段太尉の逸事状 (四の四)
及太尉自州以司農徴、戒其族過岐、朱幸致貨幣、愼勿納。及過、固致大綾三百匹。太尉壻韋晤、堅拒不得命、至都。太尉怒曰、果不用吾言。晤謝曰、處賤無以拒也。太尉曰、然。終不以在吾第、以如司農治事堂、棲之梁木上。反、太尉終。吏以告。取視、其故封識具存。 太尉逸事如右。
元和九年月日、永州司馬員外置同正員柳宗元、謹上吏館。今之稱太尉大節者、出入以爲、武人一時奮不慮死、以取名天下。不知太尉之所立如是。宗元嘗出入岐周邠斄、過眞定北上馬嶺、歷亭鄣堡戍、竊好問老校退卒、能言其事。太尉爲人姁姁常低首、拱手行歩。言氣卑弱、未嘗以色待物。人視之儒者也。遇不可、必達其志。決非偶然者。會州刺史崔公來。言信行直。備得太尉遺事。覆校無疑。或恐尚逸墜未集太史氏、敢以狀私於執事。謹狀。
太尉州より司農を以って徴(め)さるるに及んで、その族岐(き)を過(よぎ)るに、朱(しゅせい)幸いに貨幣を致さば、慎んで納るる勿れと戒む。過(よぎ)るに及んで、固く大綾三百匹を致す。太尉の婿の韋晤(いご)、堅く拒めども命を得ず、都に至る。太尉怒って曰く「果たして吾が言を用いず」と。晤謝して曰く「賎に処(お)れば以って拒む無きなり」と。太尉曰く「然り」と。終(つい)に以って吾が第(てい)に在らしめず、以って司農の治事堂に如(ゆ)き、これを梁木の上に棲(お)く。
反して、太尉終わる。吏以ってに告ぐ。取って視るにその故(もと)の封識具(つぶさ)に存せり。太尉の逸事は右の如し。
元和九年月日、永州司馬員外置・同正員柳宗元、謹んで吏館に上(たてまつ)る。
今の太尉の大節を称する者、出入(しゅつにゅう)して以為(おも)えらく、武人一時に奮って死を慮(おもんばか)らず、以って名を天下に取ると。太尉の立つ所是の如きを知らず。
宗元嘗て岐周・邠(ひん)・斄(たい)の間に出入し、真定を過ぎて北のかた馬嶺に上り、亭鄣(ていしょう)・堡戍(ほじゅ)を歴(へ)て、窃(ひそ)かに好んで老校退卒に問うに、能くその事を言う。太尉の人となり姁姁(くく)として常に首(こうべ)を低(た)れ、手を拱(こまぬ)いて行歩す。言気卑弱にして、未だ嘗て色を以って物に待たず。人これを視るに儒者なり。不可なるに遇えば、必ずその志を達す。決して偶々(たまたま)然るものに非ず。
州の刺史崔公来るに会す。言は信に行いは直なり。備(つぶさ)に太尉の遺事を得たり。覆校するに疑い無し。或いは尚逸失(いっしつ)して未だ太史氏に集まらざらんことを恐れ、敢て状を以って執事に私(し)す。謹んで状す。
司農 農務大臣。 岐 岐陽。 朱 岐陽の藩鎮、後に反乱を起こす。 幸い 万一。 大綾 太い綾布。 賎 低い身分。 司馬員外置正員 定員外にあって正官と同じ待遇の刺史の補佐官。 出入 おしなべて。 岐周・邠・斄 共に陜西省西部の地名。 亭鄣 宿駅の守備隊。 堡戍 砦の陣営。 姁姁 やわらぐさま。 拱 指を組んで礼をする。 色 顔色。 不可 許せないこと。
太尉が州の刺史から司農卿として朝廷に召されることになったとき、一族が岐陽を通り過ぎる際に朱が万一贈り物を届けても決して受け取ってはいけないと戒めた。通りかかると朱はしつこく太い綾布三百匹を贈りつけて来た。太尉の婿の韋晤は堅く拒んだが抗しきれず受け取って都に来た。太尉は怒って「やっぱりわしの言いつけをまもらなかったな」と言ったが韋晤は謝った末に「私は低い身分なので断りきれませんでした」と言った。太尉は「わかった」というとその贈り物を屋敷に置かせず、司農の執務室の梁の上に置いた。
