岡はマリ子と幸せな結婚生活を送っていた。ある日ミツは、患者たちが育て鶏が産んだ卵を街に売りに行き交通事故に遭い死んでしまう。吉岡のところに病院から手紙が届く、意識不明のミツが一言発した言葉「さいなら、吉岡さん」手紙を読んだ吉岡の心の葛藤が観客の胸をえぐる。そして吉岡はマリ子と復活病院を訪れる・・・・(パンフレットから参考)
この夫婦で復活病院を訪ねるところからフィードバックして物語が始まります。
本当の主人公は吉岡努であると観劇しました。
手紙を受け取るまでは、どこにでもいるような吉岡みたいな人間。
久しぶりの大型舞台でした。音楽座ファンが多くいるみたいでした。