晉丞相王導卒。初帝即位沖幼。毎見導必拝。既冠猶然。委政於導。導以門地、王述爲掾。述未知名。人謂之癡。既見、問江東米價。述張目不答。導曰、王掾不癡。導毎發言、一坐莫不贊歎。述正色曰、人非堯舜、何得毎事盡善。導改容謝之。導性寛厚、所委任諸將、多不奉法。大臣患之。
晋の丞相王導卒す。初め帝、位に即いて沖幼なり。導を見る毎に必ず拝す。既に冠すれども猶お然り。政を導に委(まか)す。導、門地を以って、王述を掾(えん)と為す。述未だ名を知られず。人之を癡(ち)と謂う。既に見るとき、江東の米価を問う。述、目を張って答えず。導曰く「王掾(おうえん)は癡ならず」と。導、言を発する毎に、一座賛嘆せずということ莫(な)し。述、色を正して曰く「人、堯舜に非ず、何ぞ毎事善を尽くすを得ん」と。導、容(かたち)を改めて之を謝す。導の性寛厚、委任する所の諸将、多くは法を奉ぜず。大臣之を患(うれ)う。
沖幼 沖もおさないこと。 冠 礼記に「二十を弱と曰う、冠す」から二十歳のこと、弱冠。 門地 家柄。 掾 副官。
晋の丞相の王導が死んだ(330年)。初め成帝が即位したときは幼かったので、王導を見ると必ず拝した。すでに成人してからもそれは変わらなかった。政治はすべて王導に委ねられた。王導は家柄の点から王述を副官に任命した。名の通っていない王述は、周りから能力を疑われていた。あるとき王導が江東の米価を聞いたところ、王述は目を見開いたまま答えなかった。すると王導は「王副官はバカではないよ」と言った。導が何か言うたびに坐の人々は賛同しない者はいなかったが、王述は「人はだれも堯や舜にはなれません。どうして全ての事に最善ということがありましょうか」と言った。導はいずまいを正して王述に謝した。王導が寛大温厚であったため、任用された将軍の中には法を守らなかった者も多く大臣たちはそれを心配した。