「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

『戦争をしない国:明仁天皇メッセージ』

2015-08-16 22:16:40 | 安全保障・安保法制・外交軍事
昨日が70年目の終戦記念日だった。

本来であれば、それにちなんで何かを書くべきだったのだろうが、
しっかりとモノを考えるには、(本職絡みとはいえ)いささかドタバタ続きで集中が出来ず、
前日の教員免許更新講習の話題の続きで「お茶を濁してしまった」ような次第。

今日16日から、年1回の母親孝行でしばらく日本を留守にする。
この時にこそ、という訳でもないが、ガイドブックの他にも数冊、旅荷物の中に本を入れている。
その中で、フランクフルトに向かう機中で読み、感動し、
後期が始まったら、まず、学生に読ませなくてはならない、と思っているのが、
標題に掲げた『戦争をしない国:明仁天皇メッセージ』
(矢部宏治文、須田慎太郎写真、小学館、2015年)

本当の教養人というのはどういう人なのか。
昭和天皇もそういう人だったと聞いているが、今上陛下である明仁天皇も、
幼少期から今日に至る「大きな苦悩の中から」「読者の心を打つようなすぐれたメッセージ」を生み出したのだ、ということが、
本の中で数多く引用されている「お言葉」の節々から、感じ取ることが出来る。
否、いやでも正面から受け取らざるを得ない。

戦後70年。日本が営々と築き上げてきたものを、ただの一つの内閣が捨て値で売り飛ばそうとしている。
そのことについて、象徴天皇である明仁天皇は、はっきりと述べることはしていないが、
明仁天皇が、また美智子皇后が折々に述べてきたことを振り返るだけで、
本当の教養人とニセモノとの差は、誰の目にも明らかになるのではないか、と思う。

(長州人は、このようなニセモノを国会議員に選んでしまったことを、恥じるべき、と思う。)

一冊の本にまとめた矢部さんの筆の力も大したもの、と思うが、やはり、
教養があり、バランス感覚があり、そしてこの国の姿を我が事として考えてきたお二方の「お言葉」という、
素晴らしい素材があったればこそ、とも思う。

この本は6章構成になっている。

Ⅰ I shall be Emperor
Ⅱ 慰霊の旅・沖縄
Ⅲ 国民の苦しみと共に
Ⅳ 近隣諸国へのメッセージ
Ⅴ 戦争をしない国
Ⅵ 美智子皇后と共に
(さらに付録として、世界はなぜ、戦争を止められないのか、と題して、
国連憲章と集団的自衛権についての考察がみじかくまとめられている。)

第2章に、こんな一節がある。

1975年7月、沖縄を初めて訪問された明仁皇太子ご夫妻に対して火炎瓶が投げつけられるという、
いわゆる「ひめゆりの塔事件」が発生した。
その夜、報道陣に配られた談話に、以下のお言葉があったのだそうな。

  「払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものでなく、
  人々が長い年月をかけてこれを記憶し、一人一人、深い内省の中にあって、
  この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません。」
    (昭和50年〔1975年〕7月17日/文書による「談話」、32頁)

筆者の矢部さんは、このお言葉を、

「これから自分は国民と共に長い年月をかけて、沖縄が過去に払った尊い犠牲に対し、
記憶しつづけ、考えつづけ、心を寄せつづけることを約束しますという、
皇太子の明確なメッセージでした。」

と整理している。なるほど、その通りだ、と思う。

火炎瓶を投げつけた側にも、皇太子ご夫妻を害する気はなく、ただ、
昭和天皇や日本政府の戦争責任を問いたかったのだ、と。
だから、数m外れたところに、火炎瓶は投げられた。

直後に行われた有識者への緊急世論調査では、①長い間モヤモヤしていたものが、あの一発で吹っ切れた、
②皇太子ご夫妻に当たらなくてよかった、③過激派はいやだ、④皇太子ご夫妻には好感を抱いた、
というものだった、と。

そしてこうも述べている。

「決して「やらせ」というわけではなく、結果として「無意識の共同作業」が行なわれ、
沖縄と本土が関係を修復する糸口が作られたことになります。
本当の政治というのは、無数の人びとの思いや激情が交錯するなか、こうしてぎりぎりの着地点を求め、
そこに一瞬だけ収斂し、またふたたび次の着地点を求めて飛び去っていく。
そういうものなのかもしれません。」(33頁)

また、第5章では、こんなことも述べている。

  「今年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。
  各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京を始めとする各都市の爆撃などにより
  亡くなった人々の数は誠に多いものでした。
  この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、
  今後の日本のあり方を考えていくことが、極めて大切なことだと思っています。」
   平成27年〔2015年〕1月1日/新年の感想

「戦後日本とは、とにかく戦争だけはしない、それ一本でやってきた国でした。
そのために、どんな矛盾にも目をつぶってきた。
沖縄に配備されていた米軍の核兵器にも、本土の基地からベトナムやイラクに出撃する米軍の部隊にも、
首都圏上空をおおう米軍専用の巨大な空域にも、ずっと見て見ぬふりをしてきたのです。
それもすべては、とにかく自分たちだけは戦争をしない、海外へ出かけて人を殺したり
殺されたりしない、ただそのためでした。
戦後の日米関係の圧倒的な力の差を考えれば、その方針を完全な間違いだったということは、
だれにもできないでしょう。
ところがいま、その日本人最大の願いが安倍首相によって葬られ、
自衛隊が海外派兵されようとしているのです。
こうしたとき何より重要なのは、右の明仁天皇の言葉にあるように、歴史をさかのぼり、
事実にもとづいた議論をすることです。数え方にもよりますが、少なくとも半世紀のあいだ、
私たち日本人はそういう根本的な議論をすることを避けつづけてきたのです。」(84頁)

他にも紹介したいフレーズは幾つもあるが、今日の更新ではこのくらいにしておく。
最後に一つ。このような本を世に出した小学館を、大いに評価したい。
まだ、日本は、根本までダメになってしまった訳ではない。


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