瑯琊内史桓温、豪爽有風概。翼嘗薦之曰、英雄之才、宜委以方・召之任。至是翼以滅胡取蜀爲己任、欲悉衆北伐、移鎭襄陽。詔翼都督征討諸軍。翼以温爲前鋒督。
韓主李壽卒。子勢立。
帝在位三年崩。改元者一。曰建元。太子立。是爲孝宗穆皇帝。
瑯琊(ろうや)の内史桓温(かんおん) 豪爽にして風概(ふうがい)有り。翼嘗て之を薦めて曰く、「英雄の才、宜しく委ねるに方・召の任を以ってすべし」と。是に至って翼、胡を滅ぼし蜀を取るを以って己が任と為し、衆を悉(つく)して北伐せんと欲し、移って襄陽を鎮(しず)む。翼に詔(みことのり)して征討の諸軍を都督せしむ。翼、温を以って前鋒の督(とく)と為す。
漢主李壽卒す。子勢立つ。
帝、在位三年にして崩ず。改元する者(こと)一。建元と曰う。太子立つ。是を孝宗穆(ぼく)皇帝と為す。
内史 内務大臣。 豪爽 気性がすぐれて爽やかなこと。 風概 風格。 方・召 方叔と召伯と共に周の中興の功臣。
瑯琊の内史の桓温は、豪快で爽やか、風格があった。庾翼はあるとき桓温を推薦して、「英雄の才がある。周の功臣方叔と召伯に並ぶ役目を任せるべきである」といった。ここに至って庾翼は胡を滅ぼし、蜀の地を奪還することが自分の役目と考え、ある限りの兵を繰り出して北を討とうとして、襄陽に移って鎮台とした。康帝が庾翼に征討諸軍事都督の詔を下した。庾翼は桓温を前鋒の都督に任命した。
漢主の李寿が死んで子の勢が立った。
康帝が在位三年で崩じた(344年)改元すること一回で、建元という。太子が即位した、これが孝宗穆皇帝である。