朱が反乱を起こし、太尉は殺された。下役人が朱に贈り物の話をしたので朱が取り出してみると封印は切られることなく完全に残っていた。 段太尉の逸事は以上の通りである。
元和九年月日、永州の司馬員外置・同正員柳宗元、謹んで吏館にたてまつる。近頃太尉の大いなる節義を称揚する者、たいていの人が、太尉は武人としてその時奮闘して死を賭した。それで天下に名を残したと思っている。それは太尉の平生を知らずただ一事のみを見て判断しているだけである。
私は嘗て岐周・邠・斄のあたりに往き来し、真定を通って北の馬嶺に登り、宿駅の守備隊や砦の陣営をたずねて、ひそかに老いた将校や退役した兵士に尋ねると、太尉について話してくれた。それによると太尉の人となりは優しく常に頭を垂れ、手を拱組んで歩いていた。言葉もやさしく、未だ嘗て顔色を変えて物事に接したことがなかった。人から見るとまるで儒者のようであった。しかし見過ごす事ができない事態になると、必ず自分の意志を貫き通した。であるから太尉が死んだのは決して偶々そうなったものではないのである。
永州刺史の崔公が来られたのに会った。公は言うことと行いが正しい人で、その崔公から詳しく太尉の知られていない事を聞くことができた。繰り返して調べてみたが間違い無かった。あるいはまだ見落とされて吏官のところに集められていないかもしれぬと思い敢えて書状を以って私的に担当者にお届けする。 謹んで書状で申し上げた。
及太尉自州以司農徴、戒其族過岐、朱幸致貨幣、愼勿納。及過、固致大綾三百匹。太尉壻韋晤、堅拒不得命、至都。太尉怒曰、果不用吾言。晤謝曰、處賤無以拒也。太尉曰、然。終不以在吾第、以如司農治事堂、棲之梁木上。反、太尉終。吏以告。取視、其故封識具存。 太尉逸事如右。
元和九年月日、永州司馬員外置同正員柳宗元、謹上吏館。今之稱太尉大節者、出入以爲、武人一時奮不慮死、以取名天下。不知太尉之所立如是。宗元嘗出入岐周邠斄、過眞定北上馬嶺、歷亭鄣堡戍、竊好問老校退卒、能言其事。太尉爲人姁姁常低首、拱手行歩。言氣卑弱、未嘗以色待物。人視之儒者也。遇不可、必達其志。決非偶然者。會州刺史崔公來。言信行直。備得太尉遺事。覆校無疑。或恐尚逸墜未集太史氏、敢以狀私於執事。謹狀。
太尉州より司農を以って徴(め)さるるに及んで、その族岐(き)を過(よぎ)るに、朱(しゅせい)幸いに貨幣を致さば、慎んで納るる勿れと戒む。過(よぎ)るに及んで、固く大綾三百匹を致す。太尉の婿の韋晤(いご)、堅く拒めども命を得ず、都に至る。太尉怒って曰く「果たして吾が言を用いず」と。晤謝して曰く「賎に処(お)れば以って拒む無きなり」と。太尉曰く「然り」と。終(つい)に以って吾が第(てい)に在らしめず、以って司農の治事堂に如(ゆ)き、これを梁木の上に棲(お)く。
反して、太尉終わる。吏以ってに告ぐ。取って視るにその故(もと)の封識具(つぶさ)に存せり。太尉の逸事は右の如し。
元和九年月日、永州司馬員外置・同正員柳宗元、謹んで吏館に上(たてまつ)る。
