寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 呉亡ぶ

2011-12-22 09:14:53 | 十八史略
晉大擧伐呉。杜預出江陵、王濬下巴蜀。呉人於江磧要害處、竝以鐵鎖横江截之。又作鐵錐長丈餘、暗置江中、逆拒舟艦。濬作大筏先行、遇錐輒著筏而去。又作大炬、灌以麻油、遇鎖焼之。須臾融液斷絶。於是船無所礙、遂先克上流諸郡。預遣人、率奇兵夜渡。呉將懼曰、北來諸軍、乃飛渡江也。預分兵、與濬合攻武昌降之。預謂兵威已振、譬如破竹。數節之後、迎刃而解。無復著手擧也。遂指授羣帥方略、徑造建業。濬戎卒八萬、方舟百里、擧帆直指建業、鼓譟入石頭城。呉主皓面縛輿櫬降。封歸命侯。遂符庚子入洛之讖。自大帝至是四世、稱帝者、凡五十二年而亡。遡孫策定江東以來、通八十餘年。

晋、大挙して呉を伐つ。杜預は江陵より出で、王濬(おうしゅん)は巴蜀より下る。呉人(ごひと)、江磧(こうせき)要害の処に於いて、並びに鉄鎖を以って江に横たえて、之を截(た)つ。又、鉄錐の長さ丈余なるを作り、暗に江中に置き、舟艦を逆(むか)え拒(ふせ)ぐ。濬、大筏(だいばつ)を作り、水を善(よ)くする者をして、筏を以って先行し、錐に遇(あ)えば輒(すなわ)ち筏を著(つ)けて去らしむ。又、大炬(たいきょ)を作り、灌(そそ)ぐに麻油を以ってし、鎖に遇えば之を焼く。須臾に融液して断絶す。是(ここ)に於いて、船礙(さわ)る所無く、遂に先ず上流諸郡に克つ。預、人を遣わし、奇兵を率(ひき)いて、夜、渡らしむ。呉の将懼(おそれ)て曰く「北来の諸軍、乃ち江を飛び渡るや」と。預、兵を分かち、濬と合して、武昌を攻め之を降す。預、謂(おも)えらく、「兵威(へいい)已(すで)に振るう、譬えば竹を破(わ)るが如し。数節の後は、刃(やいば)を迎えて解く。復た手を著(つ)くる処なし」と。遂に群帥(ぐんすい)に方略(ほうりゃく)を指授(しじゅ)し、径(ただ)ちに建業に造(いた)る。濬が戎卒(じゅうそつ)八万、舟を方(なら)ぶること百里、帆を挙げて直ちに建業を指し、鼓譟(こそう)して石頭城に入る。
呉主皓、面縛(めんばく)輿櫬(よしん)して降る。帰命侯に封ず。遂に「庚子洛に入る」の讖(しん)に符す。大帝より是(ここ)に至って四世、帝と称する者(こと)、凡(すべ)て五十二年にして亡ぶ。孫策が江東を定めしより以来に遡れば、通じて八十余年なり。


磧 河原。 礙 障害。 面縛 後ろ手に縛って面をさらすこと。 輿櫬 櫬は棺、棺桶を車に積んで死の覚悟を示すこと。 讖 占いの卦。

晋は大軍を派遣して呉を伐つことになった。杜預は江陵から、王濬は巴蜀から水軍を率いて下った。呉の軍は揚子江の河原の要害に鉄の鎖を張り渡してさえぎり、又一丈に余る鉄の錐を密かに水中に植え、晋の軍船を待ち受け防ごうとした。王濬は大きい筏を作り、水練に長じた兵を選りすぐって筏に乗せて先に行かせて、鉄錐を探して除いた。また大きい松明を作り、胡麻油を注いで鉄鎖に遭うと、これを焼いた。たちまち溶かし切った。こうして船団は障碍をすべて取り除いて上流の諸郡で勝ちをおさめた。一方杜預は部下に、奇兵をひきいて、夜陰にまぎれて揚子江を渡らせた。呉の将は大いに恐れて「北の晋軍は、揚子江を飛んで渡ったのか」と言った。杜預は兵を分け、王濬と合流し、武昌を攻めてこれを降した。この時点で晋軍の中には、一旦兵を収めて来年再度攻めてはどうかの意見もあったが、杜預は「今は兵の士気が上がっている。例えば刃物で竹を割るようなもので、最初に二節ほど刃を入れるだけで、あとは竹が刃を迎え入れるように難なく割れる、力など要らぬものだ」と言って進軍を決して、各部将に戦略を授けて直ちに呉の都の建業を目指させた。王濬の軍勢八万、船を連ねること百里、帆を上げて太鼓を打ち、喚声を挙げて石頭城に突入した。
呉主皓は両手を後ろ手に縛り、顔を前に差し出し、棺桶を載せた車を従えて降参して出た。晋は呉主皓を許し帰命侯に封じた。ここでまさにあの庚子の年洛陽に入るの予言に符合したわけである。太帝孫権からここに至るまで四世、帝を称すること五十二年で亡んだ。孫策が江東を平定してから八十年余りであった。


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