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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

柳宗元 送婁圖南秀才遊淮南將入道序 (三之三) 

2014-10-07 08:46:08 | 唐宋八家文
送婁圖南秀才遊淮南將入道序 (三之三)
夫形軀之寓於士、非吾能私之。幸而好求堯舜孔子之志、唯恐不得。幸而遇行堯舜孔子之道、唯恐不慊。若是而壽可也。求之而得、行之而慊、雖夭其誰悲。今將以故嘘爲食、咀嚼爲神、無事爲閑、不死爲生。則深山之木石、大澤之龜蛇、皆老而久。其於道何如也。僕嘗學於儒、持之不得。以陥於是。以出則窮、以處則乖。其不宜言道也審矣。以吾子見私於僕、而又重其去。故竊言而書之而密授焉。

夫れ形躯(けいく)の土に寓(ぐう)する、吾能(よ)くこれを私(わたくし)するに非ず。幸いにして好んで堯・舜・孔子の志を求めては唯だ得ざらんことを恐るるのみ。幸いにして堯・舜・孔子の道を行うに遇いては、唯だ慊(あきた)らざらんことを恐るるのみ。是(かく)の若(ごと)くにして寿ならば可なり。これを求めて得これを行うて慊れば、夭(よう)すと雖もそれ誰か悲しまん。今将(まさ)に呼嘘を以って食と為し、咀嚼を神(しん)と為し、事無きを閑と為し、死せざるを生と為さんとす。則ち深山の木石、大沢の亀蛇(きだ)、皆老いて久し。その道に於ける何如ぞや。
僕嘗て儒を学び、これを持するも得ず。以って是に陥る。以って出ずれば則ち窮し、以って処(お)れば則ち乖(そむ)く。その宜しく道を言うべからざるや審(つまびら)かなり。吾子僕に私(わたくし)せらるるを以ってして、またその去るを重んず。故に窃(ひそか)に言いてこれを書して密かに授く。

形躯 肉体。 土に寓す 土地に仮住まいする。 夭 若死に。 呼嘘 深呼吸。 吾子 あなた。 重 惜しむ。 

そもそもわが身をこの世に居らしめるのは、私の考えでは自分を個人のものとするのではなく、堯・舜・孔子の志を求めていて、ただ得られないことを恐れるだけであります。堯・舜・孔子の道を行うに当たっては、ただ満足に行えないことを恐れるのです。このようにしてなお長生きならば良し、求めてこれを得、この道を行って満足するなら、若死にするとしても誰が悲しむでしょうか、深呼吸を食事に替え、薬草を噛んで神気を養い、仕事をしないことを閑居として、死なないことを生きるとすれば、深山の木石、大沢の亀や蛇などどれも年古りて久しい。それが一体道とどういう関係があるというのでしょうか。
私は嘗て儒家の道を学びましたが、これを守り続けることができなかった。それで今の流罪の境遇に陥っているのです。朝廷に仕えては不遇であり、退いて家居すれば世間と合わない。これで道の事など言う立場にないことはわかっています。しかしあなたが私に親しくしてくれたことが、あなたの旅立ちを余計に残念に思うのです。そこで自分なりに意見を書いてそっと手渡すことにします。

唐宋八家文 柳宗元 送婁圖南秀才遊淮南將入道序(三之二)

2014-10-02 11:24:00 | 唐宋八家文
僕聞而愈疑。往時觀得進士者、不必若婁君之言。又少能類婁君之文學。又無納言之大以爲之祖、無比部衞尉以爲之知。而升名者百數十人。今婁君非不足也。顧不樂而遁耳。因爲余留三年。他日又曰、吾所以求於心者未克。今其行也。余既異其遁於名。而又其久留於我也。故爲之言。夫君子之出、以行道也。其處、以獨善其身也。今天下理平、主上亟下求士之詔。婁君智可以任職用事、文可以宜風歌。行於世、必有合其道而進薦之者。遽而爲處士。吾以爲非時。將曰老而就休耶。則甚少且鋭。羸而自養耶。則甚碩且武。間其所以處、咸無名焉。若苟焉以圖壽爲道、又非吾之所謂道也。

僕、聞きて愈々疑う。往時進士を得る者を観るに、必ずしも婁君の言の若(ごと)くならず。また能(よ)く婁君の文学に類するもの少なし。また納言の大徳を以ってこれが祖たる無く、比部・衞尉以ってこれが知たる無し。而して名を升(のぼ)す者、百数十人なり。今、婁君足らざるに非ざるなり。顧(おも)うに楽しまずして遁(のが)るるのみ。
因(よ)って余が為に留まること三年なり。他日また曰く「吾が心に求むる所以のもの未だ克(あたわ)ず。今それ行かん」と。
余既にその名を遁るるを異(あや)しむ。而してまたその久しく我に留まるを徳とするなり。故にこれが言を為す。
夫(そ)れ君子の出ずるは、以って道を行うなり。その処るは、以って独りその身を善くするなり。今天下理平、主上亟(しば)しば士を求むるの詔を下す。婁君智は以って職に任じ事を用うべく、文は以って風(ふう)を宣(の)べ徳を歌うべし。世に行わば、必ずその道に合してこれを進薦(しんせん)する者有らん。遽(にわか)にして処士と為る。吾以って時に非ずと為す。将(まさ)に老いて休に就くと曰わんとするか。則ち甚だ少(わか)くして且つ鋭なり。羸(つか)れて自ら養うか。則ち甚だ碩(せき)にして且つ武なり。その処(お)る所以を問うに、咸(みな)名無し。若し苟焉(こうえん)として寿を図るを以って道と為さば、また吾の所謂(いわゆる)道に非ざるなり。


理平 すじみちが通っている状態。 進薦 推薦。 処士 仕官しない者。 羸 つかれる。 碩 立派なこと。 苟焉 苟かりそめ。

私はあなたの言葉を聞いて益々疑問に思った。昔、私が進士の及第者を観察したところ、あなたの言うことと違っていた。またあなたのような文章・学問に及ぶ者は居なかった。また納言のような立派な人格者を祖に持つ人も居なかった。さらに崔比部や于衞尉などの著名な人の知遇もなかった。それにも拘わらず進士に及第した者は百数十人もいたのです。今のあなたは進士となる力が足りないのではなく、思うに進士となるのをこころよく思わず逃げようとしているだけだと思うのです。
 そしてこの地に三年も留まってくれました。また或る日こう言いました「私の心に求めているものが未だに得られないのです。今こそ旅に出る潮時です」と。 私はあなたが進士の名から逃げようとしていることを不思議に思いながら、一方で私の所に長く逗留してくれたことを嬉しく思っていました。あなたの旅立ちに際して次の言葉を送ろうと思います。
 君子が世に出て官に就くのは道義を世に行うためでしょう。それまではひたすら自身の修養に勉めることです。今は天下が治まり天子はしばしば有能の士を登用する詔勅を下しております。あなたの知能は官職に任用されても十分職務を遂行できますし、文才は天子の威風を広め、徳政を謳うことができます。これを世の中で実践すれば必ず道に合してあなたを朝廷に推薦する者があるでしょう。それを急に隠遁の道を選んでしまった。私は「そんな時ではないでしょう」と思うのです。
 あなたは老いたので隠居したいというのでしょうか。いやいやあなたは十分若くて鋭敏です。疲れたので休養したいというのでしょうか。いえいえあなたは大きくて元気ではないですか。その野に居る理由を聞くとどれも名聞が立ちません。かりそめにも長生きをすることが道だと考えるなら、それは私の言うところの道ではないのです。

