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たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

五瀬命

2016-03-05 10:43:39 | 西日本の神社

<竈山墓 かまやまのはか>

 

神武天皇(当時はイワレヒコ)は4人の兄とともに、

ヤマトの地を目指して日向からの進軍を開始しました。

しかし、神武一行が大阪からヤマト入りを図ったとき、

生駒山にて地元の豪族であるナガスネヒコの反撃に遭い、

長兄である五瀬命(いつせのみこと)が負傷します。

その後、受けた傷が悪化した五瀬命は、

ヤマトを目前にして亡くなってしまいました。

 

伊太祁曽神社からさほど離れていない場所に、

竈山神社(かまやまじんじゅ)という神社があります。

こちらは神武天皇の長兄である五瀬命をお祀りした神社でして、

社殿や境内もどことなく橿原神宮や明治神宮を思わせる雰囲気。

神社の裏手にある森は、五瀬命の御陵ともいわれており、

亡くなる際に五瀬命が雄たけびを上げたという土地は、

雄水門(おのみなと)と呼ばれているそうです。


亥の森

2016-03-04 11:39:18 | 西日本の神社

<亥の森>

 

伊太祁曽神社には、「元の地」と呼ばれる場所が二つあります。

ひとつは現在の日前神宮・国懸神宮が祀られている秋月地区。

もうひとつは伊太祁曽神社から

500mほど離れた場所にある「亥の森」です。

 

現在の日前・国懸神宮がある場所には、

もともと伊太祁曽神社が鎮座しており、

伊太祁曽神社が山東の地へと移動した(させられた)のち、

大和朝廷と同じ日神を祀る日前・国懸神宮が造られました。

 

最初の鎮座地を離れた伊太祁曽神社は、

一時水神を祀る亥の森に遷座したあと、

現在の場所に移りますが、

その際五十猛命、大屋津比売命、

都麻津比売命の「伊太祁曽三神」は、

それぞれ分祀されたという話を聞きます。

 

伊太祁曽神社が元の土地を追われ、

さらに三柱の神がバラバラになった背景には、

伊太祁曽の神の神威に対する、

朝廷側の畏れがあったのでしょう。


木の国

2016-03-03 11:35:54 | 西日本の神社

<伊太祁曽神社 いたきそじんじゃ>

 

船舶や漁業の関係者以外にとって、

「船」という乗り物は、 「あまたある交通手段のひとつ」

といった程度の認識しかありませんが、

古代において船は、「浮宝」とも呼ばれ、

今の自動車に匹敵する重要な乗り物でした。

 

ゆえに、船の材料となる「木」に恵まれた地は、

海の民(海人族)の聖地にも成り得たわけで、

植林の技術を伝えたとされる五十猛命が、

海人族の拠点に祀られているのも、

決して不思議な話ではないのですね。

 

伝承によりますと、スサノオの子である五十猛命は、

出雲から丹波を経由して紀伊に祀られたという説と、

宮崎から大分を経由して紀伊に祀られたという説があり、

また林業が盛んな長野の木曽地方の木曽という名称は、

伊太祁曽の祁曽(キソ)が語源ともいわれています。


伊太祁曽神社

2016-03-02 16:22:06 | 西日本の神社

<伊太祁曽神社 いたきそじんじゃ>

 

神社を巡っていますと、

「勝者」と「敗者」が渾然一体となって、

祀られている場所に多々遭遇します。

たま駅長で有名な和歌山電鉄の沿線には、

「日前神社・国懸神社」「竈山神社」

「伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)」という、

3つの大きな神社が点在しているのですが、

各々が土地を譲ったり譲られたりしながら、

長い歴史を経て現状に落ち着いているとのこと。

 

私が和歌山市に入ってまず訪れたのは、

この3社のうちひとつ伊太祁曽神社でした。

和歌山の古い読み名である「紀伊国」は、

「木の国」から来ているといわれ、

伊太祁曽神社には、五十猛命(いたけるのみこと)

という木の神様がお祀りされています。

木は造船に欠かせない材料であることから、

山や林業に関わる人たちだけでなく、

漁業関係者からも厚い信仰を集める場所です。


五芒星

2016-02-24 16:08:32 | 西日本の神社

伊弉諾神宮 いざなぎじんぐう>

 

陰陽五行説によりますと、

正五角形(五芒星)の五つの頂点はそれぞれ、

木・火・土・金・水という五つの要素を示し、

隣り合う要素はお互いを生かし合い、

残りの要素とはお互いにけん制し合うとされます。

 

古代イスラエルとの縁が強い六芒星に対し、

五芒星は古代中国との関わりが深い図形で、

ヨーロッパの王侯ではペンタグラム、

日本の陰陽道ではセーマンとも呼ばれ、

いずれも魔術的な意味を持つ形象です。

 

