田布施座

演劇でつながる、役者で伝える。

それから

2016-10-20 16:23:18 | 日記
その後、裕仁天皇の本を読みました。

大東亜戦争と戦後の激動の時代、

マッカーサーとの会見には泣けました。

マッカーサーも日本を救ってくれた代表者だと。

また陛下の行幸も戦争孤児との対話も泣けました。

これで日本近代史の勉強も一段落です。

芝居をしたいのですが、表現意欲の湧く作品に出会いたいと思っています。

来年1月7日~9日の3日間、スターピアくだまつで演劇大学があるので、

来春を目指して宝探し。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

きけわだつみのこえ

2016-10-08 15:05:21 | 日記
今夏、日本の帝国主義について一連の書物を図書館で借りて読み、

到頭「きけわだつみのこえ」に辿り着いた。

学徒出陣で多くの大学生が出征し戦没したなかで、

集まった309名の稿の中から75名の遺稿が掲載されている。

戦時下で、このような手記は検閲に引っかかると現在存在しないものであるが、

それを通りぬけて戦後本書が出版され大ベストセラーになっている。

戦死、戦病死、あるいは戦犯刑死を前にして綴られた手記は軍国主義のなかで、

自らの思想を表現し、将来の日本を深慮し、肉親・友人に感謝し・・・

遺稿より抜粋

大きな歴史の転換のもとには、私のような陰の犠牲がいかに多くあったのかを、過去の歴史に照らして知る時、まったく無意味のように見える私の死も、大きな世界史の命ずるところと感知するのである。(京大経済学部学生。昭和17年10月入営。21年5月23日シンガポール、チャンギー刑務所において戦犯刑死。陸軍上等兵。28歳。)

この方の遺稿は75番目で13ページにも及び、

わたしに最も衝撃を与えたものでした。

冷静に当時の社会を認識し、歴史感にも深いものがあり、

軍部を冷静に批判しており、戦後の日本の進路も的確に予言しており、

肉親への決別も愛情あふれるものでした。

長い文章の終わりの1ページに11句遺されていますなかから、


遠国に消ゆる命のさびしさにまして嘆かる父母のこと

眼を閉じて母を偲べば幼な日の懐し面影消ゆる時なし

音もなく我より去りしものなれど書きて偲びぬ明日という字を

かすかにも風な吹き来そ沈みたる心の塵の立つぞ悲しき

おののきも悲しみもなし絞首台母の笑顔をいだきてゆかん
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

涙が止まらない

2016-10-03 10:03:30 | 日記


井上成美(しげよし)海軍軍人、ラディカル・リベラリスト。

米内光政と共に日米開戦に反対し終戦工作に尽力。

海軍兵学校校長の時の指導が素晴らしい。

抜粋

戦後訪れた教え子にこう語っている。
「私はガリガリ勉強することを決して軽蔑しません。ただ、何のために勉強するのか、それを考えねばならん。自分の実力を上げるためであって、席次を上げるためであってはならない。(中略)百人のクラスで百番になったとしても、全員が実力があって、百番ですら良い成績であれば、なんら恥ずべきことではないんです。”鶏口となるも牛後となる勿れ”という言葉があるが、私のはその反対で、できないクラスの鶏口よりも、できるクラスの牛後の方が良いと考えるのです」

偉人英雄の言行を無批判に真似ることの危険を指摘することも忘れなかった。そして「見ノ程モ反省セズニ、枝葉ノ言行ノミヲ真似ル様ナコト」をするなと戒め、「崇拝スル人ノ精神ニ沿ハンコトヲ努ムベシ」と結んだ。

戦後、横須賀の長井の自宅で英語塾を開くのであるが、この教育がまた素晴らしい。

語学を通しての人間教育である。

塾生のエピソード
英語塾の男生徒は、学校の運動場の一つしかない水道口で、同じ井上塾の女生徒とかち合い、「アフター・ユー」(お先にどうぞ)とやって女生徒を喜ばせたという。

戦争軍人としての識見・活躍も素晴らしいものですが、86年の生涯すべてが魅力的です。

特に戦後の暮らしはこの本を読んでいて涙で目が曇り読み進めることが大変でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする