十七年、復置西域都護・戊己校尉。初耿秉請伐匈奴。謂、宜如武帝通西域、斷匈奴右臂。上從之、以秉與竇固爲都尉、屯涼州。固使假司馬班超使西域。超至鄯善。其王禮之甚備。匈奴使來。頓疎懈。超會吏士三十六人、曰、不入虎穴、不得虎子。奔虜榮斬其使及從士三十餘級。鄯善一國震怖。超告以威、使勿復與虜通。超復使于。其王亦斬虜使以降。於是諸國皆遣子入侍。西域復通。至是竇固等撃車師而還、以陳睦爲都護、及以耿恭爲戊校尉、關龕爲己校尉、分屯西域。
十七年、復(また)西域都護・戊己校尉(ぼきこうい)を置く。初め、耿秉(こうへい)、匈奴を伐たんと請う。謂(おも)えらく、宜しく武帝の西域に通じて、匈奴の右臂(ゆうひ)を断ちしが如くなるべし、と。上、之に従い、秉(へい)と竇固(とうこ)とを以って都尉と為し、涼州に屯(とん)せしむ。固、仮司馬(かしば)班超をして西域に使いせしむ。超、鄯善(ぜんぜん)に至る。其の王之を礼すること甚だ備わる。匈奴の使い来る。頓(とみ)に疎懈(そかい)なり。超、吏士三十六人を会(かい)して曰く、虎穴に入らずんば、虎子を得ず、と。虜営(りょえい)に奔(はし)って其の使い及び従士三十余級を斬る。鄯善の一国震怖(しんふ)す。超、告ぐるに威徳を以ってし、復(また)虜(りょ)と通ずる勿(な)からしむ。超、復于(うてん)に使いす。其の王も亦虜使を斬って以って降る。是(ここ)に於いて諸国皆子を遣わして入り侍(じ)せしむ。西域復通ず。是に至って竇固等、車師を撃って還り、珍睦(ちんぼく)を以って都護と為し、及び耿恭(こうきょう)を以って戊校尉(ぼこうい)と為し、関龕(かんがん)を己校尉(きこうい)と為し、分(わか)って西域に屯せしむ。
永平十七年(74年)、再び西域都護と戊己校尉を置くことになった。発端は耿秉が匈奴討伐を願い出て、「昔武帝がなされたように、西域諸国とよしみを通じて、匈奴の右ひじを断ち切ったようにするのが宜しいでしょう」と言った。帝はこれに従って耿秉と竇固を都尉に任命して涼州に駐屯させた。竇固は仮司馬班超を使いとして西域に派遣した。超はまず鄯善国に赴いた。鄯善の王は丁重にもてなした。そこに匈奴から使者が来ると、急に扱いが粗略になった。超は同行して来た部下三十六人を集めて言った。諺に「虎穴に入らずんば虎子を得ず」という、危険を冒してこそ得るものが大きい、今が好機ぞ、と匈奴の宿営を襲って、使者と随員三十余人の首を斬った。鄯善国は恐れおののいた。班超は漢の威徳を鄯善王に語り聞かせ、匈奴との交わりを断たせた。次いで于国に赴くと、国王はみずから匈奴の使者を斬って、漢に帰服した。こうして西域諸国はみな王子を朝廷に遣わして仕えさせたので、西域との交わりが復活した。
この年、竇固たちは車師を討って還り、陳睦を都護とし、耿恭を戊校尉とし、関龕を己校尉に任じて、西域に分屯させた。
西域都護 西域諸民族の支配のために置かれた官庁の長。 戊己校尉 戊己は五行(木、火、土、金、水)に兄(え)弟(と)を配して甲乙丙丁戊己庚辛壬癸の十干とした、つちのえ、つちのと。木は方位東、色は青、季節は春。火は南、赤、夏。土は中央、黄色。金は西、白、秋。水は北、黒、冬をあらわした。つまり西域の中央に置いた鎮西武官。 仮司馬 司馬の副官。 鄯善、于、車師 ともに西域の国名。