一説によりますと五芒星は、

無限連鎖の一筆書きの中に、

「魔」を封じ込める意味合いがあるのだとか。

様々な「図形」が交差する淡路島は、

海人族だけでなく南方の海より渡来した天孫族にとっても、

どうしても押さえておきたい魔術的な土地だったのでしょう。


陽のみちしるべ

2016-02-23 11:58:11 | 西日本の神社

<伊弉諾神宮 いざなぎじんぐう>

 

古代より東西の交通の要所にある伊弉諾神宮は、

日本全国の聖地の中心に位置する神社です。

境内の一角に建てられた「陽のみちしるべ」

という石碑のモニュメントを見ますと、

伊弉諾神宮から東西南北に向けて、

重要な神社が整然と配置されているのがわかります。

 

またこの地は、伊弉諾神宮、伊勢内宮、

元伊勢、熊野本宮、伊吹山という、

近畿地方の五つの聖地を結ぶ

正五角形(五芒星)の頂点のひとつでして、

伊弉諾神宮から真東の方向には伊勢内宮があります。

淡路島から三輪山や長谷寺等を通り伊勢に抜ける道は、

「太陽の道」と呼ばれる古代の重要なレイラインでした。


たか・たが

2016-02-22 10:52:33 | 西日本の神社

<伊弉諾神宮 いざなぎじんぐう>

 

イザナギ神の幽宮(かくりのみや)

とも呼ばれる伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)は、

国生みに始まるすべての仕事を終えられたイザナギが、

その後の余生を過ごした場所とされ、

淡路国の一宮として多くの参拝客を集めます。

 

日本書紀・古事記によりますと、

イザナギ神が幽宮を構えたのは、

淡路島の「多賀」と呼ばれる土地。

もともと伊弉諾神宮の本殿付近は、

明治以前までは禁則地となっており、

人が立ち入ってはいけない場所でした。

 

先日の記事で、「たか」や「たが」のつく場所は、

特に神聖視される場所だと書きましたが、

実は、「たが・たか」という地名は、

古代イスラエルに関係するという説があります。

それを考えながら「多賀」「高」のつく場所を巡ると、

これまでとは違った発見があるかもしれませんね。


岩楠神社

2016-02-21 10:52:24 | 西日本の神社

<岩楠神社 いわくすじんじゃ>

 

淡路島を訪れたとき、最初に導かれたのは、

蛭子命(ひるこのみこと)をお祀りする、

岩楠神社(いわくすじんじゃ)という小さな神社でした。

岩楠神社のご神体は、女陰を模ったような大きな岩で、

地元では「イザナギの墓所」ともいわれているそうです。

 

蛭子命は、イザナギ神とイザナミ神が、

国生みのご神事の挑まれた際、

真っ先にお生みになられた神様ですが、

出産時に体に不具合があったため、

葦舟にのせられて海に流されてしまいます。

 

七福神のエビス神と同一視されることも多く、

岩楠神社は西宮エビスの本家だという説も…。

日本沿岸では海岸に流れ着いた漂着物を、

エビス様として信仰する地域もあります。


おのころ島

2016-02-20 10:47:11 | 西日本の神社

<自凝島神社 おのころじまじんじゃ>

 

イザナギ・イザナミの二神が、天上の天の浮橋に立ち、

天の沼矛(ぬぼこ)をもって青海原をかきまわし、

その矛を引き上げたときに、

矛の先から滴り落ちる

潮(しお)が凝り固まって一つの島となりました。

これが「おのころ島」で、二神がその島に降りて、

夫婦の契りを結んで国生みをされた際、

まず造られたのが淡路島だったといわれております。

 

おのころ島の所在については、

淡路島の旧三原町のおのころ島、

旧南淡町の沼島、淡路町の絵島、

あるいは、淡路島全体がおのころ島であるなど、

いろいろな説がありますが、その中のひとつが、

高さ21.7メートルの大鳥居で知られる

旧三原町の自凝島神社(おのころじまじんじゃ)です。


国生み

2016-02-19 10:45:16 | 西日本の神社

<絵島 えしま>

 

日本国土の始まりを伝えるイザナミ・イザナミの国生み伝説ですが、

この話はもともと、淡路島や周辺の島々に住んでいた海人族が、

「島生みの始祖伝説」として伝承してきた物語であり、

のちにヤマト朝廷が、天皇家の神聖さを示すために、

国家の起源として神話に取り入れたという説があります。

 

古事記の系図を見ますと、確かにイザナギ・イザナミは、

天祖である天照太御神を生む前に、海人族が信仰する

底津綿津見神・中津綿津見神・上津綿津見神の三柱の神、

底筒之男神・中筒之男神・上筒之男神の三柱の神を生んでいます。

国生み伝説、イザナギ・イザナミという神様を通じて、

海人族と天孫族との関係性が暗示されているのかもしれません。


淡路島

2016-02-18 10:42:06 | 西日本の神社

<淡路島 あわじしま>

 

