至是吉代爲丞相。吉尚寛大好禮讓。嘗出、逢羣鬭死傷、不問。逢牛喘。使問遂牛行幾里矣。或譏吉失問。吉曰、民鬭京兆所當禁、宰相不親細事、非所當問也。方春未可熱、恐牛暑故喘、此時氣失節。三公調陰陽、職當憂。人以爲知大體。
是(ここ)に至って、吉、代って丞相と為る。吉、寛大を尚(たっと)び、礼譲を好む。嘗て出でて、群闘死傷するに逢う、問わず。牛の喘(あえ)ぐに逢う。牛を遂(お)うて行くこと幾里ぞ、と問わしむ。或るひと、吉の問を失うを譏(そし)る。吉曰く、民の闘うは、京兆(けいちょう)の当(まさ)に禁ずべき所、宰相は細事を親(みずか)らせず、当に問うべき所に非ざるなり。春に方(あた)って未だ熱す可からず、恐らくは牛、暑きが故に喘ぐならん、此れ時気の節を失するなり。三公は陰陽を調う、職として当に憂うべし、と。人以って大体を知ると為す。
こうして魏相が亡くなると、丙吉(へいきつ)が代って丞相となった。丙吉は寛容で、礼儀が正しく人に遜(へりくだ)ることを好んだ。ある時、外出して数人が喧嘩をして死傷者まで出ている所に行きあわせたが、何も問わずに過ぎた。次に牛があえぎながら来るのに出あった。従者に「一体何里引かせて来たのか」と聞かせた。ある人が、丙吉の問いが的はずれではないかと非難したが、丙吉は「民が争うのは、京兆の長官が取り扱うべきことがらで、宰相が細かいことを自ら口出すことはない。今は春でまだ暑くなる時季ではないのに、牛はあえいでいる、これは時候が順当ではないのだ。三公というものは、陰陽を調えて民の利益を図るもので、当然宰相の職務として憂うべきことなのだ」と説明した。人々はこれを聞いて、丙吉は大きな筋道を心得ていると評した。
三公 前漢時代最高位にある、丞相、大司馬、御史大夫の三つの官職。
是(ここ)に至って、吉、代って丞相と為る。吉、寛大を尚(たっと)び、礼譲を好む。嘗て出でて、群闘死傷するに逢う、問わず。牛の喘(あえ)ぐに逢う。牛を遂(お)うて行くこと幾里ぞ、と問わしむ。或るひと、吉の問を失うを譏(そし)る。吉曰く、民の闘うは、京兆(けいちょう)の当(まさ)に禁ずべき所、宰相は細事を親(みずか)らせず、当に問うべき所に非ざるなり。春に方(あた)って未だ熱す可からず、恐らくは牛、暑きが故に喘ぐならん、此れ時気の節を失するなり。三公は陰陽を調う、職として当に憂うべし、と。人以って大体を知ると為す。
こうして魏相が亡くなると、丙吉(へいきつ)が代って丞相となった。丙吉は寛容で、礼儀が正しく人に遜(へりくだ)ることを好んだ。ある時、外出して数人が喧嘩をして死傷者まで出ている所に行きあわせたが、何も問わずに過ぎた。次に牛があえぎながら来るのに出あった。従者に「一体何里引かせて来たのか」と聞かせた。ある人が、丙吉の問いが的はずれではないかと非難したが、丙吉は「民が争うのは、京兆の長官が取り扱うべきことがらで、宰相が細かいことを自ら口出すことはない。今は春でまだ暑くなる時季ではないのに、牛はあえいでいる、これは時候が順当ではないのだ。三公というものは、陰陽を調えて民の利益を図るもので、当然宰相の職務として憂うべきことなのだ」と説明した。人々はこれを聞いて、丙吉は大きな筋道を心得ていると評した。
三公 前漢時代最高位にある、丞相、大司馬、御史大夫の三つの官職。