中書令弘恭、僕射石顯、自宣帝時、久典樞機。及帝即位多疾。以顯中人無外黨、遂委以政事、事無大小、因顯白欠。貴幸傾朝、百僚皆敬事顯。顯巧慧習事、能深得人主微指。内深賊持詭辯、以中傷人、與高表裏。望之等患外戚許・史放從、又疾恭・顯擅權、建白。以爲、中書政本、國家樞機。宜以通明公正處之。武帝遊宴後庭、故用宦者。非古制也。宜罷中書宦官、應古之不近刑人之義。上不能從。
中書令の弘恭、僕射(ぼくや)の石顯(せきけん)は宣帝の時より、久しく枢機を典(つかさど)る。帝、位に即くに及び多疾なり。顕の中人にして外党無きを以って遂に委するに政事を以ってし、事大小と無く、顕に因(よ)って白決(はっけつ)す。貴幸、朝(ちょう)を傾け、百僚皆顕に敬事す。顕、巧慧(こうけい)にして事に習い、能く人主の微指を探得(たんとく)す。内深賊(しんぞく)にして詭弁を持し、以って人を中傷し、高と表裏す。望之等、外戚許・史の放縦(ほうしょう)なるを患い、又恭・顕の権を擅(ほしいまま)にするを疾(にく)んで、建白す。以為(おも)えらく、中書は政の本(もと)、国家の枢機なり。宜しく通明公正を以って之に処(お)くべし。武帝は後庭に遊宴す、故に宦者(かんじゃ)を用う。古制に非ざるなり。宜しく中書の宦官を罷(や)め、古の刑人を近づけざりしの義に応ずべし、と。上、従う能わず。
中書令の弘恭と僕射の石顕は宣帝の時から久しく政治の枢要にあった。宣帝は即位以来病気がちであった。ところが石顕は宦官で一族係累がいないというので気を許して、次第に政治を任せ、事の大小を問わず全て石顕の奏上によって決するようになった。帝の恩寵は石顕の一身に集まり、百官みな顕を敬い仕えた。顕は知恵才覚に富み抜け目がなく、よく帝の微かな意中を察することができた。しかし内心は陰険で詭弁を弄して人を貶(おとし)めた。石顕と史高は宮中と朝廷と表裏一体となって気脈を通じていた。蕭望之らは、外戚の許延寿や史高の放縦をうれい、弘恭と石顕が権力を専(もっぱ)らにするのを悪(にく)んで、帝に建白書をたてまつって「思いますに、中書は政治の根本で、国家の枢機を扱っています時勢に明らかで公正な人物がその官に就くべきです。武帝はよく後宮で遊宴をされておられましたので、宦官を用いられましたが、これは古の制ではありません。どうか中書にいる宦官を罷免して古の帝が宮刑を受けた者を近づけられなかった道理に適うようになさってください」と。しかし元帝はこの措置をとることができなかった。
中書令 宮中の書記を総括する。 僕射 尚書僕射、宰相の一。 中人 宮中の宦官、この時代から権力に関わってきた。 外党 宮中外の徒党。 白決 白は申し上げる、奏上して裁決すること。