寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 子を生まば当に李亜子の如くなるべし

2014-01-28 08:11:34 | 十八史略
臨終立爲嗣。謂其下曰、此子志氣遠大。必能成吾事。年十七嗣晉王位。即擧兵破梁、解潞圍。自是連勝。梁祖歎曰、生子當如李亞子。吾兒豚犬耳。存勗東併幽州、北卻契丹、南與梁夾河百戰。先是晉陽監軍故唐宦者張承業、爲晉王捃捨財賦、召補兵馬。攻戰連年、接應不乏、皆承業力。承業意在復唐宗社。聞王將稱帝力諌、知不可止、慟哭曰、諸侯決戰、本爲唐家。今王自取之、誤老奴矣。悒悒成疾而卒。

終りに臨み、立てて嗣と為す。其の下(しも)に謂って曰く「此の子志気遠大なり。必ず能く吾が事を成さん」と。年十七にして晋王の位を嗣ぐ。即ち兵を挙げて梁を破り、潞(ろ)の圍(かこ)みを解く。是より連(しき)りに勝つ。梁祖歎じて曰く「子を生まば当(まさ)に李亜子の如くなるべし。吾が児は豚犬のみ」と。存勗(そんきょく)東のかた幽州を併せ、北のかた契丹を卻(しりぞ)け、南のかた梁と河を夾んで百戦す。是より先、晋陽の監軍、故(もと)の唐の宦者張承業、晋王の為に財賦(ざいふ)を捃拾(くんしゅう)し、兵馬を召補(しょうほ)す。攻戦連年接応(せつおう)して乏(とぼ)しかざりしは、皆承業の力なり。承業の意は、唐の宗社を復するに在り。王の将(まさ)に帝と称せんとするを聞いて力諌(りきかん)し、止む可からざるを知るや、慟哭して曰く「諸侯の血戦は本(もと)唐家の為なり。今王自ら之を取り、老奴(ろうど)を誤る」と。悒悒(ゆうゆう)として疾(やまい)を成して卒(しゅっ)す。

亜子 次男。 監軍 戦目付け。 財賦 財と税賦。 捃拾 ともに拾う意、集める。 召補 召集補充。 接応 輜重の接続と士卒にむくいることと。 宗社 宗廟社稷、国家。 力諌 強く諌める。 老奴 承業自身のこと。 悒悒 悒は憂う。

李克用が臨終に際して、存勗を後継ぎにした。部下に向かって「この子は志が大きく将来を見通す能力にすぐれているから、きっとわしの望みを成し遂げることができるであろう」と言って世を去った。存勗は年十七で晋王の位を継ぐと、早速兵を起して梁を破り、潞の囲みを解いた。これより続けて勝利をおさめた。梁の太祖が歎息して「子を生むなら李亜子のようでなければならぬ。それに比べればわしが子などは豚か犬みたいなものだ」と言った。存勗は東の幽州を併合し、北は契丹を退け、南は梁と黄河を挟んで幾度となく戦った。これより以前に晋陽の戦目付けでもと唐の宦官で張承業という者が、晋王の為に財貨や税金をかき集めて軍備を助けたので、幾年にもわたる戦争にも兵糧や兵員の補給に支障をきたさなかったのである。承業の思わくは唐の国家を再建することにあったが、晋王が帝位に就くと知ると、極力諌めた。だが翻意できぬと悟ると、大声でわめき泣いて「諸侯が血を流して戦っているのはもともと唐室の再興の為であった。ところが今王様は自ら皇帝になるとおっしゃる。わしもとんだ見込み違いをしたものだ」と憂い、病を発して死んだ。

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