十年、代相國陳豨反。帝自將撃之。淮陰侯韓信舎人弟上変、告信陰與豨謀。呂后與蕭何謀、詐称豨已敗死、紿信入賀、使武士縛信、斬之。信曰、吾悔不用蒯徹之謀、乃爲兒女子所詐。遂夷信三族。
十年、代の相国陳豨(ちんき)、反す。帝自ら将として之を撃つ。淮陰侯(わいいんこう)韓信の舎人(しゃじん)の弟、変を上(たてまつ)り、信が陰(ひそか)に豨と謀(はか)ると告ぐ。呂后(りょこう) 蕭何(しょうか)と謀り、詐(いつわ)って豨已(すで)に敗死すと称し、信を紿(あざむ)いて入って賀せしめ、武士をして信を縛(ばく)せしめ、之を斬る。信曰く、吾蒯徹(かいてつ)の謀(はかりごと)を用いず、乃ち児女子の詐る所と為りしを悔ゆ、と。遂に信の三族を夷(たい)らぐ。
漢の十年に、代(河北省の地名)の宰相陳豨が謀反を起こした。高祖は自ら兵を率いて討伐に向った。留守中、淮陰侯韓信の家人(けにん)の弟が上書して韓信が密かに陳豨と呼応して謀反を企てていますと訴え出た。呂后と蕭何は計略を立てて、陳豨がすでに敗死したと言いふらし、韓信をあざむいて、祝賀の挨拶に参内するようしむけた。そして韓信が出向くと、武装した兵士に命じて縛り上げた。まさに斬られようとした時、韓信は言った。「わしがかつて蒯徹の策をしりぞけた為に、かえって女子供にしてやられた、それが悔やまれる」と。こうして韓信の父・母・妻の血族すべてが皆殺しにされた。
十年、代の相国陳豨(ちんき)、反す。帝自ら将として之を撃つ。淮陰侯(わいいんこう)韓信の舎人(しゃじん)の弟、変を上(たてまつ)り、信が陰(ひそか)に豨と謀(はか)ると告ぐ。呂后(りょこう) 蕭何(しょうか)と謀り、詐(いつわ)って豨已(すで)に敗死すと称し、信を紿(あざむ)いて入って賀せしめ、武士をして信を縛(ばく)せしめ、之を斬る。信曰く、吾蒯徹(かいてつ)の謀(はかりごと)を用いず、乃ち児女子の詐る所と為りしを悔ゆ、と。遂に信の三族を夷(たい)らぐ。
漢の十年に、代(河北省の地名)の宰相陳豨が謀反を起こした。高祖は自ら兵を率いて討伐に向った。留守中、淮陰侯韓信の家人(けにん)の弟が上書して韓信が密かに陳豨と呼応して謀反を企てていますと訴え出た。呂后と蕭何は計略を立てて、陳豨がすでに敗死したと言いふらし、韓信をあざむいて、祝賀の挨拶に参内するようしむけた。そして韓信が出向くと、武装した兵士に命じて縛り上げた。まさに斬られようとした時、韓信は言った。「わしがかつて蒯徹の策をしりぞけた為に、かえって女子供にしてやられた、それが悔やまれる」と。こうして韓信の父・母・妻の血族すべてが皆殺しにされた。