寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

唐宋八家文 柳宗元 段太尉の逸事状 (四の三)

2014-10-21 15:13:03 | 唐宋八家文
 先是太尉在州、爲營田官。大將焦令、取人田自占數十頃、給與農曰、且熟歸我半。是歳大旱、野無草。農以告。曰、我知入數而已、不知旱也。督責急。且餓死、無以償。即告太尉。太尉判狀辭甚巽。使人求諭。盛怒、召農者曰、我畏段某耶。何敢言我。取判鋪背上、以大杖撃二十、垂死。輿來庭中。太尉大泣曰、乃我困汝。即自取水、洗去血。裂裳衣瘡、手注善藥、旦夕自哺農者、然後食。取騎馬賣、市穀代償、使勿知。淮西寓軍帥尹少榮、剛直士也。入見大罵曰、汝誠人耶。州野如赭。人且餓死。而必得穀、又用大杖撃無罪者。段公仁信大人也。而汝不知敬。今段公唯一馬、賤賣市穀入汝。汝又取不恥。凡爲人傲天災、犯大人、撃無罪者又取仁者穀、使主人出無馬。汝將何以對天地。尚不愧奴隷耶。雖暴抗然聞言則大愧、流汗不能食。曰、吾終不可以見段公。一夕自恨死。

是より先、太尉州に在りて、営田の官たり。の大将焦令(しょうれいしん)、人の田を取りて自ら占むること数十頃(けい)、農に給与して曰く「且(まさ)に熟せば我に半ばを帰(おく)れ」と。是の歳大いに旱(ひでり)し、野に草無し。農以ってに告ぐ。曰く「我入数を知るのみ、旱を知らざるなり」と。督責(とくせき)益々急なり。且に餓死せんとして、以って償う無し。即ち太尉に告ぐ。太尉の判状、辞甚だ巽(そん)なり。人をして求めてに諭さしむ。盛怒し、農者を召して曰く「我段某を畏(おそ)れんや。何ぞ敢て我を言う」と。判を取りて背上に鋪(し)き、大杖を以って撃つこと二十、死に垂(なんな)んとす。輿(よ)して庭中に来る。太尉大いに泣いて曰く「乃ち我汝を困(くる)しましむ」と。即ち自ら水を取り、血を洗い去る。裳(しょう)を裂いて瘡(きず)に衣(き)せ、手ずから善薬を注(つ)け、旦夕自ら農者に哺(ほ)し、然る後に食す。騎馬を取って売り、穀を市(か)いて代償し、知ること無からしむ。
淮西寓軍(わいせいぐうぐん)の帥(すい)尹少栄、剛直の士なり。入りてを見、大いに罵(ののし)って曰く「汝誠に人か。州の野(や)、赭(しゃ)の如し。人且に飢死せんとす。而して必ず穀を得んとし、又大杖を用(も)って罪無き者を撃つ。段公は仁信の大人(たいじん)なり。而るに汝敬することを知らず。今段公唯だ一馬のみなるに、賤売(せんばい)して穀を市い汝に入る。汝また取って恥じず。凡そ人と為って天災に傲(おご)り、大人を犯し、罪無き者を撃ち、また仁者の穀を取り、主人をして出ずるに馬無からしむ。汝将(は)た何を以って天地に対(こた)えん。尚奴隷に愧(は)じずや」と。
暴抗と雖も、然れども言を聞きて則ち大いに愧じ、汗を流して食する能わず。曰く「吾終に以って段公を見るべからず」と。一夕自ら恨んで死す。


営田 屯田の管理。 頃 百畝。 給与 小作をさせること。 帰れ 納めろ。 判状 判決文。 巽 おだやか。 哺し 食べさせる。 市 買う。 寓軍の帥 駐留軍の大将。 赭 あかつち。 暴抗 乱暴で逆らう。 

是より前に太尉は州の屯田の管理をしていた。の大将の焦令は、他人の田数千畝を自分の物にし、農夫に貸し与えていた。そして「収穫したらわしに半分納めろ」と命じた。この年はひどい旱魃で、一面草も生えていない状況であった。農夫は焦令に訴えたが「わしは小作の収量を知ればよいのだ、旱魃のことなど知る必要もない」ととりあわず督促をますます厳しくした。農夫は飢え死に寸前にまでなったが、納める手立てが無い。そこで太尉に訴え出た。それに対する太尉の判決文は穏やかな文面で人に持たせて焦令の間違いを諭した。焦令はひどく腹を立て、農夫を呼び出してこう言った「わしが段なにがしを畏れるものか。どうしてわしを訴え出たのだ」と判決文を農夫の背中に置き、太い杖で二十回も打ち据えたので、農夫は死にそうになった。その農夫を戸板に乗せ太尉の役所の庭に運んできた。太尉は泣いて「かえって私がお前を苦しませてしまった。すまない」と言って、自ら水で血を流し、下着を裂いて傷を包み、薬をつけて朝夕食事を口に運び、その後で自分の食事をとった。馬を売って穀物を買い、農夫は言わずに代わって焦令に納めた。
淮西駐留軍の大将尹少栄は剛直な人物で、焦令に会うと、罵り言った「お前はそれでも人間か。いま州はひどい旱魃で野に草も生えない赤土ではないか。人々が飢え死にしそうなのに、無理に穀物を得ようとして罪無き人を打ち据えた。段どのは情け深くまことの心を持った立派な人物であるのにお前は敬うことを知らない。段どのは馬を売ってまでして穀物を買い、お前に納めた。それを受け取って恥じない。およそ人にありながら天災を侮り、立派な人物に無礼をし、罪の無い者を打ち据え、そのうえ情け深い人の穀物を取り上げ、主人が外出をするのに馬も無い状態にさせた。お前は天地の神にどう申し開きをするつもりだ。使用人にさえ恥ずかしいではないか」
焦令は乱暴で人に逆らう性格であったが、さすがにこの言葉を聞いて大いに恥じ入り、冷や汗を流して食も喉を通らなくなった。「私は段どのに会わせる顔がない」と言ってある晩自分を恨みながら死んだ。