今の太尉の大節を称する者、出入(しゅつにゅう)して以為(おも)えらく、武人一時に奮って死を慮(おもんばか)らず、以って名を天下に取ると。太尉の立つ所是の如きを知らず。
宗元嘗て岐周・邠(ひん)・斄(たい)の間に出入し、真定を過ぎて北のかた馬嶺に上り、亭鄣(ていしょう)・堡戍(ほじゅ)を歴(へ)て、窃(ひそ)かに好んで老校退卒に問うに、能くその事を言う。太尉の人となり姁姁(くく)として常に首(こうべ)を低(た)れ、手を拱(こまぬ)いて行歩す。言気卑弱にして、未だ嘗て色を以って物に待たず。人これを視るに儒者なり。不可なるに遇えば、必ずその志を達す。決して偶々(たまたま)然るものに非ず。
州の刺史崔公来るに会す。言は信に行いは直なり。備(つぶさ)に太尉の遺事を得たり。覆校するに疑い無し。或いは尚逸失(いっしつ)して未だ太史氏に集まらざらんことを恐れ、敢て状を以って執事に私(し)す。謹んで状す。
司農 農務大臣。 岐 岐陽。 朱 岐陽の藩鎮、後に反乱を起こす。 幸い 万一。 大綾 太い綾布。 賎 低い身分。 司馬員外置正員 定員外にあって正官と同じ待遇の刺史の補佐官。 出入 おしなべて。 岐周・邠・斄 共に陜西省西部の地名。 亭鄣 宿駅の守備隊。 堡戍 砦の陣営。 姁姁 やわらぐさま。 拱 指を組んで礼をする。 色 顔色。 不可 許せないこと。
太尉が州の刺史から司農卿として朝廷に召されることになったとき、一族が岐陽を通り過ぎる際に朱が万一贈り物を届けても決して受け取ってはいけないと戒めた。通りかかると朱はしつこく太い綾布三百匹を贈りつけて来た。太尉の婿の韋晤は堅く拒んだが抗しきれず受け取って都に来た。太尉は怒って「やっぱりわしの言いつけをまもらなかったな」と言ったが韋晤は謝った末に「私は低い身分なので断りきれませんでした」と言った。太尉は「わかった」というとその贈り物を屋敷に置かせず、司農の執務室の梁の上に置いた。
朱が反乱を起こし、太尉は殺された。下役人が朱に贈り物の話をしたので朱が取り出してみると封印は切られることなく完全に残っていた。 段太尉の逸事は以上の通りである。
元和九年月日、永州の司馬員外置・同正員柳宗元、謹んで吏館にたてまつる。近頃太尉の大いなる節義を称揚する者、たいていの人が、太尉は武人としてその時奮闘して死を賭した。それで天下に名を残したと思っている。それは太尉の平生を知らずただ一事のみを見て判断しているだけである。
私は嘗て岐周・邠・斄のあたりに往き来し、真定を通って北の馬嶺に登り、宿駅の守備隊や砦の陣営をたずねて、ひそかに老いた将校や退役した兵士に尋ねると、太尉について話してくれた。それによると太尉の人となりは優しく常に頭を垂れ、手を拱組んで歩いていた。言葉もやさしく、未だ嘗て顔色を変えて物事に接したことがなかった。人から見るとまるで儒者のようであった。しかし見過ごす事ができない事態になると、必ず自分の意志を貫き通した。であるから太尉が死んだのは決して偶々そうなったものではないのである。
永州刺史の崔公が来られたのに会った。公は言うことと行いが正しい人で、その崔公から詳しく太尉の知られていない事を聞くことができた。繰り返して調べてみたが間違い無かった。あるいはまだ見落とされて吏官のところに集められていないかもしれぬと思い敢えて書状を以って私的に担当者にお届けする。 謹んで書状で申し上げた。