竟寧元年、呼韓邪單于來朝、願婿漢。以後宮王嬙字昭君賜之。
帝崩。在位十六年。改元者四。初元・永光・建昭・竟寧。帝雖喜儒術、得韋玄成・匡衡爲相、無相業、帝徒優游不斷、漢業衰焉。太子即位。是爲孝成皇帝。
竟寧(きょうねい)元年、呼韓邪(こかんや)単于来朝し、願わくは漢に婿(むこ)たらん、と。後宮の王嬙(おうしょう)字は昭君を以って之に賜う。
帝崩ず。在位十六年。改元する者(こと)四。初元・永光・建昭・竟寧。帝儒術(じゅじゅつ)を喜び、韋玄成・匡衡を得て相と為すと雖も、相業なく、帝徒(いたずら)に優游不断(ゆうゆうふだん)にして、漢業衰う。太子位に即く。是を孝成皇帝となす。
竟寧元年(前33年) 呼韓邪単于が来朝して、漢室の女婿(むすめむこ)になりたいと願いでた。そこで後宮の王嬙、字は昭君を皇女として賜った。
この年元帝が亡くなった。在位十六年。改元すること四。初元・永光・建昭・竟寧である。元帝は儒者の道を好み、韋玄成・匡衡を丞相にしたが、この二人は丞相としての功績はなく、帝もきわめて優柔不断であった。そのため漢の帝業は衰退した。太子が即位した。これを孝成皇帝(成帝)という。
王昭君については有名な伝説があるが、ここでは触れない。李白の五言絶句と
我が朝の凌雲集より七言絶句を紹介する。
王昭君 李白
昭君玉鞍(ぎょくあん)を払い 馬に上って紅頬(こうきょう)啼く
今日(こんにち)漢宮の人 明朝胡地(こち)の妾(しょう)
王昭君 滋野貞主(しげののさだぬし)
朔雪(さくせつ)翩翩として沙漠暗く 辺霜惨烈として隴頭(ろうとう)寒し
行く行く常に望む長安の日 曙色(しょしょく)東方看るに忍びず
朔雪 北方から吹き付ける雪。 隴頭 長安の西方隴山のほとり