国生みの神話で知られる淡路島は、

伊勢・紀伊を中心とした太平洋側の地域や、

九州北部から丹後半島へと続く日本海側の地域と同様、

海人族と関連のある場所が数多く存在します。

淡路島は大陸や朝鮮半島と畿内を結ぶ

瀬戸内海ルートの交通の要所であり、

鉄の輸入、加工、配送を担ったと思われる、

大規模な鍛冶工房跡も発見されています。

 

一説によりますとヤマト朝廷は、海運を司る海人族と、

鉄の利権を握る天孫族とが結びついた連合体で、

天孫族にとっては、いかに海人族を味方につけるかが、

政権を維持する上での重要なテーマだったのだとか。

海の神でもあるイザナミは、

火の神カグツチを生んだことにより命を落としますが、

それは鉄の神・カグツチにより、

海人族が天孫族に取りこまれたことを示唆するそうです。

【参考文献】

淡路島垣内遺跡考1~ヤマト王権は海人族と天孫(鉄)族の連合体


高宮斎場

2016-02-17 11:38:16 | 西日本の神社

<宗像大社 むなかたたいしゃ>

 

宗像大社の辺津宮の脇から、

小高い丘を登っていくと、

古代の祭祀場の雰囲気を色濃く残す、

高宮斎場と呼ばれる場所があります。

ここは宗像三女神が降臨した地ともいわれ、

辺津宮の重要な祭祀はすべてここから始まるそうです。

 

伊勢神宮・外宮の多賀宮(たかのみや)しかり、

三輪山山頂の高宮神社(こうのみや)しかり、

高(たか)という名のつく場所は、

神社の中でも特に神聖視される場所。

逆にいうと、安易に軽々しい行動を取れば、

確実に神罰を受けるということです。

 

祭祀の島である沖の島の神宝に、

強力な呪詛の力が秘められているように、

海神(わだつみ)系の神社には、

強大な祓いの力が宿っています。

日本の防衛に果たす宗像大社の役割は、

これからますます大きくなるのでしょう。


防衛基地

2016-02-16 11:36:06 | 西日本の神社

<宗像大社 むなかたたいしゃ>

 

九州本土から海に向けて一直線に並ぶ、

沖津宮、中津宮、辺津宮の三宮は、

朝鮮半島との交流の拠点として、

日本の国益を左右する重要な場所でした。

特に、対馬や朝鮮半島に最も近い沖津宮は、

古代の祭祀場としての役割とともに、

日本の防衛基地としての一面もあったようです。

 

九州と朝鮮半島とに挟まれた玄界灘は、

大きな航海の危険をはらむ荒海で、

古来より朝鮮へ向かう朝廷の使者は、

まず海への玄関口に立つ宗像大社に立ち寄り、

旅の航海の安全を祈願したと聞きます。

そして今も、この一帯の海域は、

近隣アジア諸国との関係のカギを握っています。


海の正倉院

2016-02-15 00:55:55 | 西日本の神社

<宗像大社 むなかたたいしゃ>

 

沖ノ島は九州本土から約60km先の沖合に浮かぶ無人島で、

九州と朝鮮半島とを結ぶ玄界灘のほぼ中央に位置します。

古くから女人禁制、禊をしなければ上陸不可能、

島のものは一木一草一石たりとも持ち出し厳禁、

等々の厳しい風習を、今も守り続ける神の島でして、

約八万点にも及ぶ国宝級の神宝を有することから、

「海の正倉院」とも呼ばれています。

 

最近では頻繁にメディアに取り上げられたり、

沖ノ島を世界遺産に押す運動が行われたりと、

一般人の間でも知られる存在になりましたが、

もともとは限られた神職しか立ち入れない

古代の重要な祭祀場で、島自体が禁足地です。

この地で祀られていた神宝には、

強力な呪詛の力が秘められているとも聞きますし、

盗難や不敬等による神罰の噂も未だに絶えません。


弁財天

2016-02-14 11:26:24 | 西日本の神社

<宗像大社 むなかたたいしゃ>

 

弁財天は、宗像三女神の一柱である

市杵嶋姫(いちきしまひめ)や、

ヒンドゥー教の女神サラスヴァティー

とも同一神とされる神仏習合の神様です。

海や湖や川など水に関連する場所に祀られることが多く、

琵琶を抱えバチを握った姿から「芸能の神」として、

また弁才天の才が財に通じることから

「財宝の神」 としても知られています。

 

その優美なお姿とご神徳により、

木花咲耶姫(このはなさくやひめ)とともに、

女性からの人気が高い神様ですが、

本来は非常に激しく荒々しい性質で、

八臂弁財天 (はっぴべんざいてん)が

手にした8つの品はすべて武器。

二臂弁財天(にひべんざいてん)が

抱える琵琶やバチも、寿命をも左右する

呪術的な楽器だという説があります。