「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

『戦争をしない国:明仁天皇メッセージ』(その2)

2015-08-17 23:42:07 | 安全保障・安保法制・外交軍事
昨日の更新に引き続き、矢部宏治文・須田慎太郎写真による『戦争をしない国:明仁天皇メッセージ』(小学館刊)から、
気になる&共有しておきたい部分を抜粋で示すこととしたい。

*****

「なぜ、日本は特攻隊戦法をとらなければならないの」(90頁)

矢部氏は、第二次世界大戦も最末期の1945年8月2日、明仁皇太子が陸軍の高級軍人に発した上記の質問を、
皇太子の軍事教育係だった者の手記に記されたもので、まず間違いのない事実だと考えて良いと述べた上で、
以下のように続けている。

「その時有末は、最初かなり困った顔をしたものの、すぐに気をとり直し、平然と次のように答えたといいます。

「特攻戦法というのは、日本人の性質によくかなっているものであり、また、物量を誇る敵に対しては、
もっとも効果的な攻撃方法なのです」(『天皇明仁の昭和史』高杉善治/ワック)

その有末は戦後、GHQの諜報機関への情報提供者となり、戦犯指定をまぬがれて、
平成4年、96歳まで生きのびることになりました。
若者に特攻を命じる一方で、自分たちは安全地帯にいて、占領終了後すぐに復活した高額の「軍人恩給」によって
生涯安楽な生活を送った戦争指導者たち。
その責任をしつこく調査・糾弾せず、結果として許してしまった国民たち。
特攻は玉砕や飢死と並んで、私たち日本人のもつ欠点が凝縮された、
歴史上もっとも深刻に反省すべき出来事といえます。」(92頁)


さらに、海軍予備学生だった矢部氏の父の特攻隊志願についての個人的経験を紹介した後、以下のように続けている。

「戦争に関する庶民の手記が教えてくれるのは、旧日本軍の指導者は『天皇』の名のもとに、
驚くほど簡単に国民の命を奪うことができたという事実です。
『一億玉砕』という国民全員を殺害するような『戦法』を、軍の『戦争指導班』が公的文書の中に標記していた過去を持つ日本。
それは純粋な自衛以外の戦争など、絶対にやってはいけない国なのです。」(93頁)

同書94頁、95頁の見開きでは、日の丸を背景に、明仁天皇の次の言葉が記されている。

「やはり、強制になるということではないことが望ましいですね」
(注:2004年の秋の園遊会における、当時東京都教育委員をつとめていた米長邦雄氏による
「日本中の学校にですね、国旗をあげて国家を斉唱させるというのが、私の仕事でございます」との発言への返答として。)

「天皇という権威をかかげて、国民に法的根拠のない義務を強制する、そうした日本の社会や権力者のあり方が、
戦前は多くの国民の命を奪うことになりました。その代表がすでにふれた特攻です。
明仁天皇のこの言葉には、二度とそうしたことがあってはならないという決意がこめられています。」(96頁)

矢部氏の解釈は、明仁天皇と美智子皇后のお気持ちを、そのまま受け止めたものだと思う。
自分の都合の良いように(意図的に)曲解している様は感じられない。
立場の限界を十分認識しつつ、そのギリギリのところで国民に、社会に、メッセージを発している。

この時代感覚とバランス感覚、そして過去の過ちを繰り返してはならないということへの大変強い思い。
我々には、このような良き道しるべがある。
そして本書は、その道しるべについての、大変的確でわかりやすい解説書だと思うのだが。

あと1回、ひょっとするともう1回、この本について書くことになると思う。
というのも、あとがきと付録に、大変良い考え方が示されているので。
こういう本がしっかりと売れてほしいと思う。
そうすれば、日本人もまだまだ捨てたモノではないな、と、確信をもって思えるのだが。



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