「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

『戦争をしない国:明仁天皇メッセージ』(その3)

2015-08-18 23:50:10 | 安全保障・安保法制・外交軍事
一昨日から紹介を続けている標記の本。
最後に、あとがきで触れられていることを紹介して終わりとしたい。
(改行は小村による)

*****

あとがき

自分がなぜその本を書いたのか、という本当の理由は、いつも書き終わったあとでその答えが見つかるもののようです。
いま思えば、私がこの本を書こうと思った理由は、次のようなものでした。
私たち日本人がほこりにし、何より守りたいと思っている「戦争をしない国」(=平和国家という基本的な国のかたち。
それがなぜいま、安倍政権というたったひとつの政権によって破壊されようとしているのか。
なぜその現実を前にしながら、圧倒的多数派であるはずの私たち「非戦派」は、
勢力を結集してそれを押しもどすことができないのか。
その大きな疑問を解くために、これまで「平和国家・日本」に関してもっとも深い思索をめぐらしてこられた明仁天皇の言葉を、
一度くわしくたどってみたいと思ったのです。
みなさんよくご存じのとおり、「平和国家・日本」の根幹である憲法9条の条文には、
(1項)戦争の放棄
(2項)すべての軍事力と交戦権の放棄
のふたつがあります。
(注:正確には「軍事力の不保持」と「交戦権の否認」)
いまでは広く知られているように、右の2項内の「すべての軍事力の放棄」については、
1952年の独立後、一度も守られたことがありませんでした。
現在の自衛隊は世界第7位の軍事予算をもっていますし、
国内に駐留する世界最強の同盟軍(米軍)は、日本政府の許可なく、いつでも自由に戦地に向けて出撃しています。
しかし、だからといって憲法9条がインチキだったといいたいわけではありません。そうではないのです。
空文化した2項の矛盾は飲み込んだうえで、「憲法には指一本ふれるな」という明確な防衛ラインを設定し、
なんとか1項の「戦争放棄」という理念だけは死守してきた。それが日本の戦後70年だった。
その歴史は決して間違ってはなかったといいたいのです。
けれども安倍政権の進める、米軍との密約に手をつけぬままでの集団的自衛権の行使容認は、
9条2項だけでなく、1項も完全に空文化させるものです(くわしくはこのあとの「付録」を参照)。
簡単にいうと、日本はついに、平和憲法に指一本ふれぬまま、平和憲法を完全に葬ろうとしている。
憲法についてはなにひとつ議論しないまま、世界中でアメリカ軍の指揮のもと
「戦争ができる国」(=他国に先制攻撃を行う国)になろうとしているのです。
いったいそれはなぜなのか。
日本はなぜ、「戦争」を止められないのか。
その究極の問題について、いま私たちは真正面から向き合い、議論する必要があります。
そして私たち「非戦派」による、新たな議論にもとづいた、新しい「平和国家・日本」のかたちを見つけだす必要があるのです。
この本がそうした問題を考えるきっかけになることを、心から願っています。

*****

日本は、地理的には、アメリカと中国の間に位置する。この地理的条件は変えようがない。
その一方に「ポチ」のように仕え、「シッポは振り切れている」と言われた日本。
そのうちに、もう一方が経済的技術的そして軍事的台頭し、
「太平洋は広いのだから、両国で分割支配しようではないか」と言い出すに至る。
落ち目のもう一方は、新たなグローバルプレイヤーと事を構える気はなく、またその余裕もない。
自分勝手にルールを解釈する、あるいは作って押し付ける傾向があるので、この点は苦々しく思っても、
14億人になろうという規模の市場を捨ててまで、ポチが持つ岩礁の親玉を巡って、
ドンパチする気はさらさらない、というか、ある訳がない。

この程度の相関図は素人でも描ける。
問われるべきは、この間でどう振る舞うべきか、ということ。
シッポは振り切れても、生身の人間を戦地に送り出すことだけは、
「国民世論からして政権が持たない」云々を言い訳として、のらりくらり避けてきた。
130億ドルが砂に消えても、それを是としてきた。
しかし今、自ら進んで、落ち目の国のお先棒を担ぎ、自衛官を人柱に捧げることで発言力を確保しよう、
そのような方向へと、ものすごい勢いで方向転換を図ろうとしている。

70年間培ってきた日本のブランドは、自衛官の命と引き換えに発言力を確保しなくても
(そもそも、そうしたところで、どれほどの発言力が手に入るということやら……。)
別のところにある。
(それを情けないほど活かせていないことも事実だが……。)

だからこそ、己の15歳の誕生日にA級戦犯の処刑をぶつけられることで、
否応なしにあの戦争と日本、そしてアメリカとの関係を考えざるを得なかった明仁天皇のお言葉を探ることで、
一つの指針を見出そうとした、そのような本だと受け止めている。
やはり、学生達としっかり読みたいと思う。で、学生達が別の考え方を持ったならば、それはそれで構わない。
ただ、日本の最上級の教養人である明仁天皇が何を語ってきたのか、そのことを多少なりともフォローした上で、
自分の考えを持ってもらいたい、とは思う。


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