寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 人豚

2010-04-29 12:36:49 | 十八史略
上崩。葬長陵。爲漢王者四年、爲帝者八年、凡十二年。太子盈立。是爲孝惠皇帝。
孝惠皇帝名盈。母呂太后。即位之元年、呂后鴆殺趙王如意、斷戚夫人手足、去眼耳、飮瘖藥、使居廁中。命曰人彘、召帝觀之。帝驚大哭、因病,歳餘不能起。

上(しょう)崩ず。長陵に葬る。漢王たること四年、帝たること八年、凡(すべ)て十二年なり。太子盈立つ。是を孝惠皇帝と為す。
孝惠皇帝名は盈(えい)、母は呂太后なり。位に即くの元年、呂后、趙王如意(じょい)を鴆殺(ちんさつ)し、戚夫人の手足(しゅそく)を断ち、眼を去り、耳を(ふす)べ、瘖薬(いんやく)を飲ましめ、厠中(しちゅう)に居(お)らしむ。命じて人彘(じんてい)と曰い、帝を召して之を観(み)しむ。帝驚いて大いに哭し、因(よ)って病み、歳余起(た)つこと能(あた)わず。

高祖が崩御し(前195年)、長陵に葬られた。漢王であること四年、天子であること八年、あわせて十二年間であった。二代皇帝に太子の盈が就いた。これを孝恵皇帝(恵帝)といった。
孝恵皇帝、名は盈という、母は呂太后である。即位の年、呂后は趙王如意を鴆毒(ちんどく)で殺し、戚夫人の手足を斬り、眼球をえぐり取り、耳を燻(いぶ)してふさぎ、瘖薬を飲ませて声を奪ったうえで厠(かわや)に閉じ込めた。これを「ひとぶた」と呼ばせて、恵帝にこれを見せた。恵帝は驚いて声をあげて哭(な)き叫んだ。とうとうこれがもとで病気になり、一年余りも起き上がれなかった。

鴆毒 マムシを食った鴆という鳥の羽を浸した酒という
瘖薬 ひとを唖にする薬
人彘 彘は猪子