「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

ハイデルベルグ・哲学者の道で考える戦後70年の日本とこれから

2015-08-19 23:53:17 | 安全保障・安保法制・外交軍事
教員免許更新講習の2日間合計12時間のワークショップを終えた後、
年1回の母親孝行で、ドイツとチェコを11日かけて回るべく、
16日昼前に成田を発ち、まずはフランクフルトを本拠地に数日を過ごしたところ。

今夕にはICEスプリンターでベルリンに向けての移動予定だが、
夕方までにフランクフルトに戻ればよい、というので、
今日の日帰り旅行はドイツ国鉄の特急で1時間ほど南に行った、大学の街ハイデルベルグへ。

ネッカー川にかかるレンガ造りの橋と、その背後にそびえる古城(ハイデルベルグ城)の写真が何ともきれいで、
で、その地に行ってみようではないか、と決めた次第。
このアングルは、ドイツ最古の大学であるハイデルベルグ大学のあるネッカー川左岸ではなく、
右岸のブドウ畑(今は果物畑)を通る「哲学者の道」から、だったのだそうな。

あまたのドイツ人哲学者を相手に互角の戦いができると思うほど自惚れてはいないが、
なぜ日本は、否、日本人は、ここまで情けなくなってしまったのだろうか。

今回の旅ではミュンヘンまで足を伸ばすことは出来そうにないが、
旅の荷物の中には「白バラ運動」のショル兄妹、特に妹のゾフィー・ショルに焦点を当てた、
映画『白バラの祈り』のDVDや、『白バラ-反ナチ抵抗運動の学生たち』(関楠生著、清水書院)は持ってきた。

実のところ、「白バラ運動」(あるいは「白バラは死なず」か?)の名前はしばらく忘れていた。
しかし、2週間ほど前だったか、かの池上彰さんがミュンヘン大学の「白バラ運動」の記念碑を訪問するシーンをどこかの番組で見て、
そういえば……、で思い出したような次第。

命をかけてヒトラー独裁に立ち向かった若者がいた。
見つかれば死、ということをわかっていながら言うべきことを言い、それに殉じた若者がいた。
その若者の志を理解せず、官憲に「売って」報奨金をもらった者もいた。
後に空襲で命を落とすが、兄妹とその仲間に死刑判決を出した裁判官がもし敗戦後まで生き残っていて、
そしてもし、ナチドイツ時代の行為を問われたならば、何と言って己を正当化したのだろう。

池上さんをわざわざミュンヘン大学まで引っ張り出したメディア人がいた、ということは、
今のメディアのあり方に「これではまずい!」と思っている人によるギリギリの抵抗なのだろう、と思う。
もちろんそこには、「安倍何某の独裁をヒットラーと重ねてみるべき」「本気で気をつけないといけない」という
会社勤めのジャーナリストなれど「魂までは売ってはいないぞ」というメッセージを読み取るべきであろう。

ハイデルベルグの「哲学者の道」を散策していた先哲は、時代に対して、何を問いかけていたのだろう。

災害大国でありながら、現在形の防災と未来形の防災の差がわからなくても何も感じない日本。

立憲主義の何たるかがわからないような人物を国会議員に選出し、
あまつさえ、その御仁を一国の宰相の地位にまで就けさせてしまった日本人。
(行政権を持つ者が憲法の解釈を好き勝手に出来る、などということは絶対にあり得ない、
というのが立憲主義のはず、なのだが……。)

条約はGive and Takeであり、双方が納得しなければ(≒双方にとって利益がなければ)成立しない。
ということは、一旦成立した条約は、双方の思惑と許容範囲内にあることを意味する。
一見片務的であろうともそれで構わないとした背景には、それでもそれに利益を見出したから。
(日本は、日米安全保障条約により、アメリカの世界戦略の極めて重要な機能を、支え続けているのです……。)
(その対価としてアメリカには日本防衛の義務があるのだが、
「岩礁のためアメリカが戦うことはない」という「極めて率直かつ合理的な」意見を、
『スターズ&ストライプス』紙上で取り上げてしまった。
(=当然そう考えるよね、ということ、か……。)

「合意は守られなくてはならない」は国際法の大原則。
条約で定められた義務を果たさなかった場合は、未来永劫非難され続けたとしても自業自得。
とはいえ、ハーグの国際司法裁判所で、世界で唯一、テロ国家との判決を受けたものの完全に知らばっくれた国もある。
領有権(最終的な領有権の帰属については関与しないとずっと言い続けている)と施政権の違いという逃げ道は、
今も作っているように思われる……。

1億2千6百万人と13億人か14億人かの市場規模を天秤にかければ、当然、市場規模の大きい方を取るだろう。
両大国に挟まれた中級国家日本。今こそ賢く振る舞わなくてはならないだろうに……。

学問のための学問ではなく、現実社会を生き抜くための指針となるような理念。
今、哲学特に政治哲学に求められているのは、そういうことなのだろう、と思っている。
この国のかたちはどうあるべきか。たとえ浅くとも、たとえ小さくても、
その問いかけに対して答えられる者でありたい、と、「哲学者の道」を歩きつつ考えていた。


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