木曜4、5限は本ゼミの時間。後期も今日から開講となった。
4年生6名中5名、3年生6名中3名と、特に3年生の出席は「おいおい……」というところだが、
その点はここでは述べるまい。
是非、ゼミ生と共に考えてみたかったことがあった。で、後期最初の講義ながら一石を投じた。
一昨日行われた、参議院安保法制特別委員会中央公聴会での、SEALDsの奥田愛基さんの発言について、
テープ起こししたものがネット上にあったのでそれを印刷して配布、併せて
YouTube上にあるものを教えてもらった、奥田さんの映像と共に学生に示す、ということ。
23歳とのことだが、ああいう場で、ああいう発言を出来る学生を生み出すことが出来た、という意味で、
戦後日本の教育は、捨てたものではなかったのだな、と思った。
言うべき時には、時の首相に対しても、公的な場で、議事録に残る形で異論を唱える。
これが、言論のあるべき姿であろう。
彼の思いと対比した時、余りに情けないのは、「選良」とも言われている集団である。
「どうかこれ以上、政治に対して絶望をしてしまうような仕方で議会を運営するのはやめてください。」
そう言われて、「俺たちは情けない」と思わないのだろうか……。
「御身大事」「物言えば唇寒し」「強い者には巻かれろ」「……」、現実を言いたいことはわかる。
しかし、それにしても、あまりに情けない。
奥田さん曰く、
「どうか若者に希望を与える政治家でいてください。」
「政治のことをまともに考えることが馬鹿らしいことだと思わせないでください。」
「どうか、どうか政治家の先生たちも、個人でいてください。
政治家である前に、派閥に属する前に、グループに属する前に、たった一人の「個」であってください。
自分の信じる正しさに向かい、勇気を持って孤独に志向し、判断し、行動してください。」
政治家と大学教員とはもちろん立場も異なるが、己は、学生達に、そのような存在であり続けているか、
奥田さんの発言には、己の立ち居振る舞いが正しいものなのか、そのことを考えさせる力があった。
ゼミでは、ジャネット・ランキン女史についても触れた。
もう30年以上前のこと。
アメリカ政治外交史の大家、今は亡き斎藤眞先生から、
「私の講義の内容は忘れても、この人の名前は忘れないでいて欲しい。」との言葉と共に教わったのが、
このジャネット・ランキン女史の名前。
真珠湾攻撃の後、開戦・対日宣戦布告を決議しようとしていたアメリカ連邦議会において、
ただ一人、決然として反対の論陣を張り、反対票を投じた、アメリカ史上最初の女性下院議員にして平和運動家。
日本という、同調圧力の極めて強い社会ではあるが、
必要な時には「NO!」と言わなくては、世の中はどんどんおかしくなっていく。
高級官僚の人事権が官邸に握られることにより、官僚が「おかしい」と声を上げにくくなってしまった。
テレビメディアとしてはNHK、新聞としては読売・産経等々が「提灯持ち」をするようになった。
「NO!」と言うべき時に「NO!」と言わず、
それでも後世何かを言われた時のために、見え見えのアリバイ工作をするような、そんな存在に堕落した。
奥田さんやジャネット・ランキン女史は、例外的な存在だ、と言うことは簡単。
それでも学生には、
「言うべき時に言うべきことを言わないと、社会が、組織が、おかしくなる。何より、自分自身が嫌になる。
だからこそ、しっかりと発言できるような者になってくれ」
そのような思いでいる。
斉藤眞先生。
短現として戦地に赴いた経験を持つ先生の思いには到底及ばぬものではありますが、
不肖の弟子も、ジャネット・ランキン女史の存在を、
正しいと思ったらただ一人であっても反対の声を上げることの重要さを、
多少なりとも次の世代に伝えられたのではないか、と、思っています。
時代が、日本が、これ以上悪い方向に行かないよう、見守っていて下さい。
4年生6名中5名、3年生6名中3名と、特に3年生の出席は「おいおい……」というところだが、
その点はここでは述べるまい。
是非、ゼミ生と共に考えてみたかったことがあった。で、後期最初の講義ながら一石を投じた。
一昨日行われた、参議院安保法制特別委員会中央公聴会での、SEALDsの奥田愛基さんの発言について、
テープ起こししたものがネット上にあったのでそれを印刷して配布、併せて
YouTube上にあるものを教えてもらった、奥田さんの映像と共に学生に示す、ということ。
23歳とのことだが、ああいう場で、ああいう発言を出来る学生を生み出すことが出来た、という意味で、
戦後日本の教育は、捨てたものではなかったのだな、と思った。
言うべき時には、時の首相に対しても、公的な場で、議事録に残る形で異論を唱える。
これが、言論のあるべき姿であろう。
彼の思いと対比した時、余りに情けないのは、「選良」とも言われている集団である。
「どうかこれ以上、政治に対して絶望をしてしまうような仕方で議会を運営するのはやめてください。」
そう言われて、「俺たちは情けない」と思わないのだろうか……。
「御身大事」「物言えば唇寒し」「強い者には巻かれろ」「……」、現実を言いたいことはわかる。
しかし、それにしても、あまりに情けない。
奥田さん曰く、
「どうか若者に希望を与える政治家でいてください。」
「政治のことをまともに考えることが馬鹿らしいことだと思わせないでください。」
「どうか、どうか政治家の先生たちも、個人でいてください。
政治家である前に、派閥に属する前に、グループに属する前に、たった一人の「個」であってください。
自分の信じる正しさに向かい、勇気を持って孤独に志向し、判断し、行動してください。」
政治家と大学教員とはもちろん立場も異なるが、己は、学生達に、そのような存在であり続けているか、
奥田さんの発言には、己の立ち居振る舞いが正しいものなのか、そのことを考えさせる力があった。
ゼミでは、ジャネット・ランキン女史についても触れた。
もう30年以上前のこと。
アメリカ政治外交史の大家、今は亡き斎藤眞先生から、
「私の講義の内容は忘れても、この人の名前は忘れないでいて欲しい。」との言葉と共に教わったのが、
このジャネット・ランキン女史の名前。
真珠湾攻撃の後、開戦・対日宣戦布告を決議しようとしていたアメリカ連邦議会において、
ただ一人、決然として反対の論陣を張り、反対票を投じた、アメリカ史上最初の女性下院議員にして平和運動家。
日本という、同調圧力の極めて強い社会ではあるが、
必要な時には「NO!」と言わなくては、世の中はどんどんおかしくなっていく。
高級官僚の人事権が官邸に握られることにより、官僚が「おかしい」と声を上げにくくなってしまった。
テレビメディアとしてはNHK、新聞としては読売・産経等々が「提灯持ち」をするようになった。
「NO!」と言うべき時に「NO!」と言わず、
それでも後世何かを言われた時のために、見え見えのアリバイ工作をするような、そんな存在に堕落した。
奥田さんやジャネット・ランキン女史は、例外的な存在だ、と言うことは簡単。
それでも学生には、
「言うべき時に言うべきことを言わないと、社会が、組織が、おかしくなる。何より、自分自身が嫌になる。
だからこそ、しっかりと発言できるような者になってくれ」
そのような思いでいる。
斉藤眞先生。
短現として戦地に赴いた経験を持つ先生の思いには到底及ばぬものではありますが、
不肖の弟子も、ジャネット・ランキン女史の存在を、
正しいと思ったらただ一人であっても反対の声を上げることの重要さを、
多少なりとも次の世代に伝えられたのではないか、と、思っています。
時代が、日本が、これ以上悪い方向に行かないよう、見守っていて下さい。
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