寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 高祖、太子盈を廃せんと欲す

2010-04-20 16:33:42 | 十八史略
初戚姫有寵。生趙王如意。呂后見疏。太子仁弱。上以如意類己、欲廃太子而立之。羣臣争之、皆不能得。呂后使人彊要張良畫計。良曰、此難以口舌争也。顧上所不能致者四人。東園公・綺里季・夏黄公・甪里先生。以上嫚侮士故、逃匿山中、義不爲漢臣。上高此四人。今令太子爲書卑詞、安車固請、宜来。至以爲客、時從入朝、令上見之、則一助也。

初め戚姫(せきき) 寵(ちょう)有り。趙王如意(じょい)を生む。呂后疏(うと)んぜらる。太子仁弱(じんじゃく)なり。上(しょう)、如意の己に類するを以って、太子を廃して之を立てんと欲す。群臣之を争えども、皆得ること能(あた)わず。呂后、人をして張良を彊要(きょうよう)して画計せしむ。良曰く、此れ口舌(こうぜつ)を以って争いがたきなり。顧(おも)うに上(しょう)の致すこと能わざる所の者四人あり。東園公・綺里季(きりき)・夏黄(かこう)公・甪里(ろくり)先生と曰う。上、士を嫚侮(まんぶ)する故を以って、逃れて山中に匿(かく)れ、義として漢の臣と為らず。上、此の四人を高しとす。今、太子をして書を為(つく)り詞(ことば)を卑(ひく)うし、安車(あんしゃ)もて固く請わしめば、宜しく来るべし。至らば以って客と為し、時々に従えて入朝し、上をして之を見しめば、則ち一助なり、と。

初め戚姫が帝に寵愛されて、趙王如意(じょい)を生んだので、呂后は疎んぜられた。そのうえ呂后の生んだ太子(盈)は慈悲深くはあったが身体が弱かった。帝は如意の気性が自分に似ていたので、盈を廃して如意を立てようとした。群臣は諌めたけれども、どれも聞き入れられなかった。そこで呂后は使者を張良に遣わして強いて太子の安泰を画策させた。張良はこれに答えて、「これは口先で諌めてもどうなるものでもありません。それがしが思うに、帝が招聘(しょうへい)しようとしてもどうにもならない人物が四人居ります、東園公・綺里季・夏黄公・甪里先生といいますが、彼等は帝が士をあなどり軽んずるのを見て山中に隠れ、義を貫いて臣になりません。帝はこの四人を見識の高い者だと思っておられます。今太子が手紙を書き、言葉を丁寧にして、乗り心地の良い車で是非にと請えば、彼等はきっと太子のもとにやって来るでしょう。参りましたならば、彼等を賓客として遇し、折にふれて伴って帝のお目にかけるようになされますならば、一つの助けになりましょう」と言った。

彊要 強要と同じ。  嫚侮 嫚も侮もあなどる、ばかにすること。
甪里先生 角里とも書く。