柳宗元 婁圖南(ろうとなん)秀才の淮南に遊び将に道に入らんとするを送る序

2014-09-27 15:27:24 | 唐宋八家文
送婁圖南秀才遊淮南將入道序 三の一
僕未冠、求進士。聞婁君名甚熟。其所爲歌詞傳詠都中。通數經及羣書、當時爲文章、若崔比部于衞尉、相與稱其文。衆目曰、納言曾孫也。而又有是。咸推讓爲先登。
後十餘年、僕自尚書郎謫來零陵。覯婁君、猶爲白衣。居無室宇、出無僮御。僕深異而訊之。乃曰、今夫取科名者、交貴勢、倚親戚、合則挿翮、生風濤、沛焉而有餘。吾無有也。不則饜飮食、馳堅良、以驩于朋徒、相貿爲資、相易爲名。有不諾者、以氣排之。吾無有也。不則多筋力、善造請、朝夕屈折於恆人之前、走高門、邀大車、矯笑而僞言、卑陬而姁婾、偸一旦之容以售其伎。吾無有也。自度卒不能堪其勞。故舍之而游。逾湖江、出豫章、至南海、復由桂而下也。少好道士言、餌藥爲壽、未盡其術。故往旦求之。

婁圖南(ろうとなん)秀才の淮南に遊び将に道に入らんとするを送る序
僕未だ冠せず、進士を求めしとき、婁君の名を聞くこと甚だ熟せり。その為(つく)る所の歌詩は都中に伝詠す。数経及び群書に通じ、当時文章を為るもの、崔比部・于衞尉の若(ごと)き、相与(とも)にその文を称す。衆皆曰く「納言(のうげん)の曾孫なり。而してまた是れ有り」と。咸(みな)推讓(すいじょう)して先登(せんとう)と為す。
後十余年、僕尚書郎より謫(たく)せられて零陵に来る。婁君に覯(あ)うに、猶白衣たり。居るに室宇(しつう)無く、出ずるに僮御(どうぎょ)無し。僕深く異(あやし)んでこれを訊(と)う。乃ち曰く「今夫(か)の科名を取る者は、貴勢(きせい)に交わり、親戚に倚(よ)り、合えば則ち羽翮(うかく)を挿(さしはさ)み、風濤(ふうとう)を生じ、沛焉(はいえん)として余り有り。吾に有ること無きなり。不(しか)らずんば則ち飲食に饜(あ)き、堅良(けんりょう)を馳せて、以って朋徒(ほうと)を驩(よろこ)ばし、相貿(か)えて資と為し、相易(か)えて名を為す。諾せざる者有れば、気を以ってこれを排(はい)す。吾に有ること無きなり。
不(しか)らずんば則ち筋力を多くし、造請(ぞうせい)を善くし、朝夕恒人(こうじん)の前に屈折し、高門に走り、大車を邀(むか)え、矯笑(きょうしょう)して偽言し、卑陬(ひすう)して姁婾(くゆ)し、一旦の容を偸(ぬす)みて以ってその伎(わざ)を售(う)る。吾に有ること無きなり。自ら度(はか)るに卒にその労に堪(た)うる能わず。故にこれを舎(す)てて遊ぶ。湖江を逾(こ)え、予章(よしょう)に出で、南海に至り、復た桂(けい)よりして下るなり。少(わか)きより道士の言を好み、薬を餌(じ)して寿を為すも、未だその術を尽さず。故に往きて且(まさ)にこれを求めんとす」と。


熟す ゆきわたる。 数経 易・書・詩・春秋・礼・楽 の六経の一部。 崔比部・于衞尉 比部朗中の崔鵬と衞尉寺長官の于邵のこと。 納言 正三品の侍中と同じ、則天武后の時代曽祖父の婁師徳がこの職にあった。 咸 ことごとく。 推讓 道を譲ること。 先登 第一人者。 謫 流罪になること。 零陵 永州、今の湖南省零陵県。 覯う 思いがけなく出会う。 白衣 官位の無いもの、布衣。 室宇 部屋。 僮御 召使いと御者。 羽翮を挿し つばさを生やす。 沛焉 勢いの強いさま。 饜きる 飽きる。 堅良 堅車良馬。 驩 よろこぶ。 造請 ごきげん伺い。 恒人 常人。 屈折 身をかがめる。 嬌笑 愛想笑い。 偽言 世辞を言う。 卑陬すみっこ。 姁婾 和らぎ喜ぶ振り。 偸む ごまかす。 伎を售る 技能を売りこむ。湖江 洞庭湖と長江。 予章 江西省の地。 南海 広東省沿岸部。 桂 江西の桂林。 餌 服用する。 

私が元服する前、進士の受験に備えていた頃にしばしばあなたの名を耳にしていた。あなたの歌謡や詩はみやこ中に広まり、数種の経書や多くの書物に通じていた。それで当時の文章家の崔鵬や于邵などがあなたの文章を褒めていた。人々は「さすが納言殿の曾孫だ。文才にも秀でていらっしゃる」と言って道を譲り、一番の出世頭と思っていた。
 十年経って私が尚書朗から左遷されて零陵に来たところ思いがけずあなたに出会った。ところがあなたは無官の身、住むに家無く外出に共も御者も居ないという。不思議に思って訊ねてみたところあなたはこう言った「今の世で科挙の名誉を勝ち取る者は、貴顕や権盛と交わり、あるいは血縁に頼る。それが成ると翼を生やし、大風と大波を起し、あり余る勢いを生じる。私にはそれが無いのです。
それでなければ食をむさぼり、立派な車や馬を走らせて仲間の歓心を買い、互いに資力をつくりあい、評判を高めあう。不承知な者は排除してしまう。私にはそんなことはできないのです。また或いはせっせと有力者を訪問して朝な夕なにつまらん人物の前に身を屈め、高貴な家に行き、立派な車を迎え愛想笑いを作って世辞を言う。隅っこに控えてなおご機嫌をとる。時々に態度を変えて自分を売り込む。こんな事は私にはできないのです。
よくよく考えてみると、進士になる苦労に堪えられないのです。だから進士の道を捨てて旅に出るのです。洞庭湖や長江を渡り、江西の予章に出て南海に至り、また桂林から南に下る積もりです。私は若い頃より道教の説を好み、薬を飲んで長寿を求めましたが未だにその術を体得していません。そこで旅をしながら道術を極めようと思っています」と。


江南を伐つ

2014-09-25 15:23:33 | 唐宋八家文
七年、命曹彬伐江南。初上屢遣使、喩江南國主李入朝。不至。乃以彬及潘美等討之、戒以切勿暴略生民、務廣威信、使自歸順、不須急撃。取匣劍授彬曰、副將而下、不用命者斬之。美以下皆失色。自王全斌平蜀多殺人、上毎恨之。彬性仁厚。故專任焉。先是江南樊若水、擧進士不第。上書言事。不報。乃釣魚采石江上、以繩度江廣狹、詣闕陳策。上用其言。令荊南造大艦、爲浮梁以濟師。至是用之、不差尺寸。

七年、曹彬(そうひん)に命じて江南を伐たしむ。初め上、しばしば使いを遣わして、江南国主の李(りいく)に喩(さと)して入朝せしむ。至らず。乃ち彬及び潘美(はんび)等を以って之を討たしめ、戒(いまし)むるに、切に生民を暴略する勿れ、務めて威信を広め、自ら帰順せしめて、急に撃つを須(もち)いざるを以ってす。匣剣を取って彬に授けて曰く「副将より下、命(めい)を用いざる者は之を斬れ」と。美以下、皆色を失う。王全斌(おうぜんひん)、蜀を平らげて多く人を殺せしより、上、毎(つね)に之を恨む。彬の性、仁厚なり。故に専ら任ず。是より先、江南の樊若水(はんじゃくすい)、進士に挙げられて第せず。上書して事を言う。報ぜず。乃ち魚を采石の江上に釣り、縄を以って江の広狭を度(はか)り、闕(けつ)に詣(いた)って策を陳(の)ぶ。上、其の言を用う。荊南に令して大艦を造って、浮梁(ふりょう)と為し、以って師を済(わた)す。是に至って之を用うるに、尺寸(せきすん)を差(たが)えず。

匣剣 箱に入れた剣。 進士 科挙の科目の一。 第 及第。 采石 今の安徽省の地。 闕 宮城の門、朝廷。 

開宝七年(974年)に、曹彬に命じて江南を伐たせた。初め帝はしばしば使いを遣わして、江南国主の李に入朝するよう説得したが来なかった。そこで帝は曹彬及び潘美等に命じて江南を討たせ、進発にあたってこう戒めた。「絶対に民に乱暴掠奪を行ってはならぬ。国家の威信を広め、人民自から懐き従うように仕向けてくれ、急いで撃つ必要はない」と。次いで匣入りの剣を取り出して、曹彬に授けて、「副將から下、命に従わない者は斬れ」といった。副將の潘美以下、将兵たちは顔色を変えた。かつて王全斌が蜀を討った際、多くの蜀の人民を殺したので、帝はそれを遺憾に思っていた。それで特に戒めたのである。ところで曹彬は慈悲深い性質だったので、帝は江南討伐にあたって大任を任せたのである。
これに先立って、江南の樊若水という者が進士の試験に推挙されたけれども及第しなかった。上書して時事を建白したが何の知らせもなかった。或る日采石の江上で釣りをした際、縄をもって江の広狭を測り朝廷に出頭して江南攻略の策を献じた。帝はその献策を採りあげ、采石の上流の荊南に命令を下して大艦を造らせそれを浮き橋として軍隊を渡らせた。ここに至って樊若水の計測と実地に比べて尺寸の差もなかった。


唐宋八家文 柳宗元 箕子碑(三ノ三)

2014-09-16 08:47:32 | 唐宋八家文
箕子碑(三ノ三)
蒙難以正、授聖以謨。宗祀用繁、夷民其蘇。
憲憲大人、顯晦不渝。聖人之仁、道合隆汚。
明哲在躬、不陋爲奴。沖譲居禮、不盈稱孤。
高而無危、卑不可踰。非死非去、有懷故都。
時詘而伸、卒爲世模。易象是列、文王爲徒。
大明宣昭、崇祀式孚。古闕頌辭、繼在後儒。

難を蒙るに正を以ってし、聖に授くるに謨(ぼ)を以ってす。
宗祀用(も)って繁く、夷民それ蘇(そ)す。
憲憲たる大人(たいじん)、顕晦(けんかい)渝(かわ)らず。
聖人の仁、道隆汚(りゅうお)に合す。
明哲躬(み)に在り、奴と為るを陋(ろう)とせず。
沖譲(ちゅうじょう)して礼に居り、孤と称するに盈(み)たず。
高けれど危うきこと無く、卑(ひく)けれど踰(こ)ゆべからず。
死に非ず去に非ず、故都を懐(おも)うことあり。
時に詘(くっ)して伸び、卒(つい)に世の模(も)と為る。
易象に是れ列し、文王の徒たり。
大明宣昭(せんしょう)し、崇祀(すうし)それ孚(まこと)あり。
古(いにしえ)は頌辞(しょうじ)を闕(か)く、継ぐは後儒に在り。


謨 法則。 宗祀 先祖をまつる。 夷民 異国朝鮮の民。 蘇 蘇生。 憲憲 明らかな徳。 顕晦 現れることと隠れること。 隆汚 盛衰。 明哲 明知。 躬 身。 陋 賤しい。 沖譲 へりくだり、人に譲る。 孤 王侯の自称。 盈 おごる。 詘して伸び 屈伸。 模 模範。 易象 易経の象伝。 宣昭 輝く。 孚 誠。 頌辞 讃える言葉。

災難に遭うも正義を貫き、聖人に授けるに模範を以ってす。
祖先をまつる子孫は栄え、えびすの民も生き返らせた。
明徳の人は、世に顕われていても、隠れていても態度を変えない。
聖人の仁愛は道義の盛衰と合致し、明知を身に保ち、奴隷となるも賤しいと思わず、
へりくだり、人に譲って礼儀を守り、王侯となっても奢らない。
高貴にあっても危険は無し、卑賤にあっても見下されない。
死なず去らず、故国を想って時に世に隠れ、時に現れて模範となる。
易経の象伝に名を列ね、周の文王のともがらとなった。
偉大な徳は輝きわたり、立派な祭祀は誠心をもって捧げられる。
その昔、讃える言葉は無かったが、これを補うは後の世の儒者の役目。


8月30日、下血で急遽入院することになり、約二週間休載することになりました。
女子医大で検査の結果ワーファリンの利きすぎによる腸管出血と判明。なお暫くは通院して検査を続行とのことでした。ご迷惑をお詫びいたします。