寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 太祖遷都を止まる

2014-10-09 08:33:40 | 十八史略
上如西京、謁宣祖安陵。
夏四月、郊。都民垂白者相謂曰、我輩少經離亂。不圖、今日復覩太平天子儀衞。有泣下者。
上欲留都洛陽。羣臣咸諌。上曰、吾且都長安。晉王叩頭曰、在不在險。上曰、吾將西遷者、欲據山河之勝、而去冗兵。晉王之言固善。今姑從之。不出百年、天下民力殫矣。乃還大梁。

上、西京に如(ゆ)き、宣祖の安陵に謁す。
夏四月、郊(こう)す。都民の垂白(すいはく)なる者、相謂って曰く「我が輩、少より離乱を経たり。図らざりき今日復、太平の天子の儀衛を覩(み)んとは」と。泣(なみだ)下る者有り。
上、留って洛陽に都せんと欲す。群臣咸(ことごと)く諌む。上曰く「吾且(まさ)に長安に都せんとす」と。晋王叩頭(こうとう)して曰く「徳に在って険に在らず」と。上曰く「吾、将(まさ)に西に遷(うつ)らんとする者は、山河の勝に拠って、冗兵を去らんと欲すればなり。晋王の言、固(まこと)に善し。今姑(縛ら)く之に従わん。百年を出でずして、天下の民力殫(つ)きん」と。乃ち大梁に還る。


西京 宋は大梁を東都とし、洛陽を西都と云った。 宣祖 太祖の父弘殷。 郊 天子が冬至には南に行って天を祀り夏至には北に行って地を祀った。 垂白 老人。 叩頭 頭を地にすりつけて礼をすること。 冗兵 無駄な軍費。 

帝は西京の洛陽に行って父の宣祖を葬った安陵に参拝した。
夏四月、洛陽の郊外で地を祀った。洛陽の白髪の老人たちは互いに言い合うには「俺たちは若い頃から戦乱を経てきたが今日こうして太平の天子の行列を見られるとは」と涙を流して喜ぶ者もあった。
帝はこ、のまま留まって都を洛陽に遷そうとしたら、群臣が皆思い止まるよう諌めた。帝は「私はゆくゆくは長安に遷都しようとさえ思っている」と言われた。帝の弟の晋王が頭を地にすりつけて「国家安泰は帝の徳にあって、山河の険に在るのではありません」と諌めると帝は「私が長安に遷都しようとする訳は山河の険に拠って余分な兵力を減らそうと思うからだ。だが晋王の言葉も尤もなことである。暫く晋王の言に従って遷都は見直そう。だがこのまま大梁を都にしていたら百年を経たずに、天下の財力は尽きてしまうであろう」と言いつつ大梁に還った。