寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 哀帝、帝奕

2012-04-21 09:30:40 | 十八史略
哀皇帝名丕、即位二年而寝疾。又一年而崩。改元者二、曰隆和・興寧。弟瑯琊王立。是爲帝奕。
帝奕名奕、成帝之幼子也。既即位。以會稽王、爲丞相。
桓温自哀帝時、爲大司馬、都督中外諸軍事、録尚書事。加揚州牧。移鎭姑孰。以郗超爲參軍、王爲主簿。人語曰、髯參軍短主簿、能令公喜、能令公怒。
燕人攻陥洛陽。戍將死之。温帥師伐燕。戰于枋頭。大敗而還。
燕慕容垂既撃破晉軍。威名日盛。燕王忌之。垂奔秦。

哀皇帝名は丕(ひ)、即位二年にして疾(やまい)に寝(い)ぬ。又一年にして崩ず。改元する者(こと)二、隆和・興寧(こうねい)と曰う。弟瑯琊王立つ。是を帝奕(えき)と為す。
帝奕名奕、成帝の幼子なり。既に位に即く。会稽王(いく)を以って丞相と為す。
桓温、哀帝の時より、大司馬となり、中外の諸軍事を都督し、尚書の事を録す。揚州の牧を加えらる。移って姑孰(こじゅく)に鎮す。郗超(ちちょう)を以って参軍と為し、王(おうじゅん)を主簿と為す。人、語して曰く、髯参軍(ぜんさんぐん)短主簿、能く公をして喜ばしめ、能く公をして怒らしむ、と。
燕人攻めて洛陽を陥る。戍将(じゅしょう)之に死す。温、師を帥(ひき)いて燕を伐つ。枋頭(ほうとう)に戦う。大敗して還る。
燕の慕容垂、既に晋軍を撃ち破る。威名日に盛んなり。燕王之を忌む。垂、秦に奔(はし)る。


姑孰 今の安徽省の地名。 参軍 参謀。 主簿 書記官。 短主簿 ちび主簿。 戍将 守将。 枋頭 河南省の地名。

哀皇帝は名を丕という。即位二年で病気に罹りその後一年で崩御した。改元すること二回、隆和・興寧という。弟の瑯琊王が即位した。これが帝奕である。
帝奕は名が奕で、後に廃せられたので諡は無い。成帝の末の子である。即位すると会稽王のを丞相とした。
桓温は哀帝のときに大司馬となり、内外の軍事すべてを掌握し、尚書の事も司った。さらに揚州の長官を加えられ、姑孰に鎮台を移した。郗超を参謀に、王を書記官に任命した。人々は「公を喜ばせるのも怒らせるのも鬚参軍とちび主簿次第」と陰口を言い合った。
燕が洛陽を攻め落とした。守備の将軍が戦死したので、桓温が師団を率いて燕を伐ったが、枋頭の会戦で大敗して帰還した。
燕の慕容垂はすでに晋軍を撃ち破って、威名ますます高くなった。燕王の慕容暐は警戒心を抱きだした。そこで慕容垂は秦に亡